12.偽りの信徒⑥
この数日前の明け方。
コウマの商館では、警護隊の副隊長エテルのもとに、隊長が何者かに襲われたという知らせが届いた。
幸い隊長は命に別状はないが、任務には戻れないという。
そこで急遽、副隊長であるエテルが警護の責任を持つ羽目になったのだが、彼はこの事態に心底うんざりした。この仕事が特別困難であるとか、骨が折れるからではない。今や、オスキュラに正面から挑んでくる敵などはいないのだ。気を付けることと言えば……パシパに向かう身内を救いたい一心で行動を起こす輩に警戒することと、力の火がもたらす災いが恐ろしくなって逃げ出そうとする人質を逃さないようにすること、この二点に尽きる。
だが、可能性から言えば、どちらも低いものだ。家族を取り戻そうと企む輩など……仮に成功したとしても、一時のこと。すぐにオスキュラを恐れる者の告げ口により、捕縛されるだろう。そして、人質には国と、家族の運命に責任がある。どんなに恐ろしかろうと、心細かろうと……安易に逃げ出すことなどできるはずもない。そんな立場の者を警護と称してパシパに送り込むのだ。それを思うと、彼はその任務を決して楽だと感じることはできなかった。
すっかり夜が明けると、今度は屋敷の方が騒がしくなった。聞けば、あんなに元気だった商館の女主人が病のため起き上がれないという。その夫は商談のためオスキュラにいるので館は大騒ぎだ。
(いったいどうなってるんだ?)
若い副隊長エテルは落ち着かない屋敷の中を出発を待つ人質のもとへ向かった。
客室の分厚い扉の前には見慣れた少年がいた。
「お前はオタテといったかな? セレン様にお伝えしたいことがあるのだが」
エテルは言った。
オタテは黙って頷き、扉を開け、中に入るとすぐに戻って来た。
「どうぞ、副隊長殿。セレン様がお待ちです」
「あ、ああ」
エテルがぐずぐずしている間に、年配の侍女が扉のところまでやって来た。
「お入りください」
「失礼します」
(女性の……部屋なんだな)
彼はほんのりと香る花の香に戸惑いながら、アイサの前で膝をついた。
「セレン様、ナダル様は教区で起こった暴動のため、しばらくはお戻りになれないそうでございます。隊長もナダル様をお送りした途中で賊に襲われ、すぐには任務に復帰することができません。この不手際を、どうかお許しください。なお、隊長の代理として、私がお側でお供することになります。私は副隊長のエテルと申します」
「わかりました」
すっかりセレンになりきっているアイサは短く答えた。その声に惹かれて、エテルは顔を上げた。長いベールを使っているので顔ははっきりとは見えなかったが、目の前の娘からは、以前隊長が言っていたような弱々しさは感じられなかった。
「セレン様には……お元気そうで何よりです」
思わず漏れたエテルの言葉に、ベールの奥がくすっと揺れた。
「お、お体の具合がよろしくないとお聞きしていたものですから」
エテルは急いで取り繕った。
「セレン様、出発でございます。馬車の方へ」
侍女のリョユウが声をかける。
「ええ」
ベールで身を覆うようにしているアイサをリョユウが導く。
「やれやれ」
思わずエテルは呟いた。
「おい、エテル、どうだった、セレン様というのは?」
隊に戻ったエテルに集まって来た隊の連中が聞いた。
オスキュラは若い国だ。国土も急速に広がり、優秀な人材がいくらでも必要だ。
そんな中、若いが機転が利いて腕も立つエテルは上の者から重宝されている。そのせいで、年の割には高い地位にあったが、それを妬まれないのは彼の人好きのする人柄のせいだった。
「ああ、それが……言われているほどには、お体が弱いとは思えなかった」
「美人だったか?」
仲間が声を潜める。
エテルも声を落とした。
「どうだかな? とにかく隊長の代理なんて俺には向かない。まして、力の火の元に人間を送る役なんて」
