5
「坊ちゃん……俺を、認めてくださるんですか……?」
まるで、親に置いていかれたような目をしている。
倫之助は、ふっと息をついて、こう言った。
「とっくの昔に認めてるよ」
と。
その言葉が、どれほど半蔵の心を救っただろうか。
おそらく倫之助は分からないだろう。
「こんな……こんな俺を……」
半蔵の手が震えている。
彼は不安だった。
風彼此使いとしての腕は、圧倒的に倫之助のほうが上だ。
ゆえに「守れない」。助けることはできても、守れないのだ。
――心の奥深くに閉じ込めていた感情がこぼれ落ちていく。
手のひらから。
心の隙間から。
「おまえがいたから、俺はここにいる。おまえが支えてくれていたからだ。だから、感謝している。半蔵」
「……坊ちゃん……」
その眼は、どこまでも真摯だった。
彼の言葉は真実だ、と半蔵は理解した。
まるで――聖なるものに触れるかのように、倫之助の頬に触れる。
その頬は今は夏の終わりだとはいえ暑いというのに、冷たい。
半蔵が倫之助に触れることは、全くないというわけではないから、驚くことはなかった。
「ご褒美だ」
倫之助の腕が半蔵の背中に回る。蛇のようにしなやかな腕は、半蔵をたまらなくさせた。
半蔵も、彼の体を掻き抱く。
倫之助の呼吸音が、半蔵の耳朶に甘く響いた。
「……ん」
そのまま、半蔵が倫之助にくちづける。
この行為に、何の意味があるのだろう――。
倫之助の咥内に、半蔵の舌がぬらりと入ってくる。
かすかに眉をひそめたが、嫌ではない。ただ、意味を探るように目をほんの少し開けた。
半蔵の端正な顔が見える。彼の腕が、倫之助の腰に回った。
「あ……っふ」
そっとくちびるを離す。
うっとりと顔をゆがませている半蔵の頬に触れ、笑ってやる。
「終わり」
「えぇ……」
今度は物足りなそうに顔を歪ませた。
男同士のキスがどうしてそんなにいいものなのか、倫之助にはわからない。
けれど、好きでも嫌でもないので、半蔵がいい働きをしたときに「ごほうび」としてキスをさせてやると喜ぶのだ。
その習慣ができたのは、5年前だった。
中学一年の頃だっただろうか。
もうはるか昔のような年月だ。
いつも家の掃除や倫之助の助けになってくれるから、ご褒美をあげたかった。
その旨を半蔵自身に聞くと「じゃあキスしてください」と言った。
今となっては冗談のつもりだったのだろうけれど、倫之助はためらいなく彼にキスをした。
驚いたのは自分で言った半蔵自身だ。だから、ひっくり返ったのも半蔵だった。
それが倫之助にとってのファーストキスだった。
別に「そういう行為」に何の感慨も覚えていないからこそだったのだろう。
「もっとしてほしいなら、ご褒美をくれたくなるようなことをしたらいい」
倫之助はあっさりとそう言ってから、半蔵に背をむける。
半蔵は、ただ呆然と彼を見送った。
心からあふれた感情は、どこにいけばいいのだろう。
どうすれば正解なのだろう。
知らず知らず、先刻まで倫之助の腕を握っていた左手を見下ろす。
力みすぎていたのか、すこしだけ汗で湿っていた。
足の力が急に抜け、へたり込む。
「……坊ちゃん……」
倫之助がひとりで自室に戻ると、そのままベッドに倒れこんだ。
どっとした疲れが体をむしばむ。
「なんか……疲れた……」
風呂も入らないといけないし、歯も磨かなければいけない。
それでもそんな気力はない。
なぜだろうか。
半蔵の様子がすこしおかしかっただけだ。
――ただ、それだけだ。
だから、当たり前のことを半蔵に伝えたのだ。
あの男には嘘は通じない。
倫之助が嘘をついても、それは「嘘だと知っている」。知っていて、笑顔で頷くのだ。
「その通りです、坊ちゃん」。と。
それが嫌だったから、当たり前のことを、真実を伝えたのだ。
そうでもしないと彼には伝わらない。
(そういえば褒美をあげるのも、久しぶりだったな……。)
仰向けになって、ぼんやりと天井を見上げる。
このまま眠りそうだ。
それでも、このまま眠ってしまったら汗臭くなる。
「……はぁ」
ため息をつきながら、立ち上がる。ぐらりと視界が回ったような気がしたが、幸いチェストが近くにあったので、倒れずに済んだ。
シャワーだけでも浴びてこようと、下着と部屋着を持って備え付けの風呂場に向かった。
ぬるい湯に設定して、頭からシャワーをかぶる。
だんだんと意識がはっきりとしてきた。
「おまえは普通ではない……」
そういったのは、最近あっていない父、峰次だった。
大型の陰鬼を一人で倒してしまった時だった。
クイーンではなかったものの、通常であれば大人3人でようやく倒せるという代物だったのだが、その時倫之助は一人きりだった。
ゆえに、一人で倒さなければいけない状態だったのだ。
処理班と共に現れた峰次は化物を見るような目で、倫之助を見下ろした。
そしてそう言ったのだ。
その時から自分は化物なのだと、人間ではないのではないか、と思うようになった。
別に苦ではなかったし、ありのままを受け入れることにした。
何か、とか、誰か、とか。
そういうものに抗うすべを持たず、ただすべてを受け入れる。
そして、期待も希望ももたない。
こうした方が楽だ。
失望も絶望も見なくてすむのだから。
だが病的なまでに、倫之助は「意味」を探した。
自分が戦う意味。生きる意味。死んでいく意味。風彼此を持つことになった意味。
けれど、今のところ一つも見当たらなかった。
ただ――倫之助には、幸いなことに半蔵がいた。
半蔵が倫之助の傍にいることの意味。それを倫之助は知らないが、それでも不満はなかった。
不思議だった。