万博記念公園:「歯、食いしばりなさい」
「マサキのバカ、間抜け!! 役立たず!!」
朝っぱらから玲蘭に全力で罵倒されてしまっている。言い返すすべはない。
お嬢様女子高に通う社長令嬢でも罵倒するときにはバカとか間抜けとか言うんだなぁ……などとどうでもいいことを考えつつ、真咲はグッタリと公園の芝生に横たわっている。
***
早朝、玲蘭に指定された場所はつくばエリアの科学万博記念公園。市内でもひときわヴァーチャルエラーが大きいこの公園の対処を、朝イチで済ませようと提案された。
駆除のあとに景色でも眺めながらのんびりと朝食を食べようということになったから、途中のコンビニでパンとお茶を買って、それから公園に到着。
「ホントに範囲広いわね……」
呑気に車を出て、公園エリアを見渡した。
ぽかぽか陽気だけど、公園には人っ子ひとりいない。それも当然だ。
広場やその周辺のオブジェ、芝生や木々なんかはほとんどデジタル化してしまっている。エラーはいつもの通りの極彩色。それらはときどき、白黒や黒緑のおかしなエラーに変化する。エラーの中には複数のバグがいるみたいだけど、色合いがビビッドすぎてうまく判別できない。
「車にいなさいって言ってるでしょ……」
可愛らしいワンピース姿の玲蘭が、虚空から長いステッキを取り出しつつ苦言を呈した。
そのときだった。
広範なエラーの中央あたりが、グニャリとおかしな形に歪んだ。
いや、違う。
ひと息遅れて気がついた。あれはバグだ。
そのフォルムは、古き良き怪獣映画の敵キャラを彷彿させる、やたら大きい蛾。人が手を広げたサイズよりもさらに巨大な蛾が、バサリと翼を羽ばたかせて飛び立ったのだ。
「ひぇ……」
赤青緑黃の極彩色模様をまとった蛾は、怖気づいてフリーズしてしまった真咲の方に一直線に飛んでくる。
︎︎そして、その翼で真咲の身体をバサリと1回、したたかに打った。
バグはあくまでヴァーチャルだから、ぶつかられたからといって痛みはない。
それでも、衝撃とともに真咲はドサリと芝生の上に倒された。その瞬間、言いようのない倦怠感に襲われる。
バグに触れると人の体力や気力はドッと失われる。立っていることすらままならず、グッタリと倒れ伏してしまうのだ。
「このバカっ!!」
罵倒が聞こえたけれど、なすすべもない。なにしろ身体に力が入らない。
海底にでも沈められてしまったかのようなえげつのないダルさに懸命に耐えるので精一杯。幸いにも、蛾の標的からは逃れられたようで、追撃は来なかった。あるいは玲蘭が早々に蛾を駆除してくれたのかもしれないけれど、ダルすぎて確かめることもできない。
それよりなにより、とにかくひたすらに眠い。
――朦朧とした意識のまま、どれくらい芝生に転がっていたのだろうか。
「起きなさいよ、この無能!」
罵倒の声にハッとする。
けだるさをこらえつつ、顔を軽く傾けた。オニのような形相の玲蘭と目が合った。
「マサキのバカ、間抜け!! 役立たず!!」
ひたすらに罵倒されている。……自身の『やらかし』になら、とっくに気付いている。自分は玲蘭の仕事をサポートするどころか、思いっきり邪魔をした。
「うぁ……ごめん……」
とにかく謝罪だ。だけど、喉がダルくてうまく話せない。エラー修復はもう終わったのだろうか。
玲蘭は地に転がったままの真咲を見下すようにじっと見たのち、フイと顔を背けて歩き去った。見捨てられたのだろうかと考えたら、ションボリとした気分になってしまった。とはいえ、ダルくて立ち上がることすらままならないから、追いすがることさえできない。
シュンとした気分のまましばらく地面に転がっていたら、頬にふわりと風が吹いた。視界が寒色の花柄で埋め尽くされる。玲蘭が真咲の隣にピクニックシートを敷いたのだと理解した。車から持ってきたのだろう。
