聖女が遺したものと、魚介トマト鍋 1
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ユエは言った。
次期竜族の長として選ばれ、母竜から離されて、現竜族の長である古龍と永い時を過ごしてきた彼は、どこか不安そうな顔で言った。
ちょっと刺激を与えれば、ほんの少し優しくすれば、きっとその金色の瞳からは涙がポロポロと溢れるのだろう。そう思わざるを得ないくらい、迷子みたいな、心細そうな顔で言った。
「……僕は、竜族の長にはならない」
世界で一番強い種族であるはずの竜。なのに、そう言ったユエは――とてもとても弱く見えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
最果て――そう呼ばれている国がある。
大陸の最北端にあるその国は、年がら年中雪で覆われている。
元々は国を追われて行き場を失った人々が、苦し紛れに、万年雪の中を掘り進めて、そこに住み着いたことから始まったのだという。どこまでも果てしなく続く雪原の下に、氷で造られた広大な都市が広がるのだと、王妃様は語った。
「なら、食料を手に入れるのにも苦労するのでしょうね」
「ふふふ。そうでもないのよ。あそこには、雪の上でないと生育しない植物があるの。それに海も近いから、お魚も沢山取れるし――お肉だって、海獣を猟師たちが仕留めてくれるお陰で、充分すぎるほどあるし……。確かに、この国に比べると豊かではないけれどね。わたくしの自慢の故郷よ」
「へえ……」
王妃様にお呼ばれされたお茶会。
天井がガラス張りで、温かな光が差し込むサロン。冬だというのに、沢山の花で彩られたサロンは、どこか王妃様のような温かい雰囲気がある。そこでお茶を飲みながら、王妃様は自身の故郷について、懐かしそうに語ってくれた。
それは、この異世界に来て色々な体験をした私にとっても、不思議で――まるでおとぎ話のような、そんな国。話を聞き終わった私は、脳内で繰り広げていた見知らぬ国の想像の余韻に浸りながら、紅茶で温まった吐息をほう、と吐く。
「――是非、一度行ってみたいですね。雪の下に広がる都市なんて――素敵」
すると、今までは柔らかな微笑みを湛えていた王妃様の表情が一瞬にして曇る。
どうしたのかと様子を伺っていると、カレンさんが一通の手紙を王妃様に渡した。
「実はね、茜ちゃんにお願いがあって」
「――お願い?」
「ユエちゃんがね、わたくしの故郷に行きたいって言い出したの」
「……ユエが?」
寒さに弱いユエが、極寒の地である最果ての国に行きたいだなんてと不思議に思っていると、王妃様はどこか悲しそうに目を伏せた。
「わたくしの国はね、先代聖女が最期を迎えた場所でもあるの。……きっと、そのことを知ったんだわ。茜ちゃん、出来れば一緒について行ってあげてくれないかしら」
思わず息を飲む。先代聖女――確かマユという名前で、かなりユエと親しかったはずだ。
聖人フェルファイトスと共に、ユエが出会ったという彼女。実際、一緒にいられたのは数日間だったらしい。けれど、再会を約束したからと、数百年もの間、彼らを古の森で待ち続けるほどには、ユエにとって大切な人だ。そんな人が最期を迎えた――亡くなった場所。
「そして、出来ればユエちゃんに、先代聖女が浄化を終えたあとの足取りを見せてあげて欲しいの。あの国の宝物庫には、聖女ゆかりの品が沢山遺っている。……確か、異界の言葉で書かれたものもあったわ。この手紙は、お父様への紹介状。これがあれば、きっと見せてくれるはずだわ」
王妃様は眉を下げると、紅茶へと視線を落とした。
「わたくしの国に行きたいと言ってきた時、あの子、どこか思い詰めたような顔をしていたわ。わたくし、ふたご姫と一緒になって、楽しそうに笑っているあの子しか知らなかったから……驚いてしまって。竜だから、わたくしよりも遥かに年上なのは知っているけれど。……それでも、小さな子が泣くのは嫌だわ」
