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初任務

人種差別があります。不快に感じる方はご注意ください。



「―リフィア」

「…」

ゆっくりと目を覚ますとリンがこちらを覗き込んでいた。

「おはよう、今日は任務だから早く起こしたよ」

「…おまえはもうしたくができているのか」

「うん!」

体を起こしてリンを見やるとリンは昨日と違う漆黒の軍服に身を包んでいた。これは本来のⅫ騎士団の制服ではない。本来のⅫ騎士団の制服とは、正義を表す純白の軍服。しかし今は例外でこれもⅫ騎士団の制服となっている。

リンは東洋出身。俺が連れてきた、今は無き、東洋から。

東洋は極東にあった国々を言う、元はそれぞれに名前がついていたらしいが、『イーストショック』が起きる少し前に統合したらしい。…差別用語では『オリエント』とも言う。東洋は昔世界転覆を狙った核武装を秘密裏に行っていた。それが発覚した後でも連合国側は武力解決を良しとせず何度も話し合いの場を設けたのだが東洋諸国は軒並み欠席。そうして始まった戦いも双方核を警戒しながら進められたため長期戦化、東洋は永い沈黙の末起きた内部紛争で自滅した、『イーストショック』とは主にその流れをいう。

俺とシエラは東洋が滅んで放置された土地を活用するための開発計画を立てるための視察船に同乗していた。ずいぶん昔に滅びた国、誰一人生存者はいない、と思っていた。シエラが森に行きたいと言ったのでシエラを連れて森へ行った。その森は内戦で滅んだ国とは思えないほど美しかった。しばし歩くと少し開けた場所についた。そこには小さな建物があった。とても人が住めそうな場所ではないその扉を開くとそこには一切れの紙が大事そうに飾られていた。ただの紙ではないのか、それはまだ黄ばみもなく自分の所持している紙と比べても遜色ないほどの新鮮さを保っていた。

「リフィア?」

「―ん?ああ…わかった、じゅんびしようか」

まあ取り敢えずそこで会ったのがリンだ。まあつまり何を言いたいかというとリンはその東洋出身者だ。東洋はその国の歴史から王国民からすれば忌むべき国でありストレートに言えば差別対象だ。黒髪、黒または茶色の目、黄色の肌。東洋の言葉「オリエンタルランゲージ」。どれか一つでも当てはまるようならば白い目で見られる。だから西洋人の中でも黒髪の者は幼少期から染めることが暗黙の了解になっている。リンにも昔から染めろと言っているがリンはなぜか頑なに受け入れなかった。

「リンはそめないのか」

「また?何度言われても染めないよ。それに、ギアだって黒髪だったじゃないか」

「おれはそのほうがつごうがよかったからしていただけだ。だがおまえはそんなかっこうじゃふりえきしかうまないだろ」

「最後は実力勝負なんだから構わないじゃない」

「…はあ、おまえがそれでいいとおもっているのならおれはかまわないが」

「心配してくれて有難う、リフィア」

「……はぁ」

そう言うことではないだろう。まあ、もうお気づきだろうがこの黒い軍服はリンがⅫ騎士団になってから採用された、東洋出身者専用の制服だ。Ⅻ騎士団の東洋人はリン一人だからリン専用に作られたものだが、よくやるものだ。

リンには俺の使用人になる過程でこの国の市民権を獲得させ服従を誓わせたがそれでも準王国民という位置づけだった。この黒い服は、表向きは「特別待遇」だが本音を言わせれば「区別」だろう。リンは陰ではこう呼ばれている、「死神」と。

髪も服も闇の中でも際立つほど黒いのになぜかリンの肌は俺たちよりも白く透き通っている。瞳は金塊すら目が眩むであろう黄金色で、少量の光であらゆる宝石よりも輝く。その歪さが余計そう言う者達を誘発させたのだろう。


