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幻籠街の言伝屋  作者: 天野地人
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第十話 幻と朧の街④

 《言伝屋》は事も無げにそう言ったが、それを聞いた澪はとても納得できなかった。

 だいたいどんな街や団地でも地図はあるものだ。でないと、何処に誰が住んでいるかも分からなくなってしまう。


(そんなとこに住んでて、この人は不安になったりしないのかな?)


 この街もこの街だが、そこで平然と生活している言伝屋にも、澪は激しい違和感を抱いていた。

 自分と彼は違う。だから澪の思いを、言伝屋は一つも理解できないのだろう。その孤独感が余計に現世への思いを強いものにしていた。


 言伝屋は表情こそ乏しいものの、ふらりとこの店にやって来た何の役にも立たない小娘に料理を振舞ってくれるし、寝床も与えてくれる。根っから冷淡であるわけでもなければ、完全に澪を嫌っているわけでもないのだろう。


 でもそれでも、理解してもらえないのは、やはり辛い。ただでさえ、多くのものを一度に失くしたのだ。身を切り刻むような苦しみと悲しみ、穴の開いたかのような深い喪失感を誰にも受け止めてもらえないという事は、拷問にも等しかった。


 この状況から抜け出すには、現世に戻るしか方法がない。戻りさえすれば、全ての辛苦から解き放たれ、きっと楽になれるのだ。


 そう信じることでしか、気持ちを正常に保つことができなかった。


 朝食を終え、店を出ようとすると、また《言伝屋》に呼び止められた。


「霧が出てきたら、まっすぐここに戻って来なさい」

「霧……?」

「この街は時々濃い霧に包まれます。……その時が、一番恐ろしいのです」


 澪はぎょっとする。昨日も十分怖い思いをしたのに、これ以上怖いことがあるのだろうか。霧に包まれたら、一体何が起こるというのだろう。背筋をざわざわと、不気味な感覚が這い上がってくる。


 しかし、だからと言って、入り口探しを止めるわけにはいかない。


 あたしは戻らなければならないんだ。元の世界に。


 そして日常を取り戻すのだ。





 澪は《言伝屋》を後にし、街中に繰り出した。

 今日こそは何としてでも結果を出さなければならない。そう自分に気合を入れる。


 今度は、この街の地図を作ろうと考えていた。無いというなら作ればいいではないか。そう思って、紙とペンも《言伝屋》から借りてきていた。

 最初筆を渡されたが、使えないと言うとサインペンを貸してくれた。筆を使えない子どもが《言伝屋》にやって来た時に貸し出しているのだという。


 澪はまず、《言伝屋》の周囲の地図から作っていくことにした。まっさらな紙の中心に、言伝屋と左右に伸びる大路地を大まかに書き込む。それに加えて、夢幻通りと小高い山にある鳥居。今、立っている場所から見えるものを、やはり大雑把に描きこんでいく。きちんとしたものは、最後に言伝屋に戻ってまとめて作ればいいのだ。通路や建物の位置を白い半紙どんどん書き込んでいく。


 地図作りは順調だった。《言伝屋》の周囲は綺麗に出来上がる。澪は夢中になった。徐々に《言伝屋》から離れ、その先にある家屋や店を描き足していく。それを繰り返しているうちに、ついには言伝屋が全く見えなくなる。


 しかし、その頃から妙なことが起り始めた。


 繋がる筈の通路と通路が繋がらない。そんな事がしばしば起るようになった。地図の上では繋がる筈の通路が、三次元だと全く違う空間に出てしまう。


 それだけではない。さっき通った時には三叉路だった通路が、次に通ってみると四辻になっていたり、ある民家の庭先の松の木が、次に通った時には南天の木になっていたり。そういった奇妙な食い違いは、《言伝屋》から離れれば離れるほどひどく、極端になっていった。


「ど……どうなっているの……!?」


 まるで性質の悪いだまし絵の世界に飛び込んだような気分になり、澪は戸惑った。この街が異常なのか、それとも自分がおかしくなっているのか。足元がぐらぐらと揺らぎ、今にも崩れ落ちてしまいそうな、心細さに襲われる。


 また、他にも妙な現象が起こっている事に気がついた。


「あれ……? この薬屋、さっきもあったような気がする……」


 この辺の店は昼夜を問わず、殆ど閉まっている。おまけに看板があっても、ほとんど読めないから、どれも似ているように見えてしまう。けれどその店の看板は《くすりや》と平仮名で描かれていたので、記憶にはっきりと残っていた。


