0 神様
「続きがある、というのはの」
神様は、ゆっくりと言葉を続けた。
「お前さんには、別の世界で新しい生を送ってもらう」
別の世界。
新しい生。
聞き慣れない言葉が、また増えた。
私は少しだけ首を傾げる。
死んだのに、続き。
死んだのに、新しい生。
普通なら、そこで終わりのはずなのに。
神様は当たり前みたいに、その先の話をしている。
「……別の世界?」
「うむ」
「元の世界じゃなくて?」
「それはできん」
神様は静かに首を振った。
「お前さんは、元いた世界では一度死んだことになっておる。そこへ同じ魂をそのまま戻せば、世界の流れに大きな歪みが生じる」
「歪み」
「簡単に言えば、面倒なことになるということじゃ」
「なるほど」
難しい説明より、その方が分かりやすい。
つまり、元の世界には戻れない。
前と同じ場所で、同じように目を覚ますことはできない。
それは、少しだけ残念だった。
「じゃあ、なんで転生するの?」
「本来なら、死んだ魂は大きな流れへ戻る。記憶や形を少しずつ失い、次の命へ巡っていく」
「今の私じゃなくなる?」
「そうじゃな。お前さんがお前さんとして残るわけではない」
それは少し、変な感じがした。
死んだのだから、そういうものなのかもしれない。
でも、今ここにいる私は、まだ私のつもりだった。
「じゃあ、私は流れに戻るの?」
「いや。お前さんには、別の道がある」
「別の道」
「うむ。儂はいくつかの世界を管理しておる。お前さんのいた世界も、その一つじゃ」
「私の世界も?」
「そうじゃ。その中で、ごく稀に、魂を別の世界へ移すことがある。元の流れへすぐ戻すのではなく、新しい身体を与え、別の場所で生きてもらうのじゃ」
「私が、それ?」
「そうじゃ」
神様は穏やかな声で頷いた。
「お前さんの魂は、まだ形を保ったまま、ここに繋ぎ止められておる。だから、元の世界へ戻すことはできんが、別の世界で新しい生を送らせることはできる」
「……なんで私?」
「特別な手柄があったから、というわけではない。逆に、罰というわけでもない」
「罰」
「違う。罰ではない」
神様は、はっきりと首を振った。
「前の生で何かを失敗したから、別の世界へ送られるわけではない。巡り合わせのようなものじゃ。お前さんには、別の場所で新しい生を送る機会がある」
「機会」
「うむ。もう一度、別の場所で生きる機会じゃ」
罰ではない。
そう言われると、少しだけ安心した。
よく分からないけれど、怒られてどこかへ飛ばされるわけではないらしい。
「じゃあ、どこに行くの?」
「儂が管理する世界の一つじゃ。お前さんがいた世界とは、少しばかり仕組みが違う」
「仕組み」
「文明も、暮らし方も、使われている力も違う。お前さんの世界の物語で言うなら、剣や魔法が出てくる世界に近いかの」
剣と魔法。
それなら、少しだけ聞いたことがある気がした。
本で見たのか。
誰かが話していたのか。
それとも、昔、画面の中で見たのか。
はっきりとは思い出せないけれど、普通の世界とは違う、ということだけは分かった。
「魔法があるの?」
「ある」
「すごい」
「おお、そこには反応するのじゃな」
「ちょっとだけ」
魔法は気になる。
火を出したり、水を出したり、空を飛んだりするものだろうか。
詳しいことは分からないけれど、今はそこまででいい。
まずは、別の世界へ行く。
それだけで十分だった。
「そこに、私が行くの?」
「そうじゃ」
「私は、私のまま?」
「うむ。お前さんがお前さんであることは変わらんようにする」
「そっか」
私は私のまま。
でも、違う世界。
違う暮らし。
分かったような、分からないような話だった。
「それでの」
神様は話を進めるように、軽く咳払いをした。
「その新しい生を送るために、まずは身体を用意せねばならん」
「身体」
「うむ。向こうの世界で生きるための、新しい身体じゃ」
神様は私を見る。