「よし、じゅんびができたぞ」

「じゃあご飯を食べよう!」

今日のご飯はリンゴのコンポートだった。程よい甘さで、思わず笑みがこぼれる。これも子供になった影響だろうか。甘いものが美味しく感じる。

「「ごちそうさまでした」」

「今日はセドルさんと一緒の任務だから僕は30分前には行かないと。リフィアは普通に来たらいいよ」

「いや、いっしょにいこう。ひとりでいるのはつまらない」

「そう?」


廊下を歩いて王宮の連中とすれ違っていると今のリンの王宮内での立ち位置がよく分かる。まあ限りなく不可に近い可という所か。これでも最初はひどい状況だったのだろうから本当に苦労をさせたと思う。たった一年で大人びたのは俺が小さくなったからだけではないのだろう。

「それにしても、セドルか…」

「どうしたの?」

「あいつはとくにそういうけがあるからな…だいいち、なぜひとりで―」

ああ、そうか。

「…ほんとう、めんどうだな」

「?」



「よぉ猿。ご機嫌麗しいか?」

一時間ほど待たされて、大出を振ってⅫ騎士団が一人巨蟹宮のジーリア=セドル=キャンサーがやってきた。奴は王族なのだが、Ⅻ騎士団に所属している。両側には奴の妻である女が二人そろってジーリアに沿うように歩いている。王族には妻が何人もいる奴などは珍しい光景ではない。

「おはようございます、セドルさん」

「―おい、聞き間違えか?今、「さん」って言ったか…?」

「はい…」

「貴様、あまり僕をなめるなよ!!セドル「さま」だ!ああくそ、下等生物と同じ地位にいるってだけで不愉快極まりないと言うのに…何でお守役なんか……」

セドルは歯ぎしりをして恨めしそうにこちらを見ている。相変わらず小物臭いところは昔から変わらない。思わず吹き出しそうになるのをこらえていたが、ばれてしまったようだ。

「おいお前、何を笑っている…」

「…ふかいなきもちにさせたのならばすみません、あまりにもセドルさまがこっけいだったもので」

「何だと餓鬼!」

「じゅうにきしだんのいっちゅうといわれるからにはどのようなものかとおもっていましたが―きょかいきゅうのながなきますね」

「貴様…」

「―セドル様、ここは私が」

「いいえ!私がやりますわ!セドル様を馬鹿にするなんて…ぶっ殺す!」

「さすがるいはともをよぶというべきか…」

「リフィア!」

(おまえはだまっていろ。それより―)

(…?)

「いいですよ?かかってきても。そのかわり、さいばんでとわれるのはどちらなのでしょうかね。むくなしょうじょか、それともいたいけなしょうじょでもようしゃなくおそいかかったやばんじんどもか」

「…っ!」

「そんなの!猿の方が不利に決まっているだろう!!」

「どうでしょうか?わたしはさるではありませんし、これはわたしがふかいにおもったからおこしたこうどうですのではくようきゅうはかんけいありませんわ」

「セドル様…!」

「ちっ、どいつもこいつも…不愉快だ!おい猿!お前を任務になんて行かせてやらないからな。許可証は正規のⅫ騎士団である俺たちしかもっていないんだ、任務の無断欠席は大罪だ!お前も終わりだ!!今のうちに荷物をまとめておけよ、ははは!!」

