5-39 「一生に一度、あの贄の聖女様が最後に望んだ景色と言われる街」
地上からゆっくりと離れていく浮遊感は、未亜であった時に何度か乗った飛行機に似ているとユーフェミアは思った。
高いところは嫌いではないが、ふわっとした浮遊感が昔から苦手だった記憶がよみがえってユーフェミアはますます目を瞑ってエミールにしがみ付いた。
「ユフィ、ユフィ」とエミールが呼ぶ声が聞こえるけれど、恐怖で全然全くちっとも目をけることができない。
「大丈夫だよ、ユフィ。僕を信じて。絶対に落ちないから」
そう耳元で囁くテノールが優しくて、ユーフェミアは少しだけ涙目になりながら、固く瞑った目を開ける。
「泣かないで、ユフィ。ほら、大丈夫でしょう」
恐る恐る見上げれば、自分を見つめる優しい金色の瞳と目が合った。
夕焼けに照らされたエミールの顔はとても穏やかで、ユーフェミアは思わず見入ってしまう。
と、ふとユーフェミアは気がついた。
「……風の魔法ですか」
「そう、オパーリアの魔法だよ。彼女が僕らを振り落とさないように風で押さえてくれてるんだ」
エミールとユーフェミアは、優しいふんわりとした風に包まれていた。
押さえつけるというよりは、護るような優しい風だ。
柔らかくて、優しくて、それまであった恐怖が溶けて消えていく。
繊細で絶妙な力加減のその魔法は、人が扱うとしたらとても高位な魔法なのだろうと思うが、オパーリアはおくびにも出さずに2人をのせてゆったりとアレクシオの空を飛行している。
「ね、大丈夫でしょう?」
そう言ったエミールをみれば、オパーリアの背に腰を掛けて足を組み、まるで自室のソファでくつろいでいるかのようにリラックスしていた。
今日一日かけていた色眼鏡を、もう必要ないと言わんばかりに外し、あまりにも余裕綽々と言ったその態度に、ユーフェミアはカチンとする。
「……ね。じゃないです、先にご説明してくださいませ! そうでなければ無駄にあなたに掴まらなかったものを……」
「そう? 僕は役得でとても嬉しかったけど」
にこにことされて、ユーフェミアはじっと自分の状態を見た。
エミールと、まるで恋人同士のように抱き合っているようで、ユーフェミアの肌がカッと赤くなるが、ここで暴れるわけにいかないとなけなしの理性が囁く。
なので、ユーフェミアはふーふーと呼吸しながらもどうにか「……少し離れてください」とだけ言うことができた。
とても偉いと思うので褒めてほしい。
「えー」
「えーじゃないです! はしたない」
「はしたないかー」などというエミールから少し離れて、それからユーフェミアは自分を乗せてくれているオパーリアの背を優しく撫でて「ありがとうございます、オパーリア様」と囁いた。
その言葉はどうやら彼女に届いたようで、オパーリアは長い首を曲げてこちらに視線を向けながら、また可愛らしくきゅーいっと鳴く。
と、飛行が止まった。
どういった仕組みなのかは分からないが、きっと彼らの魔法なのだろう。
ゆったりと羽をはためかせながら、オパーリアが空中で静止しじっとユーフェミアを見つめてくる。
「……着いたよ、ユフィ」
「え?」
「ごらん、これがアレクシオだ」
どこまでも続く水平線。
それと、真白の壁に紺碧の屋根の独特な、それでいて美しい街並みのアレクシオ。
その全てが、沈む夕焼けに照らされて美しく光り輝いていた。
昼間、陽の光を跳ね返すほど白かった壁は鮮やかなオレンジ色に染まり、まだ青い空と夕焼け空の境目は柔らかな桃色と薄紫のグラデーションになっていて、幻想的な雲が色彩豊かに彩られている。
その空を、騎竜や花竜の群れが舞っているのだろう。
夕焼けを反射するのは彼らの鱗だろうか。
ちかちか、ひらひらと舞うそれは、まるで花びらがアレクシオの空を踊っているように見えた。
呼吸を忘れるほどの美しさとは、きっとこういうものを言うのだろう。
「これがね、僕の自慢の街の全てさ。ユフィに見てほしかった」
「……きれい」
「ユフィ?」
「アレクシオは、本当に美しい街なのですね……。一生に一度、あの贄の聖女様が最後に望んだ景色と言われる街」
贄の聖女、ミオソティスの逸話の1つ。
その聖女が、王都を追放されてから月への門をくぐるまでのわずかな時間。
国を見て回りたいのだと望んだ彼女が、『ご褒美だ』と称賛した街が、このアレクシオだった。
人生の終わりに望む景色とはどんなものだろうかと思っていたが、この景色は確かに「人生の終わりに見たい絶景」に数えて然るべきだろうと、ユーフェミアはため息をつく。
「こんなに美しい景色を見せてくださってありがとうございます。一生ものの景色ですわ」
「ありがとう。そう言われると、初代の僕も街になった甲斐があるよ」
「……はい?」
言葉の意味が分からなくて、ユーフェミアはきょとんとしながらエミールをみつめた。
エミールは微笑んでから、ユーフェミアの手に自分の手を重ねるとその手を伴ったまま、アレクシオの街並みを指さす。
「あそこから、あそこまで。アレクシオの街の建物、全部初代の僕の遺骸なんだよ」
「……嘘でしょ」
ユーフェミアは、王妃教育を受けていて良かったと思った。
でなければきっと、彼女ははしたないほどの大声をあげて驚いていたに違いないのだから。




