揺光
つまらない講義を、窓側で受けている。窓から差し込む本当の太陽の光が、眠気を誘ってきた。
俺は、その誘いに乗ってみることにした。
心地の良い室温、教授の抑揚の声の中、目を瞑る。眠りに移行にする刹那、誰かの声が聞こえた気がした。
白昼夢の中、静かな海を見ていた。水平線が、彼方で伸びていた。独りで砂浜を歩く。
久しぶりの一人だけの夢の世界だった。独りは慣れていたはずなのに、友香が居ないこの世界がたまらなく寂しい。
波は、音もなく寄せては返していた。まるで、映像だけを見せられているみたいに。
潮の匂いもない。風も、頬を撫でてはくれない。
ただ、海があった。
すぐに眠気がやってきた。名残惜しさも一切なく、夢の世界から去る。
今夜も俺は、友香と夢で出会う。この日常が、いつまでも続いて欲しい。
「真司君に見せてあげたいものがあるんだ。私のまちに帰ろう」
こうして俺たちは、来た線路を辿って戻っていく。帰り際、海へ振り返った。海は、雄大に、ただそこにあった。
「真司君!行くよー!」
行くべき道から友香の声が、俺の耳に響いた。
俺は、小走りで友香の背中を追いかけた。
レールが夕焼けの残光を細く反射していた。
さっきまで見ていた海は、もう背中の向こうにある。振り返れば、きっとまだそこにあるんだろう。だが、俺は振り返らなかった。
友香は、ただ、迷わず前に進んでいた。しばらく歩くと、線路の両脇に街灯が増えてきた。電柱の数も多くなる。
遠くに、見覚えのある大都市の影が見えた。
友香のまちだ。
空は、まだ薄明るい。でも、西の空の色が、少しずつ落ちていく。
まるで、この世界が「夜の準備」をしているみたいだった。
行き道よりも帰り道の方が早かった。
見たこともないキャラクターが、まちの脇を彩っていた。都会では、こんなキャラクターが流行っているのか。世間の事情に疎い俺には、無縁の話だった。
キャラクターたちは、どこか柔らかい輪郭をしていた。丸みを帯びた顔、少しだけ大きい瞳。
どれも見覚えはないのに、不思議と嫌悪感はなかった。
むしろどこか、懐かしい気さえした。
「……友香」
「ん?」
「このキャラ、有名なの?」
友香は一瞬だけきょとんとした顔をして、それから小さく首を傾げた。
「え?普通にいるよ」
普通に。
その言葉が、妙に引っかかった。
「俺、見たことないかも・・・」
「えー?そんなことある?」
友香は笑う。
「住んでるところの違いかな?」
その言葉に、俺は曖昧に頷いた。
イルミネーションは、様々なところで輝いていた。
道の上、建物の壁、橋の欄干。
光が、街を包み込んで揺れていた。その光の中を歩いていると、現実の重さが、少しずつ剥がれていくみたいだった。
「……綺麗だね」
思わず、呟いた。
「でしょ?」
友香は、誇らしそうに笑った。
「現実だと、人もいっぱいで、音もいっぱいで……」
友香は、少しだけ言葉を探す。
「……でも、私はこの静かな方が好きかも」
俺は、何も言わなかった。友香の気持ちも分かった気がしたから。
俺たちは、さらに奥へ進む。
街の中心に近づくほど、光は密度を増していく。やがて、メインストリートの真ん中に、大きなアーチが見えてきた。
無数の電球で作られた、光の門。その奥が、少しだけ暗い。光が、そこだけ避けているみたいに。
「……あそこ」
友香が、小さく言う。
「イルミネーションの中心」
「行くの?」
俺が聞くと、友香は小さく、だけど力強く頷いた。
「うん」
それから、少しだけ笑う。
「真司君に一番綺麗なところ、見せたいから」
俺の胸が、温かくなっていくのを感じた。光のアーチを、二人でくぐる。
光の魔法がかかったイルミネーションが、俺に幻想を見せてくる。
「真司君」
「ん?」
突然、友香の顔が、すでに目の前にあった。俺と友香の唇が重なる。目は大きく見開き、体は石のように固まる。顔が、段々と熱くなっていくのを感じた。
こんなにも唇が柔らかいことを、初めて知った。キスというのが、素晴らしいことを初めて知った。
そして、俺は、俺自身が恋をしていることに気づいた。
唇が離れた瞬間、時間が止まった気がした。
俺は、呼吸の仕方を忘れていた。友香も、ほんの少しだけ驚いた顔をしていた。
俺は、目を逸らさなかった。逸らしたら、何か大事なものがこの手から零れ落ちてしまうと思ったから。
光の粒が、二人の間をゆっくり流れていく。
「……ごめん」
最初に口を開いたのは、友香だった。
「いや、、」
俺の声は、自分でも驚くほどかすれていた。
「うれしい」
言い切った瞬間、顔が一気に熱くなる。
友香は、一瞬だけ目を丸くして、少しだけ安心したはにかんだ笑顔をみせてくれた。
「……よかった」
俺たちは、そのまま並んで歩き出す。 光のアーチの向こう。
電球一つ一つが、呼吸しているみたいに、ゆっくり明滅している。
変わらず、街は静かで、どこかあたたかかった。
「ねえ、真司君」
「ん?」
「私ね、」
友香は、前を向いたまま言う。
「この景色、真司君と一緒に見れて本当に良かった」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「俺もだよ」
こんな景色を、ひとりで見るのは、きっと綺麗すぎるから。




