師、難波
月曜日、俺は美浦のトレセンに出向いていた。目的は当然難波先生に有馬記念の話をしにいくためだ。昨日の作戦が適切だったのか。それとも間違いだったのか。
「おはようございます。貝崎です。難波先生はいらっしゃいますか?」
事務所のドアから顔を覗かせる。
「お、きたか。昨日は惜しかったな」
挨拶を済ませると早速本題を切り出そうとした。俺の第一声を差し置いて難波先生が発する。
「結論から言うとな。あれは90点ってところだな。俺の課題の意図をしっかり汲み取ってやがる」
どうやらいい結果を出せたようだ。
「ありがとうございます。正直、昨日のマルクリスタルでは勝ちはないと思ってました。なので作戦も何もありません。それで辻騎手に作戦を任せたんです。その結果なんとか三着に粘り込んでくれました。」
後半、難波先生の顔が少し歪んだ。僅かに空気が歪む。
「あれ、お前が考えたんじゃなかったのか?」
「ええ。辻騎手がとった作戦です。」
ニヤッと口角が上がる。何か思いついたような。それでいて嬉しいような。そんな顔だった。
「なるほどな。次はどこを使う予定なんだ?」
「一応大阪杯から春三冠を使う予定です」
「ほう、そうか。楽しみにしてるよ。再来年まで走ってくれねえかなあ。」
「あ、再来年には定年されてしまうのですね…」
少し寂しいような、短い付き合いながらもお世話になった人だ。
「いやいや、そんな顔をするなよ。俺は最後の最後に後継者を見つけられて嬉しいんだ。この一年でしっかり鍛えてやる。いつか、俺の届かなかった夢を叶えてくれ」
真剣な表情でそう言われる。アツい人なのだ。この人は。
「はい!これからよろしくお願いします!」
そう返事をした。
難波厩舎に所属している馬はわずか3頭だ。
ワンダーリップス 二歳未勝利。
リンダスリーピース三歳一勝クラス
クラシカルマリア 四歳一勝クラス
クラスこそ下級条件の馬ばかりだが全頭いいものを持ってる。やり方次第では重賞でも戦えるかもしれない。
俺の目に一番に止まったのはワンダーリップスだ。ダート1400の新馬戦を九着と大敗したものの、父親はアドマイヤムーンだ。しかし、母父のGiant's Causewayの血が色濃く出ているのか、後肢の逞しさなど、どこかダート馬っぽい印象を受けるが、本質的には芝の短距離で活躍できるだろう。
リンダスリーピースは夏に初勝利を挙げるまでに10戦を要したが、父はマンハッタンカフェ。母は中央競馬で長く活躍し、六歳にマーメイドSを制した大器晩成型。これから中長距離戦線でも戦える馬になるだろう。
クラシカルマリアは近6走で馬券圏内を外していない馬主孝行なタイプだ。勝味に遅いところが傷だが順番が回ってくるのは時間の問題だ。年が明けると五歳になるがこの馬のペースで頑張ってくれるだろう。
個性豊かなこの厩舎の馬と共に俺の第二の馬生が始まろうとしている。