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ダブルベッド:「ねえ、マサキ。怖い?」

「私、レーラの髪乾かしたい」

 トライ・アンド・エラーは続く。どうにもこのお嬢様の正解が分からないから、「髪、乾かそうか?」じゃなくて、あえて「やりたい」というニュアンスで声をかけてみた。

 玲蘭はじーっと真咲の方を見てから「別にいいけど……」と答えた。どうやら悪くないアプローチだったに違いない。今後の参考にしよう。

 ダブルルームに備え付けのドライヤーで、じっくりゆっくり玲蘭の髪をブローしていく。あの安っぽいシャンプーを使ったというのに、さすがというべきか玲蘭の髪の手触りはそれなりに良好なままだった。


 ホテルの浴衣姿で大人しく座り、大浴場で買ってきたフルーツ牛乳を飲みつつ、玲蘭はヴァーチャルモニターを起動する。

「明日、午後から曇り……」

 この旅において天気のこまめなチェックは欠かせない。雨が降ればヴァーチャルエラー修復は難しくなる。まして磁気嵐なんて来てしまったら……。

「あ、明後日から明々後日(しあさって)、磁気嵐の警戒情報出てる」

「げ」

 モニターを覗き込んで、低いうめきを出してしまった。


「旅先の磁気嵐って、どう対処したらいいの?」

 乾きかけた玲蘭の髪を冷風でブローしつつ、考える。普段であれば、建物内にこもってやり過ごすのだけど。

「ホテル連泊取るとかして、大人しくしておくしかないんじゃない?」

 玲蘭が肩を軽くすくめた。

「磁気嵐来ると、エラーの情勢も変わっちゃうんだよね」

「そうね……」

 磁気嵐とヴァーチャルエラーには密接な関係がある。嵐がもたらすエネルギーによってエラーは活性化し、どんどんと広がっていくのだ。

 既にエラーを起こしている場所が拡大するだけではない。これまでエラーがなかった場所に新たなエラーが起きるケースも多い。

 せっかく玲蘭があちこちのエラーをやっつけても、ひとたび磁気嵐が来ればまたやるべき仕事が増えてしまう。

「まあ、警戒しておくに越したことはないね……」

 玲蘭はそう言いながら、フルーツ牛乳を飲み干した。


 ***


 1日運転して、いくつかの観光地を巡った。正直、かなり疲れが溜まっている。

 それに気疲れも大きい。玲蘭は意に沿わないことがあるとすぐに機嫌を悪くしてしまうから、なんとなく緊張しながら一日を過ごすことになってしまった。


 部屋の入口付近の小さなフットライトだけを点灯させ、部屋の灯りを消す。フットライトの光は部屋全体に及ぶことはなく、周囲はほとんど真っ暗になった。


「マサキ、おいで」

 電気を消した瞬間、玲蘭がそんな風に声をかけてきた。

「ん……」

 口の中で小さく返事をしながらスルリとベッドに潜り込む。ダブルベッドの部屋は2人の距離が近くて、意識したらドギマギとした気持ちになってしまった。

(新婚旅行ってこんな感じなのかな)

