4.クロシュの占い師③
シンとアイサはクロシュの街中をぶらぶら歩き回った後、ポムの店に入った。カウンターにはセグル、カヌ、チュリの姿が見えた。
「やあ、ついにシンもお出ましか」
チュリは得意そうに一杯やっている。
「これだけだぞ、チュリ。お前は、まだまだ半人前なんだからな。これは、シン様……」
ポムは少し戸惑ったようにシンに挨拶した。
「やあ、アイサ」
「こんばんは、アイサ」
アイサは顔見知りらしい客に声をかけられている。
「シン、来る頃だと思っていたよ。会いたいと思っていたんだ」
客と話すアイサに目をやっていたシンに、セグルは難しい顔をして言った。
「やっぱり……アイサは何度もここへ来ていたんだな?」
シンが小声で聞く。
「ああ、いつも長くはいられないんだが。ブランていう奴がうるさいんだって?」
セグルは笑った。
「セグル、なぜ僕に知らせてくれなかったんだ? コル爺にでも言っておいてくれれば……ストー先生の家に手紙を置いてくれたっていいじゃないか?」
シンは自分の知らないところで物事が進んでいることが妙に腹立たしかった。
(こんな気持ちは自分には無縁だと思っていたはずなのに)
苛立ちながらも戸惑うシンに、セグルは言った。
「いいか、シン、アイサはお前に迷惑をかけたくないと思っている。なるべく早く城を出たいとも言っていた。だから、俺たちも協力し始めたんだが、なんだか、それどころじゃなくなってきてな……」
セグルはシンの顔を見て言葉を濁した。
「どういうことだ?」
「シン、ここに来る途中で気づかなかったか? 町の様子が、ここのところいつもと違うんだよ。特に夜はよそ者が目立つようになった」
シンはさっきアイサとぶらぶらした街中の様子を思い出した。
(確かに……アイサは何も言わなかったが、クロシュの者でも商いにやって来た旅の者でもない、かといって周りの村から遊びにやって来たような様子でもない……そんな奴らを何人も見かけた)
シンはポムの店の客に目をやった。
酒の入ったコップを持ったまま、チュリが顔を近づける。
「先に気が付いたのはアイサだったんだ。アイサはすっかりこの町のことがわかっている。驚くよ。ここには、アイサと話がしたくて来る奴もいるくらいだ。欲しい情報のためなら、アイサは金も払っている」
「えっ? 情報? 金だって?」
シンは耳を疑った。
「アイサがいろいろなことを知りたいって言うんだよ。アイサは自分のことが思い出せないんだ。手伝うのが仲間だろう?」
当然のように、カヌも真面目な顔で言った。
「仲間って……お前達、いつからアイサと仲間ってことになったんだ?」
シンは目の前に揃った三人の顔をまじまじと見た。
「そりゃあ、初めて会った時からそんな気がした」
セグルが口ごもり、カヌが大きく頷く。
「ところで、お前はどうなんだ、シン?」
チュリがいたずらっぽく聞いた。
「気苦労の、種だ」
シンが詰まりながら答えると、セグルとチュリが笑い出した。
「ひどいな、みんな。誰が何て言ったってアイサはいい子だよ」
カヌは膨れ、チュリとセグルは笑いながら交互にカヌの肩を叩いた。
話題の主のアイサに目をやると、アイサは店に入ってきた旅芸人たちと話をしている。そのうちにアイサは旅芸人の女から踊りのステップを習い始めた。
陽気な音楽が加わり、店の客も手拍子を打ち始める。
音楽と踊りに誘われて、カヌが客の輪に加わった。カヌの姿を目で追いながら、シンは賑やかな店内の空気に圧倒されていた。
「おい、隅のテーブルの客たちを見ろよ。この曲を知っている感じだ。口ずさんでいる奴もいる」
チュリが囁いた。
その顔からはさっきの明るい表情が消えている。
「見かけない奴らだろう?」
セグルがシンを見た。
その声も低い。
「ススルニュアの曲だってさ」
戻ってきたカヌが得意そうに言った。
「ススルニュアと言ったら、遥か南の国だぜ?」
チュリの声は緊張している。
「そうかい? だけど……ええと……あの人たち、どこから来たって言っていたかな……ザ……ザ……」
カヌは首をひねった。
「ザク?」
シンが聞いた。
「そう、ザクだよ。ザクって言ってた」
「ザクはクイヴル西部の領だ。ススルニュアとも近い。だけど、何故ザクの人がこんな所にいるんだ?」
「それだけじゃないよ、シン。この前来ていた人たちは……何て言ったかな……ク、カ……」
カヌはまた首をひねった。
「カンアリだろう?」
今度はセグルが助け舟を出した。
「カンアリ? 王都サッハのあるビスイ領の隣の領だ」
シンは嫌な予感がした。
「それでね、あのときは王都で流行っている歌を教えてくれたよ」
カヌは顔を輝かせ、その歌の断片を歌いだした。しかし、シンは歌どころではなかった。
(王都? どうして王都の者が今こんな所に? それにアイサに声をかけた客も、ただの旅人とは様子が違う。旅の者のように見せてはいるが……どうしても……どこかの兵のように見えてしまう。街中でも、よそ者の姿が多く見えた。でも、おかしいじゃないか? 城では、誰もクロシュの町にこんなによそ者がいるなんて言っていなかった。父上だって、何も……)