 似たような店がいくつもあるのだろうか。


 何とはなしに嫌な予感がし、澪はその薬屋の前の石畳に小石でバツ印をつけてみた。これで、似たような店がまた現れたとしても、今度は違いが分かるだろう。そう思って、再び歩き始めたのだった。


 五分ほどして、やはり似たような薬屋が見えて来る。


「やっぱり同じような店がいくつかあるんだ」


 しかし、その店に近付くにつれ、澪は徐々に青くなり、ついには足を止めてしまった。そして、そのまま凍りついたかのように動けなくなってしまった。その薬屋の前に横たわる石畳に、見覚えのあるバツ印があったのだ。間違いなく、先ほど自分が付けたものだった。


「嘘でしょ……? どういう事!?」


 確かに自分は一本道を直進してきた筈だ。どこにも曲がらなかったし、引き返してもいない。ただまっすぐ歩いてきただけなのに、先ほど後方で付けたバツ印が再び目の前にある。

 こんなの、絶対変だ。普通はあり得ない。


 澪はその場で右折した。そこの民家の玄関脇には鉢植えが置いてあり、黄色と紫のパンジーが可愛い花をつけていた。今度はその鉢植えの前の石畳に丸印をつけてみる。そして、そのまま直進した。


 十分ほど歩くと、やはり見覚えのあるパンジーの鉢植えが姿を現す。花弁の色は、黄色と紫。嫌な予感がして、慌ててそこへ近づき、石畳に視線を落とす。すると、やはり見覚えのある丸印。


 澪は慌てて歩きながら同じことを数度、繰り返した。二重丸、三角形、四角形、星型――


 そして愕然とした。


 一度や二度ではない。自分の付けた印に何度も何度も遭遇するのだ。澪はただ、ひたすら直進しているだけなのに。


 おまけに印の種類を増やすことで、別の事も分かってきた。澪が付けた印は丸、バツ、二重丸、三角形、四角形、星型の順だが、再び遭遇する順序には規則性が全くない。三角形の次にバツ印があったかと思えば、二回続けて星型だったり。


 二重丸、四角形、丸、バツ、バツ、三角形、丸、四角形――――


「要するに……同じ場所をでたらめにぐるぐると回り続けているってこと………?」


 澪は呆然と立ち竦んだ。そんなことがあっていいのだろうか。自分の身に起きたことが俄かには信じられない。まるで悪夢でも見ているかのようだ。同じところをぐるぐると回って、なかなかそこから抜け出せない、後味の悪い悪夢。


 これでは地図など作れない。いや、あっても意味が全くないのではないか。澪の経験したことが事実なら、この幻朧街という街は、空間そのものが捻じれ、歪んでいるという事になる。


「これ……下手をしたら、元いた場所に戻れなくなってしまうんじゃ……?」


 何となくそう呟いたが、次の瞬間、澪は自身の思い付きに戦慄した。自分は《言伝屋》に戻れるのだろうか。もし澪の仮説が正しいなら、どれだけ歩いても同じところをぐるぐると回るだけで、帰れなくなってしまう可能性もある。


 ざあっと音を立てて血の気が引いた。帰れないかもしれないという事だけでも、じゅうぶん一大事だ。でも、それよりもっと恐ろしい可能性を思いついてしまったのだ。 例えばそう、ここでもし、夢幻通りの店にいる妖怪の様なもの達に囲まれたら、一体どうなってしまうのだろう。昨日のように、再び追いかけら回されたら。もし、彼らに捕まってしまったら、どうなってしまうのだろうか。


 呑気に地図など作っている場合ではない。


 澪は慌てて《言伝屋》に戻ろうと踵を返し、走り出した。といっても、店から出てかなり歩いて来ているので距離がある。それに、あちこち歩き回っているし、作った地図は何の役にも立たない。自分がどちらの方角かも分からなかった。


「うそ……嘘でしょ……!?」


 パニックになりそうなのを必死でこらえ、ただ闇雲に走った。ああ、神様。本当にいるのなら、あたしを言伝屋に戻してください。どうか助けてください。何でもします。誰でもいいから、助けてください! 

