海浜公園:「ねえ、マサキ。……だいすき」
「つくばはこれでOK。ねえマサキ、ひたちなかに向かって」
国立大学構内の駐車場に停めたタイカンの車内。エラーをさっさと片付けた玲蘭が、涼しい顔でレポートを作成している。
やっとお役に立てるタイミングが到来した。タイカンのハンドル前にヴァーチャルモニターを出し、勇んでナビを操作してから、車を走らせる。
「っていうか、ひたちなかでいいの? 水戸は?」
玲蘭の仕事中に、地域の地図を頭に叩き込んでおいた。つくばエリアから北東に向かうとなると、県庁所在地の水戸を通ることになりそうだけど……。
「水戸、無いよ」
玲蘭がヴァーチャルモニターを操作しながら言った。
「偕楽園のあたりとか、芸術館のタワーとか、エラー吐きそうなものなのに」
さっき叩き込んだ付け焼き刃の知識で観光地の名称を言う。
ヴァーチャルエラーというヤツは、ランドマークや観光地に出現しやすいという特性がある。あいつらはどうも、ビル街や住宅街のような一般の街並みとは異なる、少し変わった地形や建造物を好むらしい。ヴァーチャルエラーが起きるようになったのはここ1年ほどのことだから、その仕組みや嗜好のことはイマイチ解明されていないけれど。
「水戸は県庁所在地だから、どっかの修復士が対応したんだと思う」
「なるほどね」
東京都下ほどではないにしろ、それなりの街場であればヴァーチャルエラー修復ができる人材には事欠かないようだ。
「だから車移動ができる身としては、交通の便が悪いエリアをあえて攻めたいところなんだけど、とりあえず国営ひたち海浜公園」
「あ! ネモフィラのところだ」
あの映える画像をどこかで見たことがある。青い花が視界一面を覆い尽くす絶景画像を見て以来、密かに行ってみたいと思っていた。
だけど玲蘭はすげなく言う。
「ネモフィラは春の花。今は夏」
「そうか……」
どうやら、あの青の絶景に出会うことは叶わないらしい。
ちょっとだけがっかりしてしまった様子が伝わったのかもしれない。玲蘭はチラリと運転席を見た。
「ネモフィラ見たかったの?」
「んー、うん、まあ」
「じゃあ来年の春に一緒に来よーよ」
その言葉に内心、かなり驚いてしまった。
まだまだ出逢ったばかり、しかも対等にはなり得ないなんていう前途多難な関係性だ。まして真咲の社会的立場は崖っぷち。来年の春のことなんて想像すらつかない。
だけど、口約束とはいえ玲蘭が来年の予定をくれるというのは結構嬉しいと思った。
「そうね。春にも来たいな、一緒に」
だから、華やいだ口調で返事をした。
***
「ねえ、観覧車がある!」
玲蘭の声は弾んでいる。
「お仕事終わったら乗ろうか」
「お仕事前に乗る!!」
はしゃいだ態度で手を引っ張られた。仕事をあと回しにしていいのかは疑問だけど、とにかく玲蘭の要望に従うことにする。
「こんなに景色のいい場所に来るのなら、寿司屋でツーショ写真撮ることなかったじゃない」
巨大観覧車のファンシーなゴンドラの中で、つい軽く文句を言ってしまった。
「いーじゃん別に。ねえ、海まで見えるよ!」
玲蘭が指をさすから、隣に移動しながらそっちを見た。
「本当。絶景ね」
海側は確かに絶景だ。砂丘のような海岸に波が柔らかく打ち寄せている。そして青一面の海のはるか先には、真一文字の水平線。空は少し曇り始めているけれど、それでも海の青はとにかく映える。
玲蘭はあちこちを見渡し、ヴァーチャルモニターを向けて写真を撮影している。
「ツーショ撮ろうよ」
そう言われたから、海側をバックに2人で写真を撮った。
「それで、こっちの庭園側がヴァーチャルエラー」
「そうね。べったりとエラーに覆われてる……」
その異質な光景には、さっきから気付いていた。
春には青の絶景が広がるに違いない庭園には、色とりどりのドットがチカチカ、チカチカと動き回っている。美しい自然風景の中にあって、デジタルそのものといった色相のヴァーチャルエラーはどうにも醜悪だ。
「バグがいるかと思ったけど、いない感じ」