「その身体について、少し決めねばならんことがある」
「決めること」
私は神様の言葉を繰り返した。
新しい身体。
また、よく分からない言葉が増えた。
「今のままじゃだめなの?」
「今ここにある姿は、お前さんが自分を保ちやすいように形を整えておるだけじゃ。向こうの世界で生きていくための身体とは、少し違う」
「つまり……?」
「別の世界には、別の世界の決まりがある。そこに合った身体でなければ、長くは保たん」
「保たない」
「簡単に言えば、そのままでは向こうで暮らせんということじゃ」
「なるほど」
難しい説明より、その方が分かりやすい。
今の私は、ここで神様と話すための仮の姿。
向こうへ行くには、向こうで暮らせる身体がいる。
たぶん、そういうことなのだと思う。
「前の身体は?」
「元の世界に残っておる。あれをそのまま使うことはできん」
「そっか」
あまり実感はなかった。
今ここで話している私は、普通に私のつもりだ。
けれど、神様が言うには、これから用意される身体は別のものらしい。
少し不思議だった。
「じゃあ、赤ちゃんから?」
「いや。赤子からやり直すわけではない」
「それは助かる」
「助かるのかの」
「赤ちゃんだと、立つのも話すのも練習しないといけない」
「そこを気にするのかの」
「面倒」
「お前さんらしい理由じゃな」
神様は小さく笑った。
赤ちゃんからではない。
それだけで、少し安心した。
歩く練習や、声を出す練習から始めるのは、たぶんとても面倒だ。
「お前さんの魂と記憶に合わせて、新しい身体を用意する。人格も、できる限りそのまま残す」
「記憶も?」
「うむ。前の世界のことも、今の自分のことも、完全に消えるわけではない」
「私は私?」
「そうじゃ。お前さんがお前さんであることは変わらん」
「なら、いい」
そこが変わらないなら、とりあえず大丈夫そうだった。
全部を理解できたわけではない。
でも、私が私のままなら、それでいい。
「ただし、身体は前と同じにはならん」
「姿も変わるの?」
「少しはの。年齢で言えば、15ほどの身体になるじゃろう」
「15」
「うむ。ただ、見た目は少し幼く見えるかもしれん」
私は少しだけ目を細めた。
「……遠回しに、私が子供っぽいって言ってる?」
「そういう意味ではないわい」
神様は少し慌てたように首を振った。
「お前さんの魂に合うように整えると、そういう見た目になりやすいというだけじゃ。中身まで幼くなるわけではない」
「子供扱いされそう」
「されるかもしれんのう」
「面倒」
子供扱いされると、説明が増える。
知らない世界で、知らない人に、毎回年齢を説明するのは面倒だ。
「聞かれたら?」
「15と答えればよかろう」
「信じなかったら?」
「その時は、その時じゃな」
「じゃあ、聞かれたら適当に答えればいい?」
「よくはないが……困らぬ範囲なら好きにせい」
「ん」
年齢については、あとで考えればいい。
聞かれた時に、一番楽な答え方をすればいいと思う。
「それで、その身体は向こうの世界で生きられるよう、最低限は整えておく」
「最低限」
「歩く、話す、食べる、眠る。そういったことに困らぬようにするということじゃ」
「眠る」
「そこだけ拾うでない」
「大事」
「まあ、大事ではあるがの」
神様は呆れたように息を吐いた。
でも、眠れない身体にされると困る。
そこは確認しておくべきだと思う。
「普通に眠れる?」
「眠れる」
「なら、いい」
「本当にそこが一番大事なのじゃな」
「うん」
私が頷くと、神様は少しだけ目を細めた。
呆れているようにも見えたし、面白がっているようにも見えた。
「身体の形については、大まかにはこのくらいじゃ」
「ん」
「問題は、その身体にどんな性質を持たせるかじゃな」
「性質」
「うむ。向こうの世界でどう暮らしたいかによって、必要なものも変わる」
神様はそこで、私を見る。
「だから次は、お前さんの望みを聞かせてもらおうかの」
