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『七ツ森』31


      31


 ガルタンダールの呪力によって引き寄せられた暗雲は、勢いを増して広がり続けていた。日の光が遮られていく。死者と怪物によって蹂躙される七ツ森(スィーブ・スコーゲル)に、さらなる闇が落ちようとしていた。


「……」


 ニールス・ユーダリルは、赤い光線に拘束されたまま、静かに状況の把握に努めていた。広大な七ツ森のうち、第三の森はすでに落ちたと言っていい。第一、第二の森は人里に近く、第四の森以降はより深い神秘の森だ。このままなら、おそらく死者も怪物も、第四の森からさらに奥へとなだれ込むだろう。

 暗雲が立ち込めるのと同じく、ニールスの胸中にも不吉な予測が浮かび上がる。

 手は、ある。まだ、あとひとつだけ。

 だが、そのためには――……


「わかっているよ。まだ何か考えているんだろう?」


 下方の魔法陣に目を落としながら、ガルタンダールはピアノでも奏でるかのような指使いで呪力を操作する。それでいながら、ニールスへの警戒も解いてはいない。


「僕の事を理解したつもりか? 惑乱の王子よ」

「君が黙って縛られたままでいる男ではないと理解しているつもりだ、森の魔術師。残る魔力はもはや微かだというのに、君は、まだ起死回生の一手を狙っている」


 そこで、惑乱の王子は視線をニールスへと向けた。


「しかし、どうやって? 誰かが助けにきてくれるのを期待しているのか? 私が今さらそれを見過ごすとでも?」

「僕の仲間は皆優秀だ、ガルタンダール。弟子も使い魔も、皆」


 静かな表情のまま、ニールスは答える。


「そして狩人は時を待つものだ。獲物を狩るには一瞬あればいい」


 ガルタンダールは神妙な顔でニールスの言葉を聞いていた。ニールスの真意を測るかのように、しばし眉根を寄せる。


「……わからんね。その状態でまだ強気でいられる心境というものが」


 言うや、ガルタンダールが指を動かすと、ニールスを拘束する赤い呪力の光線が、きつく、魔術師の肉体を締め上げた。


「ぐぅっ……!」

「殺しはしない。君という人間にあらん限りの絶望を味わってもらいたいのは本音だが、殺せば素材としての君の価値が落ちてしまう。ま、せいぜいそこで見ていたまえ。そろそろ――」


 ガルタンダールが天高く右腕を掲げる。と、呪力の赤い波動が暗雲に広がり、留まる事を知らぬまま、四方八方、どこまでも果てしなく広がり続けていく。


兄妹(きょうだい)たちが起きる。戦利品の自慢をさせてもらわねば――」


 地鳴りが、聞こえる。地面が揺れている。ただの地震ではない。否が応にも、ニールスの霊感が反応する。起きている。これと同じ事象が。この地球のどこかで。その数は、三――

 ガルタンダールの右手が上方に軽く振られるや、地鳴りの音はさらに大きくなり、暗雲は空全体を覆い隠していた。


「二百年の時が過ぎた。そろそろ、ゲーム再開の時間だ。兄妹たち」


 ――鐘の音が響く。

 天上を覆い隠した暗雲の中から、闇に堕ちた世界を讃える鐘の音が響き渡る。声がする。瘴気めいた風のような唸り声。苦悶の声。これらは歌だ。今もなお現世を漂い続ける数々の霊魂が、邪悪な霧の気配を嗅ぎとって、恐れのあまり、情けを乞う歌を歌っているのだ。

 呪力の赤い光が、ひと際強く波紋を生じさせた。


 ニールスは、見た。遥かなるスカンディナヴィア山脈の尾根の向こうから、巨大な影が伸びるのを。それは、まるで巨人の影であり、また人型に見せかけた言い知れぬ怪物の影のようでもあった。それは、ひとつではなかった。北極圏の海の彼方からも、見通す事のできぬ南の空の果てからも、同時に、異様な影が伸びきて、七ツ森(スィーブ・スコーゲル)を見下ろしていた。


『――兄上』


 影が、声を発した。世界の全てに響くかのような底知れぬ声を。


『久しぶりにお会いしたかと思えば、それは我らが故郷への門か。まさか、早々にゲームよりいち抜けする気ではあるまいな?』


 山脈の向こうから伸びた影が、煽るような声音で言った。

 ガルタンダールは、苦笑いで応えた。


「まさか。そんなはずはない。私が楽しいゲームからいち早く抜けると思うか? 君らを起こしがてら、捕えた獲物を見せつけようとしただけだ。我が弟、ギロンギスタンよ」


 ニールスは自分自身に視線が集まるのを感じた。大地を踏みしめ、暗黒の空に広がる三つの巨大な影。それらがニールスという魔術師を検分している(・・・・・・)


