12 そして聖属性の持ち主は 4
その後もレイナはただ追従する人形のように過ごしていた。まさしくダンドールの狙いと正反対。
しかし、レイナの頭ではそうすることでしか生きられないと感じられている。同時に、どこか冷静な自分が、このままでは本当に死んでしまうだろうなとも考えていた。
学園の卒業からそう間もないころ、イェレミアスは王にレイナこそ聖女と推した。
しかし王はまともに取り合わなかった。
民意は既にロレーヌこそが聖女だという言があり、第二王子の婚約者であるロレーヌの方が『聖女』の名にふさわしかったからだ。
そんな中、貴族権威主義の連中がレイナを聖女だと推し始める。レイナの人形のような態度からこれは扱いやすく好都合と考えたのだろう。
王としては「そんなバカな話があるか」と一蹴したいが、軽々しく退けることは出来なかった。放っておいてもロレーヌの名は落とされない。それほどロレーヌの名声は高まっていて、何をどうしようが崩れる隙が無かった。裏で手を回しつつも今は放置した。
仮にも彼らの一部は大領地を治める者。全ての提言を否定し、反旗を翻されてはたまらない。現ダンドール男爵領のように、代わりを立てることは難しい。
レイナは毎日のように死んでもいいよう心構えをしていた。
学園の時よりもさらに王子との距離が近くなり、より上位の悪魔との接触機会が増えたためだ。
とはいえ、その上位の悪魔は悪魔と呼べるほど悪魔らしくはなかった。どちらかと言えば人となりはダンドール男爵に近しいものを感じる。つまり悪魔らしい悪魔は第三王子だけである。
レイナは何度か王の元へ行き、会話を交わした。無難な会話で、とても王子が婚約者として求める水準に達しているとは思えないものだったが、もはや見放されているイェレミアスの相手としては問題ないとされた。
レイナの一日は朝の懺悔から始まり、夜の後悔で終わる。王宮のほど近くで贅を凝らした生活をしているにも関わらず(貧民目線の贅の凝らし方など大したものではない)、身体の肉は少しずつ減っていく。しかしイェレミアスはそんなことすら気が付かない。
当然だ。彼はレイナを気に入ったのではなく、聖女の夫という偽りの肩書に惚れているのだから。それならば何故聖女と呼ばれるロレーヌを嫌ったのかと思うだろうが、それはロレーヌがイェレミアスの穴だらけの論理を都度一刀両断するからだ。自尊心の肥えた彼には耐えられなかったのだろう。
さて、大国との戦争がアルバート第二王子の貢献により回避されたと報告されて幾ばくか。ロレーヌの妹であるシフォン・レ・エヌマリシュ伯爵令嬢が論文を披露しに王の元へとやってきた。
レイナはその場に場違いながらも参加し、今日もまた、「今日こそ死ぬんだろうなぁ」と考えながらシフォンの仮説を聞いた。
シフォンの仮説はレイナの属性にも関連があるもので、レイナはここ最近では珍しくまともに人の言葉を聞いた。
既に光が消えて久しい瞳に光が戻ったのは一体いつ以来のことだろう。尤も、話が進む中で「あ、やっぱ死んだ」と再び光が消えたのは言わなくても分かる事だろう。
「聖属性なのに、イェレミアス第三王子を何度も癒したと言われる方が近くにいましたね?」
(はい死んだ。これはもう間違いなく死にましたね。父ちゃんさようなら。あれ、それとももうこんにちはになっちゃうのかな)
そんな事を一欠片の恐怖を覚える前に考える程度にはレイナの心は死んでいた。
まさしく断罪。レイナが何も行動を起こさなかったことで王族が他の婚約者候補を蔑ろにし、あまつさえ貧民がこうして王の前に何度も立っているという事実。もう疑う余地もなく斬首の道しか残っていない。
諦めたレイナの耳に、とても場違いな声が響くまでは。
「お待ちください陛下!」
「無礼な! ここをどこと心得る!」
