ニート思考的な
人が増えたことによって普段から清潔に保たれるようになった応接間で、僕達の賓客とも言うべき人物がゆっくりとカップを傾け――ズズーっと盛大に音を立てて味わっていらっしゃる。
気持ちの悪い汗が顎を伝ってカーペットにシミを作る。
他の人たちもそれぞれで居心地悪そうな表情をしている。
それもこれも全て、この帝国の青年が原因である。
「いやあ、紅茶なんて気取った奴が飲むものだと思ってたけど、結構いけるな。いい腕してるぜあんた」
――どんな表情をしろと?
僕だけじゃなく、この場にいる彼以外の全員が同じ心境に違いない。
淹れた紅茶を褒められたユリアさんも「勿体無きお言葉」と表情をピクリとも動かさずに言いながら礼をしただけだ。ユリアさんの性格だとそんな対応でも(実際僕も最初の頃はそんな対応をされていた)不自然じゃないけれど、本心は余計な事を口にしてこの人と関わり合いになりたくないだけに違いない。
……おかしいな、この人は王国を乗っ取った帝国のお偉いさんで、領主が逃げ出したせいで滞っているこの領地をどうにかするためにやって来た――僕達の今後に大きく影響を与える人物の筈なのに。
帝国が血眼になって探しているであろうルクルーシェ様一派は、どう転んでもいいように扉の向こうで厳戒態勢の筈なのに。
本来ならこの場はあちらの出方を伺って出来る限り僕らの望む譲歩を引き出そうという、一瞬たりとも気の抜けない会談の場だった筈なのに……!
何でさっきからソファにだらしなく背中を預けて「だり~」だの「歩くの疲れた~」だの「働くの面倒い」だの、社会人失格な事ばっかり口から垂れ流すニート丸出しの相手をしているのでしょうか!?
そんな中、直接彼と対面しているお嬢様の笑みに綻びは見当たらない。僕なら張り倒したい衝動を我慢するのに必死で表情を作る余裕なんか無いだろうというのに。というか何故に異世界に来てまでこんな人種を相手にしないといけないんだまったく。
青年が紅茶を飲み干して大きく一息ついてからカップを戻す。
真面目な話に入りそうな気配を感じて気を引き締め――
「さて……帰るか」
――なんでやねん!
盛大にツッコミを入れた(勿論心の中で)。
そりゃあ穏便に済んで欲しいとは思っていた! けどこれはない! むしろ色んな意味で不安が増長されるんですけど!?
「あの……あなた様はここへ用があってお越しになったのではないのですか?」
さすがに戸惑ったようにお嬢様が彼を引き止める。ここで引き止めなかったら本気で出て行きそうだったよあの人。紅茶を飲みに来ただけかって話だ。
「……そういえばそうだったな。まさか人がいるとは思わなかったもんだから、精霊に化かされたような気分でいたんだよなー」
――――!?
ここでいきなりかっ。
この屋敷に人がいるという異常。それをこんなグダグダになった流れでいきなり訪ねてくるとは……っ。
「お恥ずかしい限りです、屋敷を不在にしている間に領主であるお父様達が率先して脱走してしまうとは……」
ここで言い淀んだりすればやましい事があると白状しているようなもの。
突然振られた疑問に対するお嬢様の回答は、考える時間を与えられなかった中で最良のものを選び取ったと言える。
帝国に知られると不味い事情を幾つか抱えている以上は余計な事は言えない。さりとて嘘で固めれば後々で綻びが生じる。
嘘は言わないが肝心な事も口に出さない。お嬢様が咄嗟にこんな選択を出来るとは……。城でルクルーシェ様に鍛えられたおかげなんだろう。
「お前さんも大変だな。まさか自分がいない間に実家がもぬけの殻なんて笑えねえ冗談みたいだろ」
「実を言うと途方にくれていたのです。なので、ひとまずは帝国の方がいずれこの地を訪れるだろうからその方に対応を求めようということに」
「実際に蹂躙した帝国ならここの領主が逃げ出したことは把握していて然るべきだしな?」
口の端を釣り上げて面白そうにこちらの内心を指摘する青年。
間違ってはいないけれど、素直に肯定することも出来ないでいるお嬢様に気を悪くする様子もなく青年は続ける。
「まあお察しの通り、俺がここに来たのは……単に暇を潰したかっただけなんだが」
そんな予想微塵もしてないわ!
