第九十五話「カナと、降伏勧告と、あと記憶喪失」
ヴァルデマールの言葉に、食堂の空気が重くなった。
元勇者パーティのトール。
そしてカナ。
ファスタ侵攻。
その三つの言葉が並んだだけで、誰もがただ事ではないと理解した。
ごくり。
誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。
むしゃむしゃ。
肉を貪り食う音も聞こえた。
もちろん、アルドだが。
食堂の空気が重くなろうが、国家の危機が語られようが、目の前の肉に罪はない。
ならいただく。
それだけ。
「ヴァルデマール卿」
ジェイルだった。
「卿は、勇者について何か情報をお持ちなのですか?」
ヴァルデマールは、大きく頷いた。
「ああ。情報は来ていた」
その表情は重い。
「しかし、私は何かの間違いだと思っていた。あるいは、何かの罠だと」
「罠……ですか」
「そうだ」
セレスティアが、アルドの口元をナプキンで拭いながら問いかける。
「私も初耳です、お父様」
「当然だ。この話は、他言無用とされていた。国家の存亡にかかわる問題だったからだ。ただし、人の口に戸は立てられぬ。巷では噂になっていたようだ」
ヴァルデマールは娘を見た。
アルドは無言で食っていた。
ヴァルデマールは、ゆっくりと周囲を見た。
「ここにいる者たちは恩人だ。信用できる。私は皆を信頼して話そうと思う」
「承知しました」
セレスティアが頷く。
ジェイルも無言で頷いた。
「半年ほど前……、正確にはガルディアスの件が起きる一か月ほど前のことだ」
ガルディアスの事件。
ヴァルデマールが寄生され、城が落ち、セレスティアたちが砦へ逃れた、あの悲劇。
その一か月前。
「ファスタ城に、勇者パーティの一人、カナが現れたそうだ」
アルドの食べる速度が、落ちた。
カナ。
あんの野郎。
そんな前からファスタに来てやがったのか。
アルドは奥歯で肉を噛み潰す。
「当時、ファスタ王はカナの帰還に大いに喜んだという」
ヴァルデマールは続けた。
「勇者は行方不明。死んだと思われていた。そんな中で、勇者パーティのひとりが戻ってきたのだ。当然だろう」
ファスタ城、謁見の間。
その光景を、ヴァルデマールは聞き知った情報として語る。
玉座に座すファスタ王。
左右に並ぶ側近たち。
重装の近衛兵団。
その中央に、一人の女が立っていた。
カナ。
かつて勇者と共に魔王討伐へ向かった、人類の英雄の一人。
「カナよ。よくぞ戻った。無事であったか」
ファスタ王は、玉座から身を乗り出した。
「んー、まあね」
カナは軽く手をひらひらさせた。
王の前だというのに、礼も浅い。
態度も軽い。
側近たちの眉が動いた。
だがファスタ王は、咎めなかった。
生きて戻った、それだけで十分だったからだ。
「勇者アルドはどうした。他の者たちは。そなたは今まで、どこで何をしていた」
王は問う。
「んー。まぁいろいろ」
カナは答えた。
あまりにも雑に。
謁見の間がざわつく。
「いろいろ、では分からぬではないか」
ファスタ王の声が少し硬くなる。
「勇者は人類の希望。その行方は、全ての国に関わる問題なのだ。そなたには説明する義務がある」
「義務、ねぇ」
カナは、つまらなそうに天井を見る。
「そういうの、ほんと好きだよね。王族って」
「カナよ!」
「はいはい、怒らないでよ」
まるで友人にでも話すような口調だった。
兵たちの視線が集中する。
その全てを、カナはまともに受け止めていないように見えた。
「私は問うているのだぞ!勇者アルドはどうした!」
ファスタ王の語気が荒くなる。
「生きてるよ」
その一言に、謁見の間が揺れた。
「なんと!生きているのか!」
王の顔が、安堵と驚愕にほころぶ。
側近たちも互いに顔を見合わせた。