セドルは許可証と言いながら何かの紙を見せびらかしてきた。即座に俺は思いっきりセドルに突進した。

「うわぁっ!」

セドルの鍛えられていない貧弱な体は俺のタックルであえなくバランスを崩した。紙切れが床にはらりと落ちた。

それをリンが拾おうとすると―

「セドル様の物に触らないで!」

素早く先手を取られた。リンの手は空振りで地面に着いた。

「セドル様!汚らわしい猿が触ろうとしていたので取り上げました!」

「そうか、よくやったルナ。流石俺の嫁だ」

「やったぁ!」

「ひどいわセドル様!私だってセドル様のお嫁さんなのに!!」

「おいおい、落ち着けサン。お前だって大切な俺の嫁だ」

「もう、焦らすんだから…」


「……」

セドル一行が完全に去るまで見送った後、俺は口を開く。

「…リン、やったか?」

「……うん」

そう、俺たちはただ単に喧嘩を吹っ掛けたかったわけではない。全てはこのためだ。

「許可証、すり替えられたみたい」

リンには黙らせた時に許可証に良く似たサイズの紙きれを手渡しておいた。そこからはリンに察してもらうしかなかったが、うまくいってよかった。

「良かったのかな、こんなことして…」

「あいつらはあれがきょかしょうだとかってにはんだんしてかってにどこかへいってしまったのだ。もんだいない、おれたちはただ、だれのかわからないきょかしょうをひろっただけだ。そうだろ?…だいたい、こんないっかいのしょうじょがじゅうにきしだんをうったえられるわけないだろうが、ばかが。きぞくならほうのちしきぐらいそなえておけ」

「…リフィアは凄いね……」

これくらいは当然だろうが。

「だいいち、おまえもあれだけいわれてなんともおもわんのか?」

「んー……あっ!セドルさん僕を猿って言ったり下等生物って言ったり、猿が下等生物みたいじゃないか…猿に失礼だ!」

馬鹿がもう一人いた。



「もんばんのおじちゃん、きょかしょうあるよ。そとにでてもいいよね!」

「あ…?って、白羊宮の…!…申し訳ありませんが貴方様お一人での外出は許可されていません。どこで見つけてきたのですか全く…返してください」

「おにいさん、でもきょかいきゅうのおにいさんがくれたんだよ?」

「え!セドル様が……」

「あのおにいさんわたしたちといっしょににんむしたくないって!だからかってにしろっていわれたの!」

「む…」

「でもいかなかったらセドルさまのしっぱいになっちゃう、だからいかなきゃいけないの」

「……」

「だめ…?」

「むぅ…しかしだな……」

「セドルさまのためをおもっていっているのに!」

「むう……!」


「―どうぞ、お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「おじちゃんありがとー!」

俺たちはとうとう二人で王宮を出ることに成功した。ちょろいものだ、あの程度の輩は上のことを思っている体をアピールすれば大抵通じる。実際はセドルが任務を失敗したくらいじゃ何も起こらないしセドル自身すら何も気にしないだろう。

「僕だけで出るの…初めてだ……」

「おれにかかればこんなものだな。さて、にんむはなんだ」

「港町に逃げ込んだ犬探しかな。食材が置いてある場所だから困っているらしい」

「…それだけか?」

「うん」

「くそ、おうきゅうないでのあつかいにもしや…とはおもっていたがほんとうにひどいな。こんなかすみたいないらいでどうやってちいをあげるか……」

「取り敢えず僕行くよ」

「あっ、ちょっとまて―」

リンがどんどん離れていく。あいつ、足速すぎだろ。

「リン!」

「…何?」

「おまえ、あしはやいぞ!」

「えっ、ごめん!」

リンは走って戻ってきた。

「どうしよう…」

「おぶってくれ。いっしょにはしろうにもおれはおそすぎる。あとだっこされたらねむくなる」

「分かった!」

リンが背中を見せてしゃがむので俺はその背中に飛び乗る。それを確認するとリンはビュン、と歩き出した。

…やっぱり速い。



「すみません、この辺に野良犬が出ていると聞いてやってきました」

「ああ…Ⅻ騎士団の……そうなのですよ、ここは食べ物を売っている場所なので、出来れば駆除していただきたくて…こちらになります」

見せられた写真には、テントをゆうに越した大犬が移っていた。

「これがのらいぬ…!?」

「だから困ってんですよ、とにかくこいつを何とかしてもらわねえと安心して商売ができません」

「…分かりました。何とかしましょう」

「最近出てくるようになったんです。2,3ヵ月前位…でしょうか」

「現れる時期などは決まっているのでしょうか」

「いいや、すべて不定期なんです。だから余計困ってるんですよ」

「分かりました。では今日からここで見張ります」

「助かります…」


「…おい、ということはおおいぬがみつかるまでおうきゅうにもどらないつもりか?」

「そうなるかな」

「そこまでしなくともいいだろう、さわぎがおきたらかけつければいい」

「そう言われてもそれが依頼内容だから…」

「なにっ!?」

リンの持っている依頼書を見ると確かに、終了期日未定。宿泊希望。と書いてある。…セドル、本当にただ面倒だったのかもしれないな。自分でもやりたくない仕事を取るな!まったく…。

