04 世話焼き男子の、隠れた本音
「うわ、湊! 大丈夫か」
慌てて手を伸ばした月城くんが、お湯を止める。だけど僕の方は、頭からかぶったシャワーのお湯よりずっと強烈な言葉に頭を殴られていた。
不用意に尋ねてはいけないことを、聞いてしまった。
「ごめん……変なこと聞いて」
動揺しながら謝ると、月城くんは湿った髪から水滴を垂らしながら、困ったように小さく笑った。
「別に俺が言ったことだし。それにもう昔のことだから」
「……辛いこと、思い出させてごめん」
「平気だって。……俺がちゃんと、見ててやればよかっただけだから」
彼はあくまで気丈に振舞っていたけど、目の奥が少しだけ陰っているように見えて、僕の心がざわついた。
僕が「ハル」と間違われたのも、あの夜抱きしめられたのも、全部、月城くんが亡くなったその人に対する、強烈な未練と後悔ゆえのことだとしたら?
自分でも驚くほど、胸がキリキリと痛んだ。
でも、それは思いやりとか同情でもない、自分勝手な痛みだった。
その日はそれ以上、なにも聞けなかった。
僕は黙って月城くんの髪の泡を流してやり、それから背中を手早く洗った。必要最低限の動きで、さっきよりも事務的に。もう絶対に、「ハル」については話題にしなかった。
月城くんも、そのあとはずっと黙っていて、時折僕に撫でられると気持ちよさそうに細めていた目を、じっと閉じていた。
僕はその日以降も、怪我をした右手を気にしながら着替える月城くんを手伝い、一緒に食堂へ行き彼の配膳を手伝った。
授業中は彼のためにノートをとってあげて、休み時間には次の授業の準備を手伝う。そんな日々が一週間ほど続いた頃には、僕はすっかり月城くんの世話をすることが日常になっていた。
けれど、あの日以降、僕の中では月城くんを見る目が少しだけ変わった。
以前よりもずっと、月城くんが僕に構う行動の裏側が透けて見えるようになってしまった。
ふとした時に、月城くんは「あぶない」とすぐに僕の手を引く。僕がため息をひとつでも吐けば「疲れたのか?」と顔を覗き込み、ご飯をちょっと残しただけで「食欲ない?」と食い入るように見つめてくる。
「お前、ちゃんと食わないとすぐ調子悪くするだろ」と、過保護なくらいに。
今までは彼の人柄と優しさだと単純にくすぐったく感じていた行動の裏に、罪悪感や贖罪の気持ちが隠れているかもしれないと思うと、途端に彼の過保護な優しさが怖くなった。
君はいったい、僕の向こうに誰を見てるの?
誰かの代わりができるほど、僕は図太くできていない。ただの同級生だ。ただ、たまたま相部屋になっただけの。
だけどその一方で、大切な人を失った悲しみを背負う月城くんを何とかしてあげたいという、傲慢な気持ちもあった。
もし僕が「ハル」という人なら、月城くんのその痛みを全部拭ってあげられたのに。
そんな大それたことを考えてしまう自分が、どうしようもなく惨めだった。
いつの間にか、彼の隣が僕の特別な場所になっていた。
月城くんが笑ってくれるだけで、心の中がポカポカとしてきて、居心地がよかった。それなのに、彼の優しさの宛先は僕じゃない。
これ以上気持ちが止まらなくなる前に、離れた方がいいのかもしれない。
僕の気持ちはふわふわと雲のように揺れ動き、頭のなかは矛盾でいっぱいだった。
結局僕は、月城くんとの間にそっと見えない壁を作り始めていた。
表面上は今まで通りに振る舞っているつもりだ。だけど僕から彼に触れることは一度もないし、あいかわらず撫でられることは拒否しないけど、表情を変えないように身構えるようになってしまった。
別に今までと同じだ。なのに、なぜか心の奥底が抜けてしまったような喪失感がなくならない。
***
体育祭の練習が始まった。
「一応先にルールだけ説明しとくな」と体育委員の岡崎くんが説明を始めた。