「望み?」
私は神様の言葉を繰り返した。
さっきまでは、新しい身体の話をしていたはずだ。
それがいつの間にか、私が何を望むかという話になっている。
「なんで?」
「なんで、とは?」
「そこまでしてくれるの?」
新しい身体を用意して、その性質まで決める。
そのうえ、私の望みまで聞くらしい。
言葉だけ聞くと、ずいぶん親切な話に思えた。
神様は、少しだけ目を細める。
「何でも好きに叶える、という話ではないぞ」
「違うの?」
「違う。お前さんを別の世界へ送る以上、最低限、その世界で生きられるように整える必要がある。それだけじゃ」
「最低限」
「うむ。儂はいくつかの世界を管理しておるが、世界が違えば、身体に必要なものも変わる。何も知らぬ場所に、何の備えもなく送り出すわけにはいかん」
それは、たしかに困る。
知らない場所へ、新しい身体で送り出される。
そのうえ、その世界の決まりまで違うなら、何も準備されていない方が困る気がした。
「優遇じゃないの?」
「まったくない、とは言わん」
神様は少し考えるように、白いひげを撫でた。
「見知らぬ土地に、身一つで送り出すのじゃ。多少は優遇しておる節もあるじゃろうな」
「あるんだ」
「うむ。じゃが、何でも好きに与えるという話ではない。元の世界から別の世界へ移す以上、その世界に馴染むよう整える。それは特別扱いというより、必要な準備じゃ」
「準備」
「そうじゃ。身体を作るだけなら、形を整えればよい。じゃが、どんな性質を持たせるかは、お前さんの望みによって変わる」
「性質」
「強く生きたい者なら、戦いに耐えられる身体。魔法を扱いたい者なら、魔力を巡らせやすい身体。長く旅をしたい者なら、歩き続けられる身体。静かに暮らしたい者なら、壊れにくく安定した身体」
「いろいろ」
「うむ。どれが正しいという話ではない。どう生きたいかによって、向いた身体が変わるということじゃ」
私は少しだけ考える。
神様が並べたものは、どれも大事そうだった。
強い方が困らないだろうし、魔法が使えたら便利なのかもしれない。
旅をするなら歩ける方がいいし、静かに暮らすなら丈夫な方がいい。
ただ、どれが一番欲しいかと言われると、すぐには分からなかった。
そもそも、まだ向こうの世界をよく知らない。
「向こう、危ないの?」
「危ないものもある」
「あるんだ」
「魔法もあれば、魔物もおる。お前さんのいた世界とは、身を守るために必要なものが違う」
「魔物」
それは、少し嫌な響きだった。
直訳するのならば魔の物。
魔法は少し気になる。
でも、魔物はあまり気にしたくない。
「出会いたくない」
「そうじゃろうな」
神様は苦笑した。
「じゃが、向こうでどう暮らすにしても、最低限、自分を守れる身体ではなければならん。すぐ倒れるようでは困るじゃろう」
「困る」
「眠るどころではないからの」
「それは困る」
そこはとても困る。
安全でなければ眠れない。
痛いのも嫌だし、騒がしいのも嫌だ。
起こされるのも、できれば避けたい。
考えてみると、次の身体に必要なものは意外と多い気がした。
「つまり、私がどうしたいかで、身体が変わる?」
「かなり雑に言えば、そうじゃ」
「雑でいい」
「お前さんは本当に、細かい説明を好まんのう」
「難しいと眠くなる」
「それはそれで困ったものじゃ」
神様は呆れたように息を吐いた。
けれど、怒っているわけではなさそうだった。
「では、改めて聞こう」
神様は私を見る。
「お前さんは、次の生で何を一番大事にしたい?」
何を一番大事にしたいか。
神様の言葉を、頭の中でゆっくり転がしてみる。
強さも、魔法も、旅をする力も、静かに暮らすための丈夫さも、向こうでは大事なのかもしれない。
でも、私が一番欲しいものは、たぶんそこではなかった。
私は少しだけ考えた。
考える、と言っても、そんなに難しいことではなかった。
