4-3 「悪くないと思わない?」
……そういうわけで、エミールはユーフェミアに嫌ですと言われても別に平気だった。厳密に言えばちっとも平気ではないのだけれど、「嫌いだから嫌というわけではない」なら、その限りではない。
仕草や表情から心理を読みとって、おそらく「自分は相応しくない」と思っているんだろうなとエミールは看破していたし、エミール自身が嫌いだから嫌だと言ってるわけではないと思っていたからだ。
そう、この男。
その端正な顔とは裏腹に、繊細のせの字もないほど大いに図太い男であった。
龍皇子の脅威からユーフェミアを守るのに、婚約は手っ取り早い手段であったし、エミール自身ユーフェミアとの婚約を諦める気はさらさらない。
昇華した末に抱いていた愛が無償の愛だったとはいえ、他の男にユーフェミアを守れるとはとても思えなかったからだ。
傲慢であることに自覚はあったが、今現在エミール以上にユーフェミアを守ることができる人間はいないという自負もある。
それでも、彼女自身が頷かないなら、エミールにとっては全て無意味だ。
ユーフェミアを無理矢理自分と婚約させて番わせる気は、この時のエミールには皆無だった。
周りには一切伝わってなかったが、皆無だったのだ。
「何言ってるんですかお母様! 嫌です!!」
ユーフェミアの拒絶を「うんうん」と頷いて聞いていたエミールは、ユーフェミアの手をさも当然のように取ると、「ユーフェミア・リンスフォード」と改まった口調で語りかけた。
真剣な金の瞳で見つめられたユーフェミアは、思わず「はい」と返事をしてしまう。
「君の気持ちは分かってる。
僕はね、無理強いなんかしたくない。
できれば君の心からの返事を聞きたいと思っている。
けれど、どこぞの阿呆のせいで、君の気持ちを慮っている場合ではなくなってしまった。
だからどうかひとまず、僕を利用して欲しい。
とても幸運なことに、僕はあれをどうにかできるだけの力がある。
この国全てを探しても、僕以上の奴はいやしない。誓ってもいい。
結婚はまだ考えなくていいから、しばらくの間僕の側にいてくれないかな?
物凄く具体的に言うと、うちの領地においでよ。観光都市だし、歓迎するよ」
エミールはにっこり笑ってそう言った。
この時、エミールに下心と言うべき心はない。
ただ単純に龍皇子からユーフェミアを守るのに手っ取り早いという理由である。
エミールにとって目下目障りな龍皇子は、腐っても龍である。
たとえ、女狂いの恥知らずと言っても、その根っこは一途で真っすぐな……悪く言えば頑固で融通の利かない、更に言えば皇族とあって高慢な龍であり、エミールに一方的(と思っているのはエミールだけだが)に因縁を持っている。
その龍皇子がエミールに直接牽制されたと言えそう簡単にユーフェミアを諦めるとは思えなかった。逆に、エミールが番だと言ったことで興味を持った可能性すらある。
「ユーフェミア、これは僕の……リブレットの四聖の竜としての責任にも関わってくるんだ。
だからどうかお願い、僕に君を守らせて」
エミールにそこまで言われて、ユーフェミアはそれでも頷けない。
四聖の竜としての責任と言われたら頷く以外に無いのだが、それでもやっぱり頷けないのはユーフェミアの最後に残ったプライドのようなものだ。
この場合、プライドが高いから拒絶しているのではない。
ユーフェミアは誠実であることに潔癖だ。
ユーフェミアが結婚できないと判断している以上、婚約者でもなんでもないのにこれ以上エミールに甘えてはいけないという、高潔な精神からだ。
リンスフォード家の先祖は高潔なる尊き氷虎である。
先祖の名に懸けて、これ以上の甘えはユーフェミアには許せなかった。
そのことすらも察していたエミールは、彼女にトドメの……でなければ、甘えても許されるのだという決定的な言葉を添える。
「……ユーフェミア」
「な、なんですかエミール様」
「あのね、君を守れなかったら、リブレット家の体面に関わるんだ」
