10 そして聖属性の持ち主は 2
あぁ、何故こうなってしまったのだろう。
レイナ・ダンドールは鬱々とした心を穏やかに保ちながら、目の前の断罪劇を見守っていた。
断罪劇。あぁ。そうだ。これは断罪劇なのだろう。
(聖女の呼び声が高いロレーヌ・レ・エヌマリシュ様。その妹君、シフォン・レ・エヌマリシュ様)
レイナにも分かっている。何故こうなってしまったのか。しかし、あえて問わざるを得なかった。
(何故、こんなことに)
レイナは平民の生まれだった。それも貧民と言ってもいい身分だ。
そんなレイナだからこそ、両親は口を酸っぱくして教えを繰り返した。
「貴族には逆らうな」
「貴族の言葉を否定するな」
「言われた事がどれだけ理不尽でも、唯々諾々と承知しろ」
「そうでないと私達は生きられぬ」
レイナの住んでいたガレルディア侯爵領の貧民街は貴族こそが法。
貴族の言葉に異を唱えたものはその場で首を斬られた。
貴族の前を横切った薄汚れた少年は。貴族の許しも無く頭を上げた酔っ払いは。貴族が近くに居ると知らずに躓き転んだ老人は。貴族に魅入られ、恥知らずにも近付いた娘は。貴族が魅入り、拒否しようとした酒場の娘は。貴族の子が必要としていると、珍しい治療薬を横から奪われた母は。
皆、一様に帰ってこなかった。
そういうものが一人増える度、父はレイナに教えを繰り返した。
「貴族には逆らうな」
はい。決して逆らいません。
「貴族の言葉を否定するな」
はい。決して否定しません。
「貴族の言葉に疑問を持つな」
はい。決して疑問を口にしません。
「どれだけ理不尽でも、唯々諾々と承知しろ」
はい。とにかく肯定してみせましょう。了承しましょう。逆らわず、言われた通りに致しましょう。貴族が白と言えば白。黒と言えば黒。死ねと言われれば死んでみせましょう。……いや、流石に死ぬのは嫌ですね。
そんな教えを延々と繰り返され、もはや条件反射で教えを実行出来るようになったころ。
領主の名が変わった。
と言っても、貧民だったレイナには何がどう変わったかも分からないし、そもそも誰が治めていたか知りもしなかった。
そんな貧民街の人間だったからか、キース・ダンドール男爵と名乗った貴族が「平民の中でも魔力の強い者が居る時がある。素質のあるものを検査選別し、使用人として雇う」と言った時、「そうですか。分かりました」としか思わなかった。
ダンドールはこの地に居た貴族が断罪され、代わりに宛がわれた貴族らしいが、そんなことはレイナには関係ない。貴族は貴族。何も変わらない。逆らうことなど考えられない。
男爵の言葉に「はい」「はい」と答え続ける。貴族が近くに居た時、レイナは意思のない人形のようであった。
やがてレイナは特別な力があると認められ、男爵の養子となった。
そのことに異を唱えるはずもない。父親も了承しか返さないことだろう。言われるがまま答えを返し、与えられた仕事は死に物狂いで取り組んだ。
次の日に出来てないと知れたら殺されてしまうかもしれない。そんな恐怖からのものだった。
与えられた物以外、屋敷にあるどんなものにも触れなかった。触れれば殺されるのだと思っていた。
義理の父となった男爵の事はなんと呼んだらよいか分からなかった。
ダンドール様? 貧民が貴族の名を呼ぶなど許されぬ。殺される。
お義父様? 事実であっても貧民が貴族の娘を名乗るなど烏滸がましい。殺される。
最終的に領主様に落ち着いたが、滅多な事では口に出さなかった。他人行儀だと思われたら殺される。
来る日も来る日も「ハイ」「はい」「分かりました」「承知いたしました」