勇者アルドが生きている。
ならば、まだ希望はある。
そう思った者もいただろう。
だが、カナは面倒くさそうに溜息をついた。
心底、面倒くさそうに。
「で、本題なんだけど。さ」
「本題?」
「ファスタは、魔王様が接収することに決まったから」
凍りついた。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
カナは続ける。
「直ちに無条件降伏しな。国民も、領土も、全部まとめて魔王様に献上。交渉じゃないよ?これ決定だから」
「……何を」
「命の保証もしない」
カナは、にこりと笑みを浮かべながら言った。
「大人しくしてれば、温情があるかもしれないけど」
「嘘だっ!そんなはずない!」
食堂で、ジェイルが椅子を蹴るように立ち上がった。
リアがびくりと肩を震わせる。
セレスティアも驚いてジェイルを見る。
ジェイルは拳を握りしめている。
「勇者が裏切ったって噂は聞いていた。だが、俺は……」
言葉が詰まる。
ジェイルだけは、ずっとアルドを信じていた。
何かの間違いだ。
そんなことがあるはずない。
だが、ヴァルデマールの顔は真剣だった。
嘘を語っている顔ではない。
「ジェイル殿」
ヴァルデマールは静かに言った。
「私も信じなかったのだ。昨日、情報を聞くまでは」
「……操られていたんじゃないのか。ヴァルデマール卿のように」
ジェイルが低く呟く。
その言葉に、セレスティアの表情が険しくなる。
ヴァルデマールを侮辱したわけではないが、そう取られても仕方がない言い様だった。
ジェイルも、それに気が付く余裕がない。
確かに、ジェイルが言った、その可能性は大いにある。
勇者パーティも、何者かに操られていたのではないか。
そう考える方が納得できる。
しかし、アルドの考えは違った。
可能性はある。
なくはない。
むしろ、そうであってほしい。
しかし、それはないだろう。
理由は二つ。
もちろん一つ目は、アルドが見た様子だ。
洗脳を受けていたなら、朧流の使い手であるアルドが見抜けないはずがない。
二つ目は、『聖女』エリス。
彼女は、神の加護を持ち、状態異常に絶対耐性を持っている。
彼女に何かするなど不可能。
だが、次に続いたヴァルデマールの言葉は、さらに厄介だった。
「そこで、隣に控えていた、もう一人が口を開いたのだ」
カナの隣には、フードをかぶった男が立っていたという。
それまで、一言も発さなかった男。
顔も見せず、ただ静かに佇んでいた。
その男が、静かに言った。
「他の国も、いくつかは既に魔王様の支配下に入った。争う意味はない。ファスタよ、魔王様の軍門に降れ」
男の声は小さかったが、妙に謁見の間に響く。
「何奴だ!」
ファスタ王は激高した。
「王の御前で、何たる無礼か!」
側近たちも騒然となる。
近衛兵たちは槍を構えた。
だが、フードの男は動じない。
ゆっくりとフードを払った。
現れた顔を見て、だれもが息を呑んだ。
そこにいたのは『勇者アルド』だった。
「ぶふぉっ!」
食堂で、アルドが盛大に口の中のものを吹き出した。
肉片が宙を舞う。
危うく直撃しかけ、メイトが「きゅい!?」と悲鳴を上げた。
「げほっ、げほっ!」
「ちょ!トンソク!?」
リアが慌てる。
「大丈夫ですか!?慌てて食べるからですよ」
セレスティアが、すぐにアルドの背中をさすった。
違う。
断じて違う。
俺じゃない。
まったく記憶にない。
ファスタ城?
降伏勧告?
知らん。
何だそれは。
俺は行っていないぞ。
俺はそんなことしてない。
なのに。
そこにいたのは勇者アルドだった、だと?
ふざけるなよモウロクジジイがっ。
寄生されて記憶がこんがらがってるのか!
それとも記憶喪失か?あ?
