9.初めての船旅②
ゴッサマー号での船旅は順調だった。立ち寄る港では身を隠さなくてはならなかったが、港を離れてしまえば、四方はオスキュラの手も、エモンの手も届かない海原だ。
シンとアイサはゴッサマー号の見張り台に登ってこの海原を見渡した。
船員にもらった革ひもで束ねたアイサの銀の髪が風に吹かれる。
シンの髪も少し伸びていた。
「知らなかったわ。船に乗ってもススルニュアまでは遠いものなのね」
アイサは小さく溜息をついた。
「そりゃあ、そうさ。でも、アイサ、そんなに早くオスキュラに行きたいの?」
シンは注意深くアイサ観察しながら返事を待った。
「いいえ、こうして船の旅をしているのは好き。ずっとこうしていたいと思うこともあるわ。でも、そんなときは、あの炎の夢を見るの。まるで、忘れるな、って言っているみたいに。そうすると自分が引き絞られて、いつでも飛んでいける矢になったような気がする」
アイサの表情が引き締まり、シンは眉をひそめた。
「一人で勝手に飛んでいかないように。焦ったらだめだよ」
「そうね、まだあの炎に近づく道筋が見えない。すべてが漠然としているわ。ミル船長はシンに時を得なくてはって言っていたけれど、それはきっと私もそうなのよね」
「そうだね」
そう言いながら、シンはぐるりと四方を見渡した。
「ところで、アイサ、船員達が言っていたお客って、やっぱり海賊のことだろうか?」
シンは甲板で何度か耳にしたことが引っ掛かって言った。
「ああ、噂話の? だけど海賊って?」
「海の上で他の船を襲うやつらのことだよ」
「だけど、それにしてはビャクたち、落ち着いているわよ?」
「うん。この船は見かけとは違う。そこらの海賊船じゃあ、相手にならない。それに、ビャクたちと一緒にいて感じるんだ。彼らはそれぞれが一流の武人だよ。実戦の経験も積んでいる。もし海賊に襲われても、仕事が増えたくらいにしか思ってないんじゃないかな?」
「まあ……どっちにしろ、物騒な話ね」
「そうだね。だから、いざという時はアイサはハビロと隠れているんだよ」
「シンはどうするの? 一緒に戦うの?」
「うん、そのつもりだ。来てしまうものは仕方ないもの。僕は強くならなくちゃいけないんだ。今までそんなこと考えたこともなかったけど」
シンはアイサを見つめたが、アイサは首を振った。
「みんなを戦わせておいて一人で隠れているなんて、できっこないわ」
「君にはやらなくちゃならないことがあるだろう?」
「それとこれとは話が別」
それだけ言うと、アイサは見張り台からさっさと降りて行ってしまった。
(引き絞られた矢か。アイサらしいな。そうやってまっすぐ飛んでいくんだ。だけど、そこが危なっかしいんだよ)
シンがアイサの後を追ってゆっくりと見張り台を降りると、下にスオウがいた。
「喧嘩でもしたのか?」
スオウは舳先の方へ歩いていくアイサに目をやって苦笑した。
「喧嘩じゃない。ただ……アイサときたら、何があっても戦う気でいるから」
「アイサはなかなか強いよ。特に身体の動きと、目がいい。戦えば、お前と互角以上の勝負ができるだろう」
「そうだね」
難しい顔をするシンに、スオウは言った。
「だが、アイサは俺たちのような者とは違う。俺たちはいかに効率よく戦うかをたたき込まれている。シン、お前は強くならなくてはならないんだったな? ならば、身につけなくてはならないことは多い。来い」
ゴッサマー号に乗ってから、シンはスオウと行動をともにすることが多くなった。実際、スオウは船のこと、大きな戦いのこと、夜襲から籠城、その上、築城や兵糧のこと、何から何まで詳しかった。
武術においてのスオウのスタイルは、シンがストーから習ったものをさらに実戦化したもので、その動きは十分な体力に支えられている。
ますますシンはスオウを尊敬し、一方、アイサは時間をもてあますようになった。船の上での生活でアイサが手伝えることは多くなく、話し相手だったシンはスオウと武術の稽古をしたり、話し込んだりしていることが多くなっていたからだ。
「アイサ、退屈しているようね?」
船べりでぼんやり海原を眺めていたアイサにビャクグンが声をかけた。
「ビャクは退屈しないの?」
「そうねえ、仕事があるし……」
「仕事?」
「ええ。だけど、それだけじゃないわ。あなたの宝石のコレクションはいい目の保養になったし、それに、今、新しい老婆のメイクを考えているの。この間シンに見破られてしまったから」
ビャクグンはアイサに並んで海原を見ながら、のんびりと答えた。
「どうしてシンは気づいたのかしら? 特別な力があるとは見えないのに」
アイサは首をかしげた。
「あの子、面白い子ね。いいものを持っているわ。今はスオウに鍛えられていて……シンはいい弟子のようね」
ビャクグンは今も甲板で剣の稽古をしているシンとスオウを見て言った。
「なんだか、置いて行かれたみたいでつまらない」
アイサは頬を膨らませた。
「ふうん……じゃ、これから船が港に入るでしょ、そうしたら、出かけない?」
ビャクグンが笑う。
「いいの?」
アイサの瞳が輝いた。
「シャギルだって、ルリだって港に着けば出かけているでしょ? 構わないわよ」
「行きたいわ。是非連れて行って」
「じゃ、こっちへいらっしゃいよ。そのままじゃ、目立つから」
アイサは喜んでビャクグンについて行った。
スオウと剣の稽古をしていたシンはビャクグンとアイサが親しく話す様子に気が付いて、一瞬気が逸れた。
「シン、集中しろ。戦いで気が途切れば命を落とす」
スオウはシンの様子に気が付いて、剣を下ろした。
「あ、ああ」
シンの視線は船室に向かう二人を追っていた。シンにとって、ビャクグンは相変わらず得体の知れない人物だった。無条件にビャクグンを受け入れているように見えるアイサに対して、シンの方はもっと慎重だ。
「ビャクは信用できる。確かに、少し風変わりなところもあるが」
スオウは言った。
「そうなんだろうけど……」
シンは言葉を濁した。
ビャクグンは美しい女性だった。身のこなしも美しく、申し分ない。
「今のビャクは、クロシュで会った時の老婆とは全く別人だ。ただ、アイサは共通の雰囲気があると言っていた。僕にもわかるような気がするけど……」
スオウは、まじまじとシンを見た。
「お前たちぐらいだ、そんなことわかるのは。あの様子じゃ、あの二人はこれから港に降りるな。シン、俺たちも行くか? アイサからあのベールを借りておけ。ビャクが一緒なら、アイサにはベールは必要ないだろう」
「本当に……アイサは大丈夫だろうか?」
「少なくとも大々的に探されているのはお前の方だ。お前と一緒でなければ、アイサもそう目立つことはないだろう。第一、ビャクがついているんだ、心配ない」
スオウの言葉の端々にはビャクグンに対する信頼が感じられる。
「スオウは……ビャクのことをよくわかっているように聞こえる。そうは見えなかったけど……実はスオウとビャクは恋人同士なのかな?」
「やめてくれ」
真顔で言うシンに、スオウは何とも言えない顔をした。




