そして掴み取ったものは6
本日、コミカライズ版異世界おもてなしご飯一巻の発売日です!
目玉焼き先生による、小説とはまた一味違うおもてなしご飯の世界を、是非ご覧になってみてくださいね!
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「あの時はさ、本当に必死だったんだ。嫌でも、辛くても。やらざるを得なかった。絶対に未来を変えてやる。その想いだけが私を――私たちを支えていた」
妹は後にそう語った。
未来は常に変動するものだ。
その証拠にテオが視る未来は、誰かが何か行動を起こす度に、少しずつ変わっていった。それは、カイン王子たちにとって、未来を変えるためのひとつの指標だった。けれども、妹たちが死ぬという未来は中々覆らなかった。何故なら、どんな道筋を辿ろうとも、いつだって最後に立ちはだかるのはあの巨大な魔物だったからだ。
――あれは、必ず穢れ島の手前で海底から現れ、聖女目掛けて襲い掛かってくる。
他の氷上船には目もくれずに、聖女だけでいいと言わんばかりに大口を開けて。
至上の喜びと言わんばかりに、聖女を、時には王子を喰らう。
魔物の居る場所を迂回しても、近づかないようにしても、それは聖女の真下に確実に現れた。
妹たちは、カイン王子と共に「予言」の内容を徹底的に解析し、何故ピンポイントに聖女であるひよりが狙われたのかを考えたらしい。
奴は、一体何を目印にしているのか。
散々議論を繰り返して、辿り着いた答えは――妹自身の魔力だった。
あれは聖女の浄化の魔力に惹かれてやってくる。
ならば、それを利用出来ないものか――。
妹が手にしている杖の先には、大きな輝石が嵌められている。妹は、普段それを使って魔力を増幅しているのだという。
輝石とは呼ばれているものの、実のところあれは妹の魔石だ。
輝石は妹の魔力を溜め込み、浄化の力を増幅する役目がある。それは僅かな時間だけれど、他者の魔力を通しても同等の効果を得られる。
もし、妹の魔力を目印にしているのであれば、あの杖で魔物を釣り出せるのではないか。
――でも、それにはひとつ問題があった。一体、誰があの魔物を釣り出すのかということだ。
妹は誰かが犠牲になるのを拒否した。あの魔物が来ることを知っていれば、身代わりなんて立てなくとも、なんとかなると主張したらしい。
けれどもそれを否定したのは、他でもない未来を視ることが出来るテオだった。
「僕は視た。生贄を差し出さなかった結果、為す術もなく魔物に喰われる聖女の姿を。泣き崩れる、姉の姿を。悲しみに暮れ、滅びていく国の姿を」
テオは歌うように言うと、妹の耳元で囁いたのだという。
「なんなら、この人外を生贄に捧げるなんてどうだい。お買い得だよ」
勿論、妹はテオの提案を受け入れられないと断った。なぜならば、シルフィ姫がテオを大切に想っていることを知っていたからだ。けれどもテオは人外らしい自分勝手さで、皆を説き伏せてしまった。聖女である妹を失うわけにはいかない彼らは、テオの提案を受け入れざるを得なかった。
妹は堪らず、テオに言ったのだそうだ。
「自ら犠牲になりに行くなんて、どうにかしてる」
するとテオは、「君がそれを言うのかい」と笑ったあと、いつものように大仰な礼をして言った。
「自分が守りたいと思う人が、言葉に言い表せないほどの酷い目に合い、無念のまま死ぬ姿を嫌というほど繰り返し視ているからね。僕はとうに気が狂っているのかもしれない。……まあ、道化は狂っているくらいが丁度いいさ」
そしてそれ以来、テオは妹たちの前から姿を消した。未来がどう変わったのか知る術を失ったカイン王子たちは、出来る限りのことをすると、穢れ島に向かって出発したのだという。
再び、妹がテオと対面したのは、氷上船の上だった。
唐突に現れた道化師は、妹に騎士の兜を被せて、自らの姿を妹そっくりに変えて笑った。
「さあ、僕の晴れ舞台。しかと目に焼き付けておくれよ」
そして――作戦は決行された。