僕が出場する障害物競走の練習は、借り物競争の要素も混ざっているらしい。「お題の紙を拾い、お題の人物を連れて一緒に走る」という変則ルールだ。抽選で引いたお題によっては、誰かを探す手間が発生する。
これが非常に、非常に僕には不向きだった。
この要素が混じっていると最初に知っていたら絶対に選ばなかったのに。いや、でもきっと他の種目も何らかの罠が仕掛けられているはずだ。本当に全部が全部、誰かの協力が不可欠な種目になっている。
この学校の教師たちは、ぼっち学生の気持ちを理解していない。
けれど、不幸中の幸いというか、僕が出るレースの練習は体育祭前日の一回だけらしい。ほぼぶっつけ本番だ。リレーと違って、人に迷惑をかける可能性は少ないだろう。そう思うと少し気が楽だ。
問題はリレーの練習の方だ。
リレーメンバーは四人。
第一走者は寮長でもある山下くん、第二走者の岡崎くん、第三走者の佐々木くん、そしてアンカーの月城くん。
補欠には僕が登録されていたから、一応僕も練習に参加しなければならなかった。
聞いたところによると、みんなかなり速いらしい。リレーとかに登録される人ってだいたいそうだよね。
ただでさえプレッシャーなのに、追い打ちをかけるように月城くんは今、右手に怪我をしている。一応体育祭前に抜糸できるらしいのだけど、さすがにまだバトンパスはできない。
ということで、今日の練習では怪我をしている月城くんに代わって、僕が代走を務めることになっていた。
「湊、緊張してる? 体調悪いんじゃないのか?」
練習前、体操服に着替えてストレッチをしている僕に、月城くんが駆け寄ってきた。右手はまだ包帯で固定されている。
「別に。大丈夫だよ」
「ウソつけ。顔、真っ青じゃん。手も震えてるし。具合悪いなら保健室行こう」
「違う。少し緊張してるだけだから、大丈夫」
何を言われても大丈夫だとしか言えないけど、本当は怖くて怖くて仕方なかった。
僕がリレーに参加するなんて無理なんだ。月城くんはそんな僕の様子を見て、何か言いたそうに口を開きかけたけど、結局「無理すんなよ」とだけ言って離れていった。
そんな気遣いさえ今は重たくて、僕は俯く。
「じゃあ、ちょっとバトンパスの感覚試してみようぜ。ほら、白倉も」
岡崎くんに呼ばれて、僕はしぶしぶトラックの練習場所へ向かった。
今日はトラックを使って、実際にバトンを使って渡す練習だという。本格的すぎて吐きそうだ。
リレーの要は、なんといってもバトンパスだ。バトンを受け渡すタイミングが勝敗を左右するといっても過言じゃない。
前の学校では、僕は第三走者をやっていた。練習のときから何度もミスをしてきたけど、その度にクラスメイトは「ドンマイ!」と明るく励ましてくれた。
なのに僕は本番でも、結局同じミスをした。
「白倉。とりあえず俺とやろうぜ。航の代わりやってくれよ」
佐々木くんは、相変わらず穏やかな笑顔だ。普段通りの落ち着いた態度は、むしろ僕みたいにビビり散らかしてる人間にとってはありがたい。
僕は何も口に出せず、黙ってうなずいた。
まず歩きながら簡単に受け渡しの確認をして、少しずつスピードを上げていくという流れらしい。
スタート位置についた僕は、手渡されたバトンを握りしめる。手に馴染む感触が、かつての嫌な記憶をまざまざと思い出させた。
「いきます。スタート」
佐々木くんの合図とともに僕はゆっくりと走り出し、背後から佐々木くんが近づいてくる足音が聞こえた。そして「はい」という小さな掛け声とともに、手のひらに固い感触が伝わる。
ただそれだけのことなのに、心臓が破裂しそうなほど緊張する。
手汗がひどくて、バトンが滑り落ちそうだ。
「一回止まって」
佐々木くんの指示で足を止めると、彼は落ち着いた口調でアドバイスをくれた。
「白倉、もっと手を後ろに高く上げて。親指は下向きに。あ、それと手のひらの角度がちょっと斜め過ぎるかも。俺が差し出しやすい角度があるから、次はそれ試してみよう」