その声に真っ先に反応したのはイェレミアス。それに対し王は手を制することで答えた。
「キース・ダンドール。恐れながら陛下に申し上げたいことが」
声の主はダンドール男爵。レイナの養父であった。
「許す」
イェレミアスは現れた男が男爵という一瞥の価値にも値しないような貴族であることに腹を立てたが、かろうじてそれがレイナの父であることを思い出し、言葉を飲み込んだ。
「レイナは、我が領地の犠牲者であります。その意味。陛下ならご理解いただけると思われますが」
「……ふむ。なるほど? キース。近くに寄り、詳しく教えてくれぬかな?」
「はっ」
レイナは所詮男爵でしかない養父が王の耳元まで近づけることに、そしてダンドール男爵ではなくキースと名前で呼ばれていることに衝撃を受けた。だが、そんな事実すらどうでもよかった。何をどうしようが、この死は逃れられないと何年も前から覚悟していたから。
さて。ダンドール男爵の領地は腐敗した貴族が断罪されたために男爵のものになったのは前述したとおり。
では、その腐敗した貴族とは誰であったのか。
それはかつて貴族の中でも特に広大な領地を持っていたガレルディア侯爵。貴族権威主義……保守派の筆頭として君臨していた者。且つ、イェレミアス第三王子の元教育者であった。
「彼の地では貴族による横暴は苛烈を極めておりました」
ダンドール男爵は領地の、それも貧民の様子を王へと説明する。
「意見を言えば人が死に、仮に貧民が貴族の前を横切ろうものならその場で首を斬られたほどだと聞いております」
そのあまりな言葉に、王と第一王子は「なんたることか」と拳を握りしめ、ワナワナと震える。よもやそれほどまでとは思っていなかったのだろう。
「平民は貴族に逆らわず、唯々諾々と承知するのみ。それがあの地では当然とされていました。貧民など、特にその様子が強くなっております」
怒りを露わにする二人と違い、第三王子は「それがどうかしたのか」と言わんばかりになんの反応もしめしていない。それが教育によるものだと分からないではいられない。彼の教育者が処断されても、第三王子の価値観は変わっていないのだ。
「レイナは、その貧民街の生まれです」
その言葉の後、ダンドールは不自然に声を潜め、王の耳元で何かを囁いた。
「ふむ」
王はダンドールを一瞥した後、
「よいのか?」
問う。
「あの地の様子が、よく分かる事でしょう」
今その地を治めている男爵が答えれば、王は「なるほどな」と呟き、腰に備えてあった短剣を抜く。
王はどんな時でも契約魔術を使う可能性があり、そのために短剣を常備していた。それをレイナへと放り投げる。
レイナの前に短剣が落ち、カランカランと乾いた音が広間に響いた。
「レイナ」
「はい」
レイナは何がなんだか分からないまま返事をする。
王は、温度を感じさせない声で言った。
「自害せよ」
「「父上!!」」
王子二人が父に抗議するが、王はそれに答えない。
答えたのはただ一人。
「承知いたしました」
レイナである。
「はぁ!? 何!? 馬鹿なのですか貴方は!?」
思わず叫んだのはシフォン。命を救う姉を持つが故に、自ら命を絶つという行為に我慢できなくなったのだろうか。はたまた死を罰にするほどでもないと考えていたのか。
レイナは近くに放られた短剣を手に取った。
いつかこんな日が来ると思っていた。死は怖い。でも、思った以上に恐れはない。死ぬだろう、殺されるだろうと毎日感じてきたからか。
手は震えなかった。
貴族の、それも王族の命令に盾突けるはずもない。
短剣を逆手に、誰に一瞥するわけでもなく、一直線に喉へと短剣を動かして
「もうよい!」
皮一枚裂いたギリギリのところで、短剣は止められた。
「……よろしいのでしょうか?」
レイナは疑問を口にする。死ねと言われた本人がホッとするでもなく疑問を口にするとはどうしたことか。その様子はまるで「生きたい」という自分の意思がない操り人形のようだった。
