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王子の苦悩  作者: 忍野木しか
最終章

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258/261

神はサイコロを振らない

 

 深紅の鮮血が散る。

 薄青いドレスがズタズタに引き裂かれる。

 太古の魔女の肉体が再び拘束された。無数の刃に全身が貫かれた。だが、ロキサーヌ・ヴィアゼムスキーは表情を変えない。その肉体的苦痛を、不自由な窮状を、もたらされる疲弊を喜びとして迎えようとする。新たなる体験を、湧き上がる渇望を、美しき記憶の結晶として仕舞い込もうとする。

「あぁ……」

 しかし、それほどの事でもなかった。すでに六千年以上の時を生きる彼女にとって、苦痛など、時おり降る雨程度のものでしかない。

「哀れな女だぜ」

 傲慢な王の息遣いが彼女のうなじをイヤラしく撫でる。ロキサーヌは久しく忘れていた女としての興奮から身体が溶け出す想いがした。

 彼の顔が見たい──。

 白銀の刃がドロドロとした液体となって流れていく。薄青いドレスが清純な揺らめきを取り戻す。

 首の落ちた王の死体は確かに彼女の目の前にあった。だが、その死は偽装である。

「面白いわぁ──」

 二度目のこと。文久と向き直ったロキサーヌは彼の心臓をグシャリと潰した。傲慢なる王は笑みを崩さない。そんな彼の口からゴボリと黒い血が溢れ出す。そうしてドサリと肉体が崩れ落ちると、夜の校舎から音が消えた。

 王は死んだ。

 ロキサーヌはその死をその目で確認した。

 だが。

 今度は純金の蛇がロキサーヌの肉体を這った。猛毒の牙が彼女の腹を喰い抉る。胸を噛み千切る。頬を引き裂く。

 二度、殺した。

 二つの死体は確かに彼女の目の前に転がっていた。

 それなのにまた王の声が背後から響いてくる。

 ああ──。

 スカーレットの妖艶な唇が横に裂けていく。

 コバルトブルーの深淵な瞳が縦に歪んでいく。

 彼もまた不死身なのだろうか──。

 ロキサーヌは両腕を広げた。純金の蛇が真っ白な灰となって霞み散る。白い帽子がブロンドの髪の上で跳ね躍る。

 あの空色の瞳──。

 巫女の瞳は太古から生きるロキサーヌにとっては別段に珍しいものでもない。しかし、片目のみ、そして男性が巫女の瞳を持つという事例は彼女にも覚えがなかった。

「馬鹿が」

 文久の肉体がフッと翳った。そこにいて、そこにいないような。実体が消えてしまったわけではない。今や七人目のヤナギの霊となったロキサーヌには目の前の彼の全てが見えていた。

「クック」と王は笑った。文久もまたロキサーヌの全てが見えているかのような表情である。その傲慢な口元。ロキサーヌは微笑むと、コバルトブルーの瞳のみ動かし、三度目、彼を殺した。文久の肉体がドサリと廊下に突っ伏す。先ほどまでと同じ。つまり再び蘇る。

 ロキサーヌは期待した。また純水の檻に閉じ込められるかもしれない。硫酸の海に沈められるかもしれない。溶岩が上ってくる可能性も考えられる。いいや、彼自身がその逞しい両腕を広げ、彼女をガッシリと抱き締め、その血を飲み干そうとするかもしれない。抱擁して、凌辱して、最後には真っ赤に燃える魂で彼女の心を浄化するかもしれない。

 ロキサーヌは待った。

 背後から響いてくるであろう傲慢なる王の声を望んだ。

 純粋な乙女の心で待ち望んだ。

 だが、なかなかその時は訪れなかった。

 焦ったい──。

 ロキサーヌは待ちきれず振り返った。そうして彼がすでに消えてしまっていた事に気がつく。

 いいや、彼だけではない。始まりの魔女である姫宮玲華も、魔女狩りである園田宗則も、王に付き従うサラ・イェンセンの姿も、ヤナギの霊である村田みどりの影もない。

 逃げの一手である。

 ロキサーヌは深く息を吐いた。悲しみの鮮血を落とした。むき出しの肩を毟った。だが、すぐに機嫌を取り戻した彼女は「面白いわぁ」と微笑み、スカーレットの妖光をぐにゃりと横に歪めた。

 