アルドは内心でブチぎれていた。
セレスティアは心配そうに背中をさすっている。
「まだ苦しいですか?」
詰まっているのは喉ではない。
情報だ。
お前の親父の情報だ。
飲み込めない。
そして、ヴァルデマールは、静かに続ける。
ファスタ王は叫んだ。
王は玉座から無意識に立ち上がっていた。
「お前は勇者アルドではないか!そこにおったのか!」
喜び。
そして、直後に強烈な怒り。
「それより、何を考えている!なぜ魔王の使いなどしておる!」
勇者アルドの顔をした男は、静かに王を見た。
その目に迷いはない。
少なくとも、謁見の間にいた者たちにはそう見えた。
「私は魔王様の配下。忠実なる僕だ。使いをするのは当然だろう?」
「血迷ったか!勇者アルド!」
王の怒声が響く。
「そなたは人類の希望!魔王を討つ者のはずだ!」
「魔王を討つ?」
男は、わずかに笑ったという。
「討たれるべきは魔王様ではない。粛清されるべきは人なのだ」
その言葉に、王の顔が歪む。
そして、何か言葉を発そうとする。
だが、それより先にカナが声を上げた。
「はん!勇者は魔王様の偉大さに触れて、生まれ変わったのさ!あはははっ!」
カナは楽しそうに笑った。
「貴様ら……!」
王の拳が震える。
側近の一人が、剣に手をかけた。
近衛兵たちの殺気も濃くなる。
だが、カナはまるで気にしない。
「それで?返答は?」
ファスタ王は、真正面から睨み返した。
「ふざけるなっ!誰が貴様らの言葉など聞くものか。魔王の言葉など、聞くものかっ!」
強く、はっきりと、王の声が謁見の間に轟く。
「恥を知るがいい!」
カナは肩をすくめた。
「そう?なら、交渉決裂ってことで」
彼女の口元が、わずかに吊り上がった。
「あとは力づくになるけど、いいよね?」
その瞬間、近衛兵たちの殺気が膨れ上がった。
この場で捕らえる。
あるいは殺す。
しかし、勇者アルドの姿をした男が、片手を上げた。
それだけで、空気が止まった。
カナの動きも止まる。
「今この場で終わらせるのは容易い。しかし、私たちには使命があるはずだ」
「あっと、そうだった。忘れてた」
カナが軽く手を打つ。
男は、王を見た。
「日を改めて挨拶させてもらう。それまで、ファスタ王よ。民のために励むがいい」
その声は、淡々としていた。
「魔王様の民のためにな」
「貴様っ!」
「そいじゃ、そういうことでっ」
カナが軽く手を振った、次の瞬間。
二人の姿は、謁見の間から消えた。
転移か。
幻影か。
それとも、別の何かか。
少なくとも、その場にいた者たちには追えなかった。
残されたのは、凍りついた沈黙と、燃え上がる怒りだけだった。
ファスタ王のもとへ、側近たちが集まる。
「陛下!」
「ご無事ですか!」
「すぐに追跡のご命令を!」
声が飛び交う。
だが、ファスタ王は動かなかった。
ただ、玉座の前で拳を握りしめていた。
怒髪天を突く、とはまさにこのこと。
その言葉がふさわしい怒りだったという。
そして、王は理解した。
数か月前から、魔王軍の侵攻が激しくなっていた。
いくつかの国は、既に魔王の手に落ちていた。
その侵攻速度は、あまりにも速すぎた。
これまでの魔王軍とは明らかに違う。
戦略があり、的確に人間側の弱点を突いてくる。
補給路を断ち、指揮系統を乱し、防衛拠点を狙う。
もしも、勇者アルドが本当に魔王に寝返ったのなら。
すべて合点がいく。
勇者パーティが魔王側にいるのなら……合点がいってしまう。
「許さんぞ、勇者アルド!いや!反逆者アルドよっ!ただでは済まさぬっ!!」
王は叫んだという。
その日、ファスタ王は籠城を決めた。
アルドを迎え撃つために。
人の敵として。
食堂は静まり返っていた。
ジェイルは立ったまま、呆然としている。
そしてアルドは思っていた。
なんでも勇者のせいにするんじゃないっ!
アルドさんが可哀そうやろがい!




