めくるめく乾物の世界と、駄目な大人たち 後編
2巻の発売が決まりましたー!
初春を予定しております!どうぞよろしくお願いします!(*´∀`*)
すると、本を読み終わったらしいヴァンテさんが、もそもそとテーブルに近寄ってきた。
「うちの叔父さん、そのうち犬の魔道具とか創り出しそうで怖いよねえ」
「あっ! 僕の卵焼きー!」
ヴァンテさんは複雑そうな視線をルヴァンさんへと注ぎながらも、ちゃっかり手づかみでだし巻き卵を取って、口いっぱいに頬張っている。それを目ざとく見つけたユエは、全部食べられてしまうと焦ったのか、急いでだし巻き卵に齧りついた。
途端に、ユエの表情が曇る。大好きな卵焼きを食べる時は、いつもにこにこしているのに、今日に限っては、咀嚼しながら何処か複雑そうな表情をしていた。
「あれ、美味しくなかったですか?」
不思議に思って、ひとつ摘む。
濃い目に取った出汁を引いただし巻き卵。鰹節の濃厚な旨味と、卵の濃い味――ほんのり効かせた醤油。それに、出汁をたっぷり入れて、柔らかめに仕上げただし巻き卵は、とろとろのふわふわ。正直上手く出来ていると思う。
首を傾げていると、ごくりと口の中のものを飲み込んだユエは、テーブルにぐったりと体を預けて、悲しそうに言った。
「甘くない……」
「ああ。なるほど。ユエにとっては、お砂糖たっぷりなのが、卵焼きですもんね」
砂糖たっぷり、甘々卵焼き。妹が大好きなその味ばかり作っていたから、ユエも自然とその味が好きになったらしい。すると、どこからか取り出したメモ帳に、何かを書き付け始めたヴァンテさんが、じりじりとユエににじり寄った。
「ふむふむ。黒竜は甘い卵焼きが好き……と。その他には!」
「そ、そのほか……?」
「身長は? 体重は? 好きな場所は? 好きな異性のタイプは!」
「はあ……!?」
マシンガンのように浴びせられる質問に、ユエは困惑しきりだ。
ヴァンテさんはほんのり頬を赤らめて、「竜について、文献との違いを知れるチャンス……!」と一人楽しそうだ。
「もしかして、こいつも酔っ払っているの……?」
「ああー。そうみたいですね。……どうやら、徳利からお酒を一気飲みしたみたいです」
ヴァンテさんは一見、なんともないように見えるけれど、よく見ると目がぐるぐるとして焦点が定まっていない。どうやら、飲み慣れない日本酒を一気飲みしたせいで、簡単に酔っ払ってしまったようだ。お燗をした酒は、酔いやすくもあるから、それも一因だろう。
ヴァンテさんは四つん這いでユエににじり寄り、鼻息も荒くグイグイと詰め寄っている。そんなヴァンテさんに、ユエの顔は最高に引き攣っていた。
「酔っているとか酔っていないとかどうでもいいのだよ。……ふ、ふふ。ねえ、ねえ、ユエくん! 是非とも、僕の質問に答えてくれたまえ。共に、竜研究の新境地を切り開こうじゃないか……うおっ!」
ヴァンテさんがユエに勢い良く言葉を捲し立てていたその瞬間、熱い空気が頬を撫でる。
……どうやら、ユエが威嚇の為に炎を吐いたようだ。
「……これ以上近づいたら、今度は黒焦げにしてやる!」
「うわあああああ! ドラゴンブレスだああああ!」
どうやら威嚇は逆効果だったらしい。それを見たヴァンテさんは、大興奮で拍手をしている。
終いには、ドラゴンの炎の出る器官がどーのこーのと、大騒ぎしてユエの全身をベタベタと触りまくっている。ユエはプルプルと震え、口元を引き攣らせて――いつ怒りに任せて、竜に変身してもおかしくない状態だった。
「ちょ……! ええええ、ジェイドさん、ユエってば、やばくないですか!」
「そうだね……! というか、唯一止められそうなルヴァンさんが役に立たない……!」
ルヴァンさんは犬の可愛らしさを語るのに夢中で、こちらに気付いてすらいないようだ。
「ああもう、仕方がない!」
すると、すっくと立ち上がったジェイドさんは、興奮しているヴァンテさんのそばに近寄って、手刀をその首元に落とした。
「……ぐふっ!」
すると、ヴァンテさんは奇妙な声を上げて、床に崩折れてしまった。
ジェイドさんは、ふう、と息を吐くと、爽やかな笑顔を浮かべて、額に浮かんだ汗を拭う。
そして、ヴァンテさんの足を持って引きずると、部屋の隅へと運んだ。
――おおう、なんかお尻の辺りがヒュン! ってした! 人間が気絶するところなんて、滅多に見ないから、何か肝的なものがヒュン! ってした……!
