5-33 「お互い我が強くて一歩も引かないくせに」
~♫
ポポロン、とピアノの優しい旋律ではじまったその曲はユーフェミアが聴いたことのない曲だった。
地球で言うならボレロのような、ふんわりとした静かな曲調が奏でられた瞬間、ユーフェミアの頭の上でカインが切なげに息を吐く。
『カイン様?』
『ん? この曲なんだなって思って。
ユーフェミア、これ花竜歌だよ』
花竜歌? と、ユーフェミアは口を動かした。
いったいどんな曲だろうと思っていると、優しい旋律が突然力強い音を奏で始める。
ベートヴェンのようなジャジャジャジャーンという力強い音楽。だからといって、あの曲のような悲痛そうな音ではなく、明るい曲だ。
目を閉じれば、浮かぶのはアレクシオの美しい花畑である。
デイビットは、先ほどまでの乱雑な様子が嘘のようだった。
大きな体躯で、小さなバイオリンを丁寧に、優しく、けれども力強く弾きこなしている。
音楽に集中する横顔は勇ましい騎士のようだ、乱雑な彼を目にした後にこの彼を見たら世の中の女性は放っておかないのでは? とユーフェミアに思わせるくらいギャップが酷い。
事実、デイビットにはファンが多くいる。
彼自身、品行方正でクソ真面目なところもポイントが高いらしい。
だがしかし、声が大きくて、存在が死ぬほど煩いせいで未だ結婚のけの字も出てないが。
一方エミールは、優雅に華麗に大胆にピアノを弾きこなしていた。
宣言通り、伴奏であるはずなのに負けていない。
主旋律であるはずのデイビットのバイオリンの音色を食う勢いで、旋律を重ねていっている。
合奏としてはハチャメチャな構図であるはずなのに、幼馴染たる所以かどういうわけだか破綻せず、調和がとれていた。
『すごい……あんなにぶつかり合ってるのに』
『ふふ、昔からね、デイビットが「エミール! 伴奏しろ!」ってやりまくった結果だよ。
エミールって楽器何でもできるけど、あの性格でしょう?
伴奏者向きじゃなくてね。
にもかかわらず、「伴奏しろ!!」ってデイビットが言い続けた結果、お互い慣れちゃったのか個性が喧嘩しなくなっちゃったんだよね』
そんなことってあるんだろうかと思ったが、現に目の前で音楽を奏でる2人はそう言う感じだ。
これはこれで新しい音楽なのかもしれない。
と、曲調が最初の優しい曲調に戻った。
今までの曲調が雄々しい海の竜のようなイメージだったのだが、ユーフェミアの脳裏に途端に優しい花畑の情景が広がっていく。
すると、先ほどユーフェミアの放った氷に驚いて逃げてしまった花竜たちの群れが、ユーフェミア達の上空で旋回をはじめた。
ゆっくりと、彼らは音をたてないようにピアノの上に舞い降りて、グランドピアノの開いた屋根の端に留まっていく。
ぴるりるり、ぴぴるりるり
と、花竜たちが声を揃えて啼き始めた。
いや、啼いてるのではない。
これは歌だ。
ソプラノとアルトに分かれた二重奏の歌声で、花竜たちは歌うように旋律を紡ぐ。
後から、カインの説明を聞くと花竜たちは元々海の竜であったらしい。
今でも、アレクシオ近くの入り江が彼等の住処だと言う。
竜は食物を必要とせず、魔力の摂取で生きる生き物である。
海で暮らしていた花竜たちの祖は、海での苛烈な魔力戦争に負け、陸地へとやってきた。
けれども陸地でも、その身の小ささから魔力を摂取できず、絶滅しそうになったところを四聖の巨竜にとあることが理由で救われたらしい。
四聖の巨竜は、その身に宿る魔力を「些事である」と言って地に咲く花に注ぐと、花竜に分け与えた。
その身が滅んだあとも、四聖の巨竜の魔力はアレクシオの大地に溶けて花となり、花竜たちはそれを捕食することで次世代へと希望を紡ぎ、現在に至るのだと言う。
2人が弾き、花竜が歌うこの花竜歌は、その歴史を一つの曲に纏めたアレクシオの伝統曲なのだと言う。
ぴるりるり、ぴるるりるりという花竜の歌声は、竜の言葉が分かる者が聞けば、今なお慕ってやまない、四聖の巨竜への愛の囁きの歌だと分かるだろう。
今この時のユーフェミアは、まだ、その物語を知らない。
知らないけれど、涙が出そうになった。
いい曲だと、素直にそう思った。
花竜歌と呼ばれたその曲は最後、最初の優しい旋律と、転調した雄々しい曲調が混ざり合う形で大団円を迎えて盛り上がった。
いつの間にか、最初より膨れ上がった観衆たちの大きな拍手に、ユーフェミアは一瞬びくりと震えるが、それでも少し深呼吸してから拍手を重ねる。
エミールはデイビット共に一礼すると、迷うことなく舞台を降りてユーフェミアの側へと戻ってきた。
