表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/19

□過去 土蜘蛛との決着

 己の荒い息遣いの他には何も聞こえなかった。

 全身が灼けるように熱く、また同時に凍てつくような悪寒を感じていた。


 眼前には太刀を握った首のない女が斃れ、すぐ傍らに頭部を転がしている。唇の紅、膚の月白、御髪の漆黒からなる(まり)の如し首級は鮮やかで――どこまでも異様な魅力を放っていた。


 どれだけ放心していたのか。

 私を覚醒させたのは、手から滑り落ちた刀が床を叩く、ごとり、という音であった。拾おうと身を屈めれば、刀身の殆どが腐食して、鍔元から千切れかかっている。


 これは一体――。


「妾の血に触れたのじゃ。鋼を溶かすくらい造作もないことぞ」


 首だけになった女が云った。

 忌々しげに此方を睨んでいる。


「土蜘蛛よ。貴様は首を落としてもまだ死なないのか」

「そう驚くでない。そんな大層なことでもなかろうに。――のう、その厳めしい面頬を取って、妾に爛れた死に顔を見せてはくれぬか」


 女は猫撫で声でねだる。


「死に顔だと」

(しか)り。お主は妾の血を頭から被ったのだ。如何にお主が頑強な躰をして、鎧兜を着込んだとしても無駄よ。膚を抉り骨まで貫く地獄の痛みじゃ。ただの人間ならば一日たりとも()ちはせん。これは呪いぞ。妾を討った愚行、死ぬまで悔やみ続けるがよい」

「成程。道理で先刻から顔が痒いわけだ」

「痒い、とな」


 女は破顔する。


「くだらん強がりはよせ。妾の血を浴びて平気な者などいるものか」

「そんなに見たければ見せてやる」


 面頬を外し、素顔を晒してやる。狼狽えたのは女の方であった。


「何故じゃ。何故痕(あと)がない」

「云ったはずだ。人間を舐めるなよ、とな」

「認めぬ。人間ごときが妾を斬って無事でいられるわけが――さてはお主、術を用いたな」

「だとしたらどうする」

「――おのれ。貴様だけではない。いつか必ず、術者共々(なぶ)り殺しに」

「黙れ」


 女の髪を掴み、床に叩き付ける。間髪入れずに顳顬(こめかみ)を踏み潰せば、この恨み晴らしてくれるわ――と女は呻き声を上げる。


「そうだ。それでいい。貴様は私だけを恨んでいればいい」

「魂胆が読めたぞ。お主に術をかけた者がそんなに大切か」


 額に汗を浮かべながら、おそるおそる土蜘蛛は口を開いた。


其奴(そやつ)がお主の弱点か。ならば妾は其奴を」

「黙れと云うのが分からんのか」


 足に体重を乗せれば、みしり、と頭蓋が(きし)む。


「詮索は無用だ。舌を抜かれたくはあるまい」


 慥かに私が浴びた土蜘蛛の返り血は熱かった。人の命など容易に奪える代物であろう。それは全身を突き刺す耐え難い痛みからも分かる。

 だが、馨のくれた護符が呪いを打ち消してくれている。

 胸に掌を当てれば、篭手と胴越しに、札が熱を放っているのが感じられる。


 首を包む布切れを確保せんがため、女の唐衣(からぎぬ)を剥ぎ取る。未練がましく四肢を振り乱している躰であったが、落ちていた槍で胸を穿てば、すぐに大人しくなった。

 あとは館に火を放ち、骸共を荼毘(だび)してやればいい。

 それで、全ての始末は終わる――。


 腰に提げた革袋から、青鷺(あおさぎ)の血で(つづ)った呪符を取り出す。女の屍へ放れば、呪符は女に触れた途端、紅色の炎に姿を変える。

 火は床を滑るように燃え広がり、屍達を次から次へと呑み込んでいく――。


「阿修羅だな、まるで」


 女が呟いた。私が黙っていれば、続けて。


「お主、名は何と申す」


 と尋ねた。

 そこで、斬り合いまでしたのに、己が名乗りもしていなかったことに思い至る。


「日影龍真だ」

「龍真。やはりお主は人ならざる者よ。加護を背負(しよ)った阿修羅になら討たれても致し方ない」

「貴様も執拗(しつこ)いな。負けた妖が矜恃を語るのは滑稽とは思わんのか」

「ふん。早う妾を包むことだな。火に呑まれては叶わん。そこの太刀も持って行くがいい」

「太刀?」

「妾の愛刀ぞ。妾を討った褒美に、お主に貸してやる。いいか、くれてやるのではない。貸すだけじゃ。いつか必ず取り立ててやる。その時まで精々大事にしていることだな」


 努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ――と土蜘蛛は嘯いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