「王妃様……」
「きっと、あの子はあの子で色々と考えているのね。どうか、力になってあげて」
ニコリと微笑んだ王妃様は、それでも何処か心配そうで。
私は力強く頷くと、王妃様が差し出した手紙を受け取った。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
最果ての国は、最果てというだけあって、非常に辺鄙な場所にあった。
辺鄙な理由――それは、その国はこの大陸の移動によく使われる、大鷲で近づけないところにある。それは年がら年中雪が降っているせいもあるけれど、上空の大気が常に不安定で、風が読めないというのもあるらしい。
勿論竜であるユエにとっても条件は一緒で、そもそも寒さに弱い竜が飛ぶには、この国の上空は冷たすぎるのだそうだ。
「だから最果ての国は、唯一、竜が住まない国なんだよ」
「へえ……!」
ジェイドさんが、いつものように色々な事を教えてくれる。
けれど顔を見ることは出来ない。何故ならジェイドさんは、私の後ろに座って、体を支えてくれているからだ。
私とジェイドさん、そしてユエは、巨大な馬の背に揺られて、最果ての国を目指していた。
その馬は、炎のように真っ赤な鬣と尾を持ち、見上げるほど大きい。毛色は黒で、太く立派な脚にも赤い鬣と同じ色の毛が生えていて、走るとそれが風に靡いて、まるで炎が尾を引いているような幻想的な姿になる。サラブレッドというよりは、道産子のような重量級の馬――その名を獄炎馬という。
三人乗り出来るほどの大きな鞍を積んだその馬。獄炎馬で行くのが、徒歩を除けば、最果ての国へ行く唯一の方法だった。
「それにしても、雪ばっかりで何もありませんね。遠くに山が見えるくらいで、本当にどこまでも真っ白」
「でも、何もないように見える、この大雪原のど真ん中に最果ての国があるんだ。ここは、歴代聖女も穢れ島に向かう時に必ず通る道なんだよ」
「……そうなんですか」
はあ、と吐き出した息が、白い煙のように後方へと流れていく。
今日は運の良いことに晴天で、見渡すかぎりの白い雪原を眺めることが出来た。けれど、一度雪が降り始めると、あっという間に視界が悪くなり、移動することもままならなくなるらしい。
そんな、もうすぐ穢れ島へと向かう妹が通るはずの道。
――そして、先代聖女が通ったはずの道でもある。
「ユエ、寒くない?」
「大丈夫」
ユエは、この雪原に入ってから、どこか沈んだ様子だった。
いつもなら初めて行く場所では、はしゃぐことが多いのに、今日に限っては大人しくしている。
「……ここは、相変わらず冷えるね」
ぽつん、とユエが呟いた言葉。竜が住まない国、最果ての国。どうして、竜であるユエがそれを知っているのだろう。そんな疑問が過るけれど、口に出すのを躊躇する。
迂闊に聞いたりしたら、ユエを傷つけてしまうかもしれない――そんな恐れが私のなかにあったからだ。
でも、それでもユエに声を掛けてやるべきなんじゃないかと、戸惑っていると――にゅっと伸びてきた手が、私とユエをまるごと包み込んで、ぎゅう、と強く抱きしめた。
「――確かに寒いなあ! 鼻なんてもげそうなくらいだ! そういう時は、こうやってくっついて暖を取るものだろう」
「わ、ちょ、ジェイドさ……!」
いやにテンションの高いジェイドさんは、容赦なく私とユエを締め付けてきた。
「ぎゃあああ! ジェイド! 馬鹿! 体勢が――馬がッ! 馬ー!!」
ユエが焦った声で叫ぶ。
確かに体が密着したお陰で温かくはあるけれど、急に前傾姿勢になったものだから、馬が驚いてしまったらしい。僅かに前脚を浮かせた獄炎馬は――次の瞬間、物凄いスピードで走り出した。
「「――うぎゃあああああああ!!」」