「まあついでに仕事としてやるべきことも果たしておこうかなと思った次第だ。……駄目だ、くつろいだら途端にめんどくさくなってきた」
……駄目だ、この人はもう色んな意味でもう駄目だ。処置なし。
「もうさっさと終わらせよう……結論、そっちがこっちに変に関わってこないていう条件付きでこの屋敷には手出し無し。以上!」
過程をすっ飛ばして結論のみが出てきたーーーー!
「え? あ……その、ええっと?」
「えー? まだ何か不服でもあんのかー? お前らの望みって大体そんなとこなんだろ? ……ってかもう帰って寝たい」
流石にお嬢様もついて行けなくて何が何だか分からないという顔をしている。それはお嬢様に限らず大よそどんな人物でも同じような反応をするのではないかというくらい青年の提案には脈絡が無い。ついでにぶれることなく駄目人間だ。
正直、後ろにボソッと付け加えたやつが嘘偽りのない本音でもおかしくないと思うけれど、この人は油断出来ない。何気に僕達の望みを分かっている見たいな口振りだったし。
「さ、さすがにそれは過程を飛ばしすぎではありませんか? それでは裏がありますと吐露しているようですよ?」
「えーー……」
その嫌そうな顔は思惑を見破られた云々じゃない、『結論は特に問題無いだろうに態々説明をするのが面倒くさい』そんな心情がありありと伝わってくるような声色だった。そう、数学の問題で答えは分かっているのに態々途中式を書かされる時の学生のような。……そう考えると少し共感できてしまうのが何とも言えない。
だるそうに溜息を吐いてから青年はたらたらと語りだす。
「だってよー、嫁入り前の貴族の令嬢が家族と同行せずに外出っていうのがまずおかしいだろ。よくある令嬢の街見学っていうならいざ知らず、口ぶりからして帝国の軍がここを通った時にはお前さん、この領地にいなかったんだろ?」
……嫌な予感がしてきた。
何か重大な事実を知られていそうなそんな不安が襲ってくる。
気の抜けた表情でお嬢様のちょっとした言葉の端からそこまで読み取っていた彼の洞察力が、僕の頭の中に警戒音をならす。
「それとだ……この屋敷、やけにメイドが多いな?」
「そうでしょうか? 屋敷の規模としてはやや多い程度ではないかと存じ上げますが」
「いやいやー、帝国でもそうだがあんたみたいな境遇の令嬢にここまで金をかけるメリットは少ない、というより皆無だ。ましてや帝国の進軍を察知してさっさと逃げ出した奴らだ、娘に対する愛情っていうのとも無縁だったんじゃねえのか? というか雇い主が逃げ出していなくなったのにまだ残ってるっていう時点でおかしいんだが」
チラリとお嬢様の足に目を向けてそう言い放つ青年。
「さて、ここから先は伝聞なんだが……帝国軍が王霊をそそのかして力を借りて王城に攻め入ろうとした時、そいつらは信じられない物を見たらしいんだ。馬鹿でっかい大樹が王城に突然生えてきたんだと」
ギックゥウウウ!
自分の所業が出てきて思わず身を竦ませる。
あの日の事はある程度は吹っ切れたけれど、気絶した状態で力が暴走、余波で城を破壊して現在もそのままという大樹の事は少々後暗いものとしてわだかまっている。何だかこう……昔しでかしたイタズラの所為で今も迷惑を掛けてしまっている元悪ガキのような気分だ。
「まあそれは今はどうでもいいんだが」
いいんかい!