こういう細かいところを具体的に言語化して指導してくれるのは、ありがたい。佐々木くんはリレー経験者なのだろうか。理解しやすい。
けれど、一応本番は僕じゃなくて月城くんが走るのに、単なる補欠の僕にやたらと指導が細かい。
僕の訝しげな視線を受け止めた佐々木くんは、「航が間に合わないかもしれないからな」なんて恐ろしいことを笑いながら呟いてきた。いやいや、それ、冗談じゃすまないから。
「じゃあ、もう少しスピード上げるぞ。せーの」
歩く速度から、小走りくらいの速度に切り替わる。そしてまたバトンが渡される。ドン、と手に重みが伝わった瞬間、フラッシュバックのように脳裏に蘇る映像があった。
バトンを落とした瞬間の、グラウンドに響いた乾いた音。周囲のざわめき。チームメイトの絶望した顔。
僕の手の平からバトンがするりと抜け落ちたのは、その直後だった。
「……あっ」
カラン、と鈍い音がしてバトンが地面に落ちる。時間が止まったような錯覚に陥った。
「悪い、今の俺の渡し方が下手だったな」
佐々木くんがすぐに拾い上げてフォローしてくれたけど、僕の耳には届かない。耳鳴りのようなものがして、視界がぐにゃりと歪む。
またやってしまった。まただ。練習ですらまともに走れない。どうして。この学校ではまだ誰も、僕を責めたりしないのに。
「白倉! 大丈夫か、ちょっと休憩しよう」
岡崎くんの呼ぶ声が遠くに聞こえる。僕は地面に手をついて、ぜえぜえと息を乱していた。佐々木くんが心配そうに背中をさすってくれている。
「ごめんなさ、僕……」
掠れた声で謝ると、誰かが強い口調で叫んだ。多分岡崎くんだ。
「ちょっと、一旦中断しよう。白倉の顔色がやばい」
「そうだな」
山下くんの冷静な判断で、その場の練習は一時中断された。
僕は佐々木くんに肩を支えられてトラックの脇まで歩き、座り込んだ。
足が震えている。手も震えている。過呼吸になりそうな自分を必死に落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
そこへ、月城くんが走り寄ってきた。右手に包帯を巻いたままで。
その姿がどうしようもなく僕の罪悪感を刺激する。
「湊!」
「……ごめん。月城くん、右手使えないのに、僕のせいで」
「そんなこといいから。具合悪いなら言えって。今日はやっぱりやめとこう、な? 寮に戻ろう」
月城くんの声は優しかったけど、それを素直に受け取れない自分がいた。
絶対大丈夫じゃない。早く怪我を治して、代わりに走って欲しい。
そんな僕の弱音は、彼を失望させるだろうか。それとも、怪我をしてまで庇ってくれた善意を裏切ることになるだろうか。
なんにも言えずに俯いている僕の腕を、月城くんが左手で掴んだ。その手の大きさと熱さにドキリとする。
「歩けるか? 肩、貸すから」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない奴が、大丈夫って言うなよ」
それ以上、何も反論できなかった。僕は結局月城くんに付き添われる形で、グラウンドをあとにした。
寮の部屋に戻るなり、月城くんは強引に僕をベッドに座らせ、自分はデスクの椅子を持ってきて僕の正面に陣取った。逃がさないという姿勢がありありと見える。
「湊。前の学校で、何があったか教えてくれないか」
単刀直入な問いだった。逃げ道を塞がれた気分になる。
僕はしばらくの沈黙のあと、ぽつぽつと話し始めた。
「前の学校の体育祭で、僕はリレーで走ることになって」
「うん」
「それで、練習のときから何度かミスしてて。バトンを落としたり、うまく渡せなかったり。でもみんな『本番は大丈夫だ』って励ましてくれて……」
「それで?」
「本番で、僕、やっぱりバトンを落としたんだ。走りながら受け取ろうとして、掴み損ねて」
