5-28 「魔力制御も、武術も、お姉様の教育方針です」
「これで姉様を泣かせたらぶっ飛ばしてやるんだから……」などという物騒な呟きを、ブライアンは聞かなかったことにする。
あの兄をぶっ飛ばせる者など、この世に存在しないと思っていたが、イリア嬢ならあるいはなどと思ってしまうのは、この1週間でイリアの人と成りを見てしまったからかもしれない。
「あら? ブライアン様、リザは?」
「リザ嬢なら、イリア嬢のために飲み物を買いに行っ……」
と、ブライアンが侍女リザの向かった方角へ視線を向けると、そこにはご都合がよろしいことに男2人に絡まれているリザの姿があった。
容姿からして観光客だろう。この時期のアレクシオに湧きやすい、ろくでなしの流れの軟派者である。
リザはユーフェミアと同じ17歳の男爵令嬢で、ちょっとした事情からユーフェミアがイリア付きにと拾ってきた令嬢だ。甘く可愛らしいストロベリーブロンドと、小柄でありながら豊満な女性らしい体躯は、非常に勘違いしやすい馬鹿を引き付けてしまうらしく、こんなことは残念ながら割と日常茶飯事であるという。
今日のブライアンは護衛と言えど、祭りを楽しむ領民に紛れ込むために帯剣をしていない。
ブライアンもまた、エミール同様「その辺の商家の息子のブライアン」として有名なのだが、観光客から見れば線の細い優男でしかなく、まさか公爵家の子息であることはもちろん、王都の近衛騎士で、しかも若き副隊長だとは思うまい。
帯剣していないとはいえ、立派な騎士であるブライアンにかかれば、正直こんな輩は秒殺である。
そのブライアンが反応するよりも早く、イリアがリザの元へと飛び出した。
「私の侍女に、何をしてるんですか!!!」
勇敢と向こう見ずは別の話だと、ブライアンは今まで思っていたが、ことイリアに関してはその言葉を飲み込むしかない。
イリアはごく自然に、拳にリンスフォード家由来の魔力を乗せると、思いっきり男を殴りつけた。
一人の男が不意をつかれて殴られたせいか、そのまま後方に吹っ飛ばされていき、もう一人の男が突然の出来事を引き起こした少女に目を見張る。
「イリアお嬢様!」
「このっクソアマ……」
と、男は隠し持っていたナイフを煌かせたが、1歩……いや10歩くらい遅かった。
先ほど叩き込まれた氷の拳が砕け、粒子となって辺りに満ちたかと思うと、急速に男の体を凍らせていく。
あっという間に男は凍って身動きが取れなくなった。
そこで済ませばいいのに、イリアは男の懐で身構えると渾身の掌底を顎に食らわせる。
バリンバリンと氷が砕ける音がして、男の体が宙に浮いたかと思うと、そのままべしゃりと地に落ちた。
カインがここにいたなら「格ゲーかよ」とでも言いそうな必殺コンボだった。
ブライアンが出る幕もなく、完全勝利であり、それを見ていたブライアンは頭を抱えながら騒ぎを聞きつけてやってきた憲兵に、うんざりとした視線をぶつけて軟派者の後始末を頼んでからイリアに厳しい目を向ける。
イリアは侍女のリザを介抱しながらその視線に気がつき、うっと目を泳がせる。
「イリア嬢! またそうやって危ないことをして!」
「だって体が動いてしまったんですもの! お姉様からお預かりしてるリザに、この男ども……」
「俺がいるんですから! 俺だって貴女を、ユーフェミア様からお預かりしてるんですよ!」
そう言ってやると、イリアはぐぬぬと言った様子で顔を顰めた。
この1週間、ブライアンはこのお転婆と言っては甘すぎるほどの少女を、ひたすら叱り続ける毎日を送っている。
王太子カーシスは、この少女を新たな婚約者にすると件のパーティーで宣ったらしいが、何を見ていたのだろうと思う。
王太子だったから殴られなかっただけで、王太子じゃなかったら、あの男たちのようにカーシスも空を舞っていたことだろう。
もう、元王太子なので、次は空を舞うかもしれないが。
イリアは可憐で美しいが、その実中味はどうしようもないほどに脳筋であり、そして非常に愉快なことに「将来の夢は竜騎士隊の女騎士だった」と、堂々と宣言するほどに武術に長けていた。
