10.奇妙な海賊⑩
「あら、戻ってきたわね」
甲板に出ていたルリは梯子を上ってくるシャギルに言った。
「随分早起きじゃないか、ルリ。そんなに俺のことが心配だったのか?」
シャギルは甲板の手すりに手をかけると、夜明け前の暗さの中でルリを見つめた。
「違うわよ。あなたが戻ったら、これからのこと話し合おうって事になっているの。そろそろ来るころだろうと思って待っていたのよ。さあ、早く来て。みんな船長室にいるわ」
素っ気ないルリに、シャギルは口を膨らませた。
「ちぇっ、ちょっと待ってくれ。こっちはたった今まで忙しく働いてきたんだ。少し休ませてくれよ」
「そうね。着替えてくるといいわ。返り血を浴びている。それに……あなた、薬を使ったわね?」
ルリはシャギルの服から匂う、微かな香りを嗅ぎ取っていた。
「ナッドが一緒にいたからな。奴に万一のことがあると困る。にしても、お前に隠し事はできないな」
シャギルは苦笑し、ルリは肩をすくめた。
「アイサの勘は正しかったようね?」
「大当たりだった。だが、まず、おいしい朝食が食べたいな」
「仕方ないわね」
ルリが頷く。
「よし、これで報われる」
シャギルは勢いよく甲板に上がると、意気揚々と船長室に入っていった。
船長室での朝食は豪華なものとなった。
具だくさん魚介のスープ、ふっくらとしたオムレツ、焼きたてのパンや何種類ものチーズ、果物と酒をたっぷり使ったケーキ……これをシャギルは次々に平らげていく。
「何しろ、酒屋に入っても酒を一滴も飲んでいられないほどの忙しさだったんだ」
シンの入れたお茶でケーキを流し込むようにして、シャギルは言った。
「とりあえず、俺たちのことは漏れていないということだな?」
スオウが念を押した。
「ああ、だが、とりあえず、だ。油断のならない連中なんだ。奴らはパシ教ということで結託している。軍人もいれば、暗殺者もいる。酒屋の親父も、善良な村人も、疑ってかからなくてはならないんだ。厄介だよ。ナッドもこれから大変だろう」
シャギルはうんざりした顔をして見せた。
「そうだな。だが、これからは俺たちの話だ。そろそろ陸路を行くことを考えた方がいいと思うが」
「そうね、スオウ。海賊船は無傷のままゴッサマー号を開放し、しかも、直後にパシパの密偵が仲間もろとも殺された。今度のことで私たちの船が警戒されるのも面倒だわ」
ビャクグンが頷いた。
「この先はオビ公国になります。山がちなところですが、それさえ気にしなければ、クイヴルのザクに出られます。それからザクを抜け、オスキュラとの国境ポン川に出るのです。そこからパシパに行くのが一番近い」
ミルが地図を広げながら言った。
「そうしましょう。ところでアイサ、あなた、ナッドの計画を聞いたときにいろいろ言っていたわね? 詳しく聞かせて」
「わかったわ、ビャク」
「ついでに、アイサはどうするつもりか聞きたいね」
シャギルが付け加えた。
「そうだね。船旅の途中でゲヘナで焼かれた村のことも聞いている。君にはゲヘナを放つしくみもわかってきたはずだ」
「ええ」
アイサは話し始めた。
「照準を合わせた地点に向けてゲヘナを放ちたいのなら、まず、ゲヘナの炎のエネルギーを閉じこめておく容器と、それを放つ設備がなくては。それはナッドが言っていたパシパの神殿ね」
「正確にはその地下。そこにゲヘナの炎と古の設備があるの」
ルリが言った。
「地下か……でも、セジュの祖先と古オスキュラがこの大陸で戦っていた当時、ゲヘナを封じ込める技術は海に入ったセジュの者しか持たなかった。ゲヘナとそのエネルギーを閉じこめた当時の容器は不完全かもしれないわ。もしそうなら、地下の施設には容器から漏れたゲヘナの炎の影響があるはず」
