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ずっと一緒に

 



 砕け散った街。イクリプスとカレンの戦いによって崩壊した王都はやけに静かだった。

 ただ一つの場所を除いては。


「ハル! 目を覚まして!」


 紅い髪の少女は奇妙な服装の少年の身体を抱く。鼓動はあるのに目を開けてくれない。

 乾いた風に乗って響く彼女の声はほとんど悲鳴に近い。


「なんでよ! なんで出てきたのよ!」


 隠れててって、言ったのに。イクリプスを殺して、私も死ねばそれでよかったのに。


 最も見たくなかった光景が、目の前に広がっていた。


「バカ! なんで隠れててって言ったかも考えないで! こうなるから! 私が……殺しちゃうから……っ!」


 頬を雫が伝う。力の限り抱きしめた波瑠はるの身体は温かく、とてもこれから死んでしまうとは思えなかった。


 バカ、なんで、どうして……そんな言葉だけがカレンの頭を巡る。


「ハル……」


 吸血鬼の疑いをかけられたカレンを最初に信じたのは波瑠だった。

 なんだこいつは。知りもしない私を信じるなんてバカだ。そう思っていた。

 けど違った。波瑠は本気でカレンを信じて、吸血鬼でないことを証明しようとあれこれ考えてくれていた。


「……私ね。ハルに言わなきゃいけないことがあるのよ」


 聞こえてない、わよね。こんなことになったのは、全部私のせい。


「私……ハルが言うほど強くないのよ。頭は悪いし、剣を振り回すことしか出来ないし」


 この場には波瑠しかいない。言ってもいいだろうか。いや、例え誰かがいたとしても、これは伝えなきゃならない。


「ハル……私……私は……」


 理由もなく恥ずかしい。どうせ誰にも聞こえないのに。なんでこんなに温かいのよ。


 なんで、こんなにドキドキするのよ。


「私は……ハルがいないとダメなの……」


 この数日間、ハルがいてくれたことが何よりの心の支えだった。吸血鬼だと言われて、自分のことすら信じられなくて。


 でも、独りじゃなかった。ハルがいてくれた。ハルがいると心が安らいで、ハルがいると不思議と力が湧いた。


「ハルが隣にいてくれなかったら、私はきっとどこかでダメになってた。ハルがいたから、イクリプスと戦う勇気も湧いた。……それに、吸血鬼でも別にいいかな、って割り切れた」


 吸血鬼でも、私は私。ハルがそう接してくれたからこそ、私はそう思えた。自分自身を認められた。


 生きてていいのかな、って思えた。


「ごめん。あれだけ頑張ってくれたのに、私は吸血鬼だった」


 ハルの剣に触れた時、私の中から黒い何かが抜けていくのが解って、今はこうして正気になっている。でも私は吸血鬼だ。今は吸血鬼じゃないんだ、っていう証明も出来てない。


「私は生きていけるわ。これからは、姫様の剣としてじゃなくて、カレン・セラムフリードとして」


 ……でも。


「アンタがいないと……アンタがいないとダメなのよ……!」


 ハルがいないと、生きていけない。ハルと生きたい。


「ハルと笑って、ハルと一緒に戦いたいの! ハルがいない人生は嫌! ねぇ……目を開けてよ……「カレン」って呼んでよ……手を握ってよぉ……」


 いくら手を握っても、握る力は返ってこなくて。


 どうして私が生きてて、ハルが死ななきゃいけないの? ハルはなんにも悪くない。知らない世界から来て、きっと不安だったはずなのに。なのに、私なんかの為に頑張ってくれて、私を支えてくれただけなのに。


「私は死んだって構わない! だからお願い……せめてハルだけは……! ハルだけは助けて……!」


 誰に向けた言葉かは誰にも解らない。神様か、三聖か、あるいはイクリプスか。


 誰でもいい。私はどうなってもいい! だから、ハルを助けて……っ!


「ぅ……うあああぁぁぁぁん……っ! ハル! ハルってば! 私は……! 私は!」


 感情が溢れる。こんなことになるなら、もっと早く気づくべきだった。ハルといると湧いてくるこの感情の正体に。私がハルをどう思っていたのかを。


「私……ハルのことが好き……!」


 ハルがいると楽しい。ハルがいると心強い。ハルの笑顔が私に力をくれる。ハルが他の女といるのはムカつく。ハルの為ならなんだって出来る。


 吸血鬼を殺すこと。姫様の剣として仕えること。それが私の生きる意味だった。そのどちらも失った私に、生きる意味が出来たのに!