「あんのクソモブウサギがァアア!」

 睦月花子の怒鳴り声が講堂に木霊する。

 舞台の壁に二つ目の穴を開けると、その破片が、困惑の面持ちで突っ立ていた鴨川新九郎の額にゴツンとぶつかった。

「オラァ! ボケっと突っ立てないで、さっさと追いかけるわよ!」

 そう舞台の下に向かって怒鳴り声を上げる。状況を理解しているわけではなかったが、ともかくまた吉田障子と三原麗奈は体が入れ替わっているらしい。花子はウズウズと疼く両足に血管を浮かべながらも、麗奈が舞台に上がってくるのを待った。

「アンタも簡単に体取られてんじゃないっつの!」

「ご、ごめんなさい」

「いいから行くわよ。たく、ほんとあのクソオブクソモブ、面倒事しか起こさないわね」

 そんな悪態をつきながら花子はまた穴を潜ろうとする。すると二人の前にカボチャ男が立ち塞がる。

「待て」

「しゃら!」

 花子は清水狂介の腹に鉄拳を撃ち込んだ。そのまま穴の向こうに吹っ飛ばされた狂介だったが、どうにも舞い散る木の葉のような男、何事もなかったかのように起き上がるとまた穴の前に立った。

「状況を整理したい」

 舞台の上には十一人の男女が居た。超自然現象研究部のメンバー四人と生徒会書記の宮田風花、暴走族である山田春雄、ミイラ男と化した長谷部幸平、そして水口誠也と清水狂介、そこに麗奈と早瀬竜司が加わり大所帯である。

 花子はゴキリと首の骨を鳴らすと、狂介の胸ぐらを掴み上げ、今度は舞台の下に放り投げた。そうしていよいよと壁の向こうに駆け出そうとした花子はおやっと眉を動かしてしまう。壁の穴が綺麗さっぱり消え去っていたのだ。羊羹色をした壁は陽の光に照り、掲げられた旭日旗は太陽を見上げる紅蓮の炎のようである。取り敢えず花子はまた壁を破壊した。しかし、その向こうに教室はない。カビ臭いばかりの狭い空間で、どうにも物置のようである。

「こんのドアホ! まんまと逃げられちゃったじゃないの!」

「問題ない」

「はあん?」

「捕まえてみろと言っていただろう。つまり我々に追われる前提で動いたわけだ」

 狂介はすでに舞台の上にいた。髑髏のタトゥーを腕に入れた彼はスラリと背が高く、そのおどろおどろしいカボチャの仮面と相待ってか、何処かのアニメキャラクターのようである。

「彼──三原麗奈は無駄なことはしない。我々から逃げるという行動にも何か意味がある」

「そうかしら? アイツって割と感情に左右されるようなドアホだと思うけど?」

「本質は違わない。ともかくこの人数でダラダラと動いても仕方がない。彼と千代子を追う者、夏子を探す者、唯一の生き残りを探す者、そして排除に動く者と、四手に分かれよう」

「俺は花子さんと行動します!」 

 先ず水口誠也が高々と右腕を上げた。強者の側こそが安全地帯。その事をセーラー服姿の彼は誰よりも理解していた。

「花子には新平さんと共に小野寺文久と魔女を追ってもらう」

 途端に誠也は「へぁ」と実り過ぎた稲のようになる。敵も強者であるならば話は別。誠也は何事もなかったように口笛を吹いた。だが、その肩にドスンと途轍もなく重いものがのし掛かると、まるで鋼鉄の大仏が抱き付かれたかのように、逃げることすら叶わなくなるのだった。

「根性あんじゃない」

 そうニヤリと微笑んだのは花子その人。すでに真横にいる。誠也の間抜けな悲鳴が静かな風の流れる講堂に響き渡る。

「てかその荻野新平は何処にいんのよ?」

「分からない」

「ああん?」

「だが予想は付く。俺も行こう」

「ちょ、アンタも来んの?」

「ああ。そして千代子を追うのは君と早瀬竜司。鈴木夏子を探すのはコチラ側。唯一の生き残りは後の三人だ」

 そう言って麗奈の肩に右手を置くと、左手で残りのメンバーを縦に割った。「勝手に仕切ってんじゃねーぞ!」と早瀬竜司が怒鳴り声を上げる。

 鈴木夏子を探せと言われた超研メンバーの小田信長、鴨川新九郎、田中太郎は顔を見合わせた。いったい探し出してどうしろというのか、そもそも鈴木夏子が誰なのか、彼らには分からなかった。