玲蘭がつぶやいた。なるほど、仕事前に観覧車に乗ったのは、エラーの状態を上から把握するためだったのかもしれない。
「そろそろ、一番てっぺん」
観覧車の複雑な骨組みを見ながら玲蘭が言う。やっぱりあの提案をした方がいいだろうと思ったから、おもむろに口を開いた。
「じゃ、キスしようよ」
「恋人同士みたい」
「恋人同士でしょ?」
玲蘭が破顔する。
やたら気恥ずかしいけれど、とにかく玲蘭の顔を直視した。
大きな瞳にふっくらとした頬。ヒロインみたいに可愛い玲蘭に、至近距離で触れる。
「ねえ、レーラ」
少し迷ったけれど、言ってみることにした。
「好き」
正直、自分の思いはよく分からない。
自分の口からたった今出た言葉は、疑似恋愛を続けざるを得ない自分自身の気持ちを納得させるためのものかもしれない。あるいは自分の中には、玲蘭が望みそうなことを口に出して機嫌を取ろうという下心があるのかもしれない。
それでも。真咲は今『好き』と伝えたいと思ったから、それを言った。
「……あたしも。ねえ、マサキ。……だいすき」
玲蘭は真咲のブラウスの袖をキュッと掴むみたいにして、顔を近づけてきた。
あとは、お互いにお互いを抱き寄せるみたいにして、そっと口づけを交わした。
***
あまりにも甘ったるすぎている。まるっきり、ラブラブデートだ。
そう思いつつ、ホワホワとした気分で庭園方面へと歩む。
遊園地側には観光客がそれなりにいたけれど、庭園の一部は封鎖されている。玲蘭は構わず庭園に立ち入ると、おなじみの詠唱で虚空からステッキを取り出した。
朝の反省を踏まえて、真咲はかなり遠くからその仕事を見守ることにする。
「अराजक आभासी जगत् अन्तर्धानं भवतु।」
形の良い唇から、エラー除去のための詠唱が紡がれる。
あの詠唱をマスターしたら、真咲にもヴァーチャルデジタルエラーの修復ができるようになるだろうか。そんなことを考える。でも、バグの一撃で半日倒れ伏してしまうような人に、修復士の仕事は務まらないに違いない。
曇り空の下。ヴァーチャルエラーが玲蘭に抗うかのようにのたうち回っている。それでも、強大な力を持つ玲蘭に、あんな有り体なエラーごときが太刀打ちできるわけがない。みるみるうちにエラーは収縮し、消失していく。見ていて気持ちがいいほどの仕事っぷりだ。
エラーの完全な消失を確認すると、玲蘭は鍵のステッキを横一文字に掲げた。軽い詠唱をしてから、ステッキをスイと消し去る。
「……レーラは、かっこいいなあ」
「かっこいいマサキに、かっこいいって褒められちゃった」
振り向いて機嫌よく笑う玲蘭は天使みたいに可愛い。
それにしても、バグの攻撃を食らって地面に倒れ伏すようなかっこ悪い同行者のことを、それでも玲蘭はかっこいいと思ってくれているらしい。そうなってくると、幻滅されるような行動を取らないよう、今後は気を引き締めた方がよさそうだ。
***
今日もまた、日が暮れる。
旅行者としては日暮れ前に、今宵の宿を見つけなくてはならない。ところが現在地はかなりの山中だ。はたして、この県境エリアに2人が泊まれるいい宿を見つけられるだろうか。
玲蘭がロードサイドの立て看板を示した。
「ねえ! ホテルって看板あった」
「……」
真咲も、その看板には気付いていた。だけど、あの看板は妙に華やかなデザインだし、ホテルの名前も謎の横文字だし、おまけにどことなくセンスが古い。あの感じ、間違いない。
「あれ、ラブホテルの看板でしょ……」
「そーなの?」
玲蘭が無邪気に首を傾げる。
「でも、ラブホだってホテルでしょ? 一泊できるわけでしょ? それならあたし、泊まってみたい」
「えぇ!?」
思わず大声を上げてしまった。それはさすがに、さすがに、いけないのではないだろうか。
「……ねえマサキ、ラブホで一体何をしようっていうの?」
助手席から聞こえてきたのは、おもしろがるような声。
「それはこっちのセリフ。ラブホに泊まって何したいのよ」
「えー? いろいろ」
クスクス笑っている。