「そ……それは……分かりますが……」
「君をうちの領地で守らせてくれるなら、リブレット家は君と結婚するしない関わらず、イリア嬢を全面的に公認しよう。王家ほどの後ろ盾にはならないけれど、うちには次期王太子妃に内定してるエミリアがいる。悪くないと思わない?」
にこりと笑ったエミールに、ユーフェミアは完全に固まった。
イリアの事を持ち出されたら、ユーフェミアには何も言えない。
そもそも、あのどうしようもない第一王子とユーフェミアが婚約したのは、最愛の妹イリアの為だ。
婚約を解消した今、第一子であるユーフェミアが婿を取ってリンスフォード家を継ぐのが適当なのだが、そうなるとイリアをお嫁に出さないといけなくなる。
そもそもイリアは、母親が平民とは言え現リンスフォード公爵の実子なのだ。ユーフェミアももちろんその血を受け継いでいるとはいえ、父親は今は亡き現公爵の実兄だ。
収まりどころとしてユーフェミアが王家に嫁いで、王家の承認を得たうえでイリアが婿を取って公爵家を継ぐのが一番よかったのに間違いない。
間違いなかったはずなのに、全部ぐっちゃぐちゃにされたのが件の婚約破棄である。
落ち着いたらイリアの進退について頭を悩ませなくてはいけなかったリンスフォード家にとって、同じ12公爵家の……しかも上位であるリブレット家の後押しは願ってもないものである。
特にリブレット家はエミールのおかげで各公爵家に貸しがあるのだ。
全ての公爵家が是と言わないまでも、半数の信認を得ることができれば御の字であるので、エミールの申し出ほどありがたいものはなかった。
ユーフェミアの尊いプライドは、イリアの幸せの前にちっぽけである。
それでも甘えてはいけないという自責に、彼女は表情を白黒させながら思い悩み、それからかすれるような声で「……よろしくおねがいします」と願い出た。
その言葉に、エミールが破顔したのは言うまでもない。
「あくまで、客人! ……そう、エミリアの客人として、領地に招いて下さいますか? それなら、悪い噂はたたないでしょう?」
「うん、分かった。エミリアにお願いして、体面を整えるよ」
とても上機嫌に微笑むエミールに、ユーフェミアはぷいっと顔を背けた。
そのやり取りを見ながら、リンスフォード公爵夫妻、とりわけユーフェミアの母親はにこりと微笑む。
初手の段階で、エミールに求婚の許可を願われていたリンスフォード公爵夫妻は、最初の段階でおいそれと首を縦に振らなかった。
大人の事情でユーフェミアの意に添わぬ婚約を課してしまったうえ、一方的な婚約破棄迄うけてしまったのだ。どうにか落ち着くところに落ち着いたものの、しばらくゆっくり穏やかに、できることなら政略結婚ではなく、心から望むものと結婚させてやりたいと願うのが真っ当な親心だ。
エミールに求婚の許可を与えたのは、ひとえにその真っすぐな想いからである。
ユーフェミアは知らないことだが、リンスフォード家は過去にエミールに借りではなく、貸しを作っている。その時に、エミールの人となりを見ていたが、そのエミールがこれほどまでにユーフェミアに執着すると思っていなかったのだ。
12公爵家の当主であるので、エミールが四聖の巨竜の魂持ちであることは把握している。
男性嫌いのユーフェミアを本当の意味で頷かせることができるなら、一途で真っすぐなエミールほど親として安心できる男はいない。
それでも多少不安に思っていたが、今目の前で行われているやり取りを見てどうだろう。
男嫌いであったユーフェミアが、エミール相手にこんなに心を開いているとは予想外である。
あの婚約破棄の茶番劇から二週間と少し。
明らかにエミールを意識し始めた娘の姿に、頬が緩まぬわけがない。
亡き兄からユーフェミアを預かっていると思っているリンスフォード公爵は若干そわそわしていたが、ユーフェミアの母は自分の目はどうやら確かだったと満足そうに微笑んだのだった。




