3-3 「つくづく男運が無い方ですね」
「ちぇっ、いいよ。他の人に聞くから」
「ほ、他の人!? ……私以外の転生者ですか?」
「そのうち紹介するね。今日の所はまた今度」
エミールはそう言って立ち上がった。
長身の彼に見下ろされることに、ユーフェミアは少しだけ恐怖を感じたものの、優しく微笑まれて毒気が抜ける。どうしてだろうエミールは変態で得体のしれない男なはずなのに、男性恐怖症からくる恐怖をあまり感じない気がした。
それ以上に別の意味で色々恐ろしいのだけれど。と思っている間に、エミールは、ユーフェミアに改めて跪くと、真摯な瞳をユーフェミアに向けた。
「ユーフェミア、僕は君が好きだよ。
好きで好きで、愛しくて仕方がない。
君が許してくれるなら、僕は君の隣で一生生きていきたい。
けれど君を傷つけたいわけじゃない。
怖がらせたくないし、一人で恐怖に震えてほしくない。
君が嫌だというなら、触れないままでも構わないくらいだ。
だから、僕とのことを真剣に考えてほしい。
……申し訳ないけれど、時間はあまりあげられないんだけれどね」
「……どういうことですか?」
「……怒らない?」
この状況でこてんと首を傾げるエミールに、ユーフェミアは若干イラっとした。
ユーフェミアにもう少し余裕があれば、「なんだこのイケメン可愛いな」と呟いたところだったかもしれないが、残念ながらユーフェミアにそんな余裕はなかった。
「最初求婚したでしょう」
「パーティー会場で、とても非常識な形でされましたね」
「あれで国内の貴族には牽制できたんだけどね、国外の王族クラスから今めちゃくちゃ求婚が来てるんだよね」
「……もしかして、私の両親が帰ってこないのそれが原因ですか?」
「8割くらい」
「後の2割は?」
「国外に君を出さないために、僕との婚約の12公爵家内の承認集めに協力してもらってる」
「おかげさまで証文全部そろったよ」とにっこり言われ、ユーフェミアはクッションを掴みながらフルフルと震えた。
この2週間、ユーフェミアの渾身の抵抗をさらりとこなしながら、外堀を着々と埋めていたなどとどうして想像できようか。というか、あれだけの品を集めるだけでも大変なのに、証文まで集めて完全に逃げ場を無くさせたということに、ユーフェミアは驚きを通り越して怒りを覚えた。
今となって、両親が走り書きで残した「ごめんね」という謝罪の意味がよく理解できる。
「逃げ場全部ふさいだうえで、何が真剣に考えろですか!!!」
「ばーーーか!」と子供のような悪態をつきながら、ユーフェミアはエミールを屋敷の外へ追い出した。
「ば、ばかにして! ぜったい! ぜったいけっこんしない!! しないんだから!!!」
と、ユーフェミアが逆に頑なになってしまったのは、エミールの数少ない失態とはいえ生涯揶揄われ続けることを、この時の2人はまだ知らない。
*
ユーフェミアがエミールに怒りのあまり会ってくれなくなって、3日。
エミールは毎日リンスフォード邸に通っていたが、彼女の代わりに対応した執事に静かに首を横に振られてはすんなり諦めて帰っていた。
どちらにせよお互い時間が必要だったので、ある意味ちょうどよかったとエミールは思っている。
そう言った風には一切見えないが、ある程度予想はしていたこととはいえユーフェミアの前世はエミールにとって衝撃だった。
一人の少女が、異性全てを恐怖の対象として刷り込まれるだけのことをされたのだ。それが、他人に興味のないエミールが、はじめて愛しいと思ったユーフェミアが受けていたのだからなおさらである。
たとえ前世での経験だとユーフェミアが割り切ったとしていても、エミールには割り切ることなどできない。異世界の壁が無く、報復できる距離に原因が存在していたとしたら、エミールは全力をもって生きていたことを後悔させてやったことだろう。
むしろ、それができないという現実に、エミールのフラストレーションはMAXだった。
エミールの事を良く知らないものから見れば、ほんの少しだけ不機嫌そうにしているだけに見えるだろうが、よく知っているものから見れば、うっかり話しかけた瞬間に殺られると恐怖を感じるレベルであった。
こういった風に腐った感情も、ユーフェミアに会えば多少落ち着くというものなのだが、そもそもの原因がユーフェミアの過去を聞いたからで、それとは別にユーフェミアを怒らせてしまったのが原因で、彼女に会えないという袋小路に入ってしまったエミールである。
完全に詰んでしまったこの状況では、我慢するより他が無かった。
「はぁ……ユーフェミアに会いたいなぁ。怒った顔も凄く可愛すぎるのほんとずるいよね……あー可愛い……会いたい……」
