第140話:明日晴れるかな(深夜のメロディと、報われる夜)
深夜三時。第801支店の裏口で、ケニーは夜空を見上げていた。
先ほど、夜の闇を縫って到着した配送馬車の荷下ろしが無事に終わり、店内の棚は溢れんばかりの商品で満たされている。物流という「動脈」を守り抜いた静かな喜びに浸りながら、ケニーは缶コーヒーのプルタブを開けた。
1. 異世界の空に溶けるメロディ
冷たい夜風が頬を撫でる。ふと、ケニーの口から、前世からずっと心に棲み着いているメロディが、静かなハミングとなってこぼれ落ちた。
桑田佳祐の『明日晴れるかな』。
数え切れないほどの夜、レジ締めを終えた後の疲れた体で、あるいは発注の数字に頭を抱えながら、自分を奮い立たせるために何度も口ずさんだ曲だ。かつての輝ける日々を想いながらも、明日への希望を捨てまいとするあのメロディが、疲れた心に染み渡っていく。
2. 49歳の「弱音」
ここまで、文字通り命を削って走ってきた。異世界に転生してまで、24時間365日のインフラ作りに己を捧げている。物流のシステムは回り出し、民衆からは感謝されている。
だが、経営者という生き物は、いつだって孤独だ。
(……俺だって、たまには励まされたいさ)
誰かに「よくやっている」と肩を叩いてほしい。自分の歩んできた道が間違っていなかったと、手放しで褒められたい。強がって「うまくいく」と自己暗示をかけても、ふとした瞬間に、誰かに甘えたくなるような寂しさが湧き上がってくる。
「……明日、晴れるかな……」
曲のタイトルそのままの、ため息のような呟きが、異世界の星空に吸い込まれていく。
3. 時空を越えた「承認」
「……オーナー。その曲、桑田佳祐ですよね?」
背後から声がして、ケニーはビクッと肩を揺らした。バックルームから出てきたショウが、懐かしいものを見るような目で立っていた。
「……お前、知ってるのか」
「当たり前じゃないですか。親父が、いつも車の中で流してました。……夜勤明けで疲れて帰ってくる時、いっつもこの曲を鼻歌で歌ってて」
ショウはケニーの隣に並び、同じように夜空を見上げた。
「親父、よく言ってたんです。『うちのオーナーはすげえ人だ。一番重い責任を背負って、一番働いてる。俺はあの人を尊敬してる』って」
その言葉に、ケニーは息を呑んだ。
4. 前へ進むのみ
「僕、この世界に来て、オーナーの下で働かせてもらって……親父の言ってた意味が、やっと分かりました。あの物流の仕組み、客への思い。……オーナー、本当にすごいです。僕も、オーナーみたいになりたいです」
静かな夜の裏路地。教え子の息子から投げかけられたその言葉は、ケニーが一番欲しかった「承認」だった。神からの称賛でも、国王からの勲章でもない。共に現場で汗を流した仲間の家族からの、心からの敬意。
「……バカ野郎。俺みたいになったら、休みがなくて苦労するぞ」
ケニーは、目頭が熱くなるのを誤魔化すように、わざとぶっきらぼうに背を向けた。
「休憩終わりだ。店内をモップ掛けしてこい」
「はいっ!」
元気に店へ戻っていくショウの背中を見送りながら、ケニーはもう一度、空を見上げた。
心の奥底に澱んでいた疲労と寂しさが、温かい波に洗われて消えていくのを感じる。
認めてくれる者は、ちゃんといた。過去の自分が積んだ「徳」が、巡り巡って、一番辛い夜に自分を救ってくれたのだ。
「……よし。前へ進むのみ、だな」
49歳の経営者は、空になった缶コーヒーをゴミ箱へ放り投げ、24時間輝き続ける自分の城へと、力強い足取りで戻っていった。
明日はきっと、晴れる。




