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逝く者、遺された者、最期のご馳走2

 目を開けると、そこは冬枯れた木々の中だった。

 葉を一枚残らず落とした、私の背よりも少し高いほどの低木が、見渡す限りに生えている。葉が一枚もなく、冬空の下、枝をさらけ出している木々の姿は、酷く寒々しい。



「――ここは……」



 低木の林の向こうには、巨大な木々が立ち並ぶ鬱蒼とした森が見えた。その向こうには雪を被った高い山々。あの山はジルベルタ王国とテスラの国境の山に違いない。どうやら、無事に古の森へと到着出来たようだ。



「さあ、妖精女王の友。そして、おまけたち。案内しよう。だが、残念なことに今は僕自身に余裕がない。本来であれば、道化らしく踊りながら、歌いながら、おどけながら先導するべきなのだろうが――」

「お前、うるさいよ。早く案内して」



 つらつらとどうでもいいことを言い続けているテオに、ユエが不機嫌そうに言うと、深々と気取った礼をしたテオは、飛び跳ねるようにひらりひらりと木々の間を進みだした。

 私たち三人は顔を見合わせると、テオの後を着いて歩く。

 雪が降り積もったままの地面は、非常に歩きづらい。雪に足を突き刺すようにして、難儀しつつも足元を見ながら歩いていると――ふと、花の香りが鼻を擽った。更には、視界の隅に蝶の姿を捉えて、思わず顔を上げる。


 ――そして、私は目の前に広がる風景に、思わず息を飲んだ。

 それは「春」。

 白銀に染まる世界の中に、ぽっかりと円形に切り取られた「春」があった。


 深く積もった雪のなかで、そこだけは地面が露わになっている。地面には柔らかそうな若葉が茂り、小さな花があちこちで咲き乱れ、風に揺らいでいる。どこからか飛んできた蝶が舞い飛び、空から降り注ぐ太陽の光すら、春らしい柔らかな光を注いでいるような錯覚さえ覚える。

 そして、その「春」の真ん中には、誰かが花に埋もれるようにして横たわっていた。その傍には、まるで人形と見まごうばかりの美しい妖精女王が寄り添っている。


 その時、花の香りを乗せた風が吹いた。

 私の頬を掠めるように花びらが舞い、太陽に照らされたティターニアの長い白金の髪が、ふわりと宙に舞い上がる。


 ――その光景は、まるで別世界を垣間見ているような。

 酷く幻想的で、倒錯的で、儚げで。

 そして、どうしようもなく……恐ろしい。

 その空間に、自分が一歩でも踏み込めば、その美しさは壊れてしまうのではないかと。

 その美しさを壊すことは罪なのではないかと、そう思えるほどの光景だった。



「……お主、来たのか」



 私たちに気がついたティターニアは、俯いたままこちらに視線もよこさずに言った。

 ティターニアの声で、急激に現実に引き戻される。知らぬ間に止めていた息を思い切り吸えば、冷たい冬の空気に肺が満たされて、停止していた頭が活動を再開してくれた。


 雪の上から、そっと円形の「春」の中に踏み込む。

 その瞬間、空気が変わった。先程までは、冷たい冬の森の空気に全身が包まれていたというのに。足の裏に感じる、ふわふわとした草の感触。芳しい花の香り。「春」に包まれる。そう言いたくなるほど、そこは暖かかかった。

 服に着いていた雪が、草や花の上に落ちるのをなんだか申し訳なく思いながら、ティターニアへと近づいていく。ティターニアは金糸で縁取られた空色の瞳を伏せ、無表情のまま横たわる人物を見つめていた。


 そして、横たわっている人物の姿が目に飛び込んできた瞬間、思わず息を飲んだ。


 ――それは、人間とも植物ともとれないような、そんな不可解なものだった。

 人形(ひとがた)には間違いない。けれども、これは人間と呼べるのだろうか。

 色鮮やかな紅色の糸で織られた、幾何学模様の布で作られた衣をまとってはいる。皮の靴も履いている。耳元らしき部分には、見覚えのある耳飾りも着いている。


 けれど、肌が露出している部分は、既に人間の肌とは言えず、細い木の根が絡まり合っているようにしか見えない。更には、体じゅう至るところから、新緑の若芽が芽吹いている。頭部と思わしき部分には、三つ編みに結われた黄土色の髪がかろうじて残っているのが見える。けれど、目があるべき空洞(・・)からは、小さなシダ植物の芽や、花の蕾が顔を覗かせていた。

