1.ゼフィロウ城の緊急会議④
ゼフィロウ城から医療棟までエアカーを使う。
付属の病院施設で職員を捕まえ、ヴァンの居場所を聞と、どうやらヴァンはシンに付き添って特別室にいるらしい。アイサはグルナを残してシンのいる特別室へ向かった。
受付の隣はちょっとした応接になっている。
職員の女性がグルナをそこに案内し、お茶を運んだ。
女性はアイサを待つグルナを残して応接を出て行く。
その足取りが早い。
緊急に送られた病人と、それを見舞うアイサのことを聞きつけた職員たちが廊下に集まったのを感じて、グルナはすっと立ち上がり、ドアの近くで耳をそばだてた。
「アイサ様、いつ神殿からお帰りになったのかしら? 大巫女様の元でしばらくおつとめを果たすはずだったのでは?」
グルナにお茶を運んだ女性を待ち構えていたように、早速声が聞こえた。
「やっと普通の方のように学園に入られた矢先だっていうのに、また神殿に呼び戻されてしまって。ちょっとひどいと思わない?」
別の、潜めた声が続く。
「仕方ないわ。あの方は今の大巫女様の手中の玉と言われるほどの力の持ち主なんですって」
「アエル様のお力を引き継いだのね」
「お気の毒だったわ、アエル様は」
「地上人ではあるけれど、あの方は特別だったもの」
聞こえてくる声に耳を澄ませながら、グルナは頷いた。
グルナはゼフィロウの城の者が皆そうであるように、アエルに対して大変良い感情を持っていた。
幼いころから世話をしてきたアイサに対しても思い入れが深い。
セジュ全体では多少の偏見があるにしても、このゼフィロウ、まして、エアの城では、アエルやアイサに直に触れた者が多い。そして、この二人には偏見などかすませてしまうものがあった。
「ご幼少の頃からずっと神殿で暮らしていたなんて、お気の毒よ。あんなに美しい方なのに、周りはずっと年上の巫女様ばっかりなんてね」
うわさに興じる声の調子は遠慮の無いものになっていく。
「学園に入学されて良かったと思っていたのに。いつか、ナイ様とご一緒にお出かけになった事もあったわね?」
「ナイ様はことあるごとにこのゼフィロウを訪れるのよね?」
いたずらっぽい囁きに小さな笑い声が混じった。
「素敵。お似合いだわ」
「でも……今度運び込まれたのはどなたかしら? みんな口をつぐんでいらっしゃるけれど……」
「ゼフィロウの人ではないんじゃないかしら?」
「エア様のような黒い髪をしていたわ」
「どんな方なのかしら?」
「アイサ様にとって余程大切な人よね? すぐさまお見舞いにもいらして……」
ここで咳払いが聞こえた。
患者についてはヴァンから口止めされているようだ。
少し静かになるが、再び彼女たちのおしゃべりが始まった。
「とにかく、アイサ様は神殿から外に出られた方がいいわ。このゼフィロウにとってもね。エア様だってきっとお喜びになるはずよ」
「アイサ様のあの瞳はエア様にそっくりね?」
「本当に。それにしてもエア様、もう少し医療棟にもお顔を見せてくださったら良いのに」
明るい笑い声が響く。
思わずグルナの表情も和らいだ。
一方、シンの病室の前にあるソファーでくつろいでいたヴァンは、近づいて来るアイサの硬い表情を見て立ち上がった。
「そろそろ来る頃だと思ったよ」
「シンは助かるんでしょう?」
アイサは表情を緩めずに聞いた。
「僕らの科学力を見くびらないで欲しいな。あんな毒、どうってことないよ。ただ、体の方が参っていた。もう少し遅かったら、手遅れになっていたね。ここに連れてきたのは……いい判断だったと思うよ」
「ヴァン」
「会ってみるかい?」
「会えるの?」
「眠っているけどね」
ヴァンは部屋のドアを開けた。
シンはカプセルの中で眠っていた。アイサが足早にカプセルに近づく。
「中の空気には睡眠薬が入っているんだ。毒の中和の仕上げに役立つ薬も、ね」
(シン……シンの胸が規則正しく上下している。それだけでどんなに安心できることか)
アイサはほっと安堵の息を吐いた。
「ありがとう、ヴァン」
「どういたしまして。顔色もいい。明日の朝には目覚めるだろう」
シンの閉じられたまつげが微かに動いた。
「夢でも見ているのかしら?」
笑みを浮かべるアイサの横顔をヴァンは注意深く見た。それからカプセルの中で眠る地上人に目をやる。
「アイサ、これからが大変だぞ? ラビスから知らせが入った。明日、レンに滞在中のエア様が大巫女様と一緒にお帰りになるそうだ。もちろん、この坊主のことが話題になる。アイサ……」
ヴァンはもっと何か言いたそうだったが、口をつぐんだ。
「ごめんなさい、ヴァン。びっくりさせてしまったわね」
「いや、いい。確かに驚いたけど、慣れたな。それに誰がどう騒いだって、もう後の祭りだ。ラビスに無意味だと笑われるだけだ」
ヴァンは肩をすくめた。
「このことでお父様の立場が悪くなるかしら?」