 ただその一心で、走った。


 十分ほど走っただろうか。似たような家並みが延々と続いていたが、その向こうに見慣れた《言伝屋》の建物が見えてくる。

 ああ、良かった、助かった――心の底からほっとするが、同時に不審にも思った。澪は少なくともニ、三時間は歩き詰めだった筈だ。幾ら最短距離を移動できたとしても、僅か十分で戻れるのはおかしい。


 疑問には思ったものの、極度の恐怖と緊張で、とにかく疲れきっていた。転げるようにして《言伝屋》の店の中に入る。すると、店先にある座敷で店番をしていた《言伝屋》がすぐに澪に気づき、声をかけてきた。


「今日は随分早かったですね」

「うん……。地図、作ってみたけどあんまり意味なかった」


「そうでしょうね」

 

 澪はその言葉を聞き、弾かれたように顔を上げる。


「……知っていたの?」

「ええ。この街はある程度まで行くと、同じところをぐるぐると回り続けます。宵闇の門も夢幻通りも、いつも同じところに出現するとは限りません。

 そういう街なのです。ですから地図はありません。あっても意味を成さないからです。いつも同じ場所に存在し続けているのは《言伝屋》とその周辺だけでしょう。それはこの店が幻朧街の中である意味、特殊な存在だからです」


 そうだったのか。そういえば、昨日もある筈の民家が消え、代わりにおかしな雑貨屋ができていた。この街では、そういった現象は日常的で、さして珍しいことではないのだろう。気味が悪いと思っていたが、やはりこの街は尋常ではない。


 しかし、そう納得すると同時に、言伝屋に対する強い怒りが込み上げてきた。


「どうして……」

「何がですか?」

「知ってたんなら、どうして教えてくれなかったの! あたし、地図はないかって聞いたよね? その時にでも教えてくれたら良かったのに!」


「あなたがそこまで地図に拘っているとは知りませんでしたから。聞かれなかったから答えなかった、ただそれだけです」

「でも……!」


「その様に、八つ当たりをされても困ります」

 

 《言伝屋》の突き放したような冷淡な返事は、ただでさえ、ささくれ立っている澪の神経を逆撫でにした。こっちは何時間も歩き回ったというのに、悪かったとか、もう少し説明しておけばよかったとか、そういうことは何も感じないのだろうか。この人はきっとこの店で、右往左往するあたしのことを想像し、きっと笑ってたんだ。そう思うと、何だか馬鹿にされているような気すらしてくる。


「……もういい」

 澪は苛ただしくそう言い、二階へと向かった。すると、背後で《言伝屋》が軽く溜め息をつくのが聞こえて来た。

(何よ……私が悪いの?)

 澪は二階への階段を駆け上がり、荒々しく襖を閉める。そして、敷きっぱなしにしてあった布団に、乱暴に倒れ込んだ。


 静かな部屋で一人になると、怒りはやがて胸を穿つような痛みに変わった。


 この街では、澪は一人なのだ。共感してくれる人も、励ましてくれる人もいない。衣食住が確保できただけでもありがたいと思うべきなのかもしれないが、だからと言ってこの埋めようのない淋しさが消えて無くなるわけではない。


 こんなに孤独なのは、初めての事だった。家に帰れば家族がいたし、学校に行けばいつも仲のいい友達がいた。淋しさを覚えたら、携帯電話で話したりメールをすれば良かった。いつも、誰かと繋がっているのが当たり前だった。しかし、今はその携帯電話の電源すら入らない状態なのだ。


 ここには何も無い。

 あるのはおかしな街と、気味の悪いモノノケ達と、表情はほとんど変えないクセに言いたいことは結構ずけずけ言う《言伝屋》の男だけだ。


 あんまりではないか。どうしてこんな事になってしまったのか。


 何だか自分が取り返しのつかない状況に陥ってしまったような気がして、澪はひどく落ち込んだ。次から次へと涙が溢れ出し、頬を濡らしたが、もうそれを拭う気力すらなかった。


 もう何もかもが億劫に感じて、澪は布団の上に横たわったまま、動くこともできなかった。そうしているうちに、強い睡魔がさざ波のように幾度も押し寄せてきて、うつらうつらとしてくる。


 長いこと歩き回って、自分が思う以上に心身共に疲れていたのだろう。

 そのまますとんと眠りに落ちていった。





 久しぶりに、澪は夢を見た。


 それが夢だと分かったのは、自分があり得ない場所に立っていたからだ。


 それは澪の通っていた城南高校の校庭だった。


 広々とした砂地に、楕円のトラック、朝礼台。以前は当たり前のように過ごした場所だ。退屈で、ありふれていて、でも何より大切だった場所。

 もう二度と、行くことのできないかもしれない、思い出の場所。


 不意にパコン、パコンと軽快な音が響き渡り、澪は、はっとする。テニスボールの跳ねる音だ。毎日聞いていたから、間違いない。


 言いようのない懐かしさが胸の中に広がった。たった数日しか経っていないのに、ラケットを握りたくて仕方がないという衝動が押し寄せ、右手や両足がうずうずと騒ぎだす。部のみんなは元気だろうか。今頃、何をしているのだろう。