「それと各自、仮装用の小道具を用意してある」

「いやいや意味分かんないっつーの! てか人選とか適当すぎでしょ!」

「いいから受け取れ。言い争っている暇はない」

「それに何の意味があるってのよ!」

「意味はない」

「……ちょっとアンタ、歯ァ食い縛んなさい」

「意味のないことが必要なんだ」

 花子はチッと舌打ちすると、彼が差し出してきた灰色のブランケットを毟り取った。寒さを凌ぐコート代わりくらいにはなるだろうと考えたのだ。そして人選に関して言えば、麗奈が吉田障子を追い、花子が荻野新平を追う、という形さえ取れたならば後は誰がどう動こうと構わなかった。

「じゃあ私たち先に行ってるから」

「ああ、すぐに追い付く」

 ブラックアンドグレーの髑髏のタトゥーが彼女に頷く。

 花子はやれやれと頭を掻くと、気を取り直したように講堂の正面扉を睨み、ほんのり湿った初夏の風を胸いっぱいに吸い込み、泣き叫ぶ誠也を引き摺りながらノシノシと校舎に向かって歩き出した。



 無数の泡がサイフォンの中を駆け上がった。

 アルコールランプの火を透かす水は紅蓮に揺らめいている。

 フラスコの水が蒸気圧でロートへと昇っていくと、野洲孝之助はジッと漆黒に混ざり合うコーヒーを眺めた。

「波は止められない。キザキさん、貴方はそう言ったが……」

 すでに完成した一杯目のコーヒーからつっと細い煙が伸びている。

 空色の瞳を持つ少女が一人。鈴木夏子はさも興味深げな表情でロートに撹拌するコーヒーと薄れゆく白い煙を交互に見つめた。

「それは過去は変えられないという意味ではないのか。それとも別の意味があったのか。何か知っていることがあるのなら隠さず教えてほしい」

「過去は変えられる」

 木崎隆明は窓辺で背中を丸めていた。湯気の立つコーヒーカップを片手に、前髪に隠れた腫れぼったい瞼を半開きに、陰鬱な視線を床に向けている。

「だが、この世の流れは変えることが出来ない。それを俺は波に例えた」

「それはカオス理論における構造安定性の話か」

「いいや、違う。決定論的カオスの話ではない。量子論における整合性問題でもない。ノヴィコフの自己矛盾原理ではなく、ホーキングの年代記保護仮説とも違う」

「どういう意味だ? 構造安定性の話ではなく、さらにノヴィコフの原理ともホーキングの仮説とも違うとなれば、時間遡行が可能な上で大規模な過去改変も可能となるという事ではないか?」

「そうだな」

「そうだな、だと? ならば波は止められないとは何だ? この世の流れは変えられないと言ったのは貴方だぞ?」

「言ってみれば神の知見の話だ」

「戯言をッ!」

 孝之助はカッと眉を釣り上げた。純白の特攻服がバサリと音を立てる。

「神など存在せん! 絶対にだ! そんな妄想を信じる貴方ではないはずだ!」

 夏子はオロオロと顔を上げた。喧嘩はダメだよ、と二人の顔を交互に見つめる。会話の内容は全く理解出来なかった。それでも争い事の嫌いな少女である。冷静になって、と空色の視線を二人に向けた。

「確かに俺たちは不可解な状況にある、実際に過去に戻っているし、魂というものも存在しているのかもしれん。だが、そこには必ず法則がある! 必ず理由がある! それを唐突に神の仕業などと……そんなものは幻想だ! 同じ形などない、法則も因果も皆無、神の名を出した時点で理論が崩壊してしまう! キザキさん、俺が聞きたいのはそんな話ではない!」

「では、神に近しい存在の知見と訂正させて貰おう」

 木崎はそう言って、クック、と喉を鳴らし、彼を見上げる夏子の頭にのそりと手を置いた。それは陰気な男らしい仕草であったが、どうにもこの木崎という男には似合わない笑い方で、その気味の悪さに孝之助は毒気を抜かれた。

「……決定論的カオスではないと貴方は言ったが、波は止められないという比喩は、小石を投げ入れようとも川の流れは変えられないという構造安定性の話だろう。つまり過去を変えようとも大きな歴史の流れには影響を与えられないと言いたいのではないのか?」