たまに「いいえと言え」と言われれば、「はい」と了承を口にした後、「いいえ」と答えた。その時ばかりは死ぬかもしれないと肝が冷えたが、レイナは幸い死ぬことはなかった。
そんな様子のレイナを、そして何人か使用人として雇った貧民を見て、ダンドールは盛大に溜息を吐いた。
レイナの意識は変わらず貧民のもので、貴族は絶対。
使用人からすればレイナは既に貴族の一員で、レイナの言う事は絶対。……レイナがなにかを命令したことはなかったが。
レイナの意識はどうあれ、死に物狂いで学んだお陰で勉学はそれなりに優秀であった。
ダンドールとしては未だ肯定しかしない人形のようなレイナを貴族の集まるパーティなどに出せるはずもなく、レイナの意識が変わることなく時は流れる。
勿論頭の中まで人形なわけではなく、決して顔に出さないながらも脳内だけは大変うるさい令嬢になっていた。
ダンドールは「このままではいかん」と思い、レイナを学園へと送り出した。貴族にも様々な貴族がいるのだと分かれば、レイナの考えも変わるだろうと。荒療治であるが、世の中の広さを知れば、と。
レイナはこの時点で、「もしかしたら領主様はあの頃の貴族様とは違うのかもしれない」と考えながらも、同時に「それでも貴族なのだからどんな事をするか分かったものではない」とも考えていた。
学園に通うにあたり、ダンドールはレイナに属性の事を話す。
レイナは聖属性の持ち主だった。
聖属性と言われてもサッパリ分からなかった。聖女と同じだと言われたが、聖女というものが分からなかった。御伽噺を楽しめるような本は与えられなかったので読んだことがなかった。
ダンドールはこれまた盛大に溜息を吐く。レイナはすわ処刑かと僅かに身体を硬直させた。
幸いにも処刑されることはなく、それどころかダンドールは聖女の事を語り始める。
だがどうしても自分と聖女が同じだとレイナには思えない。
「私が聖属性だったからでしょうか」
気が付けば問いを発していた。いざという時の保険に、養子となったのだろうか。そうであっても構わないと思った。
ダンドールは笑う。人好きのする笑顔。だがこの笑顔の裏で何を考えているのかわかったものではない。
人好きのする恐ろしい笑顔だった。
「初めて疑問を口にしたね」
レイナは「拝啓、父ちゃん。レイナは父ちゃんの教えを全うせず、貴族に疑問を伝え、死にました」と心で呟いた。
「……それも理由の一つではあるけども」
ダンドールはコロコロと笑う。レイナには物騒な笑いにしか見えなかった。
「僕の個人的な研究のため……でもあるかな。聖属性は珍しいから、少しでも解き明かしたい」
レイナは聖属性であることに感謝した。研究対象、実験体だから今まで生きてこられたのだと。
ことごとく間違えているのだが、レイナの中にある『貴族という存在』はそれで納得出来た。
思えば何度か唾や血を渡した。血を渡した次の日は機嫌が良かったので、きっと研究が進んだのだろう。そう考えれば、レイナは男爵にとって有用な貧民だったのだと感じられる。
「これを」
いざ出発の時、ダンドールはレイナに一つのアクセサリーを渡した。
「治癒の一つも使えないとなると不便だからね。これは私の商会が売りに出す予定の試作品さ。魔力を使えない人でも、簡単な傷だったら癒せるようにね。学園で宣伝してくれると助かるよ」
それがどういうものかを教えてもらい、レイナは学園へと向かった。
暫く学園に通うレイナだが、男爵の元が楽園かのように思える。
周りはほぼ全員が貴族なのだ。悪魔の腹の中にいるようだった。
レイナの立場は男爵令嬢であったが、その動き方は裕福な平民のそれに近かった。
厳密に平民の物と異なっていたのは、ダンドールが最後に付け足した一言があるからだ。
