12.偽りの信徒⑧
大主教ティノスのおひざ元であり、大陸中にその名を轟かせる宗教都市パシパ。
その賑やかな門前町ルーフスも真夜中を過ぎれば、一時、静けさを取り戻すのだが……この日はいつもと様子が違っていた。
明け方までパシパの警備兵が行き交い、声を張り上げる。その声と足音が遠ざかって行くのをストーはじっと聞いていた。
(仲間たちは無事逃げられただろうか。なに、バラバラになってこのルーフスに逃げ込めば、そうやすやすと見つかるものではない。ともかく、シン様がいらっしゃる以上、我々はここを去るわけにはいかん。いや、それどころではないぞ? シン様がこの地に潜んでいらっしゃることが知られれば、一大事だ。一刻も早く手を打たねば。イヤルとブールが裏切った。他にもいるかもしれない……それにしても、計画が筒抜けになっていたとは……私は、とんだ間抜けだ)
今は使われていない古い家屋の中で朝を待ちながら、ストーはたった一人、じっと目を閉じ、昨日からの出来事を思い出していた。
(だが、まさか、あれほどお探ししたシン様に、よりによってパシパの僧院でお会いするとは思ってもみなかった。その上、改めてお会いして、また驚いた。学問好きで大人しいだけと見えたシン様の雰囲気が変わっているではないか……ビャクグンと名乗る女も、只者ではない。だが、昨晩のことは……いったいどうなっているんだ)
シンがビャクグンと名乗る女と店を訪れた晩、つまり昨晩は、まさにストーとその仲間たちにとって、かねてからの計画を実行に移す重要な晩でもあった。王統派の仲間を率い、ティノスから神の雷の操作を示した書物を奪うべく、僧院に忍び込むことが決まっていたのだ。
(書物の在処は突き止めてあった。ティノスの書斎にある隠し扉の中だ。闇に乗じて警備の隙を突く段取りも綿密に練られ、仲間の役割も決まっていた。全てが計画通りに行くはずだった。それなのに……)
実際は、昨晩ストーたちが僧院に忍び込むと、目的の書斎にたどり着く前に僧院の主ティノスが武装した兵を連れ、ストーたちを待ち構えていたのだ。
「なぜ大主教がここにいる?」
「警備兵はおびき出されていたはずだぞ?」
仲間が絶望の声を上げる。
「イヤルの姿が見えないぞ?」
「ブールもだ」
「計画が漏れていたのか?」
「ストー殿」
ある者は絶望の表情を浮かべ、ある者は怒りの表情を浮かべてストーを見る。
「取り押さえよ」
大主教の命令で兵たちが襲い掛かった。いくら自分たちの技量が上でも、次から次へと敵兵が沸いてくる状況では圧倒的に不利だ。ストーが仲間も自分も、もう命はないだろうと覚悟したその時、動揺する大主教ティノスの声が耳に入った。
「何だと? 何をしている、追え、追うんだ」
大主教ティノスが自分たちが追いつめられた方向とは別方向に叫ぶ。
ストーたちに襲い掛かっていた兵たちが浮き足立った。
「本が……力の火について書かれた本が奪われたぞ」
「ティノス様の書斎だ」
「まだ賊がいたのか?」
「早く、早く取り戻せ」
動揺するティノスの声にむち打たれ、兵たちが闇の中に消え去った賊を追う。
(自分たち以外にも、今日、この時間に、僧院を襲ったやつがいるのか? まさか……利用された……?)
疑念がストーを襲った。だが、逃げる身にとっては降って湧いたようなチャンスだ。
「今のうちだ。散れ、逃げ延びろ」
ストーは叫び、目の前に迫る兵を倒し、躱し、活路を開いた。こうして必死で囲みを破り、用意した金具付きの縄で壁をよじ登ったストーが僧院を振り返った時、垣間見たのは恐ろしく身の軽い、そして武に長けた者たちだった。
(彼らは一瞬にしてその姿を闇に消したが……いったい何者なんだ?)
仲間とばらばらになって僧院から逃げ、その身をいざという時のために手に入れていたこの空家に潜めたストーは思いをめぐらした。いつしかパシパの兵の足音が遠のいていた。が、ほっとしたその時、不意に家の入口が開く音がした。
(追手が来たか?)
ストーは油断なく身構えた。
足音は迷いなくストーの隠れる部屋に近づき、その前で止まった。
ドアが開く。
男が一人。
獣のように身を潜めていたストーは、その男に全神経を集中させた。
一方、男の動きは無造作とも思えるほど力みなく、身を隠すストーに近づいた。
「脅すつもりはなかったのだが」
真っ暗な部屋の中で、男はソファーの陰のストーに言った。その声は落ち着いていて、ストーは僅かにその警戒心を解いた。
男は続けた。
「ストー殿、悪いがあの書物は我々が頂いた。お許し願いたい」
(あの本を奪ったのはこの男か。だが、何故私を知っている? しかし、この気配……強い……これは戦うだけ無駄なようだ)
ストーは隠れることを諦め、その男の前に姿を現した。
男は興味深そうにストー見た。
外から漏れるうっすらとした光の中で、ストーもその男の彫の深い、端正な顔を見た。
「昨夜我々が僧院を襲うことを知っていて、利用したか?」
「いや、ストー殿のところの裏切り者のことは知らん。結果的には混乱をつくことになって我らの利になったことは確かだが」
「あの本を……どうするつもりだ?」
「国へ送る。もう仲間が旅立った。追いつくことはできないだろう」
男は答えた。
「国? まさか……」
ストーは全てが繋がった気がした。
「あなたは……ビャクグンという女の仲間か?」
ストーは聞いた。
男は一瞬驚いた様子だったが、すぐに答えた。
「そうだ」
「今度のことにしても、あの困難の中でシン様をお助けできたことを考えても……しばらく前から幻の国と言われていた国が実際にあると噂され始めた。その国は大変豊かだが、その場所は誰も知らないという……まさかとは思うが……あなた方はその国の人ではないか?」
ストーの声が上ずった。
「ビャクに会ったか?」
「シン様にも」
「では、シンは自分の出自を知ったわけか?」
「お話した」
「ストー殿、それを知らせて何になる?」
「シン様は自分になすべきことがあるのなら、それは避けられないとおっしゃってくださった」
「シンを利用しようというのなら、止めておくのだな。どこの国が興り、どこの国が滅亡しようと俺には関係のないことだが、あの兵器を破壊するために一緒に旅をしてきたシンは、もう俺たちの仲間だ」
スオウは言ったが、ストーも肝を据えて答えた。
「そうはいかん。ティノスの書物は手に入れられなかったが、近いうちにシン様は返して頂く」
「それがシンの意志であれば」
スオウはストーに背を向けた。
「待ってくれ。シン様はあの火を、ゲヘナを封じるという娘を手助けなさると仰っていた。いくらあなたたちがかかわっていようと危険な賭けだろう。娘のことはいざ知らず、シン様に万一のことがあっては取り返しがつかぬ。我々は何としてもシン様をお守りせねばならぬ」
「それは有難い話だ」
「では、協力させていただけるか?」
「仲間から接触があるだろう。それが必要な時にはな」
スオウはストーを一瞥して出て行った。