テオは火球を魔物に放つと、その場から飛び退り、ガクリとその場に崩折れた。息も絶え絶えで、酷く苦しそうな様子だ。すると、テオの傍に小さな人影が現れて支えた。
「――馬鹿め。無茶をしおってからに」
「ああ! 本当に死ぬかと思った。おや、妖精女王じゃないか。君は高みの見物を決め込んでいるものと思っていたが」
「妾を謀った、元下僕の顔を拝みに来ただけじゃ。別に他意はない」
するとテオは、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「随分と面倒見のいいことだ。あの聖女の姉のお人好しが感染ったのかな?」
「生意気な。息の根を止めてやろうか」
「はっはっは! それは勘弁して欲しいね。銀色の姫が泣いてしまう」
テオはゆっくりとした動きで体を起こすと、氷上でのたうち回っている魔物を見遣った。
「出来れば、妖精女王にも助力を願いたいものだ。あれは随分としぶといらしい――」
「ふん。確かに、まだピンピンしておるようじゃの。忌々しい」
「そうさ。あれをなんとかしなくては。僕が目指す結末に至るには、アレは邪魔でしかない」
すると、ティターニアは片眉を上げてテオを見下ろした。
「お主の目指す結末とやらが、どういうものかは知らぬが……。何をするにしても、茜を泣かすようなことをしたら、妾が許さぬ」
すると、テオは肩を竦めて愉快そうに笑った。テオの反応に、ティターニアは目を白黒させるばかりだ。
「本当に貴女は変わってしまった。僕が恋していた気高き妖精女王は、もういないのだね……まあ、それは兎も角。あれかい? 妖精女王が気にしているのは、道化の最期という言葉かな。まあ、それは僕のことでもあるけれどね。物語の結末をバラすようで申し訳ないから、詳しくは言えないけれど――」
そしてテオは、泣き顔の仮面の前に人差し指を添えて、意味ありげに言った。
「この戦場には、僕以外にもうひとり道化がいるのさ――」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「撃てーーーー!!」
カイン王子の号令と共に、無数の魔法の矢が髑髏の魔物に降り注ぐ。けれども、大多数の矢は骨格に弾かれてダメージを与えるに至らなかった。魔物はふるりと体を震わせると、僅かに刺さった矢を弾き飛ばしてしまう。まるで矢を気にしていない様子に、報復を恐れた騎士たちの顔が青ざめていく。
けれども魔物は、矢を射掛けた人間には一切の興味を持たずに、髑髏の頭をもたげると、妹の姿を探している。
その間も、妹は絶え間なく動きながら、魔物に向かって浄化の光を放ち続けている。光が当たると、流石に魔物は苦しげに呻いた。けれども撃ち抜かれた場所は、体から染み出した邪気によって、直ぐ様補修されてしまう。魔物は、暫くすると痛みに耐性がついたのか、徐々に妹に向かって動き始めた。
「……ひより……!」
私は固唾を飲んでその様子を見守る。妹は魔物に狙いを定められても、慌てることなく徐々に後退して行った。すると、黒い影が魔物と妹の間に割り込んだ。
『お前……!!』
それは黒竜のユエだ。ユエは氷上すれすれを滑空し、ものすごい勢いで魔物に肉薄すると、剥き出しの内臓に噛み付いた。ぶしゃあ、と黒い体液が飛び氷上を汚す。
ユエは何度か顔を捻り、歯を食い込ませると、ブチブチと嫌な音を立てて引きちぎった。途端、魔物の絶叫が周囲に響き渡る。ユエは魔物の真新しい傷に、すかさず炎のブレスを吹きかける。そして、叫んだ。
『どうして、お前の中からマユの気配がするんだ!』
ユエは何度も何度も魔物に噛みつき、千切り――その度に悲壮な声で叫んだ。
『喰ったな! お前――フェルを喰ったな!! マユの魔石ごと、喰っただろう!!』
次の瞬間、表情なんてないはずなのに、髑髏がにたりと笑ったように見えた。魔物は勢いよく尾を振ると、ユエの体に巻き付かせ、恐ろしいほどの力で締め上げ始めた。
『ぐ、ああああああああああ!!』