「そういうこともあり得る。考えの古い核の領主たちにとっては、ゼフュロウの抜きんでた科学力と財力はやっかいなものに思われるんだろう。足を引っ張るには格好の材料だ。だけど、今はどの核もそれをするだけの力がないな。それどころか、名実ともに力のあるエア様を王に、という話は何度も出ている……が、肝心の本人が承知しない。興味が無いと仰るんだ。こんな時、変わり者だという評判は便利だね。みんなそれで納得する」
ヴァンはいたずらっぽく笑って見せた。だが、アイサは笑えなかった。平和なこの海の底でも所詮人間同士だ。様々な思惑が生まれる。
「つまりは……ここでも気が抜けないってことね?」
「そりゃあ、そうさ。確かに、この世界に戦争はない。人が殺し合う愚かさを疎んで、我々の祖先はここに住み着いたんだから。その時の話は詩や物語で伝えられ、小さな子供でも知っている。でも、その反面、僕らは紛れもなく人間だよ? 人を出し抜き、よりよい立場に立ちたいと思ってしまう。こんな中で未来を見つめるのは、ひょっとしたら変人じゃなくちゃできないのかもしれないね?」
「父上に迷惑をかけたくないのに」
「元気を出せよ。エア様は決して情に流されて判断を誤る人ではない。だからといって、決して冷たい人でもない。俺なんかにはわからないけど、必ずよい判断をしてくれるよ」
ヴァンが部屋のドアを開き、アイサを促した。もう面会時間は終わりということなのだろう。
(よい判断って何だろう? 私には未来が見えない。どんな映像も浮かばない。でも、シンを助けると決めた)
アイサは研究室に戻っていくヴァンを見送りながら考えた。
受付のあたりがざわめいた。
(お戻りになった)
グルナは応接を出た。
勤務中の医療担当者がアイサを見て足を止める。
そのエメラルド色の瞳、流れるような豪華な銀髪、整った顔立ち、しなやかな体の動き。その一つ一つが、人の心を捉える。
動きやすい服を好むアイサは細身のズボンに上着という簡単な服装をしていた。
足取りが軽く、病人の容態が良いことを思わせる。
グルナは不安な気持ちを押し隠そうとして、やめた。
そんなことはアイサの前では何の役にも立たないことはよくわかっていた。
アイサとグルナがエアカーに乗り込むと、車は滑らかに自動発進した。
豊かに茂る木々が街灯に照らし出される。
既に夜も更けていた。
海底はいつも墨を流したような闇なのに、人々の住むドームの中では地上のような昼夜が人工的につくられている。
風や日差し、季節やその時々の温度変化などが細々とプログラムされ、地上と同様に人々の五感を刺激する。
今は多くの人々が晩餐を楽しみ、くつろいでいる時間帯だ。
極端な貧困にも、命の危険にもさらされることなく、人々は穏やかに暮らしている。
今日あったできごとを家族に話し、恋人を想い、友と出かけ、ライバルに闘志を燃やし……こうやって、長い時を暮らしてきた。
もちろん、水面下ではいつでも権力争いがあり、時にそれが噴出し、人々の暮らしに影響を与えることもあった。生命維持のシステムに不具合が生じ、多くの人々が命を失うという大事故もあった。
だが、人々は祖先の選んだ道を営々と進んできたのだ。
「アイサ様、久しぶりにこちらにいらしたのです。たまにはお芝居などごらんになってはいかがです?」
グルナは思いついて言ってみた。
「そうね」
「確か、今ちょうど評判の歌い手が来ていますよ?」
グルナは更に声を励まして言った。
「そう?」
明らかにアイサは上の空だった。
エアカーがプログラム通り城の門をくぐり、木々の枝が張り出す私道を行く。とうとう不安に負けて、グルナは思い切って口を開いた。
「アイサ様のことについては余計な詮索はしないと飲み込んでいるつもりです。ですが……アイサ様、どうなさったのです? 大巫女様の元でお仕事をなさっていたのではないのですか? あれはいったいどなたなのです?」
「連れてこなければ、死んでいた」
「それは、そうかもしれませんが……でも、なぜアイサ様がそこまでご心配なさるのです? ファマシュの方でも、神殿の方でもないのに。それに、アイサ様のあの服……」
グルナの顔が厳しくなる。
「あの人は、私にとってかけがえのない存在なの。私を助けてくれた」
「えっ、それはどういうことですの? アイサ様」
更に言いつのろうとしたグルナにアイサは首を振った。
「今、これ以上言えることは何も無いわ」
アイサは黙り込んだ。
こうなるとグルナにはもうできることはなかった。
エアカーが城の正面玄関の前で止まった。
「グルナ、心配をかけてすまないと思っているわ」
そう言ってエアカーを降りると、アイサは建物に入らず庭に向かった。その姿があっという間に庭の茂みの中に消える。
(誰にもお会いしたくないのだろう……エア様にそっくりなのは、あの瞳だけではないのだ)
グルナはアイサが消えた茂みを見つめた。




