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月牙の剣【本編完結済】  作者: イヲ
上弦の月
32/112

「坊ちゃん……俺を、認めてくださるんですか……?」


 まるで、親に置いていかれたような目をしている。

 倫之助は、ふっと息をついて、こう言った。


「とっくの昔に認めてるよ」


 と。

 その言葉が、どれほど半蔵の心を救っただろうか。

 おそらく倫之助は分からないだろう。


「こんな……こんな俺を……」


 半蔵の手が震えている。

 彼は不安だった。

 風彼此使いとしての腕は、圧倒的に倫之助のほうが上だ。

 ゆえに「守れない」。助けることはできても、守れないのだ。

 

 ――心の奥深くに閉じ込めていた感情がこぼれ落ちていく。

 手のひらから。

 心の隙間から。


「おまえがいたから、俺はここにいる。おまえが支えてくれていたからだ。だから、感謝している。半蔵」

「……坊ちゃん……」


 その眼は、どこまでも真摯だった。

 彼の言葉は真実だ、と半蔵は理解した。


 まるで――聖なるものに触れるかのように、倫之助の頬に触れる。

 その頬は今は夏の終わりだとはいえ暑いというのに、冷たい。

 半蔵が倫之助に触れることは、全くないというわけではないから、驚くことはなかった。


「ご褒美だ」


 倫之助の腕が半蔵の背中に回る。蛇のようにしなやかな腕は、半蔵をたまらなくさせた。

 半蔵も、彼の体を掻き抱く。

 倫之助の呼吸音が、半蔵の耳朶に甘く響いた。


「……ん」


 そのまま、半蔵が倫之助にくちづける。

 

 この行為に、何の意味があるのだろう――。


 倫之助の咥内に、半蔵の舌がぬらりと入ってくる。

 かすかに眉をひそめたが、嫌ではない。ただ、意味を探るように目をほんの少し開けた。

 半蔵の端正な顔が見える。彼の腕が、倫之助の腰に回った。


「あ……っふ」


 そっとくちびるを離す。

 うっとりと顔をゆがませている半蔵の頬に触れ、笑ってやる。


「終わり」

「えぇ……」


 今度は物足りなそうに顔を歪ませた。

 男同士のキスがどうしてそんなにいいものなのか、倫之助にはわからない。

 けれど、好きでも嫌でもないので、半蔵がいい働きをしたときに「ごほうび」としてキスをさせてやると喜ぶのだ。

 その習慣ができたのは、5年前だった。

 中学一年の頃だっただろうか。

 もうはるか昔のような年月だ。

 いつも家の掃除や倫之助の助けになってくれるから、ご褒美をあげたかった。

 その旨を半蔵自身に聞くと「じゃあキスしてください」と言った。

 今となっては冗談のつもりだったのだろうけれど、倫之助はためらいなく彼にキスをした。

 驚いたのは自分で言った半蔵自身だ。だから、ひっくり返ったのも半蔵だった。

 それが倫之助にとってのファーストキスだった。

 別に「そういう行為」に何の感慨も覚えていないからこそだったのだろう。


「もっとしてほしいなら、ご褒美をくれたくなるようなことをしたらいい」


 倫之助はあっさりとそう言ってから、半蔵に背をむける。

 

 半蔵は、ただ呆然と彼を見送った。

 心からあふれた感情は、どこにいけばいいのだろう。

 どうすれば正解なのだろう。

 

 知らず知らず、先刻まで倫之助の腕を握っていた左手を見下ろす。

 力みすぎていたのか、すこしだけ汗で湿っていた。


 足の力が急に抜け、へたり込む。


「……坊ちゃん……」






 倫之助がひとりで自室に戻ると、そのままベッドに倒れこんだ。

 どっとした疲れが体をむしばむ。


「なんか……疲れた……」


 風呂も入らないといけないし、歯も磨かなければいけない。

 それでもそんな気力はない。

 なぜだろうか。

 半蔵の様子がすこしおかしかっただけだ。

 ――ただ、それだけだ。

 だから、当たり前のことを半蔵に伝えたのだ。

 あの男には嘘は通じない。

 倫之助が嘘をついても、それは「嘘だと知っている」。知っていて、笑顔で頷くのだ。

 「その通りです、坊ちゃん」。と。

 それが嫌だったから、当たり前のことを、真実を伝えたのだ。

 そうでもしないと彼には伝わらない。


 (そういえば褒美をあげるのも、久しぶりだったな……。)


 仰向けになって、ぼんやりと天井を見上げる。

 このまま眠りそうだ。

 それでも、このまま眠ってしまったら汗臭くなる。

 

「……はぁ」


 ため息をつきながら、立ち上がる。ぐらりと視界が回ったような気がしたが、幸いチェストが近くにあったので、倒れずに済んだ。

 シャワーだけでも浴びてこようと、下着と部屋着を持って備え付けの風呂場に向かった。


 ぬるい湯に設定して、頭からシャワーをかぶる。

 だんだんと意識がはっきりとしてきた。




「おまえは普通ではない……」



 そういったのは、最近あっていない父、峰次だった。

 大型の陰鬼を一人で倒してしまった(・・・・・・・)時だった。

 クイーンではなかったものの、通常であれば大人3人でようやく倒せるという代物だったのだが、その時倫之助は一人きりだった。

 ゆえに、一人で倒さなければいけない状態だったのだ。

 処理班と共に現れた峰次は化物を見るような目で、倫之助を見下ろした。

 そしてそう言ったのだ。

 

 その時から自分は化物なのだと、人間ではないのではないか、と思うようになった。

 別に苦ではなかったし、ありのままを受け入れることにした。

 何か、とか、誰か、とか。

 そういうものに抗うすべを持たず、ただすべてを受け入れる。

 そして、期待も希望ももたない。

 こうした方が楽だ。

 失望も絶望も見なくてすむのだから。


 だが病的なまでに、倫之助は「意味」を探した。

 自分が戦う意味。生きる意味。死んでいく意味。風彼此を持つことになった意味。

 けれど、今のところ一つも見当たらなかった。

 ただ――倫之助には、幸いなことに半蔵がいた。

 半蔵が倫之助の傍にいることの意味。それを倫之助は知らないが、それでも不満はなかった。

 

 不思議だった。

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