依頼書を返そうとするとリンが財布からお金を出していた。

「?…なんのかねだ」

「宿泊費だよ?」

「はあ!?しゅくはくひはしきゅうじゃないのか!」

「みたい」

「…「ただかねをおとしていってほしい」といらいないようにかかれていなかったか?」

「そんなこと書かれていなかったよ?」

「ばか、じょうだんでいっているにきまっているだろう」

「そうなの?」

「…はあ、ホテルはどこなんだ」

「ここだよ」

「……むだにかねをとりそうなほてるだな」

「Ⅻ騎士団の方がこられるからってここらで一番高いホテルに泊まってほしいんだって」

「やっぱりかねづるにされているのではないか!?それ…!」

やはり早くリンは世間に認められる必要がある。あと早く大戌とやらに出てきてもらう必要がある。



「…おい。ここは……」

「?」

依頼主の言っている一番高いホテルとは…いわゆるそういう系のホテルだった。

そうだな、一番高いホテル、セドル……成程、依頼主はいたって真面目に答えたわけだったのか。なんて、そんなことが分かっても全然嬉しくない。まあ、リンが足元を見られているわけではないとわかっただけいいか。

「こんばんは、今日ここで―」

「まてまてまて!」

今にもチェックインしようとするリンを店内から引きずり出す。正気かこいつ…。

「どうしたの?」

「どうしたのって、おまえ…はいるきなのか!?」

「だってここしかとってないって。王宮みたいな外観で、キラキラして、豪華そうだよ?駄目?」

「おまえこのホテルのいみをわかっていっているのか……!?」

「?」

駄目だこいつ、俺が拒絶している意味を分かっていない。確かに色事の一つも聞かないやつだとは思っていたがこれほどまでとは……ん?

「―まさか」

リンの手を取ってホテルの方へと引っ張る。わざとらしく大声を上げた。

「ねえリン!わたしもうおなかへっちゃった!!はやくはいろうよ!!」

「やっぱり?よかった!早く入ろうか」

(ばか!おれをおぶってはやくこのみせのまえからされ!!)