ユエの絶叫が響き渡る。強固であるはずの竜の鱗が、締め上げられたことで剥げ落ち、ボロボロと雪上に散る。誰もがユエを助けようと動き出したけれど、魔物はまるで蛇のように絡みついているものだから、手を出すことが出来ない。
ユエが苦しむ姿をただ眺めることしか出来ない――そんな状況に陥った時、一陣の風が吹いた。
「――ほ。竜ならば、少し痛むくらいは我慢せいよ」
風と共に現れたティターニアは、周囲に色とりどりの花びらを散らしながら、漆黒の羽を広げてひらりひらりと周囲を飛び回った。ティターニアの白金の髪が風にふわりと広がり、純白のドレスが風に靡いている。宙を舞うティターニアの姿は、妖精の名に相応しく、可憐で美しい。けれども、その結果はかなり凶悪なものだった。
――ずぶん。
次の瞬間には、魔物の髑髏頭が胴体から泣き別れ、ユエにがっちりと巻き付いていた体も、粉微塵になって砕け散り――同時に、魔物に巻きつかれていたユエの全身からも、鮮血が迸った。
「ほほほほほ!」
ティターニアは愉快そうに高笑いをすると、氷上に落ちた髑髏の上に立った。
『妖精女王! なにを……!!』
ユエは苦しそうに呻き、ぎろりとティターニアを睨みつけた。
すると、ティターニアは口元を手で隠し、ふふふと楽しげに笑った。
「若さよなあ。青い青い。思わず、痛めつけて愛でたくなる。……が、それは平時であれば許されることよ。こういうときはな、年寄りに任せておけばいいのじゃ」
すると、魔物の髑髏からぶわりと猛烈な勢いで邪気が溢れ出した。同時に、氷上に落ちていた胴体が黒い霧となり、髑髏に向かって集まってきたではないか。
次の瞬間、魔物は元の姿を取り戻していた。
「ほほ。しぶとい、しぶとい」
ティターニアは、足下の魔物に目もくれず、ふわりと宙に浮かび上がると――空を見上げた。
「――のう? 古龍」
『ガァァァァァァァァァァ!』
天から山が落ちてきた。その光景は、まさにそれだった。
山と見紛うほどの巨体を持つ古龍は、魔物目掛けて空から落ちてくると、轟音を轟かせながらも巨大なあぎとで魔物を咥えこんだ。そして、勢いよく遠くへ放り投げる。更には、宙を舞っている最中の魔物に怒涛の勢いで肉薄すると、そのまま氷上に叩きつけた。ずずん、と地震が起こるほどの勢いで氷にめり込んだ魔物は為す術もない。
その様子を上空で眺めていたティターニアは、地面に這いつくばって息も絶え絶えのユエに語りかけた。
「おや、年の割に青いことをする。古龍もまだまだじゃ。もうちょっと、見栄えを気にして痛めつければいいものを。そう思わぬか? 黒いの」
「……なに? 僕にそれを聞くわけ? 余計なことをするな! フェルの敵は僕が討つんだ!!」
ユエは全身から血を滴らせながらも闘志を失うことはなく、妖精女王に向かって吠えた。
ティターニアは悪びれた様子をひとつも見せずに、楽しそうに目を細めるとユエに言った。
「お主如きが、あの化物に勝てるのかのう。先程は随分と苦戦しておったろうに。それよりも優先することがあろう。さあ。幼き竜よ。さっさと、聖女と共に元凶へ向かえ。このようなつまらぬ催し物をいつまで続けているつもりだ。妾は退屈で死んでしまう」
「ぐっ……」
「まさか――そのようなかすり傷で、動けぬと弱音を吐くつもりか? それでも、最強と名高い竜か? いやいや、可愛い蜥蜴だったか?」
「そんなことないさ!」
その時だ。ユエの傍に、一隻の氷上船が寄ってきた。その上には妹やカイン王子の姿がある。どうやら、魔物に壊された船を乗り捨て、傷ついていない船に乗り換えたらしい。
「ユエ! 辛いかも知れないけど、浄化が先だよ! 一緒に行こう!」
「ああ、勿論だ!」
妹の呼びかけに、ユエは元気よく応えると、傷ついた体で宙に舞い上がった。
「さあ! 皆の者! 行くぞ――勝利を手にするのだ!」
「「「応!!」」」
カイン王子の号令と共に、氷上船は勢いよく穢れ島へと向かっていく。そして、誰に邪魔されることなく島へと辿り着くと、意気揚々と上陸して行った。
