◆
「では、そろそろお暇します。またお近い内に」
「本日はお忙しい中、ありがとうございました」
アリッサとの楽しいお喋りを終え、マントノン家の現当主シェルシェと次期当主ヴォルフの姉弟は、山奥の道場を後にした。
少し離れた所に待機させていた自家用ヘリまで来ると、シェルシェは操縦士に、
「私達は少し寄る所があります。出発まで、もう一時間程待ってください」
と申し渡してから、ヴォルフに、
「山を下りる前に、少しセンガさんのお墓をお参りして行きましょう」
と提案した。
「はい」
ヴォルフはきびきびとした返事をすると同時に、姉に従って歩き出す。よく訓練が行き届いている。
「花も供物も不要、ただの石のベンチとして使って欲しい」、と遺言されたセンガの墓まで来た二人は、そこに並んで腰を下ろし、しばらく黙ったまま、見晴らしの良い眺めに見入っていた。
遠く悠々と連なる山々の上の、青く澄み渡る広大な空に、白いちぎれ雲が二、三片、ゆっくりと流れて行く。
「こうしていると、都会の喧騒が嘘の様に感じられます」
不意にシェルシェが口を開く。
「はい」
ヴォルフがそれに相槌を打つ。
「ここは、謀略も裏切りも虚栄も強欲も縁遠い世界ですね。現実から『逃げ』るなら、こんな場所がいい、と思えてしまう程に」
ヴォルフはこの言葉には相槌を打たない。
「こんな平穏な環境で生まれ育ったアリッサさんを羨ましく思う反面」
シェルシェはそこで言葉を切り、ヴォルフは続きを待ち構える。
「武芸の名門であるマントノン家を支えねばならない身としては、綺麗事だけでは生きて行けない、と少しひねくれたくなるのも事実です」
「当主として、それは当然の事だと思われます」
ヴォルフがすかさず同意する。飼い主の投げたボールに飛びついて、しっかりキャッチする犬のごとく。
「ふふふ、愚痴になってしまいましたね。でも、分かっているとは思いますが、アリッサさんを『世間知らずの田舎娘』と蔑んでいる訳ではありませんよ」
「むしろ、その逆ですね」
「ええ、謀略も裏切りも虚栄も強欲も、アリッサさんの『無心』の前には、脆く儚い砂の城の様にすら感じられます」
「不思議な人です」
「具体的には、どんな所が不思議だと思いますか、ヴォルフ?」
「アリッサさんは、あれだけ強い人でありながら、全くそうは見えない所です。これはリーガさんにも言える事ですが」
「そう、マントノン家のトップを手玉に取り、銃を持ったテロリスト達を素手で制圧する程の技量を持ちながら、あの通り、武芸者としての殺気や凄味がまるでありません。そういった気配をあえて消している風もなく、常に自然体のままです」
「自然体にして最強、とは、ある意味武芸者の理想の境地ですが」
「アリッサさんと来たら、自然体にも程があります」
自分で言ってツボにはまったのか、シェルシェはくすくすと笑い出す。
「やはり、不思議でなりません」
それでもヴォルフは凛とした表情のまま笑わない。よく訓練が行き届いている。
「ふふふ、でも、今回の調査を通じて、その不思議さの秘密を、少しだけ理解出来た様な気がします」
シェルシェはそこで、自分達の座っている墓に眠る老人に語り掛ける様に、
「こんなおとぎ話の様に優しく善良な環境で、技術面や精神面において優れた、多くの純粋な武芸者達に囲まれて武芸三昧に育てば、あんな奇跡の様な人が出来てしまうのも無理はない――」
下を向いて、
「そうですね、センガさん?」
と、問い掛ける。
すると、それに呼応するかの様に、長く穏やかな風が吹き、しばらくの間、その場にいた二人を優しく包み込んだ。
風がやんだ後、シェルシェはヴォルフに微笑んで、
「ふふふ、ここは色々と不思議な事が起こる場所ですね。でも、いつまでもこうして『逃げ』ている訳にも行きません。私達は私達の現実へ戻りましょう」
二人揃って立ち上がり、その場を後にする。
「はっはっは、現実に疲れたら、いつでも『逃げ』て来るがいい。ここは、『来る者拒まず、去る者追わず』、の気楽な場所じゃ」
背後から、直接会った事はないが二人共よく知っている、とある陽気な老人の声がした様な、そんな不思議な気分に浸りながら。
『昔々、山奥の道場で』
そう、これはそんな決まり文句から語り始められるのが相応しい、少し不思議な長い長いおとぎ話。




