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それから、紫剣総合学園周辺1キロに規制が張られ、近隣住民は避難した。
1人の犠牲者が出た今、ぴんと張り詰めた空気が流れている。
陰鬼は、既に出現していたのだ。
だが、それは昨晩のことで、今朝はまだ現れていないという。
造龍寺が気づかなかったのも無理はなかったと思う。
昨日は休日で、彼はこの近辺にはいなかった。
蝶班が休日ということは、他の猪班、鹿班がいたということだ。
それなのに、陰鬼を捕らえられなかったということは、蝶班の責任ではない――と思うのだが、造龍寺は悔しげにしていた。
口には出さないが、犠牲者を出してしまったことに責任を感じているのだろう。
「……糸巻班長が?」
どこかに電話をしていた造龍寺が、ぼそりと呟いた。
「はい。はい。分かりました」
報告をしていた造龍寺が、電話を切る。
その口調がどこかとげとげしく感じられた。
「どうしたんですか」
「あ? ああ、鹿班の班長がな、糸巻班長を探しているらしいんだが」
「まだ行方不明なんですか」
「まあな。っつーか、班長の責任だ、なんて言われてもなぁ。終了し次第糸巻さんを探せ、だとさ」
「……坊ちゃん。あの女に近づかないほうがいいです」
途中から割り込んできた半蔵の言葉に、造龍寺が眉根を寄せた。
「おいおい、班長をあの女呼ばわりとは、肝が据わってるじゃねぇか」
「あの女は坊ちゃんの血を抜いた。……何に使うかは分からないが、どうしようもないことに使うに違いない」
「血を……? ああ、そういえばそんなことも言っていたな。まあ、血を抜くってんだから、ろくでもないことに使うのは目に見えている。そういう人だからな。あの人は」
「――もしかしたら」
会話が聞こえていたのか、水雪が割って入る。
自分の風彼此を油断なく握りしめて、造龍寺を見上げた。
「地下室があるかも、っていう話」
「地下室? 地下って言ったら居住区しかないが」
「それが、私、見たんですよ。エントランスの奥の、ずっと開かなかったドアが開いて、地下に降りていく糸巻さんを」
そういえば、昨日水雪がそんなことを言っていた。
七不思議のような話だと思っていたら、どこか真実味を帯びてきたような気がする。
「ああ、あの扉か。気にはなっていたが、開くんだな、あそこ」
「そうなんですよ! 鵠には馬鹿にされましたけど、開くんです、あそこ! だから、鍵もあるんじゃないかって思って。でも、糸巻さんは用心深い人だから、鍵のスペアなんてないと思うし……」
「強行突破するしかないでしょう」
発言したのは倫之助だった。
やや面倒くさそうに、頭を掻きながらぼそりと呟いた。
驚いたのは、造龍寺だった。
「強行突破ってなぁ……」
「だって、そうでしょう。糸巻さんがいない。誰かに迷惑をかけている。でも、こちらには水雪さんが言った地下という手札しかない。それに頼るとしたら、壁でも扉でも壊して中に入るしかない」
「坊ちゃん。それはいいですけど、あなたはだめです。あなたを、あの女に会わせるわけにはいけない」
「……半蔵、おまえ、何か隠してないか。俺に」
過保護と思ってしまえれば楽だったのに。
そこに亀裂を入れてしまったのは、倫之助だった。
「いいえ」
「嘘をつくな」
黄金色の目が、半蔵をまっすぐ見つめている。
半蔵は言えなかった。
あの中にある「おぞましいもの」。あれを倫之助と会せるのが怖い。
完全ヒト型の陰鬼と倫之助の波動が似ている。
それに気づかれてしまうことが怖かったのかもしれない。
「……今更、何が起こってもおかしくないさ」
諦めたような言葉が、悲しかった。
直後、みし、という骨がきしむ音が周りに響く。
「!!」
息を飲んだ時にはもう、遅かった。
道路の真ん中に、巨大な黒い「何か」が突き刺さっていたのだ。
倫之助の頬が切れ、血が流れている。
だが、不思議と痛みはなかった。
心が、何かに掴まれたような感覚がずっと続いている。
そちらのほうが、ずっと痛かった。
「こいつ……」
鵠が唸る。
突き刺さっているそれは、まるで棒のようだった。
「離れてください。坊ちゃん。こいつは……」
突き刺さったその黒い物体は、ゆっくりと霧状になり――そして、ヒトの形へと成型されてゆく。
ゆらゆらと揺れて、頼りない。
だがそれは明確な殺意を持っている。
殺意を持っている、ということは、おそらくかすかながらも知性があるということだろう。
だが、天女のようにしゃべることはできないようだ。
完全にヒトの形をとった「それ」は、完全に沢瀉倫之助だった。
「……これ……倫之助くん!?」
「おい、こんな陰鬼、初めて見るぞ」
水雪と鵠が取り乱す。
ヒトに化ける陰鬼を、初めて見たのだろう。
「聞いたことがあるな。ヒトに化ける陰鬼がいるっつーのは。だが、見たのは初めてだ」
呟いた造龍寺は百花王の柄を持ち、倫之助の姿をとった陰鬼をにらみつけた。
それを合図にここにいる全員が風彼此を抜く。
倫之助の形をとった陰鬼が、倫之助を真似るようにその手を風彼此に見たてた。
「こいつ、風彼此を……!」
するどい刃を持つ、軍刀「楊貴妃」。色は黒ずんでいるものの、その形はどこから見ても楊貴妃だった。
水雪が忌々しそうに舌打ちをする。
「突入するぞ!」
「了解!!」
造龍寺の声に、全員が地を蹴った。




