第一話:貧弱なので即死
青年は目覚めた。
「……」
壁紙も何も貼っていない、濁った白色の天井が、いつも通り視界に映る。
ふと、どれぐらい寝たのだろうかと思い、青年は近くの時計に視線を動かした。
「十二時、過ぎてる……」
時計の短針は真上を指していた。
まだ寝たいのにもう昼。
この世の残酷さを身に染みて感じ、思わずため息を漏らす。
「お昼無いから、買いに行かないと……」
脳があまり動かない、だが昼食のために、しがみついてくる布団から、不本意ながら出て起き上がる。
あぁ、しがみついていたのは僕だったんだ。
と、毎日気がついていることに、青年は今日も気がついた。
「邪魔」
いつも通り、髪が彼の視界を狭める。
髪邪魔だなー、だけど切りに行くの面倒くさいなー。そんな言葉を胸に抱きながら、髪を手で掻き分けてできるだけ視界を確保。
切り開いた視界を頼りにタンスを見つけ、そこから適当な外出用の服を引っ張り出してパパッと着た。
なお起きてからこの間、約三十分である。
「一時になってる……!?」
テキパキ動いたはず、そんな馬鹿なことがあるかと彼は時計を凝視するも、そこにはどうあがいても変わらない事実が映し出されていた。
「……いや、これは世界が速かっただけ」
……などと、何一つ言葉や不満を発さない世界に責任を押しつけておく。
どうせお昼を食べてからもまた寝るのだ、世界のせいにしても良いだろう。
「う……」
突然お腹の中が締め付けられるような感覚に襲われ、同時に口内が疼く。
先程の驚きで体が目覚めたのだろう。
――おなかすいたー。
体はそう言っていた。
「カップ麺でも……買お」
非常に面倒くさいがスーパーへ行くしかない。
青年は床に落ちていた、ボロボロの黒いトートバッグを手に取り、財布が入っていることを確認する。
「食べないでいい体が欲しい、よ……」
そんな叶いもしない願望を口にしながら、彼はよろよろとアパートを出ていった。
「あ、ニートのオバケ女!」
スーパーへ向かっている途中、公園の近くを通ると、土いじりをしていた、ランドセルを背負った半袖短パンの男児が指をさしてきた。
「あ、不登校のガキの龍介だ。あと、女じゃない」
口が悪いね~。などと思いながら青年は男児、小田龍介に近づいていく。
青年のゆっくりふらふらと近づいていく様は、長い黒髪と相まって、龍介の言う通りオバケ女である。
「その見た目で男とかあり得ないだろって!」
龍介は青年が女だと信じて疑わない様子を見せている。
「いや、髪が長いだけじゃーん」
「声も!」
「まぁ~確かに……そうだねー」
前が見えなくなる程の長い黒髪に、割と女性的な顔立ちと声。身長も高くないし骨格も男性的とは言えない。
何度女性と間違えられたことか。
龍介にも間違えられている……いや、何度も否定しているから、遊んでるだけで本気でそう思っていないかもしれない。
だが青年はそれについてはもう慣れているし、自らやっていることである。
何も深く思い詰めることではない。
それよりも、立ってるのがきつくなった青年は、一目散にブランコへ駆け、腰掛ける。
「相変わらず体力ないな、ニート女」
そう言いながら青年の隣のブランコに座る龍介。
「そりゃそう、ずっと寝てるし……」
すると、龍介は呆れたような顔をして言う。
「それでいいの?」
「お金はあるし、何よりそれが僕にとっては幸せなんだ……多分」
自分に言い聞かせるように青年は言葉を返した。
「ふーん……」
龍介はどこかつまらなそうな顔。
「で、今日は学校はー?」
青年は逃げるように話題を転換させ、龍介に気安く聞く。
「……早退した」
『知ってるだろ?』と龍介の視線。
「……だよね~」
勿論青年は知っている。
小学三年生の龍介は学校で虐められている。
運動が苦手な彼は些かふくよかな体型をしている、そしてこう見えて実は控えめな性格の所、それらが虐められている原因らしい。
理由を思い返して(小学生だな~)と簡素な感想を抱く。
(カンソなカンソー……なんちゃって)
簡素すぎるので、一応寒いギャグで飾っておこう。
「……うーん、ちょっと暑い」
いや、ちっとも寒くなかった、むしろ暑い。
