6.ウィウィップの里⑤
広場に出たアイサは、そこで里を案内してもらっているシンを見つけた。シンもアイサと同様、ウィウィップの服を着ている。シンは熱心に髭の男スダルと話をしていたが、アイサに気が付くと飛んで来た。
「アイサ、この里はすごいよ。建物の造りが僕らのところと全然違うし、優れている。それに森をうまく管理して利用しているんだ。この里のことは外で話すことはできないけど、僕らの国ももっともっと工夫することがあるはずだ。これは君の不思議な持ち物を見て思ったことでもあるのだけれど」
シンは本当に楽しそうだった。何を見ても興味が湧き、よく調べずにはいられない。アイサは本来のシンの顔を見たような気がした。
(シンはああ見えて意外とたくましいのかもしれない)
アイサは感心してシンを見た。
シンの洗われた髪がつやつやとしていて、その髪からはほんのりと若草の香りが漂っている。
「バラを使っているけど複雑だ。アイサの使ってる香、いい香りだね」
アイサがシンの若草の香りを楽しんでいるとシンはそう言い、それから慌ててスダルのところへ戻って行った。
「あら、シン様ったら……それにしても、シン様は気難し屋のスダルと気が合うようですね」
ユイがおかしそうに笑う。
「シンも気難しいところがあるから、ちょうどいいのかもしれないわね」
アイサも笑った。
「あ、長老」
ユイがアイサの後ろに下がって頭を下げた。
「この里を気に入って頂けたようですね」
広場を歩いてきた中年の男がアイサに声をかけた。
「初めまして、アイサさん。私はこの里の長老でピルムと言います」
男は丁寧にお辞儀をした。長い髪は後ろで一つに束ねられ、ウィウィップの人が皆そうであるように小柄で、その動きはきびきびとしていた。
「あなたが……私の歌っていた歌のことを聞いて招いてくださったと聞きました」
アイサは言った。
ピルムがゆったりと頷く。
「でも、それはどういうことですか?」
「お話すれば、長くなりますが……お二人ともお食事がまだでしたね。ご一緒にいかがですか? その時にいろいろとお話ができるでしょう」
「わかりました」
「それでは、また」
ピルムは広場を横切って行った。
「あの人が里の長老?」
「そうですよ」
ユイは長老を見送りながら答えた。
「ふうん……長老といっても、なんだかとっても普通の方ね。あっ、ごめんなさい。決して軽んじているわけではないのよ。ただ長老って、もっと、こう、お年寄りか、特別な気を感じさせる方かと思っていたから」
アイサは海の国の大巫女ガルバヌムのことを思い出して言った。
「長老は仲間の中から選ばれるんです。ピルム様はお若い頃からずっと長老を務めていらっしゃいますわ」
ユイの言葉には深い尊敬の気持ちがこもっている。
「里の人から信頼される立派な方なのね。ところでウィウィップの長老って、どんな仕事をするの?」
「里をまとめ、クルドゥリの人と会います。他にお薬を作ったり、里の工事や修繕の指導をしたりします。神に祈りと供物を捧げるのも長老の仕事です」
「あ、そのクルドゥリって……」
アイサは足を止めてユイを見た。
「ウィウィップの古い友好国の名です」
「それが私たちを助けるように言ってきた人の国なのね?」
アイサはすかさず聞いた。
「ええ、そうです」
「クルドゥリか……何を考えているのかしら?」
ユイを問い詰めようとしたところへ、髪を結い上げた女がやって来た。
「お客様、お食事のご用意が整い次第、お迎えに上がります。それまでお部屋でお待ちください」
この女はユイよりも年上で、ユイと比べると少し堅苦しい感じがする。
(穏やかな雰囲気を持つウィウィップの里だが、ユイはその中でも人懐っこい方なのだろう)
ユイが女に連れられて食事の用意に行くと、アイサはウィウィップの塔を見上げた。
(この里の長老ピルムか……親切にしてもらったが、この人たちの目的が何なのか知らなくてはならない。クルドゥリのことももっと知りたい。彼らは何故私たちを追って、しかも、協力するようなそぶりを見せるのか……)
「アイサ」
広場から姿を消していたシンがやって来た。
「先ほどの方がここの長老だそうだね。長老自らが里の工事を仕切られるというのはすごいな」
シンはすっかり感心した様子なので、アイサは用心深く言った。
「ウィウィップの人はいい人だけど……まだ、得体が知れないわ」
「わかっているよ。これから長老と食事をすることになるらしいけど、長老の話を慎重に聞くつもりだし、この里の友好国の事も知りたい。これからの旅の算段をするのにも役立つからね。君こそ、どこまで話すつもり?」
シンは澄まして言い返した。
「相手の出方次第よ」
つんとしてアイサが答える。
「つまり、あまり考えてないって事だね?」
「それ、どういうことよ?」
睨むアイサにシンはわざと溜息をついて見せた。