その小さな手をとり、「どうだった?」ととても嬉しそうに感想を尋ねてくる。
「すごい、素晴らしい曲でした! 私感動して……あぁ、言葉が出ない。
お二人は、息がぴったりでとっても仲が良いのですね」
「えー、そうかなぁ?」
「そうですよ、お互い我が強くて一歩も引かないくせに、あんなに調和がとれるだなんて、なかなかないことですよ」
「ははは! レディ、君は音楽がよく分かってる方なんだな!!」
そう言って大声で笑うデイビットに、悪意は微塵も感じない。
ただ純粋に、ユーフェミアを褒めているのだろう。
「レディ、よかったら君も一曲どうだい?」
「! まさか! 冗談でしょう?」
「冗談なものか! 嗜んでると言っただろう? 俺は奏者としてはバイオリン一筋だが、いろんな人間の音楽を聴くことが好きなんだ! レディ、見識の深い君の音楽を、どうか俺に聞かせてくれないだろうか!!」
鼻息を荒げる勢いで、デイビットは熱い愛の告白とでも言うように力強くそう言った。
どうしようかと悩むユーフェミアを庇うように、エミールがデイビットとの間に割り込んできて、ユーフェミアはドキリとする。
「デイビット、彼女はそんなに人前が得意じゃないんだ。そんなに気軽に誘わないでくれないか?」
「はいっ?」
エミールは、エミールなりにユーフェミアの事を慮ったつもりだった。
確かに今日のユーフェミアは、人前が得意じゃない。
でもそれは、慣れない場所で、正体を隠しているからであって、目立つことが嫌いなわけではない。
今日のユーフェミアは商家の娘のユフィだが、ユーフェミア・リンスフォードは王太子妃へと望まれた娘である。
人前など上等、それを苦手だと思った事は一度もない彼女に、このエミールの言葉は火をつけた。
「まってください、エミール。私がいつそんなことを言いましたか?」
「……違うの?」
「違います! 馬鹿にしないでください! デイビット様、どの楽器ならお貸しくださいますか?」
カチンと火がついてしまったユーフェミアはそう言うと、ひょい……とはいかなかったが、そなえ付けられている三段ほどの階段を使って舞台に上がった。
「私の事を馬鹿にして!」と思いながら、デイビットに招かれてカインを頭の上に乗せたまま後をついて行く。
ついて行った先は袖裏だった。
そこには、オーケストラ用の予備楽器と思われるものがいくつも置いてある。
「ここにあるものとピアノなら好きに使ってくれて構わないぞ!!!」
「……すごい、いろんな楽器があるんですね」
「あぁ、俺は四季の祭りの際に毎回音楽を仲間たちとここで披露しているんだがな、毎年飛び入りでやりたいと願う者にも演奏してもらっているんだ!!
観光客たちの、外の音楽に触れるとインスピレーションが湧くからな!」
なるほどと、思いながらユーフェミアはきょろきょろと楽器を探す。
ユーフェミアとして、ピアノとバイオリンとフルートは嗜んだことがある。
一番得意なのはピアノだが、先ほど2人のあの演奏を聞いた後に、張り合うように弾くのは癪に思えた。
どうせなら、自分を馬鹿にしたエミールに「ユーフェミアすごい!」と言わせたい。などと思うユーフェミアの目に、一つの楽器が目に入る。
ひゅっと、息を呑んだ音がした。
ユーフェミアも、頭の上にいたカインも、この世界でその楽器を見ると思わなかったからだ。
「……これ」
「あぁ、去年あたりかな? 流れの吟遊詩人が演奏させてくれた礼と言って置いて行ったんだ!
手入れはしているが、いまいち演奏方法が分からなくてな!!
チェロに似ているから、そう言う楽器なんだとは思うが、俺はバイオリン一筋だから、ようわからん!」
デイビットの言葉を聞き流しながら、ユーフェミアはその楽器を手に取った。
懐かしい感触、思っていたよりも状態がいいから、よく手入れされているのだろう。
音を鳴らして耳を済ませれば、弦もしっかりしている。チューニングにちょっと手間取るかもしれないが、この世界にはチューニング用の魔道具があるから、きっと問題はない。
「嘘、ユーフェミアこれ弾けるの?」
カインが真顔で言った。
まさか、この楽器を弾けるとは思っていなかったのだろう。
まぁ確かに、ユーフェミアはもちろん、未亜の事を知ったカインが、未亜がこの楽器を弾けるとは思わないだろう。
厳密に言えば、未亜の専門はこれじゃないのだが、これももちろん弾ける。
「カイン様、何が聴きたいですか?」
不敵にユーフェミアは笑った。
ユーフェミアにはもう、この演奏でエミールをぎゃふんと言わせてみせるという思いしかなかった。