黙り込んだシンに、セグルが言った。
「シン、父さんが言っていたんだが……ラダティス様は、ファニの町や村を守る兵士の数を半分にして、残りの兵はサッハを守るエモン様の軍の指揮下に入るよう命じたんだってな?」
これを聞いたシンは眉を寄せた。
「そんな話は聞いていない。父上は、ファニの町や村を守る兵を減らすことは考えていなかった。王都サッハの守りは大事だが、父上はファニをないがしろにするような方ではない。それは、たとえ、兄上がどう説得しようと譲らないはずだ……」
シンの様子を注意深く見ていたセグルは続けた。
「これも父さんが言っていたんだが……いざとなったら、エモン様は王都からこのファニに、ご自分が預かるサッハの軍を連れて来てくださるそうだよ」
「無理だ」
シンは即座に答えた。
「だって、ここはクイヴルでも辺境の地だぞ? どう考えたって、先に攻められるのは王都サッハだろう? ファニがいざとなるようなときには、王都は……」
「ここのところ、見かけない奴らが次々とこのクロシュに入り込んでくる。それも、この近辺の者じゃない。おそらく王都の兵だ」
セグルはシンを見つめた。
チュリもあたりの様子を窺って、声をひそめる。
「エモン様が呼んだのか? だけど、早すぎるじゃないか?」
「国境にはオスキュラの軍、それに対して何もできない王都サッハ、そして、ここに来て、おそらく王都の兵がクロシュに集まって来た。エモン様はサッハの偉い軍人だ。シン、エモン様は何を考えているんだろうな?」
セグルも言った。
二人に見つめられ、シンは身震いした。
(オスキュラはクイヴルを狙っている。父上は戦う気だ。兄上は、ここファニでオスキュラを迎え撃つ気か? だが、王都サッハを抑えられれば、いくらファニが抵抗したって、クイヴルは終わりだ。それに、オスキュラには相手をあっという間に屈服させる神の雷があるという。それがアイサの言うゲヘナだったら……それを使われたら、どこの国だって終わりだ……ファニなんか、ひとたまりもない。それがわかっていて……兄上ならば……負けるとわかっていて戦うだろうか? 兄上は、父上とは違って冷静な計算をする。兄上ならば……どうする?)
シンの頭がのろのろと動き始めた時だった。アイサと話をしていた客が席を立った拍子にテーブルの上のグラスが床に落ち、派手な音を立てて割れた。
慌ててアイサの姿を確認したシンに、チュリが目くばせする。
「アイサなら、心配いらないよ。いざとなったら俺たちもいるし、相手が強そうな奴らだったら、彼女を連れて逃げる」
「っていうか、チュリ、彼女、強いよ」
カヌがシチューの最後の一口を口に放り込みながら言った。
「ああ、こっちへ来る」
チュリの声が弾む。
戻ってきたアイサは、シンが口を開く前にシンに聞いた。
「ねえ、シン、ブルールの森ってどこにあるの?」
「ファニの北に連なるパセ山地の麓だ」
思わずシンは答え、アイサを見上げた。
「さらに奥に入ると、オオカミが出る。俺たちは近づかない。昔からの猟師が、猟の季節にうろつくだけだよ」
シンの言葉にカヌが続ける。
「どのくらいかかる?」
「ここから馬で半日といったところだろう」
こう答えながらも、シンは強く光るアイサの瞳に問うような目を向けた。
アイサはさらに声を落とした。
「シン、あの人たちはあなたのお兄様が連れてきた王都の兵よ。彼らはこんな事も言っていたわ……俺たちには神の雷があるってね」
(まさか……まさか兄上は……オスキュラに寝返る気か……?)
シンは血の気が引いて行くのがわかった。
「神の雷?」
セグルがチュリを見た。
チュリが首を振る。
「ねえ、それは何だい?」
カヌがシンとアイサを見た。
「強力な武器で、このクロシュの町くらい簡単に破壊できる」
アイサは答えた。
「ひぇっ」
カヌが声を上げ、セグルとチュリは顔を見合わせた。
「まさか」
「それはあまりにも大袈裟じゃないか、アイサ?」
「神の雷の話は……聞いたことがあるよ」
「シン、その話って……」
セグルが聞いた。
「神の雷で焼き払われた村や町の話だ」
呆然とするシンの目の前には、アイサがいた。さっきまで旅芸人の音楽に合わせてススルニュアのステップを踏んでいたアイサの頬は、まだほんのり赤い。
「アイサ」
店の主ポムがアイサに近づいた。
「ロスから伝言だよ。凄くよく当たる占い師を紹介するそうだ。何でも聞くといいとさ。これから浮き雲亭に行けるかい?」
冷たいジュースを手渡しながら、ポムがウィンクする。
「もちろんよ」
アイサの返事は早かった。
「場所は前に使いに行ってもらった酒屋の通りだ。すぐ近くだよ。わかるかい?」
「浮雲亭ね? 大丈夫よ。ポムさん、いつも優しくしてくれてありがとう」
「いや、街中に不自然なほどよそ者が入って来るんで、俺も気になっていたんだよ。災い事にならなければいいが……」
ポムはちらりとシンを見て、心配そうに言った。
アイサは黙って頷いて支払いを済ませ、ポムにロスへの礼金を預けるとシンを促して店を出た。
「俺たちも行こう」
飲み代を置いたセグルに頷いてチュリ、カヌが続いた。