 ――木で作られた、現代アート。そう言われたほうが納得できる。



「……う」



 思わず、口元を手で覆う。

 これはヒトではない。ヒトであってはいけない。ましてや、これが――。



「テオが連れてきたのか。……余計なことを。なあ、茜。声を掛けてやっておくれ。こやつも喜ぶじゃろう」



 ……ケルカさんだなんて、思いたくなかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ティターニアは細く華奢な指先で、ケルカさんの手と思われる部分をずっと撫でている。

 その手つきは非常に優しく、丁寧で、愛おしささえ含んでいる気すらする。

 認めたくはない、認めたくはないけれど――ティターニアのその仕草が、それ(・・)がケルカさんであると、はっきりと証明していた。

 ティターニアに、どう声をかければいいのだろう。私がその場から動けないでいると、ユエはケルカさんに近づいて、その傍に座り込んだ。



「……もう死んじゃったの?」

「いや、残された時間は僅かだが、生きておるよ。もう、聴覚くらいしか残っておらぬようだが」

「そう」



 ユエは、ケルカさんの体に触れて、目を閉じる。



「今まで、長い間頑張ったね。お疲れ様……いってらっしゃい」



 ユエはそうケルカさんに語りかけると、私たちへと視線を向けて、ちょいちょいと手招きをした。



「……茜、ジェイド。おいでよ。見慣れないかもしれないけれど、これがエルフの最期だ。ちゃんと、送り出してやって。理想郷へと旅立つケルカを」



 ――エルフは、死を恐れない。

 以前、ケルカさんはそう言っていた。

 死後、エルフを待っているのは、甘い蜜と豊かな緑で溢れる理想郷。死んだエルフは、誰もがそこへ招かれるのだという。そして、そこで永遠の時を生きるのだとも言っていた。魂は理想郷に、身体はこちらの世界に、一本の木と化して根付くのだと。だから、寿命で死ぬことは、エルフにとっては喜ばしいことなのだと、悲しむことではないのだと言っていた。おめでとうと言って欲しいとも。


 私はケルカさんの傍へと近づいた。ジェイドさんも、私と並んでケルカさんを見下ろしている。

 そして、彼の傍に跪くと、恐る恐る指先で触れる。指先から伝わってくるのは、ざらりとした手触り。体温を感じさせないその体は、もう既に植物としか言いようがない。



「……お疲れ様、でした」



 私は、ひりつく喉の奥から、その言葉を絞り出すのが精一杯だった。

 おめでとう、なんてとてもではないけれど言えない。

 エルフの死生観では喜ばしいものだと言われても、どうしても受け入れられない。

 泣かないように堪えるのに必死だった。



「――そのような顔をするな。阿呆めが」



 すると、ティターニアが呆れたような顔で、私を見ていた。



「だが、それがお主と言うものなのじゃろうな。このおせっかいめ」



 ティターニアはゆっくりとその場から立ち上がると、空を見上げた。

 私も釣られて空を見る。すると、温かな日差しが注いでいた「春」に影が差した。

 そして、次の瞬間、音もなく山のような巨体が舞い降りてくる。

 ぶわり、と強い風が吹き荒び、色とりどりの花びらが舞い散った。



「――ヒトの子よ。久しいな。我が友を見送りに来たのか」

「お久しぶりです。長様(おささま)



 それは、この世で最も強い生き物とされている竜――その竜族の今代の長、古龍。岩のようなゴツゴツした体を持った、山と見間違うほどの巨体。ぎょろり、と青い瞳で私を見た古龍は、僅かに目を細めると、横たわるケルカさんに鼻先を向けた。

 すると、その背から誰かがスルスルと軽快な動きで降りてきた。見ると、それはケルカさんと同じ黄土色の髪を持ち、紅い瞳を持ったエルフ。目が細く、まるで狐のような顔つきの、薬草売りのティルカさんだった。