「レイナ。君は貴族として、男爵令嬢として学園に向かう。平民ではないので、男爵令嬢らしく動きなさい」
『動きなさい』と命令口調で言われるのは珍しい。他ならぬ貴族からの命令である。
「はい、分かりました」
勿論、レイナは即座に返事をした。
この命令を蔑ろにすることは出来ない。そのおかげで貴族に話を振られれば一度ピタリと動作が止まるが、相手を肯定しながらそれなりに会話をすることができた。
その結果、レイナは生粋の貴族令嬢としては赤点ながらも、『元平民の男爵令嬢』としてはかろうじて及第点な動きをしていた。
伏魔殿の中で奮起するレイナの内心など知ったものかと、レイナの元には更なる受難が訪れる。
件の第三王子殿下の襲来である。
その日、レイナは学園の中でも特に緑の深い場所に座っていた。
正確には毎日逃げるようにそこに居たのだが、その日はどういうわけか、空から男の悪魔が降ってきた。
(いや、違う違う。悪魔は悪魔だけど、悪魔じゃない)
貴族しかいないこの場所で、なぜ上から男が降ってくるのか。つまりこの男は貴族の男なのだろう。つまり悪魔だ。いや違う。
「いちちち」
その悪魔はなんとも眉目秀麗な悪魔だった。
そしてその綺麗な顔は、木の枝で傷をつけたようで赤く血が滲んでいた。
レイナは知っている。貴族は顔に傷が出来たら烈火のごとく怒るのだと。それどころか服に汚れが付いただけで汚れを付けた相手を殺すのだと。
「まさか人が居るとは思わなくて、滑ってしまったよ」
笑うように悪魔は言った。
そして今この場にはレイナと悪魔しかいない。つまり、「貴様のせいで顔に傷がついた。今すぐ死んで詫びろ」と言ったのだ。言っていないが、レイナは脳内に住む貴族の副音声を読むのは得意なのだ。
(どどどどどど、どうしましょう。さすがにこのまま殺されるのは嫌だし、なんとか……なんとかしないと)
頭の中はうるさかったが、取った行動は最適なもの。
「あの、お顔に傷が……。もしよろしければ、癒しを与えてもよろしいでしょうか」
言葉を遮っては殺される。しかし、傷ついた状態を放っておいても蔑ろにしたと言われ殺されかねない。
少しでも点数稼ぎをしておけば、その分殺される可能性は低くなる。
「む? おぉ、そうか。許す」
なんとも尊大で偉そうな男だったが、貴族などこんなもの。むしろ一目でこちらの首を刎ねない辺り、まだ優しい悪魔ではないか。レイナは袖の下に着けたアクセサリーをグッと強く握りしめた。
アクセサリーから癒しが発動する前に、悪魔は笑いながら第三王子だと自己紹介する。悪魔は優しい悪魔ではなく強大な大悪魔だった。
呆然とするも束の間、アクセサリーから溢れた銀色の光が周囲をほんのりと照らし、大悪魔の傷を癒していく。
「……この光は……?」
大悪魔(断じて違う)は不思議そうにした後、勢いづいてレイナに迫る。
「今の光はなんだ? 通常の治療魔術の色とは違ったが……」
問い詰められて、レイナは思わず動作停止。
「い、いえ……これは……そういう道具で……」
蚊の鳴くような小さな声。そんな声に気付くことなく、王子という爆弾は顎に手を当ててぶつぶつと独り言を呟き始める。
「もしや聖属性? 聖属性の癒しは先ほどのように特別な色をしていると聞いたことがある」
確かにレイナは聖属性の持ち主だが、断じて違う。今のはアクセサリーに込められた平民でも使える癒しの術式であり、男爵が経営する魔道具店の新商品で試作品だ。銀色の光なのは患者が「聖女の光」と勘違いしてプラシーボ効果を持ってくれればヨシッ! とされて銀色になったにすぎない。断じてレイナの力ではない。
「あ、あの……ちが……」
否定の言葉は途中で止まった。
