13.パシパ脱出⑧
いつの間にか、ポン川は両岸の林とともに荒れ地の闇に沈んでいた。
その川面をザキの操る小舟が滑るように進む。
さすがに川の風は涼しい。
ビャクグンは静かに前方を見つめて動かない。
スオウとシャギルは周囲にぬかりなく目を配り、ルリは何度もシンの顔を覗き込んだ。
櫂の音がゆっくりとしたリズムを刻む。
その中でシンの不規則な呼吸の音が、いやに大きく感じられた。
心なしかシンの震えがひどくなるように思われる。
アイサはシンの汗をぬぐった。
毒が容赦なくシンの体を巡っているのは誰の目にも明らかだった。
オスキュラの船着き場には幾つかの船が停泊していた。そのひとつに向かってザキは船から漏れる灯りを巧みに避けながら暗い水面を辿る。
岸辺の林の中ではまだ追っ手のかざす松明が動いていた。
ザキの小舟が目当ての船に近づくと、船から手際よく縄ばしごが下りてきた。
船に乗り込んだ彼らは、すぐに船に乗っていたクルドゥリの医者を呼んだ。だが、シンの状態を見た医者は苦渋の表情を浮かべた。
「私の力では、どうにもなりません。手持ちの薬ではどれも効かないでしょう。後はできるだけ早くクルドゥリにお連れするしかないのですが、この様子ではそれまで身体が毒に耐えられるかどうか」
重苦しい空気が漂った。
「シンの体が毒に耐えられなかったら……シンは死ぬのね?」
アイサは医者を見つめた。
「残念ですが……」
「毒が身体に回るまでどのくらいかかりますか?」
「この様子では早くて一日、遅くて三日というところだと思いますが」
医者が口ごもる。
「そして、クルドゥリまでは?」
「普通なら一月はかかるわ。でも、クルドゥリ流に行けば……」
ルリが答えた。
「それでも間に合わない。ましてシンはこんな状態だ。無茶はさせられない」
スオウは言った。
ルリの顔が曇る。
アイサの覚悟が決まった。
「シンを連れてセジュに行く。それしかシンを助ける道はないようだわ」
皆の視線がアイサに集まった。
「あなたの国がシンを受け入れてくれるかしら?」
ビャクグンは言った。
「そんなこと私にはわからないわ。でも、今シンを助ける道がほかにないのなら、私はシンを連れて行く」
アイサは揺るがなかった。
「その方がこいつのためかもしれないな。こっちに残って万一助かっても……国を追われた王子の歩む道なんて想像がつく。こいつが、いつかここで死んでいた方がましだったと思うようなことになったとしても俺は驚かないね」
シャギルは荒い息をしているシンを見下ろした。
「いいえ、ここにいることがどんなに苦しくても、シンはこっちに戻ってくることを願うわ。友だちや国の人を放ってはおけないはずだから。シンにはやらなくてはならないことがある。私は必ずシンを連れて戻ってくるわ」
アイサはシャギル、ルリ、スオウ、そしてビャクグンを見た。
ビャクグンが頷いた。
「じゃ、私たちもここで待ちましょう。でも、どのくらい待てばいいかしら?」
「ありがとう、ビャク。じゃ、五日後に、ここで」
「五日、でいいの?」
驚くルリにアイサは頷いた。
「だって、ぐずぐずしていられないわ」
「よし、それでアイサ、セジュに行くにはどうすればいいんだ?」
スオウが聞いた。
「私と一緒にポン川に飛び込むのよ」
「飛び込むって言ったって……こんな状態でか?」
荒い息をして、意識も途絶えているようなシンを見てシャギルが眉を寄せた。
「さあ、ぐずぐずしている暇はないわ」
アイサが立ち上がる。
「わかった」
ビャクグンと目を合わせたスオウがシンを抱えて甲板に運ぶ。
「シン、必ずここに戻るから。私と一緒にセジュへ来て」
アイサは熱に浮かされるシンに呼びかけた。
ハビロはずっとアイサから離れようとしない。
「置いて行かれるのが嫌なのね」
ルリが言った。
「ハビロ、おいで」
アイサはシンを支えて真っ暗な船べりに立ち、シンを支えて川に飛び込んだ。
同時にハビロも川に向かってジャンプする。
見送る者たちは思わず目をつぶりたくなったが、二人と一匹は水しぶき一つあげることもなく、ポン川の流れに吸い込まれた。




