始まり
どんな夢を見ていたのだろう、で始まる朝は、少し寂しい。
何の変哲もない、いつもの天井が目に入る。面白みのない一日が、また始まる予感がした。
布団の中で、睡魔との闘いを制し、ようやく起き上がる。携帯を手探りで探すが、一向に見つからない。確かに昨日寝る前に、充電していたはずなのに。
ここで、俺はようやく違和感に気づく。不気味な程に、自分がいる空間が静かだった。
今いるこの部屋で聞こえるのは、段々と速くなっている己の心臓の鼓動だけだった。
窓から町を見下ろす。歩いている人もいなければ、車も見えない。そして、どんなに耳を澄ませても、いつも隣から漏れ出る賑やかな朝のドタバタ劇が聞こえてこなかった。
自分の部屋から飛び出して、階段を駆け下りる。
誰も居なかった。
テレビの上に掛けられている時計の針は、動く気配すらなかった。テーブルに置かれているリモコンで、テレビの電源を入れようとするが、何度押しても長方形は反応しなかった。コードを確認するが、しっかりコンセントに刺さっていた。
状況が、まるで飲み込めない。寝ぼけたままで、パニックに陥る。
部屋を何度も徘徊し、無意味な時間が流れる。しかし、いつまで経っても事態は好転せず、俺自身が落ち着くこともなかった。
途轍もなく嫌な予感がよぎるが、俺ができる選択肢が一つしかないのも事実だった。
寝間着のまま、玄関へ駆け出す。
靴ひもを結ぶ時間も、もったいなく感じて上手く結べない。いつも以上に時間をかけて靴を履き、外へ飛び出す。
最悪な妄想が、現実のものとなる。町から忽然と、人が消えていた。あたかも、それが自然かのように。
無我夢中で、人の姿を求めて町を走り回った。しかし、人影どころか動いている物体すら俺の目に映ることは無かった。走り続けていたら、駅まで来ていた。平日であっても、人通りがなくなりはしない地元の駅ですら、動いているのは信号機のみだった。生まれた時から離れたことのない地元の駅なのに、今日は何か変だ。言い表せない違和感が、確かに存在していた。
走って体と頭を同時に動かしたおかげが、少し考える余裕が生まれた。
これは夢だ。僅かな思考時間で導き出した答えだった。
以前、どこかで明晰夢というものを聞いた。多分それだ。
現象の答えが分かると、急激に冷静になってくる。夢の中の町を観察する。近くのスーパー、昔通っていた小学校、友達たちと日が暮れるまで遊んだ公園。しかし、どこも若干の違和感がある。その違和感は、決して気持ちがいいものではなかった。
この夢は、あまりにも不思議で不快だった。他に気づいたことがあるとするなら、店の看板や町中にある字体が、気持ち悪いくらいに変だということ。バグだらけの開発段階のゲームのように。一刻も早く目覚めて、忘れ去りたい。
目を強く瞑り、この夢からの脱出を祈る。しかし、いつまで経っても状態は変わらなかった。実際には、あまり時間は経っていないかもしれないが。
夢の中なのに、嫌な汗をかき始めた。
このままずっとこの世界に閉じ込められるかもしれない。そんな恐ろしいことが、頭をよぎる。
再び恐怖と焦りが、俺の中を支配し始める。
気味の悪いこの世界からの脱出方法が、まるで分からないまま夢だということを祈り続ける。
時間の流れも存在するか分からないが、長いこと目を閉じ、手を合わせていた俺は目を開ける。
なかば半狂乱になっていた俺は、走り出す。目的は一切ない。
疲労がないのも、喉の渇きが皆無なのも、夢だからなのだろう。
こんな悪夢、早く目覚めたい。儚い願いは、消えて無くなってしまった。
夢の世界には、物理法則など存在していないらしい。俺は、見たことも聞いたこともない東に沈んでいく太陽は、不思議な気持ちにさせてくれる。燃えるような夕日は、現実よりも眩しかった。怖いくらいに。
夢の世界でも、時が進み、夜がやってきた。夜の帳が降りる際、世界は眠りに入る。しかし、その寝息を聞くことは出来なかった。
真夜中の世界で、俺は孤独を覚える。生命の孤独なようなものを、体に刻み込まれていく。町中の電灯が一斉についていったのも、俺は気づかなかった。
悪夢の世界に迷い込んでから二日は経った、と思う。突然、昼になったり、夜になったり、朝になったりしていた。時は進んでいるが、時間は止まっている感覚に陥る。
近くの神社や寺に行って、一心不乱に神仏に助けを求めても、その祈りが叶うことは無かった。
希望と楽観はついに消え失せ、残ったのは失望と悲観だった。神も運命も呪った。
「なんで俺が、俺だけが!俺が何をした!!」
絶望に打ちのめされた俺は、心の叫びをそのまま口にした。
「こんな弱い人間に、不幸ばかり与えて楽しいか!神か、仏か知らないが、悪趣味にもほどがあるぞ!はやく俺を帰らせろよ!はやくはやく」
空虚に向けての悪態は、無意味でその事実が、憎悪を増大させる。
「許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない・・・・・・」
対象が存在しない呪詛を唱え続ける。そうすることで、今の現状に蓋をして己を守っていた。自責よりも他責の方が、いくらか気持ちを保てるから。しかし、しばらくして気づいてしまった。他責思考をしていても、自責思考をしていても、どちらにしろ何も変わらないこと。その思考に至った瞬間、俺の中の何かが切れた。
その後、何日も歩き回った。疲労も空腹も何も覚えないまま。そして、感情も心も死んでしまった。
思考が完全に止まりそうになった頃、我が家が恋しくて久しぶりに帰ってきた。
おぼつかない足で、階段を登り、布団に潜り込んだ。そして、瞼を閉じる。
睡魔は、突然やってくる。俺は、世界から放り出され、そして吸い込まれた。意識が途切れる最中、暖かな光を見た気がした。




