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その名をせがむ

 殺してくれる?

 この世のものとも思えぬ美声と微笑みで魔王は聞いた。


「君が好きだよ、君だけが好きなんだ。困ったことにね。だから、ねえ、私を捨てるのなら、殺していって」


 私は片手を上げた。精いっぱい微笑み返してやる。私がどんなに完璧に微笑んでも、彼の美しさの千分の一にも届くまいが。


「いやよ」


 ばちん、と気持ちのいい音がした。振り下ろした手のひらが痛い。灰色の瞳が驚愕を浮かべて私を見ていた。


 魔王と姫君の恋物語は魔王の死で終わった。それは確かに悲劇の物語かもしれない。でも本当は終わりのない恋こそが本物の悲劇だ。恋は終わりあるもの。消えるにしろ愛に変わるにしろ、終わるものだ。なのにこの人は終われない。愛と恋が混ざってごちゃごちゃで、終われない。

 きっとこの人は、私の持つ魂を愛して、ジネヴラ姫と私に別々に恋をした。


 恋をして愛したのではなく、愛しているから恋をした。


 きっと私が生まれ変わっても、その生まれ変わりに何度だって恋をするのだろう。


「殺してなんてあげないわよ。愛憎劇を始めるには私はちょっと若すぎる気がするし、無差別殺人でやらかすにはほんの少し過ごした時間が長かったわ」


 私にはわからない。なんで、どうして、あなたを殺せるの。

 アヒルの姿でだって、人の姿だって、私にあなたは殺せない。


「私を家に帰しなさいよ。ここで永遠に囚われるのも、あなたを殺すのもまっぴらごめん。選択肢が二つだけ? 嫌よ、三番目を選択するわ」

「三番目?」


 考えが追いつかない、というように私を見上げる魔王。

 そう、三番目の選択肢。あなたじゃなくて私が作った。


「家に帰っていつも通りに生活している私に、草木と生き物に無害になったあなたが求婚しに来るのよ」


 何もわからなくても、そんなそこそこ平凡な物語は作れる。ただの街道筋の村の宿屋の娘と、宿のお客の旅人。いくつもどこかに転がっている物語に紛れるような、私とあなたの物語。


 灰色の瞳の魔王はきょとんと、どこか幼げに私を見上げた。どこか冷たく気怠げな雰囲気が霧消していく、その刹那だけ。


「それで、いいの?」

「もう私は決めたの」

「ふうん……」


 袖に隠れそうな長く白い指が棺の縁にかけられ、黒いローブに包まれた上半身が音もなく起き上がる。私のお腹のあたりの位置にあった頭は、迷惑にも私よりも高い位置に変わった。


「世界に何の害も無い私が会いに行ったら、君のことを名前を呼んでもいいかな」


 私は即答した。


「今呼んで良いわよ」


 というか私はずっとティアと呼べと言っていたのに、なぜ今更名前を呼んでいいかと聞かれなくてはならないのだ。

 私の怪訝そうな顔に、端正な唇がほころぶ。


「相手の名を呼ぶというのはね、相手を自分に刻むという事なんだ。うん、今呼んでしまったら離せなくなってしまうよ」

「…………私がいいって言うまで呼ばないでちょうだい」


 魔王が笑う。とてもとても楽しげに。有害なほど美しく。


「わかったよ、待つ。だから待っていて」


 とん、と肩を押された。浮遊感。

 世界に飲み込まれるように、吐き出されるように、景色が変わる。意識を消し去るほどの色の洪水の中、最後に声が届いた……。


「そのときは私に名前を付けてほしいな」


 魔王は名無しの邪神だから。



 ――――次に気付いたとき、私は魔王城に喚ばれた時と同じ服を着て、家の調理場の鍋を置いたかまどの前に立っていた。





 それから、家に戻ってからの日々は、小川のように流れていった。


 さらさらと、きらきらと、ゆらゆらと。魔王城でのふた月が夢だったかのように。アヒルの魔王、黒髪の勇者、灰色の城。夢だったのかもしれない。


 季節は巡る。平穏に、何事もなく。

 草木は、生命は芽吹き続いていく。


 私は十六歳になり、十七歳になり、十八歳になった。

 姉さんは去年隣村にお嫁に行った。もうすぐ子供も産まれるだろう。妹も宿泊客だった遠い町の男と来月結婚する。


 私も、もう十八にもなれば間違いなく大人で、結婚しなくてはいけない年だ。いくつか縁談の話はあって、村の幼馴染に告白されたりもした。

 でも私は待っている。子供用のおとぎ話ではなくて、けれど非現実的な、これから紡ぐつもりの物語。私の王様、アヒルの魔王。本当に、今となってはただの夢なのかも。


 でも彼は待っていてと言ったのだ。





 それは、三日月が空でにやけているような夜だった。家族も数人の宿泊客もそれぞれの部屋で眠りにつき、静寂に包まれた真夜中。

 もとは姉さんと二人で使っていた屋根裏部屋の半分の寝室で、私は窓辺で椅子に座り外を見ていた。眠れなくて、落ち着かなくて、なんとなく予感があった。


 やがて、闇の一部がうごめいた。


 私は立ち上がった。立ち上がって、部屋から飛び出して、階段を転がるように下りて、閂を外して戸口を開けた。そして飛び出す。


 夜の中、月光でほのかに輝く黒い服のアヒルが小さな花束をくわえて立っていた。そして、駆け寄って来て息を切らす私を見上げて、それからゆっくりと人の形に変わった。深すぎるほどの灰色の双眸。黒い服は私の作った形を残して、人の形に変化する。