氷上では、古龍と魔物の戦いが今も続いている。数は大分減ったものの、未だ残った魔物を倒すために、巨竜や援軍たちも必死で戦っている。
――けれども、もう戦いは終わりに近いのだと、そんな雰囲気が戦場に流れていた。
その様子を見ていたティターニアは、ゆっくりと高度を上げて、私の下へと戻ってきた。
そしてごろりと寝転ぶと、私の膝に頭を乗せた。
「ちょ!? 何しているの!?」
「ああ……疲れた。頑張ったと思わぬか? なんたる絶妙な介入具合」
「自分で言う!? というか、ユエを傷つけていたじゃない!」
「あんなもの、舐めていれば治るわ。さてさて、これで最後の関門は突破じゃ。道化の言う結末が楽しみじゃなあ。妾はそれまで寝る」
気ままな妖精女王は、それだけ言うとゆっくりと目を瞑った。
「妖精女王様は、つくづく素直じゃないな」
ジェイドさんが呆れ顔で言った。まあ、ティターニアなりに周囲に気を配り、一生懸命やってくれたのだという事はわかるのだ。わかるのだけれど――。
「もうちょっと、地味に事を収めて欲しいと願うのは、私が小市民だからですかね……」
「その気持ち、痛いほどわかるよ」
ジェイドさんと共に肩を竦めて、穢れ島の方へと目を遣る。
黒く穢れてしまった島からは、妹のものと思われる閃光が放たれ、魔物が島から逃げ出している姿が見える。島から逃げ出した魔物は、周囲で待ち構えていた部隊に各個撃破されている。
――いよいよだ。
そう思うと、途端に喉の渇きを覚えた。無理矢理、唾で喉を湿らせ、汗で濡れている手をぎゅっと握りしめる。そうしていると、やがて島の中央から光の柱が立ち昇った。
満天の星空に向かって伸びる光の柱は、周囲を優しく照らした。その光には浄化の作用があるのだろう。邪気の浸食が少ないものは、穢れが消え失せて元の姿に戻り、邪気に染まりきったものは、しゅわしゅわとまるで泡が溶けるように空へと還っていく。氷上で騎士や兵士たちと戦いを繰り広げていた魔物すら、淡雪のように溶けていく。
「空が」
ジェイドさんの声に釣られて空を見上げる。先程までは皆既日食で薄暗かった空が、徐々に明るくなっていく。星々が隠れ、一気に清々しい青空が広がっていく――。
やがて、太陽の光が燦々と氷の大地を照らし出すと、きらきらと氷が輝きだして眩しいくらいになった。
天に向かって昇っていた光の柱は、最後に何度か明滅を繰り返すと、細くなって消え失せた。
その頃には漸く目が慣れてきて、穢れ島の全容を目にすることが出来るようになっていた。
麗らかな春の日差しを浴びた穢れ島――木々がなくなり、小高い丘のようになってしまったその島には、巨大な建造物を思わせる瓦礫の中に、半壊した女性とも男性とも判断つかない、慈愛の笑みを浮かべた巨大な石像が聳え立っていた。ところどころ壊れていたり、苔生してはいるものの、顔はどこまでも優しく、掲げた手はたおやかで、足は大地をしっかりと捉えて、なんとも逞しい。
晴れ渡った青い空にその姿は際立って、石像が浮かべた微笑みは世界を祝福しているようだった。
石像の足下には、妹たちの姿が見える。彼らは見晴らしが良くなった穢れ島の天辺で、一斉に剣を、そして杖を掲げた。その瞬間、妹の杖から浄化の光が天に向かって放たれた。それはどこまでも伸びて行き、まるで遥か上空におわす精霊王に届けと言わんばかりだった。
私はその光景を目にして、胸が熱くなるのを感じていた。
――それはまるで、一枚の絵画のようだった。
歴戦を戦い抜いた英雄たち。奇跡の浄化の力が、勝利を掴み取り、平穏を取り戻した瞬間。
歴史に名を残す、偉大なる戦いが終結した瞬間でもあった。
やがて、ひとりの兵士が滂沱の涙を流しながら、剣を掲げて叫んだ。
「聖女様――万歳!」
すると、それに呼応するように誰かが叫ぶ。
「精霊王様――万歳!」
それを皮切りに、皆揃って剣を掲げて聖女と精霊王を讃えた。
そうして――戦場は、興奮の坩堝と化したのだった。
終わりっぽいのですが、まだ続きますぞ…!