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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
小望月
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 何もかもを忘れていたわけではない。


「半蔵はどうしましたか」


 その次の日には、倫之助はごくごく普通に食事をしていた。何事もなかったかのように。

 一彦に見かけない半蔵の行方を尋ねるが、彼も知らないようだった。


「さあ。知らねぇな。どうした、何か用事があったか?」

「いえ。大したことじゃないんですが。ただ……半蔵の様子がどこかおかしいような気がして」

「そうか? まあ、おまえが言うならそうなんだろうな」


 だいぶ、涼しくなった。

 朝晩は寒いほどだ。地下にある食堂からは、外気は入ってこない。

 ただ、寒い。

 倫之助がそう思うのは、ただ単に薄着だというだけなのだろうが。


「今日は久しぶりに街にでも出ようかと」

「そうか。誰と行くんだ?」

「そういうことじゃないんです。あなたと少し、相棒らしいことをしていようかと思いましたがいかがでしょうか」

「……あのな、そういうんじゃないだろ、相棒ってのは。まあ、いいけどよ。ちょうど煙草、カートン買いに行こうかと思ってたところなんだ」


 一彦は、ほんの少し愕然とする。

 まさか倫之助から誘いをうけるとは。

 そして、着実に何かが変わってきている、とも。


「では、10時にロビーでお待ちしています」

「お、おう」


 わずかに動揺する一彦をしり目に、倫之助は朝食が載っていたトレーをもって出ていった。

 一彦は、わずかに顔を歪める。

 あれ(・・)のことを、思い出した。

 半蔵が倫之助ではない、と言った、倫之助の顔をした誰かのことを。

 今の倫之助は、本当の倫之助なのか?

 分からない。

 相棒である相手のことが分からないようでは、そもそも相棒失格だ。


「俺は、倫之助をおそれているのか?」


 ぼそり、と呟く。

 応えるものはだれもいない。






 それから3時間後、倫之助はロビーにいた。

 ロビーには、受付係の女性しかいない。

 静かだった。


 ただ、ロビーの向こうの道路には、たくさんの人がいる。

 スーツを着たサラリーマンであったり、休日だからだろうか、女子高生らしい女性が楽しそうに歩いている。


「……あれが普通ということなのか……」


 つぶやく。

 ああやって、楽しそうに歩いている男女。または女同士、男同士。

 ああいうものが、倫之助にはなかった。


「何見てんだ?」

「通りがかりの人を」

「人間観察なんかして楽しいか?」


 視線を上げる。

 いつものように、よれよれの黒いスーツを着た一彦がいた。

 この人は、黒いスーツしか持っていないのだろうか。

 分からないが、問うこともしないし、聞いても意味のないことだろう。


「それなりに」


 倫之助が答えると、一彦はどこか呆れたように笑って見せた。


「じゃ、行くか」

「はい」


 ロビーから出る。

 一抹の静寂がなくなった。

 街は喧噪であふれている。


「どこに行くんだ?」

「煙草を買うのでは」

「そんなのどこだっていいんだよ。おまえが行きたい場所、あるんじゃないのか?」

「……」


 すこし、考える。


「ふつうの人は、どうするんでしょうか」

「どう、って。まあ、特に目的もなく街に出る人間もいるしな。別にいいんじゃねぇか。そのあたりぶらついてみても」

「そうなんですか。じゃあ、そうしましょう」


 足を一歩、前へ踏み出した。

 ふいに倫之助の、すこし汚れたスニーカーを見下ろす。

 穴が開きそうになるまでではないが、かなり使い古されている気がした。


「倫之助。おまえ、誕生日いつだ?」

「誕生日? 何かあるんですか?」

「そういうことじゃない」

「誕生日は、1月です。1月15日」

「そうか。まあ、だいぶ早いが、誕生日のプレゼント、買ってやるよ。何がいい?」


 倫之助の黄金色の目が、やわらかくなった陽の光に反射する。

 金色にも近かった。


「そういうものなんでしょうか」

「そういうもんだよ。俺は大人。お前はまだ子ども。それでいいんだ」

「はあ……」

「どうせお前のことだ、なにも思いつかんだろ」

「よくお分かりで」


 歩きながら、倫之助は口許をゆるめた。笑ったのかもしれなかった。


「だったら、スニーカーを買ってやるよ。その靴、相当年季入ってるだろ」

「まあ、そうですね。いつ買ったか忘れたくらいです」


 ありがとうございます、と倫之助は呟いた。

 つぶやいて、ふと足をとめた。


「どうした」

「あ、いえ。何でも」


 倫之助の視線の先には見知らぬ、彼と同じくらいの年の少年が立っていた。

 その距離はそれほど遠くはない。

 少年は立ったまま、何かを探しているようだった。


「御堂……」

「みどう? クラスメイトだった奴か?」

「はい。ちょっと、話しかけてきていいですか」

「おう。俺はここで待ってるから」

「すみません」


 松羽がいる場所まで歩いていくと、彼もこちらに気づいたのか驚いたように「あ」と口を開いた。


「沢瀉じゃん。久しぶり」

「……御堂、誰かと待ち合わせか?」

「ああ、うん。ちょっとな。そういやあの人、学校に来てた人だろ? 蝶班の」

「そうだけど……。もう、蝶班はないんだ」

「あー、あのビルの事件か。こっちには情報規制がかかってるみたいだから詳しくは知らないけど、おまえが無事でよかったよ」


 松羽は人懐こく倫之助に笑いかけた。


「それにしても、よく俺が分かったな。こんだけ人いるのに」

「一応、クラスメイトだったからな。それに、教室にいて俺に話しかけてきたの、おまえだけだっただろ」

「そうだっけ? まあ、でもおまえ、少し変わったな。なんつーか、やわらかくなったっていうか」


 変わった。

 倫之助は、ひどく動揺した。

 変わること。

 それがどういうことか分からなかったからだ。


「おっと、そろそろ時間だ。じゃあな、沢瀉。また会おうぜ」

「ああ、うん」


 松羽は、手を軽く上げてその場から去って行った。

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