これはギャグが暑かったのか、はたまた季節のせいか。
いや、きっとギャグが暑かったのだろう。
「だよな」
龍介も同意見のようだ。
「今日は良いこと……あった?」
それはさておきと、今度はそう聞く青年。
龍介は視線を少し地面へ向け。
「ない」
と、即答であった。
「そっか」
「……」
「……」
それからしばらくの沈黙。
傍から見たら気まずく思えそうなこの沈黙、だが呑気な青年はそんなことを思わない。
ただ、少し。
この沈黙でも龍介が逃げ出さないことを少し嬉しく感じた。
自分が龍介の居場所になってあげられている。
彼をここまで気にする必要はない。
だが、そう分かっていても構ってしまうのは、龍介に過去の自分を重ねているからだろう。
「じゃあそろそろ行くねー、買い物しなきゃだから」
まだスーパーに寄っていない、さっきまでは口内が疼いていたが、今は軽食を取った後のようなお腹の感覚。
「……うん、バイバイ」
「そんな寂しそうな顔するなよー。一応、買い物終わったらまた寄れるしさー」
捨てられた子犬のような顔をされ、思わず変に気にかけてしまう。
買い物が終わっても昼食を食べる時間が欲しいのだけど。
「いや、いい。俺もそろそろ家に帰るよ」
しかし、青年の心配は必要ないようで、龍介はそう言って立ち上がった。
「……そう、じゃあね」
「うん」
そうして青年は、龍介が大丈夫そうだと判断してスーパーへ向かった。
スーパーで四食分のカップ麺を買って、帰宅。
ご飯を食べて眠りにつきましたとさ。
そして翌々日。
「ご飯ない……」
お昼、青年は目を覚ました。
「トイレもお風呂もご飯も、もう嫌ー」
面倒くさい。一生寝ていたい。
青年は駄々をこねる子供のように、布団の上で手足をバタつかせる。
もう二十歳が近いと言うのに、情けない限りである。
「はぁー……行かないと~」
結局彼はお昼ご飯を買いに行くことにした。というか買わないといけない。
「龍介のこともあるし~」
家にいると親の無言の圧力がきつい、と、いつもお昼に公園に居る龍介。
この日のお昼に彼へ会いに行くよう、先日スーパーで買ったカップ麺は四食分だけだった。ご飯の時間はお昼と深夜である。
「過去の僕を恨むべきかー、褒めるべきかー」
龍介に会う、会わないにしろ微量の後悔はあっただろう。
「行きますか~」
そうして、青年は軽く準備をしてアパートを出た。
「ちょっと。や、やめろってッ!」
スーパへ向かう途中、いつも龍介がいる公園付近で、そんな声を聞いた。
「うぬ? 龍介の声……急ごう」
青年は声の主が龍介であり、公園の中から聞こえてきたと判断し、駆け足で公園へと向かっていく。
曲がり角を曲がると、少し離れていても公園内の状況が見えた。
「へへっ、よぉく見とけよ!」
まず青年の目を引いたのは、同い年ぐらいの男児二人に押さえつけられている龍介。そして次に、公園内から道路側へと向かっていく一人の男児。
その男児の手には猫がぶら下がっている。猫は弱っているのか抵抗力が弱い。
「っ、待って……!」
龍介は顔を歪めながら、押さえつける二人を押し退けようと踠いていた。
あいつらが龍介を虐める奴らか、と青年が気がついた時にはもう遅かった。
「おらァ!」
なんと、男児は手に持つ猫を道路へと投げ出したのだ。
ちょうどそこにはバスが迫ってきており、猫は足を怪我しているのか、その場から動けないでいた。
「うわあぁぁぁッ!!」
「あ、おい!」
龍介は激しく声を上げ、二人の男児の手を振り払い、一目散に道路へと飛び出していった。
「……まずっ」
あのままではバスに跳ねられる。
そう思った時、青年は既に駆け出していた。
久しく感じていなかった、地面を連続的に強く蹴る感触。
バスがブレーキ音を上げ始めた、運転手も猫と龍介に気がついたようだ、だがそれだけでは間に合わない!
青年は自身でも驚くほどの、毎日怠けた生活をしているとは思えない動きで、猫を抱えた龍介を抱きしめた。
そしてバスと衝突する直前、龍介達を歩道側へ力一杯に投げ出し——。
「ということであなたは死んだのですよ」
「あ~、確かにそうだったかもー」
青年はバスに跳ねられ、呆気なくお亡くなりになったのであった。