「え?」

「やだ!おなかへってうごけない!」

「…だ、駄目だよ、おぶってあげるから別のレストランに行こう」

「うー…!なるべくはやくね!!」

ぽかぽか、とリンを殴っておいて二人でその場を離れた。ホテルが完全に見えなくなったころ、リンが口を開いた。

「どうしたの?突然」

「…たぶん、きしゃがあそこにいた」

「そうなの?」

「おまえのスキャンダルまちだろ、おまえのはとくにうれるだろうな」

特に齢一歳の少女をそういうホテルに連れ込んだとなればな。

大方、セドルあたりが情報を流したのだろう。

「はあ…ほんとうにはらがへってきたな。ほんとうにほかにしゅくはくばしょはないのか?」

「うん。ここら辺はよく満室になるんだって」

「はくようきゅうがのじゅくをするわけにもいかないしな…イメージてきに」

「別にいいけど」

「せけんのイメージてきにはアウトなんだ」

「あっ、じゃあ…」

「?」


「ここで見張りながら、寝泊まりさせてもらおうか!」

たどり着いたのは市場だった。確かに、食事を食べるためのベンチが並んでいる。

「……まあ、セーフ…なのか?」

「ここに座ろうか!」

「なんでたのしそうなんだ…」

「実はね、リフィアの分のご飯あるんだ!」

「…ほんとうか、やけによういがいいじゃないか」

そういって懐から出したのは離乳食の缶詰だった。

「ちゃんと人肌に温めておいたよ!本当は、リフィアは手作りの物の方がいいかと思ったけど朝昼晩ちゃんと食べなきゃ体に悪いからね」

「おまえはくわないのか」

「僕は大人だからね!」

「…」

リンは缶を開けると持ってきていたスプーンをこちらへよこす。

「ふん、いらないきをつかうんじゃない」

俺は席からおりるとリンの膝の上に移動した。

「それにベンチはつめたい。スカートなんてものをはかされたからな」

「あはは、言えてる」

「ほら、おまえもたべろ」

スプーンでリンの口元へもっていくと素直に食べた。

最初から素直にそうしていればいいんだ。

「これ美味しい!」

「みせのうりものだから、それなりにはつくってあるだろ」

俺も一口含む、としたがなんか変なにおいがした。嫌な香りではないのだが。何か嗅いだことのある…。

「おいリン、これどこでかったんだ」

「買ってないよ、貰ったの」

「もらった…?だれに?」

「……に―」

「っおい!」

急にリンが覆いかぶさってきた、と思えば穏やかな寝息を立てだした。

「…リン、おきろ。うごけないぞ」

流石に身動きが取れないので後ろ手で小突く、が反応はない。

「リン!」

次は足で蹴ってみる。だが一向に起きる気配はない。

「……はあ。まあいいが」

細身なリンはそんなに重くない。別に体重をかけられようとかまわないのだが。この姿勢が辛い、リンが突然倒れてきてリンは机に突っ伏したが俺の体はそのまま潰されて折りたたまれている。一歳児の体が柔らかくてよかった。

「ふんっ」

机に手をついて思いっきり力を込めて起き上がる。リンの体はゆっくりと持ち上がった。

そのまま起き上がると、リンの体は不意に俺から離れた。

リンの方を見ると背もたれに体を預けて完全に寝ているようだ。鼻をつまんでみる。が、起きない。口もふさいでみる。

それでも起きる気配どころが動くこともない。こいつ死んだのでは?と思ったが胸は上下にテンポよく動いている。

「…なんでおまえのほうがさきにねるんだ、といっても。おそらくこれのせいか」

恐らく缶詰には睡眠薬が混ぜられていたのだろう。大方、セドルにでも渡されたか。これだけ強力な物なら任務中にでも口にしようものなら欠勤間違いなしだからな。

こうした睡眠薬は毒物として王族の俺たちの所にもよく回ってきていた。何事もやはり経験しておくことが大事だな。これだけ強力なものになると王族クラスでしか手に入れられない。市民に私怨で入れられる代物ではないからまあ安心した。

「おまえがさきにねてどうする」

もういっそのこと俺も缶詰を食べるか?…いや、確かこれは強力すぎるから幼児が摂取してはいけないのだったか。

「ふん…ひまだな」

「?」

ふと、獣の声が聞こえた。声の元を探すが、何もいない。

「…!」

いや、いる。そこに。目の前の闇がゆらりとうごめいた。

≪グルルルル…≫

「おおいぬ…」

ビシ。ビシ、と地面のタイルからきしんだ音が鳴る。

「リン…!」

俺一人では勝てない。リンを強く揺さぶるがいまだ起きる気配はない。

≪ウオォオオォオオォォォ!!≫

轟音が鳴り響く。木々や地面がごうごうと揺れる。思わず耳を塞ぐ。

「どうする…どうすれば……」

リンは阿保みたいに眠りこけている。こんな時にどんな神経の持ち主なんだ。主のピンチだ気合で起きろ!

…リンは寝ている、睡眠薬を飲んだから。これだけ強力な睡眠薬を……。そうだ!

「そんなにたべたければ、これでもくらうがいい!!」

大声を出すと大犬はこちらに気づいたようでこちらを向いた。まだだ、まだ待て。

≪ウウゥ…≫

大犬はぼたぼたとその唾液を地面に落としている。

≪ウガアアァァアアアァァァアアァァ!!≫

食いかかってきた。今だ―!