強くなれば、危ない目に遭っても困りにくいのかもしれない。
魔法が使えれば、できることも増えるのかもしれない。
でも、それを一番に欲しいかと言われると、少し違う気がした。
私は、強い人になりたいわけではない。
有名になりたいわけでもない。
知らない世界を歩き回って、いろいろなことを成し遂げたいわけでもない。
できれば、静かに暮らしたい。
危ないことにはあまり近づきたくない。
痛い思いも、面倒なことも、できるだけ避けたい。
そして、ちゃんと眠りたい。
たぶん、そこが一番大事だった。
「……寝やすい体」
「もう少し他にないのかの」
神様は、思ったより早く反応した。
「ある」
「あるのか」
「安全に、快適に、たくさん眠れる体がいい」
神様は一度、ゆっくりと瞬きをした。
「……結局、眠ることなのじゃな」
「大事」
「それは先ほどから十分伝わっておる」
私は少しだけ首を傾げる。
眠ることは大事だ。
それは、前の世界でも、たぶん次の世界でも変わらない。
けれど、前と同じでいいわけではなかった。
「前みたいなのは、たぶんよくない」
「ほう」
神様の目が、少しだけ真面目なものになる。
私は言葉を探しながら、ゆっくり続けた。
「眠りたいけど、倒れるのは困る。起きられなくなるのも困る。お腹が空いたり、喉が渇いたりするのを忘れるのも、たぶんよくない」
「うむ」
「だから、ちゃんと眠れる体がいい」
ちゃんと。
その言葉が合っているのかは分からない。
でも、たぶん今の私には、それが一番近かった。
ただ何も考えずに眠り続けたいわけではない。
面倒なことから逃げるためだけに眠りたいわけでもない。
静かな場所で、安全に、気持ちよく眠って。
起きたら、また少し動ける。
そういう眠りがいい。
「誰にも邪魔されずに寝たい」
「それは少し難しい願いじゃな」
「難しいの?」
「生きておれば、誰かに起こされることもあるじゃろう」
「それは困る」
「困ると言われてものう」
神様は苦笑した。
「じゃあ、できるだけ起こされにくい体」
「要求が増えておるぞ」
「大事なことを思い出した」
「都合のよい言い方じゃな」
「あと、寒いのも嫌」
「まだ増えるのかの」
「痛いのも嫌」
「それは誰でも嫌じゃろうな」
神様は呆れたように息を吐いた。
だが、どこか笑っているようにも見える。
「つまり、お前さんの望みは、強さでも名声でもなく、安全に、快適に眠れることかの」
「うん」
私は頷いた。
「たくさん眠れて、起きた時に困らない体がいい」
「眠ることを選び続けて死んだというのに、次の生でもまず眠ることを望むのかの……」
神様は少しだけ呆れたように言った。
責めている声ではなかった。
だから、私もそのまま答える。
「でも、今度は間違えないようにする」
「間違えないように、か」
「たぶん」
自信満々に言えるほど、私はしっかりしていない。
けれど、前と同じ終わり方は少し嫌だった。
眠るのは好きだけれど、眠ったまま終わりたいわけではない。
「今度は、ちゃんと寝たい」
神様はしばらく私を見ていた。
それから、白いひげを撫でながら、小さく頷く。
「安全に、快適に、ちゃんと眠る。なるほど、お前さんらしい願いじゃな」
「変?」
「変ではある」
「ひどい」
「じゃが、悪い願いではない」
神様はそう言って、少しだけ笑った。
「よかろう。ならば、その願いに合わせて、身体の性質を整えるとしよう」
「お願い」
「うむ。お前さんが安全に眠り、無理なく生きていけるようにな」
神様の声が、少しだけ深くなる。
「少し珍しい身体になるかもしれんがの」
「珍しい?」
私は、神様の言葉に首を傾げた。
珍しい身体。
それは少し、嫌な響きにも聞こえた。
「変な体になるの?」
「変な体にはせん」
「不便?」
「不便にもせんつもりじゃ」
「つもり」
「そこを拾うでない」
神様は軽く咳払いをした。
「お前さんの願いに合わせるなら、普通の身体をそのまま用意するより、少しだけ整えておいた方がよい」