「やあやあ。君も来たんだね。兄さんのためにありがとう」



 ティルカさんは私へ近づくと、握手を求めて手を差し出してきた。

 戸惑いながらも、手を握り返すと、ティルカさんはにこりと笑って話を続けた。



「それに、義姉さんに髪飾りを届けてくれたんだね。兄さんも喜んでいたよ。義姉さんったら、兄さんに再会した時、すごい剣幕だったんだよ。それこそ、森の動物が全部逃げ出すくらいにね。あ、聞きたい? 話そうか。というか、話したいんだ、すごく愉快な話なんだ……」

「……ティルカ。それは内緒じゃと言ったじゃろうが」

「いやあ、あれは語り草にしなくっちゃいけないくらい、すごかったからね。義姉さんの魔力に怯えて、森から生き物が一切合切消えたからね。内緒になんてしていられないよ。そのせいで、獲物が獲れなくって、食事の準備が大変だったことも合わせてね」

「ぐぬ……」



 ティルカさんの軽口に、ティターニアが唇を尖らせている。

 ケルカさんの死の間際で、皆、沈んでいるのだろうと思っていたから、ふたりの様子はとても意外で、なんだか拍子抜けしてしまった。テオがあれほど焦っていたから、もっと深刻な状況なのだと思ったのだけれど。

 私の様子に気がついたティルカさんは、ただでさえ細い目を糸のように細めると、可笑しそうにくつくつと笑った。



「人間の君たちから見たら、僕たちの態度は不思議だろうね。言っただろう? エルフの死は厭うことじゃないんだ。喜ぶべきことなんだよ。沈んだ顔をしているほうが、失礼に当たるんだ。もっと肩の力を抜きなよ」

「……はあ」



 もうすぐ家族が死ぬというのに、これはどういうことなのだろうか。

 よく、高齢の方が大往生で亡くなった場合、お葬式は明るいものになると聞くけれど、それと似たようなものなのだろうか。

 ――でも。

 そっと、花畑の中で横たわるケルカさんを見る。

 よくよく見れば、僅かに胸が上下していて、まだ息をしているのがわかる。

 秋頃、色鮮やかに萌える秋の山で、紅葉狩りをした時にケルカさんが言った言葉を覚えている。

 エルフは死後、理想郷に行くのだから、死ぬのは怖くないと言った直後に、彼は酷く淋しげな顔で、こう語ったのだ。



『…………死ぬ間際に、愛しい彼女の顔をみてしまったら、生にしがみつきたくなる。エルフの死生観なんてかなぐり捨ててね。理想郷なんてどうでもよくなりそうじゃないか』



 そして、それが自分がティターニア(最愛の人)の下から逃げ出した理由であると、それが真実なのだと泣き笑いを浮かべていた。

 そう言っていたケルカさんが、ティターニアに再会した後、最期の時を迎えた。

 彼は日に日に動かなくなる体と、傍にいる最愛の人を見て、一日一日をどう考えて過ごしたのだろう。

 もうほぼ植物と化してしまったケルカさんは、応えてくれないけれど。



「……茜、折角来たのじゃ。妾と共に来るが良い」



 私を真っ直ぐに見つめている、この美しい彼の(つがい)はその答えを知っているはずだ。



「どこに行くの?」

「ケルカの最後の晩餐を用意する。ふむ、異界風の料理を最後の晩餐とするのも良いな。ケルカは新しいものを好んでいたからの」



 ティターニアは古龍へ向き合うと、小さく頷いた。それだけで、古龍には伝わったらしい。



「……この場は任された。行ってくるがいい、我が友のために」

「すぐ戻る。ケルカの命の火が消えぬうちに、必ず」



 そして、ティターニアは私の手を取ると、どこかへ歩き出そうとした。



「ちょ、ちょっと待って。だから、どこに行くの?」



 ティターニアは私の疑問に、振り返ることもなく言った。



「最後の晩餐に使う、森の恵みを貰い受けに行く。――古の森の最奥、棄てられた木の神殿へな」

コミカライズリンクは↓か、活動報告にて!

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