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門下生に対しては全く指導をしない、面倒くさがりの権化ヴォーンも、病弱な自分の妻に体力を付けさせる為には、全く骨身を惜しまなかった。
毎日少しずつ二人で道場の回りを歩く事から始め、ゆっくりと時間を掛けてその活動範囲を広げていき、とうとう一年後には、クリスは自力で山道を上り下りする事が出来るまでになっていた。
「愛じゃのう。お前らも結婚したら、ヴォーンを見習って奥さんを大事にせえよ」
夕食の時間、寮の食堂で晩酌をしながら、センガ老人が門下生達を相手に説教じみた事を言う。
「そう言うじいさんはどうだったんだよ。奥さん大事にしてたのか」
門下生達の一人が言い返した。
「ワシは愛妻家じゃったぞ。ワシに対して、どんなにばあさんがぎゃあぎゃあわめき立てても、いつも平然と澄まして受け流せるだけの心の余裕があった」
「それ、女からすると一番腹が立つ態度かも知れねえぞ。真剣に話を聞いてないと思われて」
「はっはっは。女の言う事など一々真に受けとったら、身が持たんわ」
「それのどこが愛妻家だよ。しょうがねえな、じいさんは」
「ま、お前らにとっては、結婚なんぞ雲をつかむ様な話じゃがの。ここでお前らが武芸一筋に精進出来るのも、まだ家庭を持っていないからじゃ。妻子を持てば、自分の事だけ考えていればいいと言う訳にはいかなくなる。今の内にせいぜい修行に励む事じゃな」
ところが、それからしばらくして、妻子持ちの男が道場に入門して来る事になった。
男の名はザント・ドリット。その妻ヴェレ・ドリットは、さる大手化学メーカーの娘で、クリス・スルーの学生時代からの親友であった。
ザントが、「武芸者を目指してヴォーンの道場に入門する」と言い出すや否や、ヴェレは先回りして実家の自家用ヘリで道場まで乗り付け、クリスに面会し、
「クリス、夫がこの道場に入門すると言って聞かないの。もし来たら、門下生一同で叩きのめしてくれないかしら。二度と武芸者になりたいだなんて言えなくなる位に」
と、大真面目に懇願した。
「ヴェレ、落ち着いて。ここは暴力団の事務所じゃないのよ」
クリスは困惑した様な笑顔を浮かべて、ヴェレを諭した。