思いっきり振り被って奴の口に目掛けて投げた。奴はそのままの勢いで突っ込んで来たのでリンを連れて慌てて横に飛んだ。

残された机は無残に砕け散った。

「…」

大犬は俺を食らったと思っているのか何度も口の中で咀嚼を繰り返している。しかし、突然その動きが止まった。

≪グオオォォォォオオオォォ……!≫

大犬がふらついている、どうやらあの薬は人間のみならず、動物でも聞くようだ。

≪ウオオオォォォォオォォオ…≫

大犬は苦しそうにうめいている。…少しやりすぎたかもしれない。例の睡眠薬の説明を思い出していた。

永久保存用…。



「これはとても強力な睡眠薬です。効き始める時間は人によってバラバラですが、効果は誰でもそんなに変わりません」

「一度眠ってしまえば一日はどんなことをしても起きないと言われています。噂では、殺されるまで起きなかったという位です」

「…恐ろしいな」

「でも、効果が出る時間がまちまちってことは…もし気づかずに大量に摂取してしまったらどうなるのですか?」

「良い質問ですね、シエラ様。その場合は、生きる死体になると言われています」

「生きる死体?」

「呼吸はしていますが、もう二度と意識は戻りません。生きながらに、死ぬのです」

「……恐ろしいな」

「はい!お二人は間違っても接種なさらないように、気を付けてくださいね?」



「…おおいぬのげんどがどれくらいかはしらないが。もしそうだったのなら―」

≪グルルル……キュウウン…≫

「……」

ぐらりと揺らめき地面に横たわった大犬からはその容貌からは想像できない弱弱しい声で鳴いた。俺はその眼を見つめ返すことしかできなかった。俺にできるのはこれくらいしかなかったからだ。

すると、ふと大犬の見ている方向が俺の後方だということに気づいた。

「おまえ……めざめていたのか」

振り向くと、そこにはリンが立っていた。リンは俺の呼びかけには答えなかった。

「大丈夫―」

リンが横を通って気付く、リン、か?何よりも、今リンは俺の横を通って行ったのか?

足音が、なかった。

≪キュウゥゥウン……≫

「今助ける、目を閉じて……」

大犬はリンに触れられるとふっ、と安心したように目を閉じた。しばらくすると、大戌はぱっと目を開き、起き上がった。思わず身構えた俺をしり目に、大犬はリンの周りをぴょんぴょんと嬉しそうに飛んでいる。リンもそれをほほえましそうに見ている。