どうやら、ユエもそうだったらしく、自然とふたりで手を取り合って身を寄せた。
「……茜。あの眼鏡の変なの、大丈夫なの……!? 死んでない?」
「だ、だだだ、大丈夫だと思いますよ!? 気絶しただけ……ですよね!? ジェイドさん……!」
私がそう聞くと、ジェイドさんは眩しいほどの笑顔を浮かべて、白い歯をキラリと見せて言った。
「――大丈夫だよ。同僚が飲みすぎて暴れた時によく使う手なんだ。しばらくしたら、目を覚ますから」
「よく……?」
「ああ、よく使うね! 飲み会があると、必ず一回は」
……騎士団の飲み会って……!
そう言えば、騎士団は平民と貴族が入り混じっている組織らしい。貴族というと、お高く止まっているイメージだけれど、平民の騎士であれば、羽目を外すこともあるだろう。
「なるほど、平民の方が……」
「いや、主にクルクス先輩を気絶させるために生まれた技だよ」
「あの人、普通に高位貴族ですよね!? 貴族としての立ち振る舞いとか色々あるんじゃないんですか!」
「いやあ……あの人は、貴族の前にクルクスっていう生き物だから……」
ふたご姫を心から愛してやまない、変態な護衛騎士を思い出してゲンナリする。
――まあ、確かに飲んだら暴れそうではあるけれど。
騎士団の愉快な飲み会に思いを馳せていると、なんだかやるせない気分になってしまった。
「おー。茜、この食料庫から持ってきたやつ。どうやって食べるんだ?」
「……あ、はい! それはですね……」
すると、ルヴァンさんの犬語りに付き合っていたダージルさんが、私の持ってきた乾物を手に手招きをしている。ちょっぴりげんなりした様子だから、流石にうんざりして流れを変えたいのかもしれない。
私はダージルさんの傍まで寄ると、それを食べるために「生卵」を手に取った。
……私が持ってきたもの。それはコマイの乾物だ。
コマイというと、タラ科に属する魚で、それほど大きくない白身の魚だ。祖父の出身地青森でよく食べられているもので、祖父はカンカイと呼んでいた。
コマイ――カンカイは、それ自体を食べると、パサパサして強い塩味がある乾物。所謂、口の中の水分を根こそぎ奪っていく系の乾物だ。
カンカイを食べる時は、マヨネーズに赤唐辛子を混ぜたものをつけて食べることが多い。実際、売られているカンカイには、マヨネーズが付属している場合が多い。まあ、それも美味しいけれど、私にはもっと好きな食べ方がある。
「……生卵? どうするんだ、それ」
「ふっふっふ。見ててください。生卵を混ぜまして、それにちょろっとだけ醤油を垂らして〜」
ぴったりと皮に張り付いているカンカイの身を、ベリベリと剥がす。そしてそれを、うっすら醤油で茶色くなった卵につける! たっぷり、乾いたカンカイの身に卵が染みるように念入りに……!
「あとはこのまま食べる! こういう感じですね」
「……おお」
ダージルさんは、まじまじと私の手元をじっと見つめている。
そのダージルさんの表情が、ちょっと不安そうなのは、きっと気のせいじゃない。生卵なんて食べ慣れないのだろう。
「この生卵、今日採れたてのもので、冷蔵庫にも入れてあったので、大丈夫だと思いますけどね。まあ、万が一お腹を壊したら、マルタにお願いしましょう」
「マ……ッ!」
私がマルタの名前を出すと、わかりやすくダージルさんが狼狽した。
不思議に思って、ダージルさんを見ると、ほんのりと頬が赤くなっている。
「……どうしたんですか?」
「いや。なんでもない。俺にも生卵くれ」
ごほん、と咳払いをしたダージルさんは、次の瞬間には普通の表情に戻って、器に割り入れた卵をかき混ぜ始めた。
不思議に思ったけれど、まあいい。手元のカンカイが私に食べろ食べろと急かしている。
「じゃあ、先に頂きます!」
――ぱくり。
とろとろの卵が絡みついたカンカイに齧りつく。
すると、自然と自分の頬が緩んでいくのがわかった。
カンカイ自体は、タラの仲間とあって、その身には旨味が充分すぎるほどに含まれている。
干されたことで究極までに濃縮されたカンカイの味が、噛みしめるごとに、じゅわ、じゅわ、と舌に旨味と共に染み出してくる。
けれど、乾物だと言うこともあって、ふとした瞬間に塩気が強すぎるように感じる瞬間がある。
同時に、強すぎる魚の風味――人によっては、臭みとも呼べるような魚臭さを感じることすらある。
でも、それをどうにかしてくれるのが生卵。
たっぷりと染み込ませた生卵は、カンカイの余分な塩味や風味を優しく包み込んでくれ、更には生卵自体の水分が、乾ききったカンカイの身に染み込むことによって、蕩けるような舌触りに変化するのだ。
「〜〜うう! お酒っお酒っ!」
ぐい、とお猪口の中身を一気に呷る。
ぬる燗の辛味がある酒が舌を舐めると、生卵とカンカイの味で甘やかされていた口の中がきりりと引き締まって、これまた合う!!