「あのおっきいバグ食らったら回復しばらくかかるだろうから、気が済むまで地面に転がってたらいいわ。説教はそのあと」
玲蘭は真咲を見捨てず、隣で待ってくれるようだ。それは温情というより、運転できるのが真咲だけだから、見捨てようにも見捨てられないという事情なのだろうけれど。なにしろ、つくばエリアは車が必須の地域だから、玲蘭1人では遠くに移動することも叶わない。
ところで、真咲にはどうやらあとから説教が待っているらしい。気分がどんよりと沈んだ。
「コロッってこっち側に一回転くらい転がると、シートの上に寝られるけど」
そういう優しいことを言われたけれど、転がる気力もなかった。
「ん、いい」
自分には冷たい地面がお似合いだ。
しばらくウトウトしてしまったらしい。その間に玲蘭はパンとお茶で朝食を済ませたようだ。レジャーシートに座って何か本を読んでいる。
休んだらかなり回復したから、ようやくコロリと一回転して、シートの上に身を寄せた。
「……何読んでるの」
「ボードレール」
思いがけない作家の名前が返ってきて困惑した。その作家のことを真咲は何も知らない。どういうものを書く人なんだろうか。
「凄いの読むのね。おもしろいの?」
「普通」
よく分からないな、と思いつつ周囲を見渡した。ああ、太陽がてっぺんにいる。自分はどれだけの時間、ここでグッタリしていたのだろう。
腕にグッと力を入れて上半身を起こす。まだ頭がふらふらしている。ゆっくりと首を振る。首をぐるりと回す。伸びをする。……ダルさがなかなか抜けない。
「あたしが仕事するときには車にいろって昨日も言ったはずだけど」
玲蘭が本に栞を挟んでピクニックシートの上にポイと置いた。
「うん。弁解の余地もない……」
まだ声にダルさが残っている気がする。
「サポートをしに来たって言うなら、せめて邪魔はしないで」
説教と言っていたから覚悟はしていたつもりだけど、玲蘭はとにかくはっきりと物を言う。邪魔、というストレートなお叱りには、正直結構へこんでしまった。
なにしろ、おとといまで社長秘書をしていたのだから、サポート業務にはそれなりの自信がある。だけど、玲蘭についていくことになった昨日から、何をどうサポートしたらいいのかまったく分からないのだ。
それでも、来たからには何か仕事をしなければという気持ちでことにあたっていたのだけれど、毎回どうにも裏目に出てしまう。
「反省してる。ホントに」
いずれにしても、ここは謝罪一択だ。
「今後気をつけるから」
「反省も、今後気をつけるのも、当たり前」
それでもお嬢様の怒りは鎮まらない。
「歯、食いしばりなさい」
その一言で、何をされるのかが概ね予測できた。玲蘭が真咲の灰色のブラウスの胸元をグイと雑に引っつかむ。予測通りの行動だった。
「なぁに、頬引っ叩くの? それじゃご褒美じゃない」
やられっぱなしというのも癪だなと思ったら、つい挑発するような言葉が出てしまった。玲蘭が至近距離で、真咲をギッと睨む。
「言うようになったわね。順応性の高いこと」
晴れた空に、パァンと頬を打つ快音が響いた。
***
「いたた……」
頬を押さえつつ、ヨロヨロと車に向かう。
話が違うじゃないかとわめきたい気分だった。
玲蘭は真咲のことをドMと評した。そういう人にとって、頬を張られるのはご褒美と聞いたことがある。だけど、いざやられてみればただただ痛い。なにも嬉しくない。こんなもの、ご褒美なわけがない。
ところでもうお昼過ぎだ。さて、このタイムロスにどう対処すべきか。まだまだ頭は働かないけれど、この先のことを考えなければならない。
玲蘭は真咲が倒れている横でゆっくりと朝食を済ませたらしいけれど、真咲は朝から何も食べていない。さて、昼食をどうしようか……と考えたところで閃いた。
そうだ。玲蘭にあのテの店を提案したら、どんな反応をするだろうか。