言いながら、あの時の情景が克明に蘇る。ゴール前の直線。テイクオーバーゾーン。僕が全力で走り抜けた先で、待っているはずだったアンカーのチームメイトに、僕はバトンを繋ぐことができなかった。
渡す相手の彼が一瞬だけ、顔をしかめたからだ。それだけで、僕は彼の領域に入ることができなくなった。
結局バトンは地面に落ちて、相手が拾い上げてくれたけど、それでまたタイムを大幅にロスして、結局最下位になった。
競技が終わったあと、直接的な罵倒はなかった。だけど、みんな遠巻きに眺めてくるだけで、誰も口をきいてくれなかった。
「真面目にやれよな」
誰かが小さく呟く声だけが聞こえた。
受け取るときも、渡すときも、僕はバトンを落としたからだ。
大真面目にやってるのに、僕のせいで負けてしまったから、何を言っても言い訳になる。だから謝ることしかできなかった。
他人に自分の領域へ踏み込まれることも、自分が他人の領域に踏み込んで拒絶されることも怖い。
他人と連携を取ることができない僕にとって、バトンパスは、他人が自分の境界線を越えて踏み込んでくる、最も恐ろしい瞬間だ。
僕の脳細胞が、テイクオーバーゾーンを誰かと自分の領域が重なる領域だと認識してしまってからは、もう直接バトンを受け取れなくなってしまった。
こんな面倒くさい自分の特性が、性質が嫌で嫌で仕方なかった。
僕が、みんなと同じように『普通』に、できればいいだけなのに。
僕のつまらない話を月城くんは遮らずに聞いてくれて、僕が話し終えると大きくため息をついた。
「そっか……だからリレー嫌がってたんだな」
「うん」
「でもさ」
と月城くんは身を乗り出す。
「もう誰もお前のこと責めたりしねえよ。今のクラスメイトはそんなんじゃねえし。大体補欠の湊にそんなプレッシャー与えねえ。もし本番でミスしても、誰も文句なんか言わせないし」
「でも、本番で月城くんが走れなかったら、僕のせいでもあるし」
「お前のせいじゃねえって。俺が怪我したせいだろ。もともと」
「違う、僕が」
「違くない」
言い合いになりかけて、月城くんが急にぐっと黙り込んだ。
「……とにかく。無理すんな。今日みたいに体調悪いなら練習なんて休んでいいし。つか、湊はもう参加しなくていい。岡崎に俺から適当に言っておくから。それに、あと少しで俺の手も完全に治るから、そしたら俺が走るし。本番は、湊が頑張らなくても大丈夫だから」
その言葉が、妙に棘のあるものに感じられた。
頑張らなくてもいい。無理するな。その言葉自体は、かつての僕が喉から手が出るほど欲しかったセリフだ。
なのに、今の僕の心にはちっとも響かない。
月城くんの言い分は正論なのに、それを受け入れられない自分がいる。
「……月城くんは、どうしてそこまで僕に構うの?」
気づけば、口からこぼれ落ちていた。ずっと聞きたかったけど聞けなかった疑問。
月城くんは一瞬面食らった顔をして、それから困ったように眉を下げる。
「どうしてって……そりゃ、ルームメイトだし。それに、なんだかお前、放っておけねえし」
「放っておけないって、どうして? 僕が月城くんの弟みたいだから? それとも、亡くなったハルって人に似てるから?」
「……は?」
月城くんが明らかに動揺したのがわかった。その名前を出したことで、彼の表情が強張る。
その反応を見て、ああ、やっぱりそうなんだ、と僕の中であきらめにも似た気持ちが広がった。
「月城くんは、僕のこと、ずっと誰かの代わりとして見てるんだよね」
「待て、何言って」
「僕がハルって人に似てるから、だから構うんでしょ。可哀想な僕を助けてあげようって、罪滅ぼしみたいに」
「湊?」
「月城くんはなんで僕に優しいの? 初日から距離が近くて、髪を撫でてきて、寝ぼけて抱きしめてきて。あんなの普通の距離じゃないよ。ずっと我慢してたけど。僕は誰かの身代わりになれるほど図太くなれない」