「お兄様。お兄様の正直なところ、私はとても好ましいと思っていますが、乙女心に配慮が無さすぎて救いが無いんですよね……。もう少し上手に立ち回れるでしょうに」
「ユーフェミアに嘘なんてつけるわけないでしょう? それに真っ赤になりながら僕の事を怒るユーフェミアがあんなに可愛いの、反則だと思わない? ユーフェミアが可愛いのはユーフェミアのせいじゃないけれど、それでもあんなの反則だよ。また好きになってしまったの仕方ないじゃないか」
「お兄様、はっきり言いますがそういう所すごく気持ち悪いですからね。お兄様の顔がよくなかったら引きますからね」
「ユーフェミアに会いたいなぁ」
まるでこちらの話を聞いていないエミールに、妹のエミリアははぁと溜息をついた。
実兄であるエミールは、エミリアにとって最愛の兄だったが、如何せん変人すぎたせいでエミリアですらどうしようもなかった。
エミリアはエミールほどではなかったが竜の血が濃い。
次兄であるブライアンよりもエミリアのほうがずっと濃く生まれてしまったため、既にエミールの教育で頭を抱えていたリブレット公爵夫妻が、必死にエミリアを真人間になるようにと育て上げたおかげである。そのため、エミリアは竜の血が濃い割にはかなり常識人として育った。
例のユーフェミアの婚約破棄騒ぎで、次期王太子妃、ゆくゆくは王妃となる立場になってしまった現在を考えると、この教育はかなり良策だったと言える。
竜は限りなく縦社会の生き物である。
その上下関係を決めるのは、魔力や、精神力を含めた純粋に力であるのだが、現リブレット家において竜としての力の構図は現当主であるリブレット公爵よりもエミリアのほうが、そしてエミリアのはるか上にエミールがいるのが現在のパワーバランスである。
エミールが他人……というより、世界や権力にあともう少し興味があったら、エミールは既にリブレット公爵として采配を振るっていたかもしれない。
エミリアは、現状エミールを止めることができる唯一のストッパーであった。
家族愛の強いエミールにとって、一番近い力を持つ妹のエミリアのお願いは、何を置いても聞くべき最重要事項だったのだから仕方がない。
そう言った事情から、エミリアは第一王子にとってのユーフェミアであったように、エミールのストッパーとしての人生を送って来ていた。
(こうなりそうな気がしたから、ユーフェミアにお兄様を紹介したくなかったのよね……)
と、エミリアは心の中で独り言ちる。
ユーフェミアは、エミリアの親友だ。
言いたい事をはっきり言うユーフェミアのことが、才女であるとか、12公爵家であるとかそう言ったものを抜きにしてエミリアは大好きだった。エミールほどでないにしても、エミリアもまた竜の血が濃いせいか世界を少々つまらなく感じていたのだ。アーロンとユーフェミアに出会わなければ、エミリアもまた、未だに世界をつまらないと思っていたかもしれない。
そんなエミリアが気に入ったユーフェミアの事だ。
あの兄がユーフェミアの事をちゃんと認識した時に、意識しないわけがない。
次期王太子妃であるユーフェミアの顔くらいは覚えてほしいと思ったが、そこまででやめておいてほしかった。
第一王子との婚約が解消されたことがきっかけで、ユーフェミアに興味を持ったというのが唯一の救いであったと思う。未だにあの二人が婚約関係にあったとしたら、もっと泥沼になっていたことだろう。
第一王子のあの態度を考えれば、命の危険さえあった。
エミールは基本的に温厚だが、ブチ切れた時の殺意は本物である。
過去二回、まだ婚約者ではなかったが、愛しいアーロンを殺されかけた記憶を持つエミリアには、今日のエミールのイラつきはその時に似ているような気がした。
そこまで想える相手が、エミールにできたことは正直喜ばしい。
普通の竜と違って、自ら番を定めなくてはいけないとはいえ、今のエミリアにはアーロンを番と定める前に戻れと言われても無理だった。かけていた魂の半分が満たされるこの感覚を知ってしまった以上、無かった頃には戻れない。
エミリアはアーロンに求められた末に番と認識したから余計だった。
アーロンに求婚された当初、エミリアは幼かった。幼さゆえに当時は番というものがどういうものか理解していなかったが、それを得て、認識した今となっては、現在までにアーロンという存在がいなかったらと考えると、人生はもっと辛いものになっていたと思う。
それを考えると、エミールが番を定めたということはとても喜ばしいのだが、相手がユーフェミアだと思うと手放しで喜ぶことができない。エミリアはユーフェミアが男性恐怖症を発症していることに気が付いていないが、男性嫌いであることは認識している。
普通の女性であったら、エミールはかなりの優良物件だ。
