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 この世に、この世界に絶望したかと問われれば、否だとおもう。

 絶望したのは、自分自身だ。

 この身だ。この命だ。使命だ。運命だ。


 死んでも束縛から逃れられない。終わりのない、鉄の鎖の連鎖。

 ならば、生きればいいと、あの声は言った。

 抗えと。それが唯一お前にできる、贖いだと。

 崖から落ち、海の中で聞こえたあの声とは違う。


 消えてしかるべきものではない。


 半蔵なら、一彦ならそういうだろう。

 そう言ってくれるだろう。

 うぬぼれるのは勝手だ。


 そうだ、これは「自己意識」に他ならない。

 うぬぼれ、自意識過剰だとののしられても、それは倫之助の自我が芽生えた証だ。


 伝えていない。

 応えていない。


 目を開ける。見慣れぬ天井が見える。

 

 しっかり生きなければ。

 死ぬのは、それからでなくてはならない。


 もうじき、朝になる。

 

 まだ、すべて失ってはいない。


 人類の歴史は、滅びではない。生だ。生きることだ。

 それが紡がれることを望んでいる。


 それが答えだ。

 観測者としての。そして、沢瀉倫之助という存在としての。


「いいや――」


 違う、と声が聞こえる。


 みし、と家鳴りのような音が聞こえた。

 倫之助は飛び起きるようにして体を起こす。


「……カガチか」

「そうも呼ばれていた。だが、もうその意匠(かたち)はこの世にあらず」

「……?」

「カガチの器はお前だ。だが、かたちはすでにあらず。服部家の末裔が焼き尽くしたのだ」

「おまえは……誰だ?」


 男の声だ。

 だが、この家には倫之助を助けてくれた壮年の男性しか知らない。

 彼の声でもないのは確かだ。


「誰、という問いには答えられない。いや、当てはまらない。この世のすべての言葉をもってしても。だが、何、と問われれば、カガチの残滓、蛇の呪い、怒り。そういったものに当てはまる」

「……お前は、俺たちの敵か」


 うす暗い部屋の中で、その姿を見ることはできない。

 だが、亡霊のようにぼんやりとした声は、たしかに不気味ではある。


「敵か、味方か。それは万華鏡のように変わる。だが、今のお前にとっては敵というべきだろうな。今の私は。カガチは、もはやただの残滓になり果てた」

「……どういうことだ」

「言っただろう。服部家の末裔が焼き尽くした、と」

「カガチは……死んだのか」

「カガチに死という概念はない。だが、お前たち人間の言葉にするならば、カガチは死んだ。そして、呪いと怒りが生まれた。それがこの私という存在だ。それ故――怒りのため、呪いのため、全ての人間を処刑することを選んだ」


 ゆら、と揺らいだ男の声。

 その亡霊のような男の存在は、ここから消え去ったようだった。

 倫之助は少しの間、その意味を思考していたが、すぐに背中に違和感を感じた。

 背中の、あの痣がない。

 そう鏡もないのに、見えもしないのに理解する。

 カガチは確かにいなくなったのだ、と。


 そして、あの男は服部家の末裔がカガチを焼き尽くした、と言っていた。

 あの強大な力をもつカガチを。

 倫之助でさえ、制御しきれなかったものを。


「半蔵……!」


 カガチを殺して、無事で済むわけがない。

 だが、男は半蔵のことをなにも言わなかった。

 無事だとも、無事ではないとも。

 すぐに半蔵に会いに行きたかったが、東京までは100キロはあるという。

 歩いて行ける距離ではない。

 携帯もない。

 ぐっと手を握りしめる。

 握りしめても、何もできはしないことは知っている。


「沢瀉くん? どうかしたのか?」


 思いのほか大きな声を出してしまったのか、襖から倫之助を助けてくれた男性が顔を出した。


「……すみません。今すぐに、東京に行かなければいけない用事ができました。……ありがとうございます。親切にしてくださって」

「東京だって? 走っても、いつつくか分からないぞ」


 倫之助は立ったまま、ふいに思いだした。

 着替えはまだ乾いていない。靴も。

 けれど、構ってはいられない。


「仕方ないな。せめて、服を乾燥機で乾かしてからだ。車を出してあげよう。車なら、それほどかからないはずだ」

「……ですが……そこまで」

「いいんだよ。服が渇くまですこしかかる。それまですこし休んでおくといい」

「――ありがとうございます」


 襖を閉じて、男性は乾燥機のある部屋へ向かったようだ。

 ひとり残された倫之助は、天井を見上げるようにしてにらむ。

 眼鏡がないので、殆どなにも見えないが、暗闇がよく見えた。

 


 あの声。

 あの男の声が耳にこびりついている。

 感情もなにもないような、声。

 ただカガチの残滓だという、あれのいうことを信じるならば、カガチは本当に死んだのだ。


 半蔵――。


 彼がなにをしたのかは分からない。

 カガチを殺せるような力を持っているのかどうかさえ、倫之助には分かっていない。

 だが、なにかがあるとすれば、半蔵が倫之助の前から姿を消していたとき、何かをつかんだのだろう。



 それから数十分後、車を出してくれた男性に、倫之助は礼を言うことしかできなかった。

 けれど男性は笑って、そんなにかしこまられたら、こっちが照れてしまう、とハンドルを切った。


 男性は何も聞かなかった。

 なにも。

 あるいは、なにかを感じ取ったのかもしれない。

 

 車の行き来がすくない道路を、走って行く。

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