歴史館地下室
アークの中に突然現れた空間は、結局その日のうちには何も分からなかった。
分かったのは、外から見た船体の大きさとは無関係に、内部だけが広がっているらしいこと。そして、その仕組みをNOVAさえ知らなかったことくらいだ。
レイナは放っておけば朝まで調べ続けそうだったが、さすがに館長を付き合わせるわけにもいかない。
調査はいったん打ち切り、俺たちはアークを出た。
ところが翌朝、まだ朝食も終わらないうちに館長から連絡が入った。
『すぐ歴史館へ来てくれ』
昨日までとは声が違った。
「何かあったんですか?」
『あった。私にも説明できないことがな』
それだけ言って通信は切れた。
俺たちは急いでスメラ古代歴史館へ向かった。
正面玄関には館長自身が待っていた。
昨日と同じ服装だったが、どうやらほとんど寝ていないらしい。
「こっちだ」
挨拶もそこそこに歩き出す。
向かったのは展示室ではなかった。
関係者用の通路を抜け、さらに地下へ降りる。
俺たちが昨日見た歴史館は、どうやら表側だけだったらしい。地下には研究室や保存庫が何層もあり、発掘されたまま正体の分からない遺物が大量に保管されていた。
「こんな場所があったんだな」
「展示できる物など、収蔵品のごく一部だ。何なのか分からない物を並べても仕方がないからな」
館長は足を止めなかった。
「問題は、その何なのか分からない物の一つが、昨夜から何かを始めたことだ」
「何か?」
「見た方が早い」
地下三階まで降りた。
分厚い扉の向こうに、広い収蔵庫があった。
棚には大小さまざまな遺物が並んでいる。
壊れた機械のようなもの。
石のような塊。
何に使ったのか想像もつかない金属製品。
その一番奥だけ、何人もの研究員が集まっていた。
人の間から、青白い光が漏れている。
「これだ」
研究員たちが場所を空けた。
そこにあったのは、黒い石板だった。
高さは俺の胸くらい。幅は一メートルほどある。表面はほとんど平らで、文字も模様もない。
ただ、その中央に細い光の線が走っていた。
一本ではない。
枝分かれしながらゆっくり広がり、消え、また別の場所へ現れる。
まるで石の内部を何かが流れているようだった。
「これ、昨日も光ってたんですか?」
「いや」
館長が首を振った。
「この石板が発見されたのは二百年以上前だ。それ以来、何をしても反応しなかった。熱を加えても、電流を流しても、あらゆる波長を当てても変化なし。材質さえ完全には分かっていない」
レイナはもう石板の前にしゃがんでいた。
端末を取り出し、表面を調べ始める。
「電源は?」
「ないわね」
「外部から何か照射してる?」
「何もしていないのだけど、」
「なのに光ってる……」
レイナの目が変わった。
昨日アークの中で見たのと同じ目だ。
しばらく帰れなくなるやつだ。
NOVAは石板へ近づかず、少し離れた位置から観察していた。
「反応が始まったのは何時です?」
「昨夜、十八時四十二分」
館長が答えると、NOVAの顔から表情が消えた。
「もう一度お願いします」
「十八時四十二分だ。収蔵庫の監視記録にも残っている」
NOVAは何も言わなかった。
「どうした?」
俺が聞く。
「昨日、アークの増幅区画が最初に確認された時刻と照合しています」
数秒後、NOVAが館長を見た。
「一致します」
収蔵庫が静かになった。
「完全に?」
「記録上の誤差は数秒です。それ以上の差はありません」
館長が黒い石板を見る。
「では、アークがこれを起こしたのか?」
「まだ分かりません。逆の可能性もあります」
「逆?」
「この遺物の反応が、アークに何らかの変化を与えた可能性です。あるいは、双方が別の何かに反応した可能性もあります」
NOVAは石板へ近づいた。
掌を表面の少し手前で止める。
「少なくとも、偶然と考えるには一致しすぎています」
「NOVA、これが何か分かる?」
「いいえ」
即答だった。
昨日に続いて、またNOVAが知らない。
俺が何か言う前に、NOVAがこちらを見た。
「カイト。今、余計なことを言おうとしましたね」
「まだ何も言ってないぞ」
「その顔は学習済みです」
先手を打たれた。
NOVAは石板へ向き直った。
「ただし、機械には見えません。少なくとも私が知っている意味での機械ではありません。内部に回路らしい構造も、エネルギー源も確認できない」
「アークの新しい区画と似てるわね」
レイナが言った。
「ええ。機能しているのに、それを成立させる構造が見えないという点では」
その時だった。
俺の隣にいたMIRAが動いた。
一歩だけ。
黒い石板へ近づいた。
それから止まった。
「MIRA?」
返事がない。
それはとても珍しい事だった。
MIRAは石板を見つめていた。
正確には、石板の中を走っている青白い光を見ている。
「MIRA」
NOVAも気づいた。
「どうしました?」
それでも答えない。
MIRAは現在ホログラムだ。
表情も身体も、本物の肉体ではない。
それなのに、その時の顔だけは明らかに違った。
戸惑っていた。
「……知っています」
ようやくMIRAが言った。
NOVAが振り返った。
「何を?」
「分かりません」
「知っているのに?」
「はい」
MIRA自身が一番困っているようだった。
「これが何なのか説明できません。名称も、用途も、記録にもありません。でも……私はこれを知っています」
NOVAがMIRAのそばへ移動した。
「記憶領域を検索してください。断片でも構いません」
「検索しています」
MIRAの姿が一瞬揺れた。
ノイズのようなものが全身を走る。
「MIRA?」
カノンが近づこうとした。
「待ってください」
NOVAが手で制した。
石板の光が強くなっていた。
今まで不規則に動いていた線が、MIRAの正面へ集まり始めている。
一本。 二本。 三本.....