「よく、分かった。其方が我々のどのような言葉も受け入れるということがな」
「陛下」
「あぁ、キース。君の治める場所が、よもやこれほどまでに毒されているとは思ってもいなかったよ」
「私としても、改善どころか悪化するとは思ってもおりませんでした」
「悪化……?」
「レイナが私の元に居た時は生きようとする意志がありました。それがよもや一欠片も迷いなく喉を貫こうとするとは……」
ダンドールはレイナの近くに移動し、声をかける。
「すまなかったね。レイナ。まさか学園に通ったことでここまで君を追い詰めることになろうとは。完全に私のミスだ」
「いえ、全ては私が至らなかったからです。領主様のせいではございません」
その場にいる誰もが、養父を『領主様』と呼ぶレイナに目を剥いた。
一方のレイナは未だブレない。次の瞬間にも死ぬだろうと考えている。
なぜなら貴族はミスをしていない。ミスをしたのは全て自分。だから、今は許されているが、次の瞬間にも死ぬかもしれない。
実際にレイナは誤解を招く選択ミスをし続けた。たとえ第三王子が無能だったとしても、明確に否定しなければいけない時もある。それを怠った事は弁明しようもない。
「しかしこうなると……一体誰が悪かったのかということになるが……」
王がジロリとイェレミアスを睨む。
「よろしいでしょうか」
シフォンが手を挙げ、発言を求めた。
「あぁ、シフォン・レ・エヌマリシュ。君の考えを聞く場がこのような事態になってしまい、なんと言ったらよいか」
「いえ。その言葉だけで充分ですわ」
ある意味でレイナの存在がこの場を乱したとも考えられる。
やはり自ら死んで詫びるべきかとレイナが考えた瞬間。
「全てお前のせいだ」
身体の芯から冷やすような、暗い感情の声がレイナの耳に届いた。
冷たい声のした場所は壁際。護衛ではなく、側近がいた方だ。
影が駆け抜けた。そこまで早い速度ではなかったのに、何故かそのように感じた。
レイナは突然の乱入者に思わず目をそちらに向ける。
「簒奪者め」
聞くだけで身体の芯が冷えるような声がレイナの近くから放たれる。
「ぐっ」
次いで聞こえたのは苦悶の声。
誰の声か。問うまでも無い。先程までレイナの一番近くに居た人の声だ。
「なっ……!? キース!」
倒れこむダンドールが、酷くゆっくりと見えた。
王の戸惑った声。
一気に慌ただしくなる護衛。
「何者!」
と声が聞こえれば
「ベラート!? 何故其方が」
という第三王子の焦った声。
チッと舌打ちが聞こえたかと思えば
「死ね! 死んでしまえ!」
恨みのこもった声が響く。バタバタとした足音。ドタンと何かを倒す音。低い位置からの怒声。
それらすべてが遠い世界のようだった。
苦悶の声はレイナの近く。
「ぁ……ぇ?」
倒れこんだダンドールから流れる赤い色。
人の良さそうな顔が苦痛に歪んでいる。
自分を救い上げた恩人の、父となった者の苦悶の表情。
頭の中に空白が生まれる。こんなこと、あってはならない。ここで死ぬのはレイナでなければならないのに。
「お、とう……さま……?」
初めて呼んだ「おとうさま」の声のなんと重苦しい事か。
「……あぁ……」
膝をつく。
レイナが男爵に向かって手を伸ばす。
地獄から救い出してくれた人が、倒れている。
赤い色が、抜けていく。
「あぁぁぁぁぁ!」
叫び声が口から漏れた。
(何故!? なんで!? どうして!? これも全部私が悪いの!?)
この場が乱れたのはレイナのせいだ。この場で最も悪いのは誰だと己に問いかける。呆然としながらも養父に触れる。
血の匂いが鼻に届く。ダンドールの顔色は悪い。
膝を付き、身体を揺する。頭が真っ白になりそうなところを
(ふっざけるんじゃない!)
