49話 憎悪を抱きし姫
―――フリード子爵邸―――
「来たか」
フリードはそうつぶやき、屋敷の外に出る。
「お前が我ら海人族の秘宝を持っていることは分かっている。返してもらうぞ」
「元気にしておったか、ハイネ」
フリードが名前を呼んだ先には、人族と同じ姿に見えるが、どこか異質な雰囲気をまとった碧色の髪の女性が海人達を従えて立っていた。
人族との違いがあるとすれば、細かな鱗が彼女の腕に生えていること、そして、年齢に対してあまりにも幼さを残す容姿だろうか。
「貴様にその名を呼ばれる筋合いはない。あたしの父を殺し、父から秘宝を奪った貴様にはな!」
「それは儂ではないと言っておるだろうが」
「なら、今すぐ秘宝を返せ」
「それはできん。それがお主の父の遺言だからじゃ」
「ふんっ、戯言を。やはり、人族など狡猾で下劣な種族だ」
「お主の父も人族だろう」
「貴様と言葉遊びをしに来たのではない! 水牢旋渦。やれ!」
ハイネがフリードを水の渦で閉じ込め、合図を出すと、
「極義、水界冥龍轟」
『合体極義、蒼門覇龍陣』
五人の海人がフリードを閉じ込めた水牢を囲む。
一人は水の渦の中に巨大な龍を生み出し、周囲の四人は各々が無限とも思える水の流れを操り、渦巻く水流の中で無数の波動を共鳴させ、力が次々に集約されていく。
巨大な水のうねりがフリードを包み込み、逃れられぬ圧力でその身を粉微塵にしようと海人たちは力を合わせる。
(ふぅ)
そのうちの一人が心の中で、「これなら間違いなく死んだはずだ」と油断した瞬間、
「気を抜くな、馬鹿者っ!」
海人族の中でも一番の実力者、リューレンがそれを叱る。
しかし、
「ぬるいっ!!」
「なにっ、があっ」
その隙を突き、水牢の中からフリードが勢いよく飛び出す。
驚愕する海人の顔面を氷でできた右腕でつかみ、一瞬で凍らせながら砕く。
「貴様らが水を扱うことは分かっておる。だが、儂の前ではすべてが凍りつく。貴様らの攻撃が届くはずなかろう」
フリードの体からは冷気が溢れ出し、屋敷周辺の大気は急速に冷えていく。
「水霊器。水鉄砲」
「糸切」
物陰から隠れた海人が遠距離からフリードの頭部を狙い撃つが、その水弾は断ち切られ、届くことはなかった。
「シルヴァ、あんたもいたのか」
「……ハイネ様。どうしてこのようなことを」
屋敷から飛び出し、水弾を断ち切ったシルヴァはハイネを見て少し動揺を見せる。
「人族のあんたには分からないだろうな」
「ハイネよ。なぜそうやって一括りで決めつける」
「黙れッ! 作戦変更だ。お前たち出てこい!」
ハイネがそう指示を出した瞬間、屋敷の上や庭から十数人の海人たちがその姿を現した。
「シルヴァ、まだ隠れている者たちは任せる」
「はっ!」
そう言うと、シルヴァは影に隠れている者たちの対処に向かった。
海人たちはフリードから距離をとりつつ、囲むようにその位置をとる。
「姫。どうかもう一度そのお力を」
「ああ。水天賦与」
『水霊装』
ハイネが魔法で水を生み出し、それを受け取った海人たちは全身をその水で覆い、まるで強固な鎧のようにその身を守る。
「我ら海人族は水中最強の戦士民族。今こそ悪鬼を討伐せしめん!」
「貴様らなどどうでもよい! 親子の喧嘩に他人が口を挟むなっ!」
リューレンが口上を述べるが、フリードは娘との会話を邪魔するなと一蹴する。
「なにが親子喧嘩だ。あたしの本当の父親の命を奪っておいて父親面するなっ! お前はただの仇だ!」
「……確かに儂はあの時、命からがら逃げてきたヴォルを助けられなかった。だが、ヴォルはまだ赤子だったお前の命を守り、それを儂に託した。儂にとっては友人から預かった大事な娘じゃ」
「あたしにずっと隠していたくせに、今更そんなことを」
「まだ幼かったお主には酷な話だと思ったんじゃ。もっと大人になってから真実を伝えようと思っておったが、それがかえってお主を苦しめることになるとは……。すまなかった」
「何を言おうがもう遅い。今日、あたしはお前に復讐を果たす」
ハイネはそう言うと、背負っていた刀を引き抜く。
「飲み込め、海裂魔刀!」
「……それはヴォルの」
ハイネはその刀に大量の水を捧げる。
「姫の時間を稼ぐんだ! 届かなくても良い。動けぬよう攻撃を続けろ!」
リューレンの指示に従い、海人たちはフリードから距離をとりつつ、攻撃を続ける。
「氷骸」