……さっきから何度もツッコんでるせいで遂に関西弁が出てきてしまった。この人がこのノリで芸人になったらボケ担当として成功するかもしれないなどとしょうもないことを考えてしまう。
「なんでも、その大樹の天辺あたりから竜やら鳥やらが飛び出したらしいって噂があるんだ。伝わりに伝わって元も分からないくらいの曖昧な噂だけどな。だが、もし本当ならそいつらが乗せていたのは帝国が内通していたナニヤラ何爵が起こした謀反での生き残り以外に考えられねえな」
再び鋭い眼力を見せた青年が応接間を見渡す。不自然に多いメイドを、どこかに隠れているであろう誰かを探し出すように。
「いるんじゃねえのか? 少なくとも城にいた精霊師が何人かは。それと帝国に存在が知られると不味い人物、例えば――王女とか」
確信を持って彼の口から王女という単語が出た瞬間――扉の向こうで此方の様子を伺っていたルクルーシェ様とクラウさん、精霊師が飛び出して青年を取り囲んでしまう。もしこれで彼が何か妙な動きをすれば即座に取り押さえられるだろう。
だというのに、取り囲まれている当人の表情には不安や焦燥の色は微塵も浮かんでこない。むしろこれから始まる面白いことを楽しみにしているように口の端を釣り上げる。
「貴様には自分の置かれた状況も理解できていないのか?」
「いやいや、敵意を持った瞬断に囲まれてるのに対して自分は孤立無援かつ絶対絶命。俺様ヤバイ、だろ?」
「ならば恐怖で頭でも狂れたか?」
「違う違う。っていうか止めた方がいいぞ」
追い詰められているのは自分なのに不遜な態度を崩そうとしない彼に、ルクルーシェ様の目が細められる。
「何を血迷いごとを――」
「俺がここを訪れることは信頼出来る奴等にはもう知らせてある。もし今俺が消息を断てばこの屋敷で何かが起こったことくらいすぐに調べ上げるだろうさ。そうなれば困るのはそっちだろ?」
「…………」
グウの音も出ないとはこのこと。苦虫を潰したように表情を歪ませ、元から冷たかった気配を更に剣呑なものする。青年が「おー怖」等と茶化すものだから余計に敵意が膨らんでいく。
「そんなに怖い顔するなって。そっちが余計な事をしたりしなければこっちも危害を加えるつもりはな無いんだ。それで万事解決だろ?」
「ジャギル伯爵をそそのかして城の者を虐殺させた輩の言う事が信じられるとでも思っているのか!」
「俺は王国の攻略にこれっぽっちも関与してねえよ。大体の片がついたあたりで事実を知ったくらいだ。それに、そのほにゃらら伯爵に下していた命令は虐殺じゃなくて鎮圧だったらしいぜ? 殺したりするなとも言わなかったみてえだが」
青年の言うことを全部信用するわけじゃないけど、帝国も一枚岩じゃないということだろうか。
けれどそれでも、知らなかったで済ませられるにはあの日の城で起こった出来事は凄惨過ぎた。
一歩間違えばお嬢様達も殺されていたかもしれないんだ。
直接の関与が無かったと頭で分かっていても、それでも帝国の人間である彼に対する怒りを収めろというのは無理かもしれない。
――特に、同僚や部下を殺されたルクルーシェ様達なら。
「知らなかった、関与していなかったで済ませるな!」
ルクルーシェ様が座ったままだった青年の胸ぐらをつかみあげる。
「そんな言い分で殺された者達やその縁者の怒りが収まるとでも思っているのか! その者たちにとっては帝国の所為で殺されたという事実には変わりはしない!」
普段は冷静沈着なルクルーシェ様が怒気を顕にしている。
クラウさんを始めとした精霊師達も似たり寄ったりだ。
今彼女達は、溜まりに溜まった感情を目の前に現れた『帝国の人物』にぶつけているだけなのかもしれない。本人の言が確かなら青年にはどうしようも無かったに違いない。
頭でそのことは分かっていても、感情はどうしようもない。
僕だって大切な人達が殺されそうになったのに知らなかったで済まされたら怒りを覚えずにはいられない。
けれど、結果的にその人達が皆生き残っている僕達にはルクルーシェ様の気持ちにとやかく言う資格は無い。
「上に立つ者、特に王族がいちいち部下の死を気にしていたらすぐに心が潰れることになるぞ」
「百も承知だ。しかし、死んだ者の命を使い捨ての駒のように扱う王が収める国にも未来などあるまい」
少しの間二人の視線が無言で交差する。
青年がやんわりと自分を掴んでいる手を引き剥がす。ルクルーシェ様は抵抗しない。
逃走するつもりか、理路整然とした正論を口にするつもりか、それともまた気の抜ける事を口にして煙に巻くつもりか。
果たして青年が取ったのは、そのどれでもなかった。
「済まなかった」
あろうことか、頭を下げて、真剣な声色で謝罪を口にしたんだ。