「それを言うなよ。これもお勤めのうちだ」
「早く役を降りたいよ。俺は南や、むしろ北にでも送られる方が向いている。北に行けば、少しは故郷の村の様子も聞こえてくるだろうし」
「もう里心がついたのか? だらしないぞ、エテル」
年上の兵が笑った。
「何とでも言ってくれ」
堪えた様子もなく、エテルは肩をすくめる。
「それにしても、明け方の知らせには驚いたな?」
「隊長を襲うとは、いったいどいつの仕業なんだ?」
「まあ、少なくとも俺たちには、あの嫌味な隊長よりお前の方が遙かにましだ。よろしく頼むぜ、隊長代理」
「そうだ、そうだ」
仲間たちにからかわれて、エテルは溜息をついた。
副隊長のエテルが一行を率い、クイヴル領ザクの街道を行く。街道沿いにはあらかじめ予定されていた宿泊先の館がある。そこにたどり着いてひとまずほっとしたエテルだが、人質の警護の仕事は気が抜けない。
一通り館を見回ったエテルは、ようやく夕食にありつくことになったが、これがまた憂鬱の種だった。警護の責任者は人質と食事を取ることになっていたからだ。
(これも仕事だ)
エテルは自分に言い聞かせ、初めてアイサと食事をともにした。
エテルが翌日の旅程を説明する。
一通り説明が終わると、食卓は静まりかえった。
「副隊長殿、召し上がらないのですか?」
アイサの傍にいたリョユウが声をかけた。
アイサは気にもとめず、食事を続けている。
一つ一つの動きに隙がなく、美しい。
だが、それ以上に、エテルはその人物に心を奪われた。
透き通った肌に、見たこともないような鮮やかなエメラルドの瞳と、銀の髪。
完璧なまでの姿だ。
近くでその姿を目にしていたはずの隊長が、その美しさにひとことも触れなかったことが、エテルには信じられなかった。
「エテル殿にお願いがあります」
なめらかで美しい声がエテルをはっとさせた。さっきまで全くエテルなど映してもいなかったそのエメラルド色の瞳が、まっすぐにエテルを捕らえている。
「何でしょうか?」
エテルは食事の手を止めてアイサとリョユウを見た。
「セレン様?」
リョユウは怪訝な顔をしている。
「リョユウ、ここまでありがとう。エテル殿、この旅も終わりに近づきました。パシパはもうすぐです。オスキュラに入る前に、明日クイヴルの者をすべて返したく思うのですが、構いませんね?」
「えっ、そ、それは構いませんが……」
意外な申し出にエテルは思わず口ごもったが、リョユウの方が黙ってはいなかった。
「とんでもありません。セレン様、私は最後までお供致します」
「リョユウ、無理をしないで。お前には、お前を必要としている大事な人がいるじゃないの? 私は自分のことは自分でできるから」
「ですが……」
「その人とはファニに戻る途中で連絡がつくでしょう。行っておやりなさい」
優しくアイサに言われ、リョユウは俯いた。リョユウはずっとセレンのことが心配だったのだ。
「では……せめて、オタテを置いていきます。お供できるところまで、どうかオタテを……」
「それも、だめね。気心の知れたオタテは、慣れない旅をするお前の支えになります。クイヴルの者全てを連れて行きなさい。私のことは心配いらないから」
自分を見つめるリョユウから、アイサはその目をエテルに向けた。
「彼らは明日ここを離れます。必ず、そのように計らって下さい」
アイサはエテルの返事を待たずに席を立った。
人質がこのようなことを言いだすのは前代未聞だ。
戸惑うリョユウに、エテルは言った。
「思っていたのとは……だいぶ違う方のようだ」
「ええ、言い出したら聞かない方です。もう少し、おそばにいたかったけれど……副隊長殿、セレン様をよろしくお願い致します」
リョユウはエテルに深々と頭を下げてアイサを追った。
「はあ……」
(ますます面倒なことになったぞ)
エテルは途方に暮れたが、どうしようもなかった。