ウィウィップの長老ピルムは立派なタペストリーが掛かった部屋で二人を待っていた。
大きな木の周りに人や動物たちが思い思いに暮らしている。
さまざまな植物が絡み合い、空を飛ぶ鳥や、水の中の魚にも繋がっている。
ピルムの側にいた男がその場を去り、代わりにユイたちが料理を運ぶと、ピルムが二人を席に招いた。
「我々の暮らしは質素なものです。たいしたおもてなしはできませんが、くつろいで下さい」
ピルムは言った。
「困っているところを助けて頂いてありがとうございました」
シンが丁寧に返す。
「いや、こちらこそお二人をお招きできて本当に嬉しいのです」
シンとアイサを見て微笑むピルムにシンは聞いた。
「この森には廃墟になった家の跡がいくつかありました。オオカミを使って彼らを追い払ったのはあなたたちですか?」
固い態度を崩さないシンにピルムは頷いた。
「その通りです。彼らはどんどんこの森の奥まで入って来た。仕方ないと判断しました。我々はこの里を守らなければなりませんでした」
「あなたたちもアイサのように動物に働きかける力があるのですか?」
シンは聞いた。
「いいえ、私たちはオオカミを小さいうちから育てます。専門のオオカミ使いもいるのです」
「オオカミを使って森に近づく者を遠ざけ、よそとは交わらないあなた達が、どうしてわざわざ追われている僕らを助けてくれるのです?」
シンの問いはもっともだった。
アイサも彼らが母アエルとどのような関係だったか知らないが、この里を上げての歓迎ぶりは気になっていた。
ピルムは自分を見つめる二人に苦笑した。
「確かに我々の里はどの国にも知られていません。ですが、こんな隠れ里に住んでいるからと言っても、何も知らないわけではありませんよ。たとえば……今、あなたの兄上は各地に兵を置き、反対する者を押さえておいでだ。オスキュラの信頼を得たエモン殿は、殺された王の代わりにクイヴルの最高権威者として王にも匹敵する要職を得ることでしょう」
ピルムは言葉を切って、シンを窺った。
「兄上が……」
「ええ。ただ、まだクイヴルの国内は安定していません。近いうちにエモン殿はクイヴルの民の中から兵を徴集し、王家につく旧勢力の壊滅に乗り出さなくてはならない」
シンの顔色が変わった。
「クイヴルの国内で争いが起こると?」
「そうです。圧倒的な力の差を持って攻め込まれたくなければ、クイヴル自身がオスキュラを迎える準備を整えよ……オスキュラはエモン殿にそう言ってきました」
「そんな」
これはオスキュラとしては当然の要求だろうということは、シンも頭では十分理解できる。
それでもシンは動揺した。
(兄上は、クイヴルの民をオスキュラから守るためだと言っていた。だけど、そのためにクイヴルの民同士が戦うことになるなんて……)
「強国とはそういうものなのか。それしか道はないのか?」
シンの声は頼りなく、小さな子供のようだった。
そんなシンを見ながらピルムは付け加えた。
「ところで、シン様、あなたのことは国中におふれが出ていますよ? 見つけた者には賞金が出るそうです」
(この人は、さっきからシンを試し過ぎだ)
とうとうアイサは黙っていられなくなった。
「何をおっしゃりたいのです、ピルム殿?」
ついつい語調が厳しくなる。
「アイサ」
逆にシンの方は冷静さを取り戻し、ピルムに向き直った。
ピルムはそんな二人を見て優しく微笑んだ。
「お助けします」
「そんなことをしたら、外に関わることになる。それでもいいと?」
シンは慎重に聞いた。
「仕方ありません」
ピルムは頷いた。
「クルドゥリという国の人の頼みだから、ですか?」
アイサも聞いた。
「それもありますが、そうでなくても、あなたのその不思議な力を知ったらお助けするでしょうね」
ピルムはアイサを見つめた。
「動物を扱う力のことですか?」
「それだけではありません。あなたは、物をはじく壁を瞬時に作り出すことができる」
今度こそ、二人は驚いた。
「何故それを知っている?」
アイサは低い声で言った。
「言ったでしょう? 何も知らないわけではないと。クロシュの町でも、ラダティス公の城でも、あなたはその力をお使いになった」
ピルムはアイサとシンを交互に見た。
「そう怖い顔をなさいますな。クルドゥリも、バラホアも、ウィウィップも、古い民なのです。ゲヘナの炎が地上を焼いたとき、我々は彼らの戦いには加わらず、それまでの知識を持って隠れました。しばらくは地下に、そしてそれから我々は森の中、クルドゥリは深い山の中へ住み始めました。バラホアは未だに地下にその里があります」
「やはり……それで、見たこともない技術がここでは見られるわけですね?」
シンはピルムを見つめた。
「そうです。残念ながら、今ではその技術の多くを失ってしまいましたが、それでも我々は知っているのです。ゲヘナに対抗するシールドを開発した国のことを。争いを厭い、海に新しい住処を求めた民のことをね」