途中から自分の声が震えているのがわかった。視界が滲んでいく。
気づかれないように、気づかれないように。ずっと堪えていた感情が、決壊してあふれていく。もうぐちゃぐちゃだ。
「ちょっと、待て、落ち着け。湊、お前なんか誤解してる。ていうか……ハルは、その」
月城くんは何かを言いかけ、驚いたように目を見開いた。それから、なぜか耳の根元までカッと赤く染めて、信じられないものを見るように僕を凝視する。
落ち着けと言いながら、月城くん自身が完全にパニックに陥っているようだった。
僕の方は唇をかみしめて、嗚咽をこらえるのに精一杯だった。僕だって意味不明なことを言っている自覚はある。自分が情けなくて恥ずかしい。
なんで僕はこうやって人を困らせてばかりなんだろう。
「ごめん。僕ちょっと頭冷やしたいから外出てくる」
立ち上がり、部屋を出ようとすると月城くんが腕を掴んできた。痛いほどだ。
「いい、俺の方がいったん部屋出るから。湊は部屋で休んでてくれ。あとでゆっくり話そう」
そのまま半ば強引に押し切られる形で、顔を奇妙に強張らせて赤くした月城くんが、逃げるように部屋を出て行った。
部屋の扉が閉まる音が虚しく響いた。ひとり取り残された部屋はシンと静まり返っていて、普段よりもずっと広く感じる。
多分、僕は月城くんを傷つけた。
気がつかないふりをして、そのまま身代わりを演じ続けていればよかったのかもしれない。でもなんだか耐えられなくなってしまったのだ。
さっきまで月城くんが座っていた椅子が視界に入った。そこに彼がいないだけなのに、すごく寒くて。
胃のあたりが鈍く痛んで、鼻の奥がツンとする。
自分の心の奥底にある感情の名前がわからない。悲しいのか、苛立っているのか、怖いのか。
***
月城くんは夕食の時間になっても戻ってこなくて、僕は久しぶりに一人で食事をした。
最初は苦痛でしかなかった月城くんとの食事が、いつの間にか当たり前になっていた。はじめて会ったその日からずっと世話をされて、月城くんが右手に怪我をしてからは、逆に世話をしているうちに、それが習慣になっていたのだ。
いつも賑やかに喋っていた彼が隣にいないと、食堂がこんなにも静かだなんて忘れていた。
結局、月城くんが戻ってきたのは消灯時間ギリギリになってからだった。
「湊、今まで我慢させてごめんな。俺めちゃくちゃ反省したから。これ以上湊に迷惑かけないようにする。だからもう少し待ってくれ」
どこか思い詰めた様子でそう告げてきた月城くんに、僕は思わず気になっていたことを確認した。
「月城くん、ごはんは? お風呂は?」
「あー。ちょっと色々あって適当にすませた。お風呂はとりあえず響んとこのシャワー借りた」
「え?」
「もう、湊に迷惑かけないから。本当にごめんな」
それだけ早口で述べると、月城くんはじゃあと言って、脱衣所で着替えはじめた。
いつもなら、全く気にせず僕の目の前で着替えるのに。
シャワーは佐々木くんの部屋で済ませたっていうことは、僕の存在を極力排除したんだろう。
自分から突き放したくせに何故かモヤモヤする。
月城くんは自分のベッドへと行き、僕に背を向けて横になった。
もう今日は僕も寝よう。
電気を消して自分のベッドに潜り込む。視界の端に見えるもう一つのベッドの中にいる月城くんは動かない。
「おやすみ」
絞り出すように発した僕の声に、一瞬の沈黙があった。闇の向こうから、月城くんの掠れた声が返ってくる。
「ああ。おやすみ、湊」
いつもなら、その後に続くはずの他愛のないやり取りはない。闇の中、衣擦れの音すらしない。
頭を撫でてこなかったな、と気がついた。その「いつも」が消えただけで、部屋の空気がこんなにも冷え切ってしまうなんて。
僕は布団を頭まで被った。自分で望んで壁を作ったはずなのに、その距離がこんなにも鋭く僕の心を切り刻むとは。
その日は、いつまでも寝付けなかった。