「いいや、歴史は変えられる」

 孝之助は再びカッとなった。ズカズカと陰気な男の側に歩み寄る。それを吾郎は慌てて止めた。

「変えられないと言ったばかりだろう!」

「まぁまぁ、今は喧嘩している場合ではないでしょう。ほら、キザキさんも、知らないのなら知らないと言えばいい」

「いいや、この男は絶対に何か知っているぞ! はぐらかそうとしても無駄だ!」

「別にはぐらかそうなどとは思っていない。小石を投げ入れようとも川の流れは変えられないというのはまさに君の言う通りだ」

「ならば!」

「だが、土砂で塞いで仕舞えば川の流れは止まる。技術革新が進めば、やがて海を静止させられる」

 陰気な男の影が広がる。意外にも背の高い木崎が顔を上げると、その奇妙な威圧感に、うっと孝之助はたじろいでしまう。

「カオス理論の構造安定性では摂動を加えても大局は変わらないとされる」

「あ、ああ、その通りだ。システム論においても多層防御により巨大事象は起こせないことになっている。だが、もしそれが臨界状態であるならば……」

「先ほども言ったように巨大事象は起こらない。それは位相構造によるものでも、多層防御によるものでもない。たとえ臨界状態にあろうとも、この夜から、この世界の骨格が壊されることはない」

「つまり貴方は、神がサイコロを振ると言いたいのですか?」

「それに近い」

 香ばしい匂いが理解室を包み込んでいる。窓に広がる赤焼けの空。木崎はゆっくりとコーヒーを啜った。

「ここはこの世とあの世に狭間にある。この夜の校舎においては過去改変も可能となる。一人を救えば、その一人の行動により、やがて未来が変わっていく」

「ゆえに構造安定性があるのでしょう? 一人の行動などと、それこそ川に小石を投げ入れるようなものだ」

「ならば百人を救えばどうなる」

「そ、それは……」

「例えば千の人間を救った場合、そして万の人間を殺した場合はどうだ。歴史の流れを変えてしまえるのではないか。因果律は物量により破壊される。千が進めば世界は根本から形を変える。この世界を簡単に破壊出来る」

 孝之助は押し黙った。

 土砂で塞いで仕舞えば川の流れは止まる。

 それは単純な数の問題であった。

「だが、実際には変えられない」

 木崎はまた俯いた。それでも彼の巨大で陰鬱な影は消えなかった。

「救える者は一人のみ──何故だ? 救える数に制限があるのはおかしい。構造安定性が破られるからか? それは不自然だろう。ならばそもそも過去に触れること自体が許されないはずだ」

「だが実際に俺たちは過去に触れている……」

「そうだ。俺たちは過去を変えることが出来る。だが人数制限という不自然が存在する。俺は、ここに何らかの巨大な意思が関わっていると考えている」

「それが神か」

「もしくはそれに近しい者」

「あっ……」

 孝之助の頬がサッと青褪めた。

「ま、まさか、国が関わっているのではないか?」

 その想像は以前より頭の片隅にあった。だが、流石の彼もそれは少々飛び過ぎているとして、子供向けの映画や小説ではあるまいと、妄想するに留めていたのであった。

「そ、そうだ、ここは青い海の深み……得意な瞳を持つ巫女の生まれる場所と聞いた。もしそれが本当であるならば、この国が、政府が、その事実を知らないはずがない。ま、まさか、この街の、この場所を、この日本という国が、巨大な実験場として何らかの研究をしているのでは……」

「いやいやいやいや、それは流石に飛躍し過ぎでしょう! 法治国家の日本でそのような監禁に近い実験が行われるはずがない! そもそもこんなオカルトチックな世界でいったいどんな研究が……」

 吾郎もまたゾッと顔から血の気を引かせる、この夜の校舎に迷い込んだ日より、数々の疑念や困惑が、彼の心を悩ませてきた。その中でも特に、どうしても不可解で、何よりも気味の悪い、絶対に知りたくはない事実があった。

 行方不明者たちの死体は何処へ──。

「おい、キザキ!」

 孝之助はズカズカと足を鳴らし、木崎の薄い胸ぐらを掴み上げた。

「神とは何だ! お前は何を知っている! 答えろ!」

「俺は何も知らない」

「貴様ッ!」

「ただ俺は、それが俺でないことを祈っている」

 旧天文部員の失踪。一年D組の悲劇。

 神隠しは富士峰高校の七不思議の一つだった。

 だが、彼らは本当に消えてしまったわけではない。

 空となった肉体を残し、魂のみ、夜の闇に沈んでいった。

 つまり彼らはここに居た。

 しかし、その死体は発見されなかった。

「ミクスト・リアリティ……?」

 吾郎はゴクリと唾を飲み込んだ。

 彼はいつかの長い黒髪の少女との会話を思い出していた。

 仮想現実というよりは、複合現実に近いかな──。

 アルコールランプの火が消えると、グネグネと渦巻く黒い影は静かに、フラスコの底へと沈んでいった。

 

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