 そう思ってテニスコートの中を覗くと、ちょうど部活の仲間たちが笑顔で練習をしているところだった。みな、楽しそうだ。

 その中には、鳴海愛花の姿もあった。


「あ……愛花!」

 澪は思わず声を上げていた。


 愛花は部活の中でも一番気の合う友人だ。同学年で、一年の時はクラスも同じだった。そのせいか、澪とダブルスを組んでいた。それほど、仲が良かったのだ。


 愛花は子供の頃から運動が得意だったらしく、テニスもうまい。高校に入ってからテニスを始めた澪とは大違いだった。でも、だからと言って、澪も愛花の足を引っ張るようなことはしたくなかった。よく、二人で学校に遅くまで残り、一緒に特訓したものだ。


 愛花は性格もしっかりしていて、頼りになる存在だった。澪が苦手な数学の試験で赤点を取り、追試を受ける事になったりすると、

「仕方ないんだから。でもいくら苦手だからって、赤点取る、フツー?」

 と言って茶化しながらも勉強を教えてくれたりした。


 部活でも教室でも、何かにつけて一緒にいた。顔を合わせない日は無かったほどだ。苦楽を共にした仲だった。


「愛花!」

 再び澪は呼びかけた。しかし愛花には澪の声が届かないのか、こちらを振り向きもしない。


「愛花! 愛花! 私はここにいるよ……愛花!」


 精一杯叫んでみたが、やはり愛花がこちらに気づくことは無かった。それどころか、クラブの他の女子と楽しそうにテニスを続けているではないか。

 まるで、澪などいなくても、何ら差障りは無いのだと言わんばかりに。


 そんな。ひどいよ。気づいて、愛花。愛花――――――――――…………


 そこで、はっと目が覚めた。


 校庭もテニスコートも愛花も、懐かしいものは全て掻き消え、目に入るのは冷たい言伝屋の天井ばかりだった。まだ夜中であるらしく、部屋の中は薄暗い。夢幻通りの喧騒だろうか。時折、笛や太鼓の音が聞こえてくるが、それもごく微かでしかない。


 何だ、夢だったのか。がっかりする一方で、澪は深く安堵してもいた。良かった、愛花があたしのことなんてすっかり忘れ去ってテニスをしていたのは、ただの夢だったんだ、と。 


(そうだよね、愛花があたしを見捨てる筈が無いもん。本当の愛花なら、きっと今頃、あたしの事をすごく心配していると思う。心配で心配で、夜も眠れないくらい案じてくれてるんじゃないかな。あんなふうに、何事も無かったかのように笑顔でテニスを続けてるなんて、絶対にあり得ないんだから……‼)


 半ば自分に言い聞かせるようにして、澪は考えた。もしかしたら事実かどうかは二の次で、自分がただ、そう思い込みたかっただけかもしれない。


 そう信じなければ、しんとした夜の闇に呑み込まれてしまいそうだった。


 愛花の事や他の友達、学校、部活――現世での様々な事を思い出し、胸が詰まった。

 皆どうしているだろう。早く戻らないと、授業にも遅れてしまう。戻るのが遅くなればなるほど、きっと取り返しのつかないことになってしまう。そうなる前に、一刻も早く戻らなければ。


 戻りたい。この街から出たい。――どんな事をしてでも。


 そう思うと、居てもたってもいられなくなってきた。


 日が昇るのなんて、到底、待っていられなかった。






 次の日の朝早く、まだ夜が明けきらないうちに、澪はこっそり言伝屋を脱け出した。


 街中はちょうど、昼間の店と夜間の店が入れ替わるタイミングだった。細い通路の間から夢幻通りがちらりと見えたが、華やかな提灯の火が消え、気怠げに戸締りする音が聞こえてくる。


(何か、寒い……)

 澪は思わず身震いし、背中を丸めた。昼間はそれなりに温かいのだが、朝のうちは冷涼とした空気が肌に纏わりつく。現世では五月の中頃だった筈だが、どうやらこの街でも同じくらいの季節であるようだった。


 太陽が顔を出せば、いくらか暖かくなるだろう。そう思い直し、澪はがむしゃらに歩き始めた。


 そんなことをしても、不規則に同じ場所をぐるぐるとまわり続けるだけだと分かっていた。でもひょっとしたら、どこか違う場所に辿り着くこともあるかもしれない。試してみなければ、絶対に無いとは言い切れないではないか。


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