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一彦の百花王が馨の刀をはじく。
鉄と鉄がこすれあう音が耳をつんざいた。
「雛田さん、一彦さんは化物じゃない。人間だ」
「化物の言うことを信じると思う?」
馨はくちびるをゆがませ、嘲るように吐き捨てる。
「やめろ。人間同士の風彼此での争いは禁止されている筈だ」
「問題ないわ。だってあなたも化物でしょう?」
「――ちっ」
これ以上の口論は無意味だと気づいたのか、一彦は舌打ちをし、百花王をぐっと押し出す。
だが馨は崩れ落ちるどころか、びくともしない。
ただ、すこしだけ革靴が岩で滑っただけだ。
「……仕方ないか……」
「!?」
一彦が応戦している間、倫之助はただ見ているわけではなかった。
彼女が動かない、と知った時点で楊貴妃を発動させていた。
たとえ馨が倫之助の「忘却」させる力に反発できる能力を持っていたとしても、すぐではない。
少なくとも――1時間は意識を喪失させることができるはずだ。
馨のうなじに当てた楊貴妃の赤い刀身が、すっと白く変化する。
「……本当は……使いたく、なかったんだけど……」
「倫之助!」
馨の身体がいともたやすく崩れ落ちるとともに倫之助の身体も倒れそうになるが、一彦がそれを支える。
「う……っ」
頭が割れるように痛む。
なにかが入ってくる。
そう、他人の「精神」と呼ばれるものが。
これは、蘇芳エーリクのものだ。蘇芳エーリクの「本心」。
それが頭の中に流れ込んでくる。
憎む。
憎んでいる。
人間を。陰鬼を。すべてを。
けれど、人間すべてを全滅させるための力が足りない。
そのために蛇の力を欲している。
人間――人類すべてを「違うなにか」にするために。
それが蘇芳エーリクの願う、人類の「可能性」だ。
「……そうか……」
「倫之助? 大丈夫か」
「――はい。おかげで、蘇芳さんの目的が分かりました。彼の目的はカガチです。カガチを使って、人類をなにか違うものにしようとしている」
「何か違うもの……。カガチの力っていうのは、そこまでできるものなのか?」
「いえ。カガチは、そこまでの力はないはずです。俺の知る限りでは。カガチはただ人類史を焼き尽くすものです。今のところ、俺は観測者であり続けている。もし俺が人類に失望し、絶望すればカガチは人間たちを殺すだけの存在になるはず。ただ、それだけの――装置、みたいなものです」
風が強くなってきた。
ごつごつした岩の上を歩き始める。馨が目覚める前に。
岩はずっと続いている。
おそらく、行き止まりのあたりにあの洞窟があるはずだ。カガチの洞窟が。
「……急がなければ、半蔵が……」
「ああ、そうだな。すこし走るか。あの女が目を覚ますかもしれない。走れるか?」
「はい」
岩肌に足をとられないように、注意して走る。
ところどころ、アカシアの木が植えてあった。
人工的に植えられたであろうその木からのかおりはしない。
潮に満ちて、甘いはずの香りはいっさいしなかった。
半蔵は無事なのだろうか。
馨との邂逅で、時間をつぶしてしまった。
もう、半蔵と蘇芳は出会ってしまっている――。そう確信しているのは何故だろうか。
遠いのか、近いのか分からないところから鉄がこすれあう音が聞こえてくる。
思わず倫之助の足が止まった。
だが、すぐに動き出した。
やはりもう顔を合わせてしまっていたのだ。
そして、半蔵は蘇芳を敵とみなしている。主の敵として。それは間違いのないことだ。
「半蔵!」
やがて二人の影が認識できる距離に近づいた時、倫之助が半蔵の名を呼ぶ。
甲高い、鉄の鳴き声。
二人の距離が離れたのだ。
「……結構、早かったね。倫之助くん」
蘇芳がつぶやく。
その表情はどこか苦々しそうだった。
「坊ちゃん……。どうして」
「おまえがひとりで背負うことじゃない」
何かに気づいたように、半蔵が目を軽く見開く。
「知った、んですね。蘇芳の、本当の目的を」
「雛田馨を下したんだね。まあ……彼女にはあまり、期待はしていなかったけど」
蘇芳はつややかな髪の毛を掻き上げ、困ったようにため息をついた。
「僕はね、倫之助くん。今の人間たちに失望している。自分のために人間を道具のように扱い、挙句のはてに罪をなすりつけ、罰といい殺害する。僕たち蘇芳の人間はみんなそうやって――政府の人間に道具のように扱われてきた。報復だよ。今度は、僕が罰を授ける番だ」
「何を言っている。倫之助に死ぬかもしれない実験をさせたお前が言うことができるのか?」
「倫之助くんはヒトじゃない。だから、すこし僕の報復のために手伝ってもらっただけだ。倫之助くん、きみだって人間に失望しているんじゃないのかい? 今だったら間に合う。きみの背にある蛇を、僕に渡すんだ」
「――なぜ、俺が人間に失望していると思うんです。俺は、化物である前に風彼此使い。陰鬼を殺す存在。ただそれだけです。たとえ、あなたたちに何を言われようと、何をされようと……俺は人間に失望しない。それ以上に、俺は人間からさまざまなものを貰ったんですから」
楊貴妃をたずさえ、その柄を握りしめる。
「皮肉な話だな。蘇芳。倫之助が人類を存続させるといい、人間であるお前が人類を全滅させるという。どうする? 三対一じゃ勝ち目はないぜ」
「そうかな?」
蘇芳は顔をゆがませ、そして呟いた。
「きみの元クラスメイトに、すこし協力してもらったよ。松羽くん――」
御堂松羽。
倫之助を唯一、学校の中で認識してくれていた存在。
クラスの中で倫之助を心配してくれた、ただ唯一の存在。
「御堂……?」
岩陰から、亡霊のように出てきたのは紛れもない、御堂松羽その人だった――。