やがて無数の光が中央でつながった。
MIRAが石板へ手を伸ばす。
ホログラムの指先が黒い表面へ触れた。
本来なら、そのまま通り抜けるはずだった。
実際、指先は石板の中へ入った。
その瞬間。
MIRAが消えた。
「MIRA!」
カノンの声が収蔵庫に響いた。
俺も思わず前へ出た。
だがNOVAは動かなかった。
石板だけを見ている。
「NOVA!」
「待ってください。MIRAとの接続は切れていません」
「じゃあ、どこにいる?」
「それが……」
初めてNOVAが言葉に詰まった。
「分かりません」
数秒だったと思う。
だが、ずいぶん長く感じた。
突然、石板から光が溢れた。
床に青白い線が走り、収蔵庫の壁まで広がる。
研究員たちが後退した。
次の瞬間、MIRAが元の場所へ戻った。
同時に、黒い石板の上へ巨大な映像が浮かび上がった。
「なんだ、これ……」
惑星だった。
青と緑に覆われた星。
だが、現在のスメラとは違う。
大陸の形がまるで違っている。
館長が前へ出た。
「スメラだ」
「これが?」
「間違いない。大陸配置は違うが、衛星軌道と極地形状が一致する」
館長の声が震えていた。
「古代のスメラ……」
映像が変化した。
惑星が拡大される。
大陸。
山脈。
海。
そして各地に、見たことのない光点が現れた。
NOVAがその一つを調べる。
「文字情報があります」
「読めるのか?」
「解析します」
しばらくして、NOVAの表情が変わった。
「これは……」
「何?」
NOVAは浮かんだ文字を見たまま答えた。
「第二等星振儀」
カノンが息を呑んだ。
俺も、その名前は知っている。
探していたものだ。
カノンの父と母。
そしてMIRAの本来の肉体。
それが眠っている場所。
「場所は?」
俺が聞く。
NOVAが地図を拡大した。
光点は大陸の端近くにある。
館長がその場所を見た。
そして動かなくなった。
「どうしたんです?」
「……ここは、現在の地図にはない」
「なくなった?」
「違う」
館長は現在のスメラの地形図を表示した。
二つを重ねる。
古代の大陸線が現在の海岸線を大きく越えていた。
第二等星振儀を示す光点は、そのさらに先にある。
「海だ」
館長が言った。
「今は、この一帯すべてが海の底だ」
誰も声を出さなかった。
俺は古代の地図を見た。
深い海の底。
そこにカノンの両親がいるのか。
だが、その横でカノンが別の場所を見ていた。
「……これ」
地図の隅に、小さな印があった。
文字ではない。
三つの輪が重なり、その中央を一本の線が通っている。
「知ってるの?」
カノンはすぐには答えなかった。
「お母様が……」
「ネイリアが?」
「幼い頃、歌ってくださった歌に出てきますわ」
「歌?」
「意味など考えたこともありませんでした。ただの古い子守歌だと思っていましたもの」
カノンは印を見つめた。
「三つの星が重なる時、眠る門が開く……そんな歌でしたわ」
館長が驚いてカノンを見る。
「その歌を、誰から?」
「母からですわ」
館長の顔から、完全に研究者の笑みが消えた。
「記録にない」
「え?」
「私はスメラの古い歌もかなり調べた。この印も、その歌も知らない」
また一つ、皇帝の知らないスメラが出てきた。
その時。
「カノン様」
MIRAだった。
声が違った。
全員が振り返る。
MIRAは古代の地図を見ていた。
海に沈んだ、第二等星振儀の位置を。
「どうしましたの?」
MIRAは答えなかった。
何かを必死に探しているようだった。
やがて、ゆっくり手を上げる。
海になった場所を指差した。
「思い出しました」
NOVAがMIRAを見る。
「何を?」
MIRAはしばらくその場所から目を離さなかった。
そして、静かに言った。
「私は、ここへ行ったことがあります」