「少しだけ」
「うむ。あくまで、向こうで暮らすための調整じゃ。何をしても平気になるわけではないし、何でもできるようになるわけでもない」
それは少し残念なような、安心するような話だった。
何でもできると言われても、たぶん困る。
できることが多すぎると、やることも増えそうだから。
「まず、丈夫にはしておく」
「丈夫」
「すぐ倒れたり、少し歩いただけで動けなくなったりしては困るじゃろう」
「困る」
「だから、そのあたりは整える。とはいえ、痛いものは痛いし、無理をすれば疲れる」
「痛いのは嫌」
「それは先ほども聞いた」
神様は呆れたように言った。
でも、痛いものは嫌だ。
そこは何度確認してもいいと思う。
「それから、お前さんは眠ることを大事にしたいのじゃろう」
「うん」
「なら、眠りとの相性は悪くない身体にしておく」
「相性?」
「うむ。眠れぬ身体にしては、お前さんの願いから外れるからの」
それはよかった。
知らない世界に行って、身体まで変わる。
そのうえ眠れなくなったら、何のために新しい身体をもらうのか分からない。
「寝るのに困らない?」
「少なくとも、その願いから大きく外れるものにはせん」
「なら、いい」
細かいことはよく分からない。
でも、神様がそう言うなら、たぶん大丈夫なのだと思う。
「それと、少しだけ夢に近いものとも縁ができるじゃろうな」
「夢?」
「うむ」
夢。
眠っている時に見る、あの夢のことだろうか。
「それは、寝るのに関係ある?」
「関係はある。じゃが、今ここで細かく説明しても、お前さんは途中で眠くなるじゃろう」
「たぶん」
「否定せんのか」
「難しい話なら」
神様は小さく息を吐いた。
「詳しいことは、向こうで少しずつ分かる。それでよい」
「よく分からない」
「今はそれでよいと言っておる」
「ん」
なら、今はそれでいい。
夢に近いものが何なのかは、まだよく分からない。
でも、眠ることに合っていて、向こうで暮らすために少し丈夫にもしてくれるなら、そこまで悪い話ではなさそうだった。
「本当に、困らない?」
「困らぬようにはする。ただし、何も考えずに寝続けてもよい、という意味ではないぞ」
「それは、たぶん分かってる」
「たぶん、か」
「たぶん」
神様は少しだけ苦笑した。
「まあよい。身体の方は、その願いに沿うよう整えておく」
神様が指先を軽く動かすと、白い空間の一部が淡く揺れた。
何かが変わったような気がしたけれど、私の目にはよく分からない。
ただ、空気が少しだけ温かくなったような感じがした。
「それから、服も用意しておこう」
「服」
「向こうで目を覚ました時、何も身につけておらんのでは困るじゃろう」
「困る」
それはとても困る。
知らない世界で、知らない身体で、服までない。
見知らぬ誰かに騒がれるのも困るし、想像するだけで面倒だった。
「動きやすく、邪魔にならぬものにしておく」
「寝る時に邪魔じゃない?」
「そこも考えておく」
「大事」
「お前さんにとっては、何より大事そうじゃな」
神様はそう言いながら、どこか楽しそうに目を細めた。
「白い服でよいかの。お前さんの新しい姿にも合うじゃろう」
「白」
「うむ」
「汚れそう」
「最初に気にするのがそこかの」
「汚れた服で寝るのは嫌」
「それはまあ、分からんでもないが」
神様は少し悩むように、ひげを撫でた。
「では、できるだけ汚れにくくしておく」
「便利」
「便利と言うほどではない。少しだけじゃ」
「少し便利」
「言い方を変えただけではないか」
私は小さく頷いた。
服はある。
身体も、向こうで暮らせるようには整えてくれるし、眠るのにもたぶん困らない。
それなら、とりあえず大丈夫そうだった。
「身体については、このくらいでよかろう」
「ん」
「では、最後に送る場所についてじゃ」
「場所」
神様は、さっきより少し慎重な声で続けた。