握り拳で思いきり頭を殴りつけ、喝を入れた。
(呆けている場合か! どうすればいい!? 何をすればいい!?)
ゴン、ゴン、ゴン! と側頭部を殴りつける。
「ちょ!? 貴方、何を」
戸惑ったような令嬢の声は遠く。レイナは必死に頭を回転させる。
「止めなさい!」
必死で止める令嬢の声。
「うるさい! 黙れ!」
久しく出さなかった否定の声。その迫力にシフォンがたじろぐ。
(何が出来る!? 癒しの道具はもう回数が切れている。聖属性……そう、聖属性だ)
先程聞いたばかりではないか。聖属性は何でも治せるのだと。
目の前の苦痛に苦しむ養父に向け、必死に祈る。
「出ろ! 出ろ! 治れ! 治せ! くそっ、なんで、なんで……肝心な時に」
ダンドールはレイナの事を保険だと言った。本心ではなかったかもしれない。それでも、レイナに保険と研究対象という役割を与えた。
「保険が機能しないで、なんの価値がある!?」
更に強く、側頭部を殴りつけた。
ピッと地面に血が飛んだ。握ったままの短剣が僅かに頭を裂いたのだろう。
それを見て少しだけ頭が冷える。
わめいても何も変わらない。冷静になれ。何が出来るかを考えろ。
「聖属性には膨大な魔力が必要……」
さっき聞いた話を思い出せ。
「人生を掛けた、特化型……」
学んできたことを思い出せ。
「魔力は生命力の一種……」
今レイナが扱える魔力量では聖属性を扱うことは不可能。
今までの事を思い出せ。
養父の機嫌が良い時があった。レイナは自分でも役に立てることがあったのだと思った時だ。
頭から血が流れ、視界を赤く染める。
視界に垂れる髪すら邪魔だと左手で掻き上げる。ぬるりとした感触。血は髪を重くしながら固める。
「……せいめいりょく」
そして、聖属性の持ち主は
右手で握ったままでいた短剣を
思いきり手のひらに突き刺した。
「はぁ!?」
「レイナっ!? 何を馬鹿な事を!」
令嬢と、聞いたことはあるが誰かもしれない男の戸惑う声が聞こえた。
「足りない……足りない……足りない……!」
二回、三回。短剣を抜き、手に刺し、血をまき散らす。血を流し、養父に捧げる。
「止めなさい! 馬鹿!」
そんなレイナを女の声が止める。
「邪魔をするな!」
血走った眼で、レイナが叫ぶ。
「私が捧げられるものなんて、これしかない!」
凡そ貴族らしくない叫びが木霊する。
「無駄よ!」
レイナは止められてようやく、先程の女の声がシフォンであることを悟る。だが、それがどうしたことか。
「無駄なものか!」
叫ぶ。止めるなと。
「血は魔力の媒体に使われる! だったら血には魔力が含まれてるってことでしょ!? 自分で表に出せる魔力が足りないなら、有る場所から搾り取るしかない!」
「そんな暴論!」
「足りない……足りない……まだ足りない……!」
四度、五度、六度。ナイフを振り上げては振り下ろす。狙いは痛みで定まらない。
手の甲はズタズタになり、何度目かの自傷で人差し指が飛んだ。
痛い。痛い。いたい。いたい。イタイ。イタイ。けれど、痛くなどない。
その様子はまさしく狂気に染まっている。周囲の人は急いでダンドールを介抱するべきなのに、あまりの狂気に近付けない。
「命ならいくらでもくれてやる! だから、治せ! 癒せ! 聖属性! 私の力!」
流れる血を、振った血飛沫を男爵にかける。不清潔だ。ロレーヌが見たら発狂してしまうだろう。
「それが役割だろ! 使いどころはここしかないだろ!」
レイナは全力で呼びかける。
「私の……私の……親を助けて!」
レイナが一際大きく叫んだ時、銀色の眩しい光が全てを明るく照らした。