「ごめんなさい……! ハル……っ!」


 カレンは波瑠の身体をゆっくりと地に寝かせ、動かない波瑠に口づけをする。甘く、悲しい時間。耐え難い時間を、罰のように身に染み込ませていく。


 そして紅い刃の剣を手に取り、震える紅を自らの首筋に当てる。


「今、そっちに行くから……」


 独りでも生きていくことは出来る。でも、ハルを殺した私が生きてていい理由なんてない。


 だが、少女を止める声がある。温かく、優しく、少女の罪を浄化するような福音。


「ダメだよ、カレン」


 そっ、と。


 柔らかな温度がカレンの手に触れた。


「ぇ……? ハ、ル……?」

「そうだよ、カレン」


 カレンの目が捉えるのは、大好きな少年の姿。彼はしっかりと自分の力で身体を動かし、カレンの目元を拭った。


 胸が熱くなる。込み上げてくる熱が目に雫を溜め、あっという間に決壊する。後から後からこぼれ落ちる涙が、波瑠を濡らしていく。


「あぁ……っ! ハル……!」

「ごめん。心配させたね」

「うわあああぁぁぁぁん……!」


 カレンは吸血鬼殲滅騎士ヴァンプ・キル・ナイトに入隊して以来、決して人前で泣くことはなかった。


 騎士としての矜持がなくなるような気がした。自分が弱くなるような気がした。孤独に負けてしまうような気がした。だから、絶対に誰かの前で涙は見せまいとしてきた。


 それが彼女の柱だった。少女が持つには重く、脆く、儚い心の支え。それだけを頼りに、少女は生きてきた。


 仲間を信じても、信じても。いつも少女は一人。一番嫌いな孤独だけは誰とも共有出来ない。心の奥底で叫ぶ悲鳴だけは、誰にも聞かせなかった。


 そんな彼女が、波瑠の胸に縋りつきながら泣き叫んでいる。子供のように、少女のように。ありったけの感情を乗せた声を上げる。


 カレンという少女は今、ようやく孤独ではなくなった。


「ハル! ハルぅ!」

「うん。僕はちゃんと生きてるよ」


 カレンの背に波瑠の手が回され、優しく叩いてくる。心臓の鼓動に合わせるようなゆるやかなリズムは、泣き止まない子供をあやす時のものだ。だが、カレンにはまるで効果がない。


「ああぁぁぁ……っ! っく、うぇぇぇん!」


 カレンは波瑠に抱かれながら泣き続けた。






「落ち着いた?」

「っ、うん……っ」


 カレンの目元は真っ赤に腫れ、時折しゃくり上げている。だが、とりあえずは落ち着いたと言えるくらいにはなった。


 波瑠の胸はびしょびしょになってしまったが。


「ね、ねぇ、ハル?」

「どうしたの?」

「えっと、ね? ……聞いてた?」

「何を?」


 何を、と訊かれると答えに困る。何故なら、波瑠に聞かれたくないことを聞いていたのかというのを問うているわけで、その内容を言ってしまえば完全に自爆だからだ。


「だから、ほら……私がハルをどう思ってるか、とかなんとか……その他諸々……」

「聞いてないよ。僕が目を開けた時、カレン自殺しようとしてたもん。びっくりしたよ」

「そ、そう? 聞いてないならいいのよ」


 何がいいのか。カレンの精一杯の気持ちは波瑠には届いておらず、精一杯だったからこそ何度も言えない。ましてや波瑠が起きているのに。


 でも聞かれてたらそれはそれで恥ずかしい。嘘も偽りもないが、やはりこういうのは気づいて欲しいと思うところがある。


 深く突っ込まれぬよう、カレンは話題転換という先手を打つことにした。


「ハル、血は止まってる? 痛くない?」

「まだヒリヒリするけど、とりあえず血は完全に止まったみたい」

「そう。ならよかったわ」


 波瑠が目を覚ました途端、流血は止まった。それはまるで、捨てられていた身体に生きる意志が宿ったみたいだった。


 傷口が塞がっているわけではないが、カレンが応急処置は施した。とりあえずは平気なはず。


「カレン。実はさ、僕から君に言わないといけないことが増えちゃったんだ」

「な、何よ」

「うん……今後のこと、なんだけど」


 そう言った波瑠の顔は、いつになく真剣だった。


 今後のこと。カレンの中でその単語が転げ回る。様々な想像や可能性が駆け巡り、もしやと思い当たるその結論に、カレンは狼狽えた。


 今後、僕はカレンと一緒に生きていきたい。……と、そんなものは妄想だ。だが、この状況で今後のことと言われたらそれくらいしかない。波瑠にだって、カレンが吸血鬼殲滅騎士ヴァンプ・キル・ナイトに残れないであろうことは解っているはずだから。


「そ、それってもしかして、その、そういうこと……?」

「……多分、カレンが想像してる通りだよ」


 想像してる通り!? もしかして、もしかしてもしかして!?