最初、ブライアンが彼女に願われて街に連れ出した時も、今のようにリザが軟派者に声をかけられた。
そこで、ブライアンが軟派者を締め上げるよりも早く、イリアが軟派者を空にぶっ飛ばした時、ブライアンは3度見した。
そこに雄々しく美しい、獰猛な氷の大虎を見た気がした。
イリアは魔力がそんなには強くない。あくまで標準値の氷の魔力しかないはずであったが、その時見た魔力の威力はどう考えても高位の魔術師レベルだった。
詳しく話を聞いたブライアンに、イリアはこう答えた。
「魔力制御も、武術も、お姉様の教育方針です」と。
武術は市井にいた時に、祖父として育ててくれた人から、魔力制御はユーフェミアが直々に教えたらしい。
2人とも、いずれはリンスフォードの家に貴族として引き取られるイリアの事を思っていたが故に、護身術の1つとしてイリアに教えたのだろうが、イリア・リンスフォード。あまりにも筋がよく、飲み込みがよかった。
剣の能力はそこそこらしいというのが本人談だが、3日前に、強請られて模擬刀で手合わせした時、ハンデを多分につけたとはいえうっかり負けそうになってしまったなどと、決して兄には言えないと思っているブライアンである。
それと同時に、イリアを近衛騎士に推薦したくてたまらなくなった。
未だに男社会の色が強いディシャールでは、女騎士が非常に少ない。
そのため、高貴な女性を守る女騎士はいつだって人手不足であるので、イリアのように才能溢れた女性はもろ手をあげて大歓迎したいと思うのは、近衛騎士竜騎士隊の副隊長であるブライアンであるなら当然と言えた。
それに、イリアはどうしてだか騎竜に好かれる傾向にある。
人懐っこいエメラルディアはともかく、気難しい野生の騎竜たちが暮らすアレクシオ北西の竜の谷に連れて行った際、どうしてだか彼女は騎竜によく好かれた。
長であるオパーリアが、初対面でイリアの目の前に姿を現して、首こそ下げなかったものの機嫌を損ねる事無く、イリアに侍ることと、触れることを許すとは思わなかった。
まだ年若い竜たちがブライアンに『あの子いい子だね』『竜騎士になるの?』『あの子が竜騎士になるなら、私王都に行ってもいいわよ』と、口々に念話を飛ばしてくるのに困惑しながら、オパーリアに訊ねても、何も答えは貰えなかった。
一つ分かるのは、イリアは望めば竜騎士になれるだけの才能があると言うことだ。
まぁ、彼女は12公爵家の跡取りであるので、ブライアンの一存を通すわけにはいかないので、この件は様子見しているのだが。
ブライアンは「はぁ」とため息をつくと、帽子をかぶってるからと、軽率にイリアの頭をポンポンと叩くように撫でる。
「護衛の俺が頼りないのかもしれませんが、俺はこれでも竜騎士隊の副隊長なんです。貴女が飛び出して怪我をしたら、一番悲しむのは貴女の姉君のユーフェミア嬢なんですよ。お転婆もほどほどになさってください」
イリアはむぅと口を尖らせそっぽを向いたが、「分かったわ」と素直に返事をしてくれる。
喧嘩っ早い脳筋なだけで、根っこはとても素直なのだというのも、この短い付き合いでブライアンは理解していた。
ブライアンにとってイリアは、エミリアによく似た可愛い妹に収まりつつある。
エミリアよりよほど素直なこの妹が、早く義妹になったらいいのにと思うブライアンに、イリアは「あっ」と声をあげる。
「ブライアン様! お姉様とエミール様がどこかに行ってしまいます!」
「追わなくちゃ!」とさっきの騒動はどこ吹く風で、イリアが駆けだすのを、侍女のリザが慌てた様子で追いかけて行った。
男に絡まれたばかりだと言うのに慣れているせいか、この侍女リザもなかなかである。
ブライアンはまたひとつため息をついた。
兄妹に吸われるほどため息をついてきた人生であったが、おそらくこれからも増えるのだろう。
うんざり思うのと同時に、それが少し楽しいと思ってしまう程度に、ブライアンもまた竜の血筋の持ち主だ。
きゅいきゅいと鳴きながら拗ねたエメラルディアが戻ってくるのを見ながら、ブライアンはまた二人を追いかけてアレクシオの街の中に向かったのである。