思わず、目の前のユエを思い切り抱きしめる。竜だからなんとかしてくれるだろうと思ったら、ユエも私の手を力いっぱい握りしめて、混乱しているようだ。それに、体重を私に預けてくるものだから、体がぐらぐらして安定しない。
「ゆゆゆ、ユエ、なんとかしてえええ!」
「な、なんで、なんで僕な……っ、舌噛んだあああ!」
ふたりでぎゃあぎゃあ騒いでいると、後ろで朗らかな笑い声が聞こえた。
「大丈夫、大丈夫。俺は騎士だからね、馬の取扱いには慣れて――って、思ったより速いな! 獄炎馬」
「不吉なことをいうなああああ!」
ユエが抗議の声を上げると、面白くて堪らないのか、ジェイドさんはひとしきり笑ったあと――遠く、一点を指差した。
「冗談だよ。ほら! 見えてきたぞ! あれが最果ての国――ツェーブルだ!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
万年雪の中に造られた都市――その入口は、とてつもなく大きな大樹の下にあった。
――結晶樹。そう呼ばれる、遥か古からあるその大樹は、幹は白樺のように、つるりと白く凹凸は少ない。緑の葉の代わりに雪の結晶を枝先に茂らせ、その結晶は太陽の光を浴びて、キラキラと眩いほどに輝いている。
結晶の間には、白い小さな小鳥が行きかい、甲高い鳴き声を上げている。
小鳥が枝に降り立つ度に、雪の結晶がはらり、はらりと大地に向かって落ちてくる。その結晶を手のひらで受け止めると、しゅわしゅわとあっという間に溶けて消えるのも面白くて、不思議で。思わず、三人揃って大樹を見上げて、暫く眺めていた。
「……あれ?」
その時、ふと既視感を覚えて首を傾げる。
……なぜだろう、この大樹と似た雰囲気の樹を何処かで見たような――。
するとその時、ツェーブルの門番の兵士が話しかけてきた。
「見事なものでしょう。この結晶樹の根が、万年雪の下に広がる我が国を支えているのです。一説には、精霊界にある大樹と対を成していると言われています。……まあ、精霊界に行って、戻ってきた人間の話なんて聞きませんから、真偽の程は定かではありませんが」
「な、なるほどー」
ああ、確かに精霊界で見た大樹に似ているかもしれない……!!
そっとジェイドさんを見ると、彼も小さくうなずき返してくれた。
改めて、大樹を見上げる。
――結晶樹と精霊界の大樹。対を成すものが、ふたつの世界に跨って存在している。それには、きっと私なんかが想像できないような、深い意味があるのだろう。世界を形作る大きな歯車のひとつを垣間見たような、そんな厳かな気持ちになる。そのふたつの大樹を見られた幸運に、誰にというわけではないけれど、心のなかでそっと感謝を捧げた。
大樹の下には、繋ぎ場があり、そこには沢山の獄炎馬が繋がれていた。
私たちが乗ってきた獄炎馬もそこに繋いで、ツェーブルに入るために入り口の前に立つ。
雪原の中、ぽっかりと地面に空いた穴は、直径百メートルもありそうなほど巨大だ。それほど巨大なのに、その穴は嘗て人の手によって掘られたものだというから驚きだ。
穴を塞ぐようにして作られている氷の蓋――門と人々は呼んでいた――が、ゆっくりと横にスライドして開いて行く様子を眺めていると、ひとりの兵士が地下の都市までの案内を買って出てくれた。
彼の後ろについて、どこまでも続くのではないかと錯覚しそうなほどの、長い長い階段を降りていく。所々、鉱石のような発光する石が設置されてはいるけれど、それでも段々と暗くなっていく階段に、いよいよここは地面の下なのだと実感が沸いてきて、ほんの少し緊張する。
すると、先導していた兵士が声を掛けてきた。
「皆様は、この国は初めてでしょうか」
「……あ、はい。そうです!」
「ほほう、なるほどなるほど」
白髪交じりの髭の老年の兵士は、意味ありげに頷いた。正直、なにがなるほどなのか聞きたかったけれど、兵士は前を向いて歩き始めてしまったので、仕方なく、彼の後について地下に降りていく。