愛はかなり重くて言動はへんた……変人だが、次期リブレット公爵であるし、頭もよく領主として申し分ないほどの能力もあるし、彼には12公爵家が一つリブレット家次期当主としての権限と、それからもうひとつ、のっぴきならない事情から特権を持っている。
それに、竜の性質上番と認識されれば大事にしてもらえるし、なによりも顔がいい。
リブレットの人間は竜の血が濃く受け継がれるせいか、とてつもなく顔がいい。自画自賛するわけではないが、国内貴族の中ではかなり顔がいい部類に入るとエミリアは思っている。
次兄であるブライアンも顔がいいのだが、エミールとエミリアが良すぎるせいで、ブライアンは自身はさほど美形ではないと思っている。が、エミリアに言わせれば十分すぎるほど顔がよかった。
現にユーフェミアは王太子妃としての社交以外興味がないから知らないだろうが、夜会に出席し始めた当初、淑女たちはエミールを放っておかなかった。
それこそ社交デビューしたばかりの若いご令嬢から、結婚相手を探す淑女。隣国のお姫様に一目惚れされたこともある。
それらを全て「ごめん全然興味ないや」とばっさり断ってきたのがエミールだ。
はじめはつれないエミールに本気になった12公爵家の令嬢もいたが、あまりにもやりすぎた令嬢のことを「うっとうしいな」とエミールが呟いて以来、近寄って来なくなった。
あの後しばらくして夜会で見かけた時に、青い顔で小さく悲鳴をあげていた気がする。多分エミリアの知らないうちに何かしたのだろう。エミールは黙っていれば優男だが、自分にとって目障りなものに容赦も躊躇もない。それでも勇気を出して夜会に参加した令嬢の根性を、エミリアは称賛したいと思う。
隣国の王女も、それぞれの王家を経て結婚の打診があったが、リブレット家の性質を丁寧に説明したうえで断った。食い下がる王女の願いをかなえる形で、一度だけ茶会に招かれた時に、エミリアはアーロンと共に付き添ったが、王女には一切目もくれず、エミリアに心を砕いてアーロンを牽制し、頭がよすぎて一切話が通じないその姿を見た王女は、100年の恋も冷めたらしい。
「価値観って、大事ですね……」と遠い目をしながらぼそりと呟いたその王女は、その翌年国を襲った魔物を退治して英雄となった騎士の青年に、「どうか美しい王女殿下をいただけないでしょうか」と、大層望まれて嫁いだという。先日、子が生まれたと伝え聞いた時は「本当によかった……」とエミリアはしみじみと思わずにいられなかった。
あそこでエミールに食い下がっていたら、多分精神的に破綻していただろう。エミールならやりかねない。
(隣国からの求婚を、ばっさりと断れるだけの立場なんですよね……お兄様って)
などと思ってしまったエミリアは、頭を抱えたくて仕方なくなった。
エミールは先ほども少し触れたがリブレット家の性質上の理由とは別に、とある理由からそれが許される特権持ちなのだが、今はその話は置いておこう。
そういうことを繰り返すうちに、エミールは完全に貴族の間で鑑賞用となっていた。
今では話しかけてくるのは、社交デビューしたての若いご令嬢と、踏まれても踏まれても諦めない雑草のような精神を持つ勇気あるご令嬢くらいだ。エミールにばっさりと断られて、変なトラウマが残ってなければいいと願う程度にエミリアは少女たちに同情している。
だから、エミールがユーフェミアに求婚したあの時、社交界の女性陣達には実際かなりの衝撃が走ったのは言うまでもない。相手がまたユーフェミアだったことも、その衝撃を加速させる。
あのエミール・リブレットが初めて恋情を公に示したのだ。
しかも相手は、今や元だが、第一王子の婚約者で王太子妃候補であった、貴族人気も高い才女ユーフェミアである。
エミールはあの場で「一目惚れしました」と言ったし、事実あの瞬間までユーフェミアの事をほぼ認識していなかったのだが、貴族の間では「エミール・リブレットが結婚しなかったのは、ずっとユーフェミア嬢を想い慕っていたから」と噂に尾ひれがついている始末だ。
実際、それが事実だったとしたらエミールはもっと早くユーフェミアを手に入れるべく動き、そして既に手中に収めてなんなら結婚だってしていただろう。
あの第一王子の婚約者であるという事実など、エミールの場合障害にすらならない。
まぁ、そうでなかったとしても「楽しそうだから」という理由で、ディシャール国内の色んな事業に協力して、裏側で様々な功績を残しているエミールが、公の場で求婚したユーフェミアに国内貴族で改めて求婚するものは皆無だろう。この状況でユーフェミアに求婚できるのは国外のものならともかく、国内貴族であるなら本気でユーフェミアを慕っているか、情勢を把握できていないぼんくらである。
前者ならともかく、後者の場合は敵にすらならない。