「最初は、人目につかぬ場所に送るつもりでおる」
「人目につかない」
私は、その言葉を繰り返した。
人がいない場所。
少なくとも、たくさんの人に囲まれる場所ではないらしい。
「町とかじゃないの?」
「いきなり人の多い場所に現れれば、騒ぎになるじゃろう」
「確かに」
「見知らぬ者が、何の前触れもなく現れるのじゃ。向こうの者も驚く。お前さんも困る」
それは、たしかに困る。
知らない世界で目を覚ました直後に、知らない人たちに囲まれる。
何者なのか、どこから来たのかと聞かれても、うまく説明できる気がしない。
「説明、面倒そう」
「お前さんはそこを気にするのかの」
「大事」
「まあ、間違ってはおらんが」
神様は少しだけ苦笑した。
「新しい身体に慣れる時間も必要じゃ。まずは、誰にも囲まれぬ場所の方がよい」
「人、少ない?」
「そうじゃな。できるだけ静かで、人目につきにくい場所を選ぶつもりじゃ」
「静かそう」
「最初から人に囲まれるよりは、落ち着けるじゃろう」
それなら、悪くなさそうだった。
人が少ないなら、たぶん騒がしくはない。
騒がしくないなら、少なくとも最初から誰かに起こされる心配は少ない気がした。
「寝られる?」
「まずは身体に慣れることを考えよ」
「起きていられたら」
「転生早々それかの」
神様は呆れたように言った。
けれど、知らない身体で、知らない場所に行くのなら、少しくらい休みたくなるのは普通だと思う。
たぶん。
「人目につかぬとはいえ、何もせずにその場で眠り続けてよいという意味ではないぞ」
「分かってる」
「本当かの」
「たぶん」
「そこは言い切ってほしいところじゃな」
神様はまた、白いひげを撫でた。
「ともかく、最初は落ち着いて周りを見ることじゃ。自分の身体がどう変わったか、立てるか、歩けるか、声が出るか。そのあたりを確かめる」
「面倒」
「必要なことじゃ」
「ん」
必要なら、仕方ない。
目を覚ましたら、まずは周りを見て、自分の身体を少し動かしてみる。
歩けるかどうかくらいは、たぶん確かめた方がいい。
そのあとで眠ればいい。
「何か余計なことを考えたじゃろう」
「考えてない」
「本当かの」
「たぶん」
「まあ、何を考えているのか多少は分かるのじゃがのう」
そういえばそうだった。
「ずるい」
「仕方なかろう」
神様は呆れたように息を吐いた。
「まあよい。送る場所については、そのくらいじゃ」
「ん」
人目につかなくて、新しい身体にも慣れやすい場所。
人が少なくて静かなら、私としては助かる。
それなら、とりあえず悪くなさそうだった。
「では、準備は整った」
神様の声が、少しだけ改まる。
白い空間の空気が、ゆっくりと揺れた。
「もう行くの?」
「うむ。お前さんを、新しい生へ送る」
神様がそう言うと、白い空間が静かに揺れた。
風が吹いたわけではない。
音が鳴ったわけでもない。
けれど、足元も、空気も、遠くの白さまでも、ゆっくりとほどけていくように見えた。
「もう?」
「準備は済んでおる」
「早い」
「ここで長く話し続けても、お前さんが眠くなるだけじゃろう」
「うん」
「否定せんのう」
神様は少しだけ笑った。
笑っているのに、その声はどこか静かだった。
さっきまでの説明とは違って、もう本当に終わりが近いのだと分かる。
別の世界に行くことも、新しい身体になることも、人目につかない場所に送られることも、まだはっきりとは分からない。
けれど、行くことだけは決まったらしい。
「これ、寝るのと同じ?」
「似てはおるが、眠るのとは少し違う」
「違うの?」
「うむ。眠るのは身体を休めることじゃが、これはお前さんの魂を新しい身体へ移すものじゃ」
「難しい」
「今の説明で難しいなら、もう考えんでよい」
「じゃあ、そうする」
神様は呆れたように息を吐いた。
でも、私にはそれくらいでちょうどよかった。
難しいことを考え続けるより、目を閉じていた方が楽だ。