「その話とは……ただの言い伝えではないですか?」
シンは速くなる胸の鼓動を抑えてピルムに聞いた。
「本当に、そうお思いですか、シン様?」
ピルムは微笑んだ。
「現にアイサさん、あなたが持っている力はあのシールドの力でしょう? あなたは海の国からここへ来たんだ、そうでしょう?」
「アイサの力と、ものをはじく力を結びつける証拠は何もないはずだ」
答えないアイサを見て、シンが言った。
「では、こう言ったらいかがです? 地上でゲヘナが再び見いだされた。そのことをアエル様は海の国の方々に知らせたのでは?」
ピルムの真剣な表情に偽りはない。アイサの覚悟が決まった。
「ピルム殿のおっしゃる通りです」
「やはり」
「そして、あなたは? 森の中で歌った歌も、オオカミを手なづけたやり方も、そして、そのお姿も……アエル様によく似ているいらっしゃる」
「私の母の名はアエル、父は海の国セジュの住人です」
「アエル様の……お子……海の国の方か」
ピルムはアイサを見つめた。
「そうです」
「ゲヘナが復活したと知って震え上がる私たちに向かって、アエル様はおっしゃいました。ゲヘナを何とかしなければ、その方策を探さなければと。ですが、その方策を求める旅の途中で、アエル様のお乗りになった船は嵐に会って沈んでしまった……」
ピルムは目を伏せた。
「海に投げ出された母を助けたのが父です。でも、母は地上に戻ることは許されませんでした。母は父と結婚し、海の国の住人となった……それでも母の不安が消えることはありませんでした。やがて、母は娘の私が母の思いを受け継ぎ、いつかゲヘナの炎と対峙するときが来るだろうと直感したのです。母は私を神殿の中で育て、そこで私に多くのことを教えました」
「アエル様はお元気だろうか?」
ピルムの声に熱がこもった。
「母は、海の国で事故に巻き込まれて死にました」
ピルムの顔にあった光が一瞬にして消えた。
「何ということだ……」
ピルムは肩を落とした。
「母亡き後、母の直感通り、母の想いは私の中に受け継がれ、ゲヘナの炎の悪夢は私のものになりました。それが私を苦しめ、時が来たと知った大巫女様は、私にゲヘナを封じる力を持つ指輪を与え、地上を訪れる道を開いて下さったのです」
「あなたは、アエル様のお子なのですね」
ピルムは噛みしめるように言った。
「はい」
「アエル様は亡くなったのですね」
ピルムの声に静かな悲しみの色が滲んだ。
「はい。私が幼い時に」
アイサは答えた。
ピルムの悲しみの気持ちが偽りないことは明らかだった。
「母をご存知でしたか?」
「はい。私に薬の手ほどきをして下さったのは、アエル様でした」
ピルムはそう言うとアイサに尋ねた。
「アエル様は海の国でお幸せでしたか?」
「母は父と結婚するために、命を賭けてセジュの洞窟に入りました。自分の意志に反してできることではありません」
アイサの輝く瞳に引き込まれて、ピルムは頷いた。
「それを聞けたことは私にとって何よりの幸せです。ただ、これからあなたのなさろうとしていることは、どんな方にとっても、困難極まりないものとなることでしょう。ですから、我々も協力いたしましょう。ここでお休みになっている間に必要なものを整えます」
こう言うとピルムはじっと話を聞いていたシンに聞いた。
「それで、シン様はこれからどうなさるおつもりです?」
「ピルム殿、僕もアイサと一緒にオスキュラへ行くつもりです。僕には知らないことが多すぎるんです。アイサを手伝いたいし」
「シン……」
「それでこの森に入ったわけですね?」
ピルムは微笑んだ。
「そうです。でも、これから先、フィメル港からススルニュアに向かうか、国境を越えてグランからオスキュラに入るか迷っていたのです」
「事情はわかりました。クルドゥリの人たちの言った通りだ。しばらくお待ち下さい。ここに彼らがやってきます。彼らはあなたたちの力になってくれるでしょう。さあ、十分に食べて、休んで下さい。今まで無理をしてきたのですから」
その後のことを、アイサはほとんど覚えていなかった。口当たりのいい果実酒のせいで、すっかり眠くなってしまったのだ。
シンはずっとピルムと話し込んでいる。
「少し休ませてもらいなよ」
シンにそっと耳元で言われて、アイサは頷くのがやっとだった。
部屋に戻り、ぐっすり眠ってしまったアイサが目を覚ましたのは夕暮れだった。顔を出したユイに聞けば、シンはスダルと出かけたという。
置いてきぼりになったアイサは夜までユイと過ごすことになった。ユイはアイサの退屈を紛らわそうと、ウィウィップの暮らしや物語など、いろいろな話をしてくれた。そんなユイの話はおもしろかったが、アイサはシンがいなくて何となく手持無沙汰だった。




