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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
上弦の月
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11

 カフェは入院している人のほかにも、見舞客の姿も見受けられた。

 倫之助はブラックコーヒーが飲めないので甘いカフェラテを頼んだが、半蔵は当たり前のようにブラックを頼んでいた。

 ミルクをいれるのならばまだしも、倫之助にとってブラックのままのコーヒーは舌を刺激してどうしようもない。


 カフェの一番奥にすわり、まだみずみずしい緑が目の前に広がっている。だがそろそろ枯れてしまうだろう。

 秋になれば、必然的に。


「……坊ちゃん、本当に申し訳ありませんでした……」

「なにがだよ」

「陰鬼をあなたと見間違うなんて、あってはならないことでした」

「だからそれはいいって。別に気にしてないよ」


 半蔵はアイスコーヒーを一口飲んで、息をついた。


「おまえが怪我をしたんだ。おまえが謝る必要はどこにもない」

「そうですね、自業自得ですよね」

「まあ否定はしない」


 カフェラテを飲み込む。かすかな甘さが、自転車できた疲れをいやしてくれる気がした。

 

「そういえば糸巻さんはまだ見つからないみたいだな……」

「……見つからない?」


 今日は造龍寺たちが探している筈だが、何の連絡もない。

 そもそもなぜ、姿をくらませたのだろう。

 半蔵の顔がかすかにゆがむ。


「別にいいんじゃないですか。見つからなくても」

「そういうわけにもいかないだろう。蝶班の班長なんだから」

「ですが、坊ちゃんの血を抜いたことは確かです。ろくなことに使っていないことも確かでしょう」

「……最初は、そういうことをするような人に見えなかったんだけどな」


 実際、ういが何をしているのか分からない。

 倫之助の血を何にするのかも分からない。


「半蔵」

「はい」

「おまえ、何かを隠しているだろ」

「……隠していません、とはもう、言えませんね」


 半蔵はどこか諦めたように手を組んだ。

 ういが行方不明の今、隠していたことをさらけ出した方がいい、と思ったのだろう。


「地下室でのことです」

「地下室は本当にあったということか」

「ええ。そのなかに、完全ヒト型の陰鬼がいたんです。赤い……液体に浸かった、陰鬼が……」

「完全ヒト型? そんなものが本当にあるのか。聞いたことはあったけど」

「はい。その波長が……糸巻ういに言わせると似ている、と」


 不安そうに、そして窺うように倫之助の顔を見る。

 だが、彼は何ともないように、特に興味もないように――頷いた。


「俺に似ている、ということか」

「……はい」

「半蔵。おまえ、俺が人間じゃないかもしれない、ということを知っていただろう」

「そ、それは……」

「気を使わなくてもいい。俺も分かっている。おそらく、その陰鬼というのは俺と何か関係があるんだろう。まだ、詳しくは分からないけどな」


 倫之助は、自身のことをどうでもいいと思っている。

 命さえ。

 それが弱さだと言えばそうだろう。だが、実際そうなのだ。

 無下にしている、という事が倫之助の最大の弱点でもあった。


「それでも俺は、坊ちゃんが何者であろうと、誠心誠意お仕えします」

「……分かってるよ」


 カフェラテを再び飲み込む。

 半蔵は決して倫之助を裏切らない。それがたとえ双方にとって不幸な結果になったとしても。


「前にも言ったけど」


 汗がにじんでいるグラスを持って、目を伏せる。


「俺が本物の化物になったら……おまえが殺してくれよ」

「……坊ちゃん……」

「おまえに殺されるなら、納得できる」

「俺は、別に人間を守るために風彼此使いになったわけではありません。元から、決められていたことでしたから」

「風彼此使いは、血で受け継がれるものではないだろ」


 両親が風彼此使いだといって、その子どもも風彼此使いになれるというわけではない。

 一種の才能という、馬鹿げた答えにしか行きつかないのだけれど。


「偶然ですよ。もちろん。兄は風彼此使いではないですが、機関に所属しています。旦那様のいる五光の下っ端ですけどね」

「そういえばそうだったな」

「……とにかく、俺は坊ちゃんのお傍にいます。何があろうと」


 話が大幅にそれて無理やり戻す半蔵はかたくなだった。

 とうの昔に氷がとけてしまったコーヒーを半蔵が飲みこむ。

 コーヒーのこげ茶色は、氷で薄まってしまっていた。

 同じように、きっと倫之助の存在も薄まっていく。

 あの高校のクラスメイトもきっと倫之助のことを忘れるだろう。

 徐々に、初夏の氷のように。


「そろそろ帰る。おまえも、もう病室に戻るだろ」

「そうですね。そうします」


 空になったガラスのコップを戻し、倫之助はそのまま病院の外へ出た。


 蝉が必死に鳴いている。

 生命が短いことを嘆くのか、と倫之助は問いかけた。

 蝉は応えることなく、ただ鳴いている。

 いや――命のことなど、蝉はどうだっていいのかもしれない。

 人間にしたならば一瞬の命だ。憂う時間さえ、もったいないことなのだろう。


 これもすべてまやかしだ。

 

 倫之助の思う、幻にしかならない。

 彼は自転車にまたがって、ビルへ戻った。



 ビルまであと半分、といった距離になったとき携帯が鳴った。

 倫之助は自転車から降りて、道のすみに移動してから携帯をスライドさせた。


「造龍寺だ。倫之助、おまえ、今どこにいる」

「ええっと……。目抜き通りを通り過ぎるところですが。何かあったんですか」

「ああ。糸巻さんが見つかった」

「どこにいたんです?」

「それが……ち」


 ぶつっ、という音と共に、通話が切れてしまった。

 無論、こちらから切ったのではない。

 造龍寺は「ち」と言って、切れた。その先は言葉か、または単語か……。どちらにせよ、何かがあったに違いない。

 再び自転車に乗り込んで、今度は立ちこぎでビルまで急いだ。


 途中でサイレンの音が倫之助の耳を強く穿った。

 県警の車、消防車がそれぞれ2台。

 それらが倫之助を当然のように通りすぎていく。

 倫之助の黄金の瞳には、それらはビルの方へ向かっているように見えた。


 ビルについたのは、それから10分たった後だった。


「これは……」


 ぼそりと呟いた言葉は、ガラスが割れる音に消し去られた。

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