「もいっこ……」
たまらず、もう一つ手にとって、生卵をつけてぺろり。……うううう、もう駄目だ。美味しすぎる。
実は、カンカイ自体を生卵に和えてしまう方法もあるけれど、個人的にはこうやってひとくちずつ浸していくほうが、食べる喜びがあると思っている。
ちゅる、と生卵をたっぷり絡めたカンカイを口に放り込めば、一気に口の中がまろやかでしょっぱい味に包まれ――けれど、それでも感じる塩味が、液体状のものを飲みたくないかい? と脳に問いかけてくるのだ。
その誘惑を断る術は何もない。それに、カンカイを食べるのは久しぶりだ。最近、鬱憤が溜まっていたのもあって、私は次から次へと、お猪口の中の日本酒を飲み干していく。
「茜? ちょっと、飲み過ぎじゃないか?」
「ええ? 大丈夫ですよー。ふふふー。ダージルさん、どうですか! カンカイ!」
「おう、こりゃあやべえな。手が止まらねえ……!」
「生卵を食べなれないとか、そういったものを吹っ飛ばすくらい美味いでしょう〜?」
「わかる……! すんげえ、わかる……!」
私とダージルさんは、にんまりと笑い合うと、お猪口を改めてぶつけ合った。
その後は、非常に楽しい時間だった。
次から次へと徳利を空けていく。終いには、お燗をするのが面倒になって、日本酒を常温で飲み始めた。
……正直、久しぶりのカンカイの味と、色々なことからの開放感で、いつもよりも随分とハイペースで飲んでいたような気がする。正直、その後の記憶が曖昧だ。
翌日、ジェイドさんに聞いた所によると、私は全力でユエにまとわりついていたらしい。
……それも、私だけじゃなくて、ダージルさん、ルヴァンさん……終いには、目覚めたヴァンテさんまで。
何故か全員が全員、狙いすましたようにユエに構って構って構い倒していたようだ。
「ユエー! ああ、可愛い。男の子! 可愛い! くんかくんか! いい匂いー!」
「……や、ひゃああああ! 何するのさ、茜! やめろー!」
「竜種という長命種から見れば、犬という種族は取るに足らない獣であると言えるかもしれないが、そのいち獣が人間に与える癒やし効果は計り知れないものがあり、犬とともにある生活というのは、今後、人間が人間らしく生きるためには必要なものではないかと私は思うのだが」
「ちょ……! 眼鏡のおじさんは、どこで息継ぎしてるのさ!」
「お前なあ、こんな細っこい体でどうするんだ。竜だから変身すれば強えのかもしれねえが、人間形態がヒョロかったら、迫力に欠けるだろ!? 竜族の次期長なんだろー? だったら肉を食え! 肉を!」
「余計なお世話だよ!」
「くくくく……この入れ墨……! 竜紋の文様は、成長過程で自然と出来上がっていくのだという……この模様一つひとつに魔術的な意味があるのかな。ねえ、君ってば脱皮する? 脱皮するなら、皮をくれないかなあどうかなあ。ああ、皮が欲しい」
「こ わ す ぎ る」
「……皆、酔っ払いすぎだろ! ユエが嫌がっているじゃないか」
「ジェイドおおおおお! お前だけが癒やしだよ!」
……そんなことがあったせいだろう。
翌日、二日酔いでガンガンする頭で、居間に行くと、先に起きていたらしいユエに距離を取られた。
レオンを抱っこして、自分の体を隠したユエは、怯えたような顔で私にこう言った。
「――もう二度と、大人の晩酌には付き合わないからな!!」
そして、ぷい、とそっぽを向いて、どこかへ去ってしまった。
……どうやら、私たちはお酒に酔った勢いで、ユエにある意味トラウマを植え付けてしまったらしい。
「あああああ。なんてこった」
私は、がくりと膝を付き、そして同時に酷く痛みだした頭を抱えた。
寒い冬。お酒が進む季節だけれど、飲み過ぎには充分注意しましょう。
さもないと――居候の竜に嫌われる恐れがあります。
次回投稿は、28日土曜日です。その日から6日間連続更新になります(やっぱり6日間になったよ!←白目)
コミカライズが10/31より、ヤングエースUP様という無料ウェブ漫画サイトにて連載開始です!