 カレンの心拍数はみるみる上がる。顔の熱を悟られぬようにぷいとそっぽを向き、消え入るような声で確認してみる。


「それじゃ……もしかして、ハルも?」

「……うん。カレン以外、考えられない」


 わ、私以外考えられないっ!? 何よそれ、そんなの絶対そういうことじゃない! やだ、どうしよう、まだ心の準備が!


 ……待って。落ち着くのよカレン・セラムフリード。深呼吸して。勝てそうな戦いは、常に都合の悪い方へ考えて悪手を潰すのが基本じゃない。もしかしたら私の勘違いかもしれない。最後まで油断しちゃダメよ。


「それは、私に姫様の側を離れて欲しい、ってこと、よね?」

「……本当はちゃんと誤解を解いて、またカレンが姫様に仕えられるようにしてあげなきゃいけないのに」

「それはいいわよ! 仕方ないわ! 私は一人しかいないんだもの!」

「ごめん。でも、カレンがいいんだ。すごく勝手だとは思うけど……カレンじゃなきゃ、嫌なんだ」


 これはもう、いいわよね? 私に姫様の側を離れて、一緒に暮らして欲しいってことで、いいのよね?


 やだ、顔がにやけちゃう。ダメ、こんな顔ハルに見られたらダメなのに!


「すぅー……はぁー」

「カレン? なんで深呼吸してるの?」

「気持ちの整理をつける為よ。……ハル、あのね? 実は……私も、同じこと思ってた。……ずっと」

「そうなの?」

「ええ」


 幸せだった。人生で訪れる予定の幸福が全部まとめてやってきたのではないかと思うほど。この人を選んでよかった。この人が選んでくれてよかった。出会えて、本当によかった。


 筆舌に尽くしがたい幸福感に浮かされながら、カレンはそっと手を伸ばし、波瑠の手に添えた。指先が軽く触れただけなのに波瑠は驚いて手を引っ込め、それからふわりとカレンの手を包み込んだ。


 恥ずかしさと照れで波瑠の顔を見られないカレンの耳に、波瑠の声がゆっくりと届く。


「やっぱりそっか……カレンはすごい。追いつけないよ」


 ……ん?


「……追いつけない?」

「うん。僕、ちゃんと強くなろうって決めたんだ。聖剣の泉カリバーン・プログラムももっと使いこなして、カレンの支えになろうって」


 話が違う。


 私はハルと一緒に平和に暮らして、ゆくゆくは、その……結婚とかしたり、して? 出来れば子供は三人くらい欲しかったりしてたんだけど……?


 その時カレンは、感情という感情が冷めていく音を聞いた。


「ねぇ、ハル? 確認したいんだけど」

「何?」

「私に姫様の側を離れて、どうして欲しかったの?」

「え? 僕と一緒に世界を回って欲しかったんだけど」

「……なんで?」

「それはもちろん、イクリプスの封印をきちんと施し直す為だよ。イクリプスが完全には消えてないってことに、カレンは気づいてたんでしょ?」


 きょとんとする波瑠に、憮然とするカレン。


 イクリプスが消えてないから封印し直す? 気づくわけないじゃないそんなの! 何よ! 私一人浮かれてバカみたいじゃない!


「それに、これから何度もイクリプスみたいな化物が世界を脅かすらしくて……それも僕一人じゃどうしようもないから手伝って欲しかったんだけど……もしかして話噛み合ってなかったかな? ごめん、カレンはなんの話してたの?」


 カレンはすっくと立ち上がり、波瑠を突き飛ばした。


「痛っ!? 何するのさ!」

「知らないわよバカっ!」

「バカって……なんで怒ってるの?」

「知らないったら知らない!」


 ハルのバカ。少しくらい私の気持ちに気づいてくれたっていいじゃない。鈍感。アホ。バカ。チビ。


 自分の気持ちになかなか気づけなかった自分自身のことは棚に上げ、カレンは貧困な語彙を精一杯駆使して胸の中で毒づいた。


 波瑠がすぐに謝り始め、しかしすぐには許す気にもなれなかったカレンの目に、それは飛び込んできた。波瑠も同様に気がつき、そちらへ視線を向ける。


「仲がいいわね、お二人さん」


 シェリル。カレンを心底から嫌う、今回の騒動の原因を作った人物がそこにいた。

 彼女は銀色に輝く髪を優雅にかき上げ、冷たくも嗜虐的な笑みを浮かべる。


「カレン・セラムフリード。吸血鬼の手先、かつ今回の件の首謀者の疑いで、王宮へ来てもらうわ。もちろん、ハル君も一緒に」



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