『……けっ。自分だけ抜け駆けしてアバターの素材集めか。たく、もう少し眠っているはずだったのに、兄上の素材自慢で起こされたんじゃたまったもんじゃないぜ。ルールに反するんじゃねえのか、これは? ああ?』


 ギロンギスタンと呼ばれた巨大な影は、早々に芝居がかった口調を捨てて、粗野な声音で問うた。


『馬鹿な事を言うわね、ギロン兄様』


 それを鼻で笑ったのは、北極圏の海より伸びた影である。


『我らのゲームにルールはひとつ。この世のあらゆる生命、あらゆる知性に恐怖の味を教え込んでやる事。我らのうち誰かひとりがいち早く恐怖の頂点に立った時、真なる闇と霧の時代が始まる。私は眠りながらもずっとこの世の流れを見ていたわ。まさかお兄様が本当に眠りこけているとは思わなかった』


 北極圏からの影は艶やかな声でギロンギスタンを嘲笑った。


『しゃらくせえぞ。グリム』

「さすがに優秀だな。我が第一の妹、グリムドローズ」


 ガルタンダールの銀色の目が、空に伸びる影を見る。


「だが、いささか無茶な運用だったようだね。君のアバターはまだ本調子ではない。二百年間、身体を休めずに意識を張り巡らせ続けた結果だ。その様子では、すぐにゲームに復帰するのは難しいんじゃないのかい」

『ご心配なく、お兄様』


 グリムドローズと呼ばれた影はすかさず言った。


『私がこの世で使える駒はいくらでもあるのよ』

「それはいいね。相手に張り合いがなくてはゲームは面白くない。君はどうだ? ゲレアガーデン。我が第二の妹よ」

『……どうでもいい』


 南の空の果てから伸びた影は気だるげに返答した。


『人間どもの相手は退屈。お父様とお母様が決めたこのゲームも退屈。眠っていたほうがずっとましだった。起きたら動かなきゃいけないじゃない』

『はっ。相変わらずやる気のねえ奴だ』

『いいのよ、ゲレア。ちょうどガルタン兄様が故郷への門を開くところなんだし、このまま抜けちゃっても』


 ギロンギスタンとグリムドローズが口々に言った。ゲレアガーデンの影が、面倒そうに肩を揺らし、


『……悪くないけど、負けるのが一番だるいでしょ』


 ガルタンダールの銀の目に、赤い光が走った。


「いいだろう。兄妹たち。前回の中断から二百年の時が過ぎた。我々にとっては不本意な中断だったが、その間にゲームの舞台は大きく変化した」


 長兄ガルタンダールの言葉に、影たちが不敵な気配を醸し出した。


「今の人間は二百年前とは違う。文明は進歩し、彼らの感受性や考え方はかつてよりも鋭敏に、繊細過ぎるほどに変わってきている。人の子は地に満ち、形作られる社会はより複雑となり、彼らが味わう恐怖や絶望の種類も増えた」