実際、自由になったユーフェミアに求婚が殺到するかと思えば、国内貴族からはほぼ皆無らしい。
来てるのは国外でユーフェミアを評価していた貴族や王族からばかりだが、優秀なユーフェミアを手放したくない陛下と王妃がそれを許さないだろう。
それ以上に、エミール自身が一番それを許さない。エミールがユーフェミアを望んだ以上、ユーフェミアが頷けば必ずそれが叶う立場にいるのだ。
故に国王夫妻は、今尽くせるだけの手を尽くしてユーフェミアとエミールを結婚させようと動いている。
エミールと国王夫妻の利害が一致してしまったのは、控えめに言って悲劇だった。
今や、ユーフェミアが1人エミールの相手に悪戦苦闘している間に、外堀のほぼ全てが埋まってしまっているのだ。
エミリアにできる事は、初手の段階で如何にユーフェミアに真実を正しく伝えるかである。
ようやくあの第一王子との婚約を解消できたのに、訳も分からないままエミールと結婚させられるのはあまりにも可哀想すぎた。何度も言うが、エミリアにとってエミールは最愛の兄だが、どこまでいっても人格破綻者なので親友であるユーフェミアが望まないのなら、エミールとなんてとてもじゃないが結婚させられない。
ユーフェミアが真実を理解したうえでエミールを拒絶するのであれば、エミリアは兄と対立してでもユーフェミアのために動くつもりであった。
現状としては婚約者のアーロンにある程度の説明を頼んでいる間に、エミールに人間の常識を諭すことしかできない。
これでもだいぶマシにした方だった。
この男、最初馬車に乗る直前を捕まえた段階で、全てをすっ飛ばしてユーフェミアを囲うつもりだったのだ。
1人の女性を、ましてや12公爵家の令嬢を拉致監禁などと本当に勘弁してほしい。
「ユーフェミアの性格上そんなことになったらまず詰みです。公爵令嬢を拉致監禁し犯罪者となったお兄様に、誰が心を開くというのですか。自分勝手にユーフェミアを傷つける気なら、軽蔑したうえで容赦しませんからね!」と、懇々と説得したにも関わらず翌日の突撃だったのだ。
あの日連れ帰って、「人の話を聞けないのなら、ユーフェミアに求婚しないで下さい」と説教したエミリアは悪くない。
そこまで説教して、ようやく「ユーフェミアを怖がらせないように求婚したいからやり方を教えてほしい」とエミールに言わせることに成功したのだから、エミリアはアーロンに褒めてほしかった。
(仕方ないとはいえ、もう2週間以上アーロンに会えていないので、エミリアも割と限界が近かったりするのだが、それは今日には解決できるので置いておこう。)
こんなことのたまいながら、エミール本人は「ちょっと能力があるだけの普通の人間」だと自分の事を評しているのだからタチが悪い。
どこの普通の貴族が、12公爵家の各領地の秘宝を指定されたその日のうちに、培ってきたコネを駆使して入手するというのだろう。
我が兄ながら、常識外の性格破綻者過ぎて頭が痛い。常々ユーフェミアには、あの第一王子ではない別の人間と一緒になって、末永く幸せになってほしいと思っていたが、兄に目をつけられてしまったのはただただ不幸としか言いようがなかった。
「つくづく男運が無い方ですね」
「……何か言った?」
「いいえ、何も。さて、お兄様。私は王宮に参りますがお兄様はいかがされますか?」
「何しに行くんだい?」
「アーロン様にお会いしに行くのです。あれから2週間以上まともにお会いしていないのですよ、いい加減色々限界だと思いますので、差し入れをお持ちしようかと」
廃嫡騒動のあれこれは、ようやく方向性が定まったらしいと聞いた。
もう間もなく公にも発表があると思うが、アーロンは王太子になり、エミリアは次期王太子妃候補として国内外に公示される。
その前に一度顔を見せてほしいと、王妃から内密に言われてもいるのだ。
第一王子がどうなるか、今のエミリアはまだ知らないが、アーロンから先に話があるだろう。
正直、全てはどうでもよく、ただアーロンに会いたかったという本音を言うことは決してないのだが。
目の前に座っている兄は、既に全て理解したうえで手を回しているのだろうけれど。……と、思うと頭が痛かったが、それはそれでこれはこれである。
「……僕も行こうかな」
「あら、また根回しに?」
「まさか、もうこれ以上やる事なんてないよ。一番目障りな奴が残っているけれど、目障りなだけで脅威じゃないし」
「なら何をしに」
「ブライアンの所に行って、訓練場借りようかなって。今日訓練日だって言ってたでしょう? ちょっと気分が悪いから体動かしたいんだよね」
平然と運動がしたいと言い出したエミールに、エミリアは閉口する。ため息をつきながら「私は知りませんからね」と言ってその場から離れると、次兄の苦労を思ってまた頭を抱えるのだった。




