二章
「誰かが大切にしているものを壊そうとするとか、私ほんっとうに許せないんだよね」
ぐったりとアタシの腕に抱かれたまま、少女−−龍泉囮は、握った手をゆっくりと開いて言った。
小さなガラスのイルカが握られていた。雑貨屋さんや、海の近くのお土産屋さんで売っていそうなものだ。おそらく数百円で購入できる。
ただそれは、囮の友達の宝物らしい。
囮の友達数人が「誰かすぐ来て!」と道場まで来て、今居る公園の駐車場までの道中で必死に説明をしてくれた。とても焦っている様子で、中には泣いている子までいたので、説明している内容をちゃんと汲み取るのに少し苦労したけれど、ここに到着して大方の事情は掴むことができた。
アタシが来た時、すでに囮は駐車場の真ん中で倒れていた。
子どもたちの話では、囮が一人で、たくさんの大人と喧嘩している。
ということだった。
最終的に、複数人に囲まれ、バットで頭を殴られたらしい。
それだけ聞いたら、七歳児にそこまでする大人が居るかと疑わざるを得ない話だ。しかし、喧嘩の相手が囮だったなら、仕方ないとも言えるかもしれない。
「へへ……十本か二十本は骨へし折ってあげたけどね」
額から薄っすらと血をにじませながら、囮は渋い笑顔を作る。
こんな子どもと喧嘩をしていたとなると、相手の大人たちもおそらく相当焦ってパニックになっていたはずだ。うっかりヒトの姿をしたモンスターに出会ってしまったと思ったかもしれない。パニックになってなりふり構わずに振ったバットが当たってしまったのだろう。
囮の様子を見ると、額以外に外傷はないし、子どもをなぶりたくてやったわけじゃないのだと思う。少し相手が悪かったのだ。手加減できないほど、強い相手と喧嘩してしまった。
詳しい経緯はわからないが、その大人たちは囮の友達の大切にしているガラスのイルカを壊そうとして、囮の怒りを買ってしまった。
こんな時、アタシは怒るべきなんだろうか。
身近な子どもをバットで殴るような相手に対して。
たった数百円のガラスのイルカを宝物と呼ぶ子どもの気持ちを踏みにじる相手に対して。
どんな感情を抱けばいいのかわからなかった。
ひとまず救急車を呼ぼう。そう思った時。
「龍泉のお姉ちゃん」
叫ぶように、少年に呼ばれた。アタシは囮のお姉ちゃんだと思われているようだ。
振り向くと、悔しそうな表情の少年がアタシを見ていた。
「龍泉のお姉ちゃん、強いんだろ」
少年はそう続ける。一言発するたびに、涙を堪えるようにきつく口を結んで表情をこわばらせる。
「アイツラに仕返ししてくれよ。いくら龍泉が強くたって、あんな大人数でバットで殴るなんて卑怯だよ」
こらえきれなくなった涙が一粒、瞳の橋からゆっくりとこぼれた。
どうしてそんな風に涙を流せるのだろう。
その姿を黙って見ていると、少年はアタシの胸ぐらを掴んで叫んだ。
「俺も一緒に戦うから。アイツラ許せないんだよ」
周りの子どもたちも、何人かはこの少年と同じ意見らしい。
囮の表情を見ると、いつの間にか眠ってしまっていた。
安心しきったように、頬を緩ませている。大人相手に喧嘩を挑んでいた少女の顔にはとても見えない。
子どもたちは、大人よりずっと感情を素直に表す。
この子達を見ていれば、なにかわかるだろうか。どうして、怒ったり悲しんだりすることができるのか、アタシにもわかるだろうか。
わからない。
それにそこまで興味があるわけでもない。
ただひとつ、自分の中で決めていることがあった。ひとつの目的のために生きる。
アタシは自分の心を感動させるものを探している。
こんなに心を起伏させて生きている子達を見ていれば、なにかヒントが掴めるかもしれない。
アタシは少年に対して、呆れたような笑みを作り、右手でキャスケットを目深にかぶり直す。
「いいよ。君たちに手を貸して上げる」
妹のように一緒に暮らす囮を腕に抱いたまま、まるで他人事に首を突っ込むかのように、アタシはそう言った。