 暗雲が重圧を増し、立ち込める呪力が呼吸を遮る。ニールスは、影たちを、目の前で悠然と口上を述べる銀髪の男を睨んだ。

 (いにしえ)より人の世に潜む、邪悪の一族――


『つって、人間どもの本質は変わらねえだろ』


 山脈からの影、ギロンギスタンが言い、


『でも苦しみ方は増えた。いたぶりがいもね』


 北極圏の影、グリムドローズが楽しげに嗤い、


『やり方次第で、どんな恐怖も絶望も与えられる』


 南の空に現れた影、ゲレアガーデンが淡々と言った。

 一瞬の、ほんの微かな間。

 ニールスは奇妙な気配が過ぎった気がした。


『……いや、今まさに感じる。激しい絶望を』


 ゲレアガーデンがはたと気付いたように言い、巨大な影が視線を巡らせるように動いた。


『恐怖――いえ、それだけではないわね。強い怒りも』


 グリムドローズが期待を込めた声で言い、


『これは恨みだ。憎しみだ。兄上を敵とみなしてやがる』


 ギロンギスタンは心底面白いといったふうに、


『兄上、何をした。そこに捕らえた優秀な素材だけじゃないな。もしかしたら、もっと面白い玩具(おもちゃ)で遊んでいたんじゃないか?』


 周囲の呪力の圧によって霊感の働きが鈍っていたニールスも、今ようやく彼らが話題にしている人物の感情を、はっきりと感じ取った。


 ――何かが、割れたような。そんな感覚があった。ニールスの霊感が強く囁く。何かが、壊れた。人間なら誰しもが抱える、大事な境界が――


 ガルタンダールは、しばし思案気に顎に手をやったあと、足元の森に、その中の一点に目をやった。


「……ああ、なるほど」


 その銀色の目に浮かんでいるのは、間違いなく喜びの色だ。


「よかったよ。目論見通りいったというわけだ」


 直後。

 森の中から聞こえてきたのは、地を裂くような怨嗟の絶叫だった。



 心の底から吐き出した絶叫は、喉を痛めつけ、怒りも憎しみも胸の中に増やしていく。魔力の青い輝きは鈍り、どこか赤味を帯びている。マキは走っていた。襲いくる亡者の集団を蹴散らし、飛び交う触腕蠢く怪物を貫き、走っていた。

 影が、マキを見下ろしている。暗雲に覆われた空に突如として現れた三つの巨大な影。その視線が、今、マキに注がれているのがわかる。それに、あの男。あの銀髪の男。あいつが、マキを見ている。マキと両親の運命を捻じ曲げたあいつが、空からマキを見下ろしている。


『――心が割れていやがる』


 声が聞こえる。粗野でいながら見透かしたような事を言う声が。


『――才気を感じるわ。あんな娘なら、私だって踏みにじってみたい』


 声が聞こえる。マキを人形か何かのように見ている嗜虐の声が。


『――気分はどう? 人間の娘。亡者と化した実の親をその手に掛けた気分は』


 声が聞こえる。感情のない音で、刃のようにマキの心を切り刻まんとする声が。


「――はあ、はあ、はあ」


 行く。

 行かなければならない。

 湧き続けるこの怒りを。心を思うさま見物され、土足で踏み荒らされるこの不快さを。吐き出さなければならない。ぶつけなければならない。行くしかない。あの銀髪の男。闇霧の一族と名乗った、あいつを。この手で。


「――運命が、少し見えたね」


 呟いたような声だというのに、それは、はっきりとマキの耳に届いた。


「君は生き延び、苦しみの中にいる。これは君の運命の始まりか? それとも、いささか寿命が延びただけか? もう少し見たい。もう少し、もう少し――」


 すぐそばで聞こえるような、銀髪の男の声。耳障りだ。手の槍を握り締める。絶対に、絶対に逃がさない。


『眠気覚ましにはちょうどいい』

『見せてちょうだいよ、人間。まだ生きて、もっと苦しんで!』

『足掻いてよ。そっちのほうが面白い』


 うるさい。うるさい。うるさい。うるさい。

 哄笑が聞こえる。魂が見世物にされている。やるしかなかった。両親はすでに人ではなかった。だから殺したのだ。あの少女もそうだ。戻せる方法などなかった。マキにはできなかった。だから殺した。この青く輝く魔術の力を御せなかったがために。こんなものがマキの身に宿っていたがために。マキは殺したのだ。怪物となってしまった人間を。見知らぬ少女と自分の両親を。壊れる。壊れてしまう。行かなければ。行って仇を討たなければ!


「……ちろ」


 近付いていく。もうすぐだ。銀髪の男が。もうすぐ。


「……落ちろ」


 ターコイズブルーの激しい光。ちらちらと視界に映る赤い光。もうすぐ。もうすぐ、たどり着く。赤い魔法陣の上空にいる男。マキを嘲笑う影の者ども――


「落ちろ。落ちろ。落ちろ。落ちろ。落ちろ。落ちろ――」


 懐に入れていたものが、光を放っている。クレマチスから貰った魔術の石。刻まれた文字の力を行使する、ルーン・ストーン。


『――これは光を表すルーン文字。読み方は……』


 巨大な魔力の流れを感じる。己の内側から、今までにないほどの強烈な勢いで溢れ出してくる。あの男が、空中に見える。マキの事など歯牙にもかけていないその視線が、マキを今もなお見下ろしている。力が溢れる。指を合わせる。もう止める事はできない――


「さあ、見せてみたまえ。そこから何をする。何ができる。君の運命は、私たちを楽しませられるか? 君は、一体何者になれる――?」

「――――落ちろ」


 銀髪の男の言葉と、マキの言葉が交錯する。

 ――光を表すルーン。その文字はさながら、暗雲を裂く一条の――


落ちろ(シゲル)!!」


 パチン、と。

 幼いマキの指が鳴り、懐中のルーン・ストーンが輝く。

 次の瞬間、天空より放たれた巨大な雷の柱が、幾重もの爆発の如き轟音とともに赤い魔法陣の上に落ちた。

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