 待っていた、たったひとり。


「呼んでもいいかな?」


 記憶を鮮明にする声。


 いつの間にか手に移っていた花束を差し出し、彼は首を傾げた。派手な花ではなく、清らかで真っ白な山査子の花。魔除けの枝だ。魔王にとても似合わない。


 笑おうとして失敗した私は、微かに震える手でそれを受け取った。


「いいわ、待っていたの。遅かったわね」


 声は震えなかったつもりだけど、どうだろう。見上げれば、世界で一番美しい魔物は、ただ私を見下ろして微笑んでいた。


「でもやっぱり待っていてくれた、ティア」

「……そうね」

「ありがとう。ああ、ティア、ティア…………」


 口の中で転がすように、味わうように、彼は何度も何度も私の名前をころがす。溶けて、でも無くならないことを確認して、それだけで酷く嬉しそうに。


「ティア、共にいることを許してくれる?」

「一緒にいたく無くなるまでなら、いいわ」

「君が許してくれたら永遠にでもいいかな」


 私はふん、と鼻を鳴らした。


「永遠に終わらない想いなんて、きっと途中で腐ってるわよ」

「うん、それでもいい。もしくはミイラになってもいいんじゃないかな」


 それ以上死にようのない永久死体。

 腐る前に止まって留まるその想い。



「そばにいることを、許してくれる、ティア」



 いいわ、と私は答えた。




 *******



 昔々、魔王が生まれるよりもさらに昔。

 まだ人間達が魔法を知らなかったころ、天に神々が大勢いて、微睡んでいたころの話。


 ある日。吹き荒ぶ不吉な瞳とはっきりと何色か分からぬ色の髪をした幼い男神が、その色合いと力の強さゆえに天から墜とされた。


 彼はあまりに幼く、何も知らなかった。人に魔法を教えてはいけないことも知らなかった。彼は純粋に自分を墜とした天を憎み、救ってくれた人間達に魔法を教えた。


 人が魔法を使うと、世界は歪む。


 小さな世界が浄化しきれなかった歪みはやがて、天でまどろむ多くの神々をも蝕み、取り込み増幅し、欠片となって降り注ぎ、魔物を創った。

 魔物という身体を持つ歪みの出現により、歪みはさらに溜まり、世界は澱み軋んでいく。壊れゆく世界。


 しかし、天に歪みに取り込まれぬ清らかな女神が三人いた。彼女達は他の神々が闇に取り込まれ消えていくのを嘆き、地上の人々に手を差し伸べた。


 力の強かった一人めの女神は、地上の東の最果まで自分達が堕とした神を追い詰め、自分の生命と引き換えに封じた。神を憎む神の、憎しみ自体を檻として。


――しかし、もはや世界に伝わった魔法は消せず、歪みは、魔物は生まれ続ける。


 慈悲深き二人めの女神は大陸の三分の二を人の地として守護し、封印の地である東にのみ歪みが流れるようにした。


東に流れ込む歪みはいつしか封印を緩め、流れ込み、男神を核に莫大な力を持つ歪みの結晶を作った。それは存在するだけで魔物の力を増幅させ、天災を喚ぶものだった。魔王。


 魔王のために、三人目の女神は自らの身体を剣へと変え、共鳴する若者を呼び寄せた。

 聖なる剣は、歪みの原因たる魔法の使えぬ者にしか扱うことのできない、何物も浄化する力を持った剣だった。


 勇者が剣で魔王を貫くと魔王は浄化され、封印は戻る。

 かくして勇者は英雄となり、聖なる剣は人の国で祀られた。


 しかし、世界から魔法が消えぬ限り、歪みも消えない。


 数百年後、再び魔王が現れた。聖剣は再び勇者を呼んだ。そして、そうして魔王と勇者の出現は何度も何度も繰り返される。


 溜まり、固まり、浄化され、そうして巡る世界。


 三人の女神はとうに眠りにつき、ただ永久に続くかと思われた魔王と聖剣の勇者の長い物語は、ゆるやかに始まったのだった。



 *******




 夜明けだ。どんなに夜更かししても日の出と共に目が覚める私は、窓辺の椅子で外を眺めるアヒルを見つけた。


 寝る前に「アヒルになって」と言ってから、律儀にずっとアヒルでいたらしい彼は、私が動く気配を感じたのか、どこか気怠げに振り向く。気怠げなアヒルって何。


『おはよう、ティア』


 私はおはようと返して、それからこのアヒルをどうやって家族に紹介しよう、と寝ぼけた頭で考えた。……私このアヒルと結婚します! だめだめだ。


『ティア、ずっと考えいたんだけどね』

「何よ」


 ふいに、アヒルが人の形に変わる。名無しの魔王。


「私の名前は?」


 もぞもぞ起き上がった私はひとつあくびをした。


「決まってるじゃない、そんなの…………」


 私がどれだけ悩んだと思っているんだ。




 ことさら放り投げるように告げたその名前に、彼はただ幸せそうに微笑んだ。





 ― End ―


お読みくださりありがとうございました。


1/30、2/3 誤字訂正いたしました。

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