15:水の刃が司祭イミテイターを両断する
聖堂騎士が警備隊長を襲撃し、返り討ちにあった。
これだけでも教会のメンツをつぶすのに充分な醜聞である。
だが、教会勢力にとってさらに都合の悪いことがあった。
警備隊長が襲われたとき、同行していた少年が皇帝の孫だったのである。
「主よ! この試練はやりすぎではありませんか!?」
上記の事実を聞いた教会の交渉係が思わず叫んだ台詞である。
幸い、皇帝の孫はこの件に関して比較的寛大であった。
しばらくの間、大聖堂を一般市民にも解放してあげてほしい。
そして、自分たちに色んな司祭のお話を聞かせてほしい。
この程度の我儘で今回の一件を水に流すというのである。
勿論、大聖堂の解放は「皇帝の孫レフ・クジョー」の名で行われる。
さらに大聖堂の解放や説法にかかる費用は教会持ちである。
帝国と教会の力関係を、わかりやすい形で市民に見せつける。
そのついでに、未来の皇帝の知名度を向上させるのが目的だろう。
教会関係者は今回の条件をそのように受け取った。
とはいえ、これ以上の妥結点を探るのは費用対効果があわない。
教会はやむなく「レフの出した」和解案を飲んだ。
果たして数日後、帝都とその近郊に住む臣民たちに布告がなされた。
「元老院と全てのローマ市民たちよ!
この度、皇帝陛下の孫レフ・クジョー殿下の名において大聖堂が一般に解放される!
期間は今より半月!
普段は見る事の出来ぬ聖遺物も開帳される予定である!
また同時期、徳の高い司教や司祭による法話も執り行われる!
レフ殿下の篤信に感謝しつつ、奮って参加することを希望するものである!」
この話に、帝都近郊の市民は湧いた。
ただでさえ一般市民の娯楽は少ない。
さらに、最近何かと竜の脅威で暗い話題の多かった時世である。
珍しいイベントがあれば飛びつくのは当然と言えよう。
特に大聖堂貯蔵の聖遺物などめったに見れるものではない。
これを逃せば、ほぼ間違いなく一生見る機会はないだろう。
市民たちはまさに群れを成して帝都へ、そして大聖堂へと向かった。
同時に商人たちがこのイベントを絶好の商機と見たのは言うまでもない。
たちまち帝都には臨時の屋台が立ち並んだ。
記録によると、市は城壁の外にまで広がったという。
市民たちに先んじて、レフと学友たちは大聖堂を見学することが許された。
普段は入れぬ時計塔の中にも入ったほどだ。
貴族の子弟はその精巧さと、人がすっぽり入りそうな巨大な鐘にただただ圧倒された。
警備の聖堂騎士は、とにかく何でも触ろうとする子供たちに辟易したという。
それまでの経緯で、聖堂騎士の立場は微妙なものとなっている。
さらに相手は皇帝や魔王の孫を含む貴族の子弟ばかりだ。
その引率や警備の苦労たるや、想像するに余りある。
かくして帝都が、特に大聖堂がにわかに活気づいた頃である。
教会関係者たちは、レフが希望する法話の内容をギリギリまで推敲していた。
ここで下手を打てば、教会の名誉は完全に地に落ちる。
さらに将来の皇帝たるレフの顔に泥を塗ることになる。
だが逆に、この法話で民衆の心を掴めば教会の地位向上につながる可能性もある。
話者としても不動の名誉を得られるだろう。
それに何より、普段信仰から遠い民衆に神の声を届ける貴重な機会である。
組織人としても個人としても、そして宗教家としてもまたとない大一番である。
万が一にも失敗は許されなかった。
そんな熱意に燃える聖職者たちの中に、件のイミテイターも混じっていた。
レフたちを教える講師として、法話を行うことを余儀なくされたのである。
というより、他の講師たちが当たり前のように法話の準備を始めたのだ。
流石に自分だけ欠席するというわけにはいかなかった。
聖堂騎士に醜聞を押し付けるつもりが、とんだ藪蛇になったものである。
彼はあてがわれた自室で己が選択を悔いた。
(さて、この場をどう無難に切り抜けるか……)
イミテイターの頭にあるのはただそれだけであった。
今この場で誰かを食って姿をくらますという手もなくはない。
だがそれはせっかくの司祭の地位を捨てるということだ。
確かに、人間視点で見れば逃げたイミテイターは厄介かもしれない。
だが、イミテイターからしてみればそんな逃亡生活は御免こうむりたかった。
(仕方ない。こいつの記憶にある鉄板のネタを話してお茶を濁すか……)
現状に文句を言っても問題は解決しない。
イミテイターはそう切り替え、自分の中にある他人の記憶を探る。
そして頭の中で本の記述を思い出すように、内容と口調を再現していく。
傍から見ると完全に変人である。
だが特に問題はない。
さきほど述べた通り、今の教会はそんな人物でいっぱいなのだから。
そうして時刻は過ぎていき、イミテイターは大聖堂に呼び出された。
彼が法話を行う時間が近づいたのである。
果たして彼は名を呼ばれ、壇上へ進むよう促される。
かつて学徒に紹介されたときと違い、大聖堂は多くの人でごった返していた。
傍らに備えられた巨大なパイプオルガンですら人波に紛れそうなほどだ。
だが、件の皇帝の孫どころか学徒たちの姿すら見えない。
どうやら初日に大聖堂を色々回って満足したらしい。
(ここまでやらせるなら法話くらい聞けよ)
イミテイターは、心中で八つ当たり気味に悪態をついた。
とはいえ、ある意味これは幸いなことと言えた。
貴族の子弟がいないということは、ここにいるのはほぼ民衆である。
警備の数も質も比較的劣る。
法話の質を聞き比べるいい耳を持った人間は少ないだろう。
ましてや自分に探知魔術をかける酔狂な奴などいようはずもない。
そして万一正体が露見したとしても、逃走するのは比較的たやすい。
イミテイターは、そう考えると多少気が楽になった。
そして、自らの記憶を引き出しつつ大勢の聴衆に対して法話を行ったのである。
彼が法話を初めて数分が経過した時の話である。
突然、りいん、ごおん、と低い鐘の音がした。
「だ、大聖堂の幽霊だ!」
聴衆の誰かが、どこかしらでそう叫ぶ。
鐘は鳴り続ける。
辺りは騒然となり、聴衆たちは恐怖でパニックを起こしかけた。
だが、一番驚いたのは間違いなく壇上のイミテイターであろう。
まず彼は予想外の事態に一瞬言葉を詰まらせた。
それまで調子よく言っていた油断もあったのだろう。
ほんの一瞬だけだが、司祭ではなく素の自分の態度を取ってしまったのだ。
だがそれもほんのわずかのこと。
彼はすぐに司祭の仮面を取り戻した。
そして、民衆を落ち着かせようと説法を続けようとする。
壇上に突如水の刃が現れ、彼の体を司祭服ごと両断したのはまさにその時であった。