決して溶けることがないという万年雪のなかを降りていくのだ、地下に進むに従って、気温もかなり冷え込んできて、鼻先がかなり冷たい。息を吸うと、鼻の奥がキン、と痛むほどだ。
すると、先導していた兵士がふとこちらを振り向いて言った。
「皆様がた、足元にお気をつけください。この国では、時折、風の精霊がいたずらをするのです――」
兵士はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべている。
兵士の言葉の意味がわからず、顔を見合わせていると――ひゅるるるるる! と、激しい風が通路の奥から吹いてきた。その風はあまりに強く、目を半分閉じて、手で前方を覆わなければ前へ進めないほどだ。
「さあ、この風のいたずらを超えた先、そこに我らが国、ツェーブルが広がっております。さあ、さあ。風に掬われて、足を滑らせてはなりません。一歩一歩、足元を確認して頂いて、前へお進みくださいませ。ぜひとも、足元をご覧になって。前を見てはなりません。そうすれば――きっと素晴らしいものをお目にかかれるはずです」
その兵士の口調は、どこか芝居の口上めいていて――なんだか、その先に楽しいことが待っていそうな、そんな期待感を煽るような雰囲気がある。
……まるで、観光ガイドみたいだなあ。
こういう時は、全力で乗っかるのが一番だ。
私は言われたとおりに、足元の階段だけを見つめて、強い風の中、ゆっくりと進んで行った。
やがて、風が弱まってくると、その兵士は高らかに、少し大仰なくらいの口調で言った。
「――さあ、皆様がた、顔を上げて! ここは氷の下に造られた、神秘の都市。永遠の時を刻む結晶樹に守られし、最果ての国。お客様がた。どうぞ、この国での滞在を、充分に楽しまれますよう――」
その瞬間、目に飛び込んできた光景に、思わず息を飲んだ。
「ようこそ! 聖女様の第二の故郷! ツェーブルへ!」
私たちがいたのは、広大な地下空間の天井に近い部分だった。不思議なことに地下だと言うのに非常に明るい。どうやら、天井に眩い光を放つ苔が群生しているようだ。そして、遥か下まで続く階段の先に、乳白色の町並みが広がっているのが見えた。角が丸い白い石で組まれた家々は、どこかミルクキャンディで作られたような可愛らしさがあり、整然と遠くまで町並みが続く風景は圧巻。所々に、色とりどりの水晶のような石があり、それが仄かに光を発しているから、家々がその水晶の色に鮮やかに照らされている。
更には、天井からは巨大な氷柱が垂れ下がり、兵士が言っていたように、巨大な結晶樹の木の根が絡みついていた。
氷柱に絡みついた結晶樹の根の数はかなり多い。そして、それは漏れなく地面を伝って、その奥にある地底湖まで伸びていた。深い藍色をした地底湖は、かなり広大な面積を持っているようで、対岸が見えないほどだ。そして、その地底湖の上には、小さな島があり、そこには立派なお城が建っていた。
思わず、階段を降りるのを止めて、その景色に見惚れる。
それは想像していたよりも、遥かに美しく幻想的な風景。その風景は、私の心を容赦なく揺さぶり言葉を奪った。
「……ここが、マユの最期の地……」
ユエが、ぽつりと呟く。
気がつけば、ユエも私の隣に立って、その風景に見惚れていた。
そうだ、ここは聖女マユも訪れた地。きっと、彼女もこの光景を見て、足を止めたに違いない。
――なんとなく、ユエの小さな手を握る。すると、ユエは驚いたような顔でこちらを見た。
「……すごいね。すごい場所だね。ユエ」
「……」
ユエは複雑そうな表情で私を見ている。
すると、ぽん、とジェイドさんがユエの頭に手を乗せた。
「ちゃんと――見るべきものは、見ないとな」
「…………うん」
それから暫く、三人で水晶の光で色とりどりに輝く町並みを眺めていた。
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