瞬く間に、フリードの体には氷の装甲が纏わりつき、背には氷の翼が生える。
氷の翼をはためかせ、足から氷を噴き出し、一気にハイネの元へ近づこうとする。
「行かせはしな……」
「邪魔じゃっ!」
フリードの大量の魔素が込められた氷の拳は密度が凝縮され、極限まで高められた硬さと冷気を持ち、その力で敵を瞬時に凍らせるだけでなく、圧倒的な破壊力を発揮する。
その道を邪魔しようとするものは海人たちの身に着けている水の鎧など関係なく、凍らせながら体を砕いていく。
「その姿、まさに悪魔そのもの。極儀、水環天龍滅」
「……ぬうっ」
『水霊器』
それをリューレンが常人では無事では済まない高威力の水の波動で押し流し、周りの海人たちも各々の武器で遠距離から攻撃を加えることで、フリードをハイネに近づかせない。
「一人ひとり潰してやろう」
「化け物めっ! いつか必ずむく……」
それならばと、フリードは海人たちを一人ひとり潰していく。
その数が4人目になろうかという時、
「すまない、待たせた。裂海」
ハイネが刀の切っ先をフリードに向け、静かに振り下ろす。
刀先が空気を切り裂くと、目に見えない上からの圧力が一気にフリードに向かって放たれた。
フリードの周囲の空気が急激に歪み、深い圧力が押し寄せる。
「……ぬっ、がはっ」
「くっ、まだ息があるか」
その衝撃を防げず、まともにくらったフリードの口元からは血が吹き出る。
「……どうだ。さすがのお前でも人族の身では耐えられんだろう。内臓の一つ二つは潰れているはずだ」
そういうハイネの口元からも血が出ている。
「ふうっ。吸い込んだ分の水圧を押し付ける不可視の攻撃か。ヴォルの得意技でもあった。だが、それは諸刃の剣。お主にもかなりの負荷があるようじゃが」
口元を拭いながら、フリードはハイネと向き合う。
「お前と違って、あたしには海人の強靭な肉体がある。何度でもお前を潰してやろう」
「面白いっ! 我慢比べと行こうか」
フリードは不敵な笑みを見せながらもう一度やってみろとハイネを挑発する。
「悪魔め。なぜこの状況で笑える!」
「娘の成長を喜ばぬ親がどこにいる」
「まだ言うか!」
ハイネは持っている海裂魔刀を握りしめた。
「その口、二度と開かないようにしてやる」
その言葉には、もはや止まることのない決意が込められていた。
ハイネがもう一度、海裂魔刀を振りかぶった瞬間、真冬のように冷たかった空間に、ブワッと熱波が広がった。
「なんだ、あれは?」
「光? いや、炎か?」
熱波が来た方角に目を向けると、街の方から巨大な一筋の光が天へと伸びていた。
それは見る間に膨れ上がり、天まで届くほどの巨大な炎の柱へと変わっていった。
張り詰めた空気は消え、今や誰もがその光景に目を奪われ、動きを止めている。
なぜかその炎からは畏敬の念が漂っており、視線が釘付けにされる。
「……まずいのう」
フリードはすぐに事態を把握し、背中に冷や汗をかく。
今、街には騎士団がおらず、街に残っている騎士で暴走するラフィを止められるか分からない。
今すぐ飛んで行きたいところだが、目の前の海人たちを街へ近づけさせるわけにもいかない。
悩んでいる間にも炎は膨らんでいく。
「おい、なんだ!? あれは!」
「姫よ、落ち着いてくだされ。あそこにはカリューたちを揺動役として送っています。少々性格に難がある者たちですが、危険があれば誰かが対処するでしょう」
想定外の事態に動揺するハイネを、ここにいる海人の中で最も老練の戦士であるリューレンが宥める。
双方が互いの動きを警戒しつつ、事の成り行きを静観する状況が続いた。
「お、収まった」
「一体なんだったんだ?」
「お前たち、集中しろっ! 今は同胞の仇を討ち、我らの秘宝を取り戻すことが最優先だ」
何事もなかったかのように、巨大な炎の柱が一瞬にして街の中へと収縮し、消えていった。
状況がつかめず困惑する海人たちを、リューレンが一喝し、弛緩していた空気が再び引き締まる。
海裂魔刀
魔剣の一つ。
ハイネは「大気中に水圧を再現する力」を使っている。
吸収した水分の水圧が大気を介して伝播する。
吸収する際に、刀が重くなるのではなく水圧として本人の体に負荷がかかるため、水中で刀を振る感覚に近い。
フリードの写真に写っていた少女がハイネです。(21話参照)
あと3話ほどで二章の前半が終わります。