「リン…?」

「……」

「リン!」

「……―リフィア」

リンが俺に気づくと大犬はこちらを見て威嚇してきた。まあ、俺があんな状態にさせたのだから仕方がない。それにしても…だ。

「おまえは、リンか?」

「……?僕はリンだよ、何、どうしたの?」

「いや…さっきのいんしょうがだいぶんちがってみえてな……」

「…そ、そうだね。僕もよく分からないけど……なんか、守らなきゃ。って思って…ていうか、凄くねむ―」

「お、おい!」

大犬がリンを支えた。おかげで地面に頭を打たずに済んだ。

「きょうりょくすぎるな、このすいみんやく……」

大犬は心配そうにリンの顔をぺろぺろと舐めている。

「…おおいぬ、さきほどはすまなかった。そいつをあんぜんなばしょへつれていきたい、きょうりょくしてくれないか」

大犬は言葉が通じているのか通じていないのか。しかし深奥を覗くように研ぎ澄まされた眼は俺を射抜いている。

やがて、了解の印か。頭を垂れた。

「りょうしょうとうけとっていいのか、ならば、リンをこのこうえんのおくまではこんできてくれ」

大犬はリンの服の背を甘噛みし、ゆっくりとこちらへ連れてきた。丁度親猫が子猫を連れてくるときのような感じだ。まあ、犬だがな。


「ゆっくりおろしてやってくれ」

芝生の上にリンが下ろされる。これだけしていてもリンは起きなかった。

「ほんとうに、よくねているな」

俺も隣に座る。大犬はリンの頭から囲むように座り、リンの体の上に尾を預けている。

「ここならだれもこないだろう。リンがおきるまでねていよう…ひとくちしかたべていないしさきほどもめをさましたくらいだからすぐおきる…」

≪クゥン…≫

そう言えばもう真夜中を迎えている、そう思ってリンの手を握っていると、やがて意識は途切れた。



「…」

次の日、俺は自然に起きた。時計を見てみるとお昼頃になっていた。

「…リン?」

リンはまだ隣で寝ていた。大犬が心配そうに見つめている。

「…まだおきないのか」

一体一口どれだけの量の薬を盛られていたんだ。まあセドルのやることだからいい加減で当たり前か。

「おれはほうこくにいってくる、リンをたのむ」

大犬はこちらを向かなかったが、両省の合図か尻尾を揺らした。


「あっ、Ⅻ騎士団の…方は何処へ?」

「だいりできました。アリエスさまはいまつかまえたおおいぬをごそうしております。ここにのこされたつめとあらされていないこのいちばがしょうこです」

「成程…いやあ、凄いですね!まさか本当にできるなど……とにかく、有難うございました!」

「こちらこそ、またのごいらいおまちしております」



公園の奥に戻ると、リンが居なかった。

「…っリン、どこだ!」

「―あ、リフィア。報告どうだった?」

≪ガウッ≫

がさっ、と。大犬を連れたリンが茂みの奥から出てきた。

「ありがとう、タロウ」

リンが撫でてやると大犬は満足そうに目を細め、身をかがめた。

リンは、何事もなかったかのように笑った。

「僕ずっと寝ていたらしいね…ごめん、苦労させて」

そういうと肩を落としたリンはひどく懐かしく思えた。そして俺は気づけばリンを抱きしめていた。

「…ばかが……」

「……うん」

リンは俺を抱きかかえるとぎゅ、と抱きしめ返した。

リンが目を覚まして、本当に良かった。


「…タロウとはなんだ」

「この子の名前!格好いいでしょ」

「……おまえのセンスはよくわからん」

「―と、いうよりそいつおうきゅうまでつれていくのか?」

「どうしよう…でも、連れていきたいなぁ。ねえタロウ、小さくなれない?」

「いや、むりだろ…」

≪バウッ≫

タロウが一鳴きすると、見る見るうちにタロウの体は縮んで、普通の犬より少し小さいくらいのサイズになった。

「うそだろ…」

「わっ、太朗凄い!」

≪ワンッ≫

「ねえリフィア!この大きさなら連れて行っても大丈夫だよね!!」

「……いいんじゃないか」

もう、面倒くさい。とにかく今はベッドで眠りたい気分だ。

「…あ、もしかしてリフィア眠くなってる?」

「わかるか…はやくかえるぞ……」

「うん!…あ、太朗も―って、うわっ、ひゃっ!」

太朗はさらに手ごろなサイズになってリンの体を駆け上ってリンの首筋から制服の内部へと侵入したようだ。確かに、そこが一番人肌に近く心地よいかもしれない。俺も小さかったらよかったのだが…。

ぼーっとそんなことを考えているといつものようにリンに抱き上げられた。

「た、太朗…あまり動かな…ひっ。くすぐったいから……ふぅ」

「おちついたか…」

「うん…じゃあ、王宮に戻ろうか」

「ああ、そうしてくれ……」

リンの温かさに包まれているとやはり眠くなってしまう、意識が遠のいていく―



…ここは、どこだ?テンポよく上下に揺られている。うっすらと瞼を開くと見慣れた金糸が目に入る。

「ちょっと…寝ているから触らないで……」

「えー!良いだろ、ちょっとくらい!減る物じゃないし」

「触ったら起こしちゃうから…」

そうか、まだリンは寝室に到着していないのか。誰かと話しているようだが、眠気の方が強くて瞼がうまく動かない。

「…あ、そう言えば前くれた離乳食、僕も食べちゃったけど……あれ美味しかった」

「いや何離乳食をお前が食べてんだよ駄目だろ!」

「どこで売っている物なの?」

「え…まさかまたお前が食べるんじゃ」

「…今度はしないよ」

「嘘くせえ!まあ、頼んでくれればいつでも用意してやるよ」

「…ありがとう」

「……お前今日ちょっといいことあった?」

「…には…ないよ」

「……だろ!…ま……に」

意識が遠のく、リン、お前またあの離乳食を頼むつもりか……まあ、あのパッケージの物に警戒していればいいか…。

それにしても、この声は…誰だっけ。ああ、もう…眠くて……思考が………。

リフィアちゃんはカタカナも喋れました。良かったね!

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