 そんな変なことを考えたりもする。


 この状況で黙って眠ってしまっていいものか、と考えていたら、小さな声が聞こえた。

「ね、抱きしめてよ」

 どうやら触れてもいいらしい。ちょうど、なんとなく人恋しい気分になっていた。

 おそるおそる手を伸ばす。近くに寄って、優しく肩を抱いた。腕の中に抱き寄せた玲蘭は結構温かくて、かなり柔らかかった。

 背中に触れた感触から推測するに、浴衣の中は素肌な気がする。就寝用の下着は着けない派なのか……などとひっそり考える。

「一緒にお風呂に入ると、同じ匂いになるのね」

 玲蘭がそんなことを言った。なんだかすごく嬉しそうだった。


「ふふ」

 玲蘭のかすかな笑い声。その声にいたずらっぽい響きが混じっているような気がした。温かい布団の中で手放しかけた警戒心を慌てて取り戻そうとしたけれど……遅かった。

「ひゃ……!」

 変な声が漏れてしまったのは仕方ないと思う。だって、玲蘭に急に太ももをつかまれたのだから。

「な、やっ、やめ……くすぐったい……」

 反応を楽しむように、玲蘭は真咲の太ももを好き勝手に撫で回している。浴衣のすそも、はだけさせられてしまった。


 部屋が真っ暗なのに、なぜか玲蘭の表情が手に取るように分かった。いたずらを心底楽しんでいる表情だった。

 だめだ、おかしな声を出したら変な雰囲気になってしまう。そう思って声を我慢しようとした。だけど、くすぐったさには耐えられない。

「ん……ちょっと……だめ」

「やらしー声出すんだから。単なるマッサージよ」

 そんなことを言っているけれど、玲蘭の手は止まらない。

「運転したり歩いたり、疲れたかなーと思って」

「んっ……や、だいじょ、ぶ、だから……」

 ああ、また頭がクラクラしてきた。玲蘭に何かされると、妙にフワフワとした気分になってしまう。自分はやっぱり頭がおかしいのかもしれない。

 足を触られているだけだ。いやらしいことじゃない。そう自分の心に言い聞かせるけれど、体が勝手に反応してしまう。


「マサキの声っていいな。綺麗で、ハリがあってさ」

「な、なにそれ……」

「ずっと聞いていたくなっちゃう。ねえマサキ、今嬉しそうな顔してる」

 妙なことを言うから反論した。

「真っ暗で見えないでしょ」

「見える」

 だけど、玲蘭は自信満々に言い切った。


 違う。喜んでいるのは玲蘭の方じゃないか。そう反論したかったけれど、止めておくことにした。

「……ん……あっ」

 代わりに、玲蘭の耳の近くで少し甘い声を出してやる。

「気持ちいいんだ?」

「ん……そんなこと……な……」

 玲蘭を喜ばせるために、吐息混じりの声で答える。少し甘ったるい声を耳元で聞かせておけば、玲蘭の機嫌を損ねることはなさそうだ。

 この声を褒めた玲蘭が悪い。勝手に声が出てしまうだけなのだから、私はまったくおかしくない。


 5分ほどもそうしていただろうか。玲蘭はやっと真咲の足を触るのを止めてくれた。飽きたのか、それとも眠くなったのかは分からない。

「ねえ、マサキ。怖い?」

 ベッドの中の暗闇で、そんなことを尋ねられた。

 何に対して『怖い?』と聞かれたのだろうと逡巡しゅんじゅんする。

 太ももを触られること、ではないはずだ。命令されること、でもないのだろう。

 この夜のことだろうか、この旅行のことなのだろうか。立場が違う2人の関係性のことだろうか。

 あるいは、仕事と地位を失うことがほぼ確定している自分の、この先の人生のことを言っているのかもしれない。


「怖くは……ない」

 気付いたら、そう答えていた。

「むしろ、ホッとするというか、安心する」

「何が?」

 玲蘭を腕の中に招き入れ、もう一度グッと抱きしめた。

「分かんない」

 人を抱きしめると精神的に安定するらしい。そういうことを、真咲は今日初めて知った。

 触れているうちに、ゆるゆると眠気が落ちてくる。


 それにしても、今日の一日は一体何だったのだろう。

 秘書業務に忙殺されていた昨日までの人生とは比べ物にならない。こんな今日が来るなんて、つゆほども思わなかった。

 なんだかたった一日で、人として軌道修正ができない境地にまでたどり着いてしまったような気がする。


 それでも、柔らかい玲蘭に触れている今の瞬間は、幸福と呼んでしまってもいいように思えた。

 色々と思うところはある。明日からのことを考えれば、かなり前途多難だ。

 それでも、とにかく『構わない』と考えることにした。

……どうせ、後戻りはできないのだから。


 急に、玲蘭にキスしたくなった。

 キスしてもいいか尋ねようと思ったけれど、そんなことをしたらきっと玲蘭は『無粋だ』とか言って怒るに違いない。

 どうせ怒られるのなら、勝手に唇を奪ってやろうと思った。


 玲蘭の髪に触れる。絹みたいな髪はすべすべで、触り心地がいい。彼女は抵抗せず、されるがままになっていてくれた。

 しばらくその髪を撫でたあと、ゆっくりと唇を重ねた。

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