「それどころか、ティノスは神殿の周囲には人を住まわしていない。神殿の周辺にも影響があるのかもしれないな」
スオウが言った。
「セジュのシールドはゲヘナさえも防ぐ。私はシールドを張って神殿の地下に行き、もう一つの指輪でゲヘナの炎を封じ込めるわ」
「コントロールルームの方はどうするんです?」
ミルが聞いた。
「炎を封じてしまえば何の役にも立たないとは思うけど、帰り際に破壊するつもりよ」
「内部に大砲を持ち込んでも無理なのでは?」
ルリが言った。
「ええ、コントロールルーム内で大砲を放っても、制御装置は破壊できないわ。安全装置が働いて、事故から機械は守られるはずだから。それに、コントロールルームは特殊な金属に覆われているだろうから、ここの大砲程度では、どれほど打ち込んでもびくともしないはずよ」
「では、どうする?」
「大丈夫よ、スオウ。これを使おうと思うの」
アイサはポシェットから一つのケースを取り出した。
そしてその中にあった部品を組み立て、次にその中にあった小さなカプセルを入れた。
「それは?」
シンが覗き込む。
「そうねえ、今入れたのは砲丸の塊みたいなもの。組み立てたものは……小さな大砲かしら。引き金を引くとカプセルに入っている小さな砲丸……弾丸っていうんだけど……が順に飛び出すの。これは見た目は小さいけど、私の壁以外のものなら、およそ何でも砕く。ゲヘナを封じてから、これでコントロールルームを破壊するつもり。銃口、ああ、発射口のことね……銃口だけ私のシールドの外に出して使えるし、便利なものよ」
「でも、内部で異変があれば、外から多くの兵が集まって来るだろう? 内部を破壊したときにいくらシールドに守られているとしても、崩れてくる瓦礫で君はシールドごと生き埋めになって駆けつけた兵にシールドごと取り押さえられてしまうじゃないか」
シンは呆れ顔で言った。
「それは大丈夫よ。この弾丸には時限装置がつけられるの」
「時限装置?」
「あらかじめ爆発する時間を調節できるの」
「そんなことできるの?」
「ええ。発射後、ある程度時間が経ってから爆発させればいいわ」
シンの瞳がみるみる輝き出した。
「凄い。どんな仕組みになっているんだ、こんなに小さいのに……」
「問題はそこじゃないわ、シン」
軌道修正したビャクグンに、シンはすかさず言った。
「僕もアイサと一緒に行くよ」
「シン、私が一人で行く」
「そうだな。シールドの中に二人いたのでは、いざという時に却って動きが鈍くなるだけだ」
「スオウ……そんなことはない」
「シン、聞き分けろ」
シンは不服な顔をしたが、一同を見て渋々言った。
「じゃあ、まず、神殿に近づく方策だけど……」
「それはおいおい見つかるでしょう。だけど、その前にアイサ、あなた、ゲヘナを封じて敵を振り切れたら、どうする気?」
シンを遮ってビャクグンは言った。シンがびくりとする。
「シンのことが心配だわ」
「僕、のこと……?」
自分を気遣うアイサを見て、シンは目を伏せた。
(ああ、アイサは意識していないだろう……だけど、僕はまだアイサのお荷物なんだ。ファニの時みたいに……)
黙り込んだシンにビャクグンが聞いた。
「シンはゲヘナが封じられたら、その後どうしたいの?」
「何も考えていなかったよ」
シンは正直に答えた。
「ナッド船長の申し出もあるし、クルドゥリもシンの身の安全に協力できるかもしれないわ」
ビャクグンは言った。
「クルドゥリが?」
「ええ」
「シンがクルドゥリに都合がよければ、だろう?」
シャギルが言った。
「そうよ。でも、悪い話ではないはず」
ビャクグンは答え、アイサに微笑んだ。
「どう? これで安心して海の国に帰れるかしら?」
「……ナッド船長とクルドゥリ。そうね」
アイサは思案しながら頷いた。
「どうして……」
ここまで言って、シンは言葉を飲み込んだ。
自分の身の振り方について関心はなかった。シンの心にのしかかったのは陸に住む者と、海の底に住む者の間に横たわる大きな溝。
それを埋める手立てが、シンには見つからなかった。
シンとアイサ、そしてクルドゥリの四人は、小さな港でゴッサマー号を降り、オビ公国の山地に入った。船長室で話した通り、オビの山地を抜けてクイヴルのザク領を目指すのだ。
オビ山地は豊かな緑に覆われている。探す気になれば、新鮮な食材もある。山の中の旅だが、シンもアイサも辛いとは思わなかった。
しばらくするとビャクグンが一行から離れたが、シンもアイサも、いちいち気にしなくなっていた。
スオウがいつものように火をおこし料理を始める。
実際スオウがこんなにすばらしい料理人だったとは、シンもアイサも思いもしなかった。シンはますますスオウを尊敬し、武術の他に、料理もスオウについて覚え始めた。
今もシンはアイサと一緒にスオウの手伝いをしている。
朝の空気が気持ちいい。
前方の山々の間には、まだ霧が残っていた。
しかし、太陽は昇り、あたりはもう明るくなっている。
霧がだんだん山肌を登り、消えていく。
いい天気になりそうだった。
「ルリ、オビ山地を越えるのに、あとどのくらいかかる?」
人には向き不向きがあるとシャギルにからかわれ、離れたところで料理が出来上がるのを眺めていたルリにアイサは聞いた。
「そうねえ、三、四日といったところかしら」
ルリはのんびりと答えた。
「パシパまでは?」
「山地を越して町に出れば、それからはずっと街道を行くことになると思うけど……街道には見張りの兵が多いそうよ」
「他に道はないの?」
「街道を行くのが一番いいのよ。わき道からパシパを目指せばかえって怪しまれるわ」
「わかったわ」
アイサは頷き、シンは料理の手を止めた。
ティノスがパシパをパシ教の総本山にする以前は、その一帯はポン川のほとりに小さな集落が点在する程度の寂しい土地だった。
だが、今や宗教都市パシパは大陸屈指の都となっている。
僧たちはもちろん、各国の信者、商人や職人、軍人が集まり、オスキュラの王都ルテールさえ凌ぐ賑わいだという。
「ゲヘナとは、どんな兵器なんだろう? どうして千年も壊れることなくあり続けられるんだろう?」
シンの声に熱がこもる。
「お前は恐ろしくないのか、あの邪悪な火が?」
スオウは驚いたようにシンを見た。
「スオウ、シンはね、火はいいとか悪いとか、そういったものではないと言うの。それが邪悪だとすれば、それを使う人が邪悪なんだって」
シンのかわりにアイサが答えた。
「なるほど、お前らしいな、シン。だが、それでは、もしも、あの力を手に入れたのがお前だったら、どうなっていたかな?」
スオウはさりげなく、しかし、慎重に聞いた。
「それは……わからない。だけど、僕はただ知りたいと思うんだ。ゲヘナのことも、ゲヘナの持つ可能性も。そして、その知りたいって思う人の気持ちは誰にも止められないと思う」
「そして、それを利用しようとする人の欲も、ね」
話を聞いていたルリが苦い顔をした。
「そして、人間の理性は好奇心や欲望に追いつけないと来ている」
シャギルが付け加える。
(そうなのだ。様々なことが勢いよく流れて行くこの地上では、人々はゆっくりと思いを巡らす余裕もなく、その勢いに飲み込まれてしまう。ゲヘナによって、再び自らを滅ぼしかねないというのに)
また料理の手を動かし始めたシンを、アイサは黙って見つめた。