貴族の言葉を否定するな。遮るな。異を唱えるな。思考を邪魔するな。肯定し、唯々諾々と受け入れろ。
「……聖女っ!」
やがて大悪魔が確信へと至った。第三王子は思い込みも激しく、レイナを完全に聖女だと勘違いしている。
違うのだと全力で否定したくなったが、それすら出来ず、だがなんとか肯定もせず、ただ曖昧な笑みを浮かべる事には成功した。貧民的には成功だったが、貴族の……特にこの王子に対する社交的には大失敗だった。
その笑みを見た第三王子は「やはり」とさらに勘違いを深めていく。
少し考えれば「明確に肯定を示さず、困ったように微笑む」は異を唱えることも難しい圧倒的な目上の者に対する「少し勘違いをなされていますよ」という意思表示だと分かるのだが、この王子は自分の考えたことを疑わない頑固さを持っていたのだ。何より彼の近くに居る女性は「違うものは違う」とハッキリ言う者ばかり――筆頭はロレーヌ――だったため、その勘違いに拍車がかかる。
そこが分岐点だったのだろう。
気が付いたら王子はレイナの事を聖女と呼び、近くに侍らせるようになった。
レイナは王子の機嫌を損ねないよう、最小限の言葉でしか会話せず、いつ機嫌を損ね殺されるのかとビクビクしながら過ごすようになった。
そしてこの王子も王子である。まさにレイナにとって悪魔そのものであった。
王子と言う身分にありながら、平気で顔に傷を作ってくる。
そのような状況に限って、レイナしか近くにいないのだ。レイナが近くに居ながら王子の顔に傷を作ったとなると、王子の側近に殺されてしまうだろう。
実際には王子を見失った側近の失態でもあるのだが、王子の側近も貴族であるが故、責任は全てレイナに向かう。少なくともレイナはそう考えている。
男爵の養子であっても元平民。それも貧民。王子の側近は男爵よりもよほど地位の高い者ばかり。責任をかぶせやすいのはどう考えてもレイナ。
だからレイナは癒しの道具を使う。銀色の光を出して、王子の傷を癒す。そうしてさらに王子はレイナを「こんな些細な傷でも癒しを使う慈悲深き娘」だと勘違いする。
レイナに勇気があれば、王子の勘違いを正すことは出来ただろう。
しかしレイナからすればそれは自殺にも等しい行動。貴族に引き取られ、貴族の学び舎に行き、貴族の実態を知ってもまだ、レイナの貴族感は昔のまま。
いい加減目が覚めても良いと思うかもしれない。だが、レイナは貴族権威主義が残っていることも知っていた。
学び舎で少数ながら聞こえてくる「生意気な平民など駆除してしまえばよいのだ」という声。
その声が聞こえてくるたび、レイナは身体を硬くし、父の教えを繰り返す。
貴族に逆らうな。貴族の話を遮るな。どれだけ理不尽でも、貴族の言う事は絶対だ。肯定しろ。否定するな。
ダンドールの思惑とは異なり、レイナの思想はより強固に凝り固まっていった。
そうしてついに、あのパーティの日がやってきた。
レイナはズンズンと進む第三王子に手を引かれ、小走りで走っていた。
相手を気遣わず、ともすれば引き摺ってしまいそうなほどであったが、王子はそんなことを気にしない。余程機嫌が良いのだろう。
とても王子と呼ばれる男のする行動ではない。
「これが上手くいけば、煩わしい候補者共は皆黙る。私の婚約者は私が決める」
今にも踊りだしそうなほど。王子は手を引く相手の真っ青な顔など気にすることも無く、意気揚々とその扉に手を掛けた。
この時レイナは、あぁついに処刑されるのだとすら思っていた。
「まさかお前が偽物だったとは! 聖女を騙り、国を騙した罪は大きいぞ!」
ともすればヒステリックともとれる声量で、その場の空気をぶち壊した。