白い空間の揺れが、少し強くなる。
体が軽くなったような気がした。
足が地面についているのか、浮いているのか、よく分からない。
眠気に襲われたわけではない。
それなのに、意識の端が少しずつ遠くなっていく。
「目、閉じていい?」
「うむ。向こうで目を覚ませば、それがお前さんの新しい生じゃ」
「そっか」
目を閉じる。
まぶたの裏まで、白い光が満ちていた。
怖い、というほどではない。
でも、何も感じないわけでもなかった。
前の世界には戻れない。
神様との話も、これで終わる。
そう思うと、少しだけ変な感じがした。
「神様」
「なんじゃ」
私は目を閉じたまま、少しだけ考える。
言うことは、たぶんそんなに多くない。
長く話そうとすると、うまくまとまらない気がした。
だから、短く言う。
「ありがとう」
少しだけ、間が空いた。
けれど、それは嫌な間ではなかった。
「うむ」
神様の声は、穏やかだった。
「今度は、眠り方を間違えるでないぞ」
「たぶん」
「そこは言い切らんか」
「気をつける」
「それでよい」
神様の声が、少しずつ遠くなる。
白い光が、さらに強くなった。
けれど、まぶしいというより、全部が白に溶けていくような感じだった。
眠いわけではない。
でも、意識はゆっくり遠くなる。
最後に、神様の声がもう一度だけ聞こえた気がした。
「よき生を」
返事をしようとした。
けれど、その前に、白い光が全部を包んだ。
背中が硬い。
最初にそう思った。
白い空間には、床らしい床がなかった。
立っているのか、浮いているのかもよく分からない場所だった。
けれど、今は違う。
背中には、服越しでも分かるくらい、はっきりとした地面の感触がある。
少し湿っていて、ところどころ草が当たって、寝心地がいいとは言いにくい。
「……ん」
私はゆっくり目を開けた。
そこに広がっていたのは、白ではなかった。
頭の上には、たくさんの枝と葉が重なっている。
その隙間から、薄い光がこぼれていた。
少し遅れて、遠くから水の流れる音が聞こえてくる。
息を吸うと、土と草と木の匂いがした。
白い空間にはなかったものばかりだ。
私はしばらく、ぼんやりと上を見上げていた。
夢ではない。
たぶん、神様の言っていた通り、私は別の世界へ来たのだと思う。
「……ここ、どこ?」
当然、返事はなかった。
神様の声も聞こえない。
目の前にあるのは、見たことのない木々と、少し薄暗い森だけだった。
私はゆっくりと手を持ち上げる。
指は動く。
腕も動く。
声も出た。
足も、少し動かしてみると、ちゃんと反応した。
神様に言われた確認は、これで少しはできた気がする。
立てるかどうかまでは、まだ試していないけれど。
そこまで考えて、私はもう一度、地面に体を預けた。
草の上は冷たい。
地面も硬い。
柔らかい寝床とは、とても言えない。
でも、人の声は聞こえない。
誰かに囲まれている様子もない。
木の葉が揺れる音と、水の音だけが聞こえる。
人目につかなくて、静かな場所。
神様は、たしかそんなふうに言っていた。
なら、少しだけ休んでもいい気がする。
「おやすみなさい」
私は目を閉じた。
新しい身体のことも、周りのことも、あとで確認すればいい。
立てるかどうかも、歩けるかどうかも、起きてからでいい。
まずは少し眠る。
そう思った時だった。
遠くの方から、低い唸り声が聞こえた。
私は目を開ける。
風の音ではない。
水の音でもない。
何かがいる。
たぶん、人ではない。
「……」
私はゆっくりと上体を起こした。
さっきまで静かだと思っていた森が、急に違うものに見えてくる。
木々の奥は暗くて、どこまで続いているのか分からない。
草が揺れる音まで、さっきより大きく聞こえる気がした。
もう一度、低い唸り声がした。
少しだけ、近い。
「……神様」
返事はない。
私は白い服の裾を握りながら、小さく息を吐いた。
「快適な睡眠環境